三章 トンボ草とエピローグ 4
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プラムターナという町は、想像通りの田舎町でした。
小ぶりな駅舎から旅行鞄を引っ提げてこの地に降り立った私たちは、足の確保を馬車を探したのですが見つかりません。これがロンデ二オンならば、辻馬車が列をなして客待ちをしているというのに。
そして大佐がイライラすること小一時間、やっと通りかかった馬車を捕まえ、この町で一番のホテルまで行って活動拠点を構えようとしました。しかしそのホテルというのが、この町唯一のホテルで、タウンハウスに毛が生えた程度。築五〇年はくだらない木造のこじんまりとした宿でした。床を踏めばギシギシ音が鳴り、トイレは共同、食事は出ない、もちろんシャワーもない。案内された部屋は朽ちかけのベッドが四床押し込まれただけ——と、大佐の機嫌を損ねるには十分。
私の家族が住んでいる町家もこんな感じなので、個人的には慣れたものですが……。
「はぁもう最悪。なんでこんな宿しかないの? 雑居房みたいな部屋でどうやって数日も過ごせってのよ!」
と、先週まで拘置所の独房で生活していた人らしからぬことを言い出します。
「しょうがないじゃないですか、ここしかホテルないんですから。それに遊びに来たわけじゃないんです。三日の予定なんですから我慢してくださいよ。ケメット! 自分の荷物は自分のベッドに置きなさいよ!」
「早くラベンダーを取りにいかなくては無くなってしまいますニャ」
「夕飯も出ないって何なの。レストラン見かけなかったわよ? どこで食べるの?」
女三人寄ればなんとやらと言われてしまいそうな光景ですが、私自身もこの空間にだいぶ慣れてきました。日常風景としては、まあこんなもんです。
寝床しかない宿に留まっていても時間の無駄。
私たちはさっそく仕事に取り掛かることにしました。
手始めとしては、まず宿の主人への聞き込みです。その土地の観光地なども、大概はホテルのフロントに尋ねれば解決するものなのですが——なんとその例に漏れず、恰幅の良いホテルの主人は有用な情報を提供してくれました。
「奇跡の家かい。ああ、今年も何人かその件で大学だかのお偉いさんが調査に来てたっけなぁ。見たことはないが、噂だけはね」
「教会の近くだと伺ったのですが、詳しく教えていただけませんか?」
「教えるも何も、南の四号街道を道なりに行くだけださ。少し距離があるけれどね」
見知らぬ土地で迷子になりながら時間を浪費するのを覚悟していただけに、これは朗報です。不機嫌だった大佐の眉尻もだんだん下がってきてくれて、精神衛生上にも優しい展開でした。その大佐が次に尋ねます。
「ねえご主人、もう一つ聞きたいんだけど、この土地に所縁のある創造器の伝説は知らないかしら」
「別嬪さん、そりゃああんた、今言った教会のことさ」
別嬪さんて、いらなくないですか? だったら私の時にもつけるべきではないですか? 私が世の不条理に腹を立てているとなりで、ご主人は明らかに私の時よりも頬を緩め、この土地に伝わる、有名な創造器の伝説が記された小冊子をくれました。
なんて事はありません、観光パンフレットです。
その後、大佐に鼻の下を伸ばした主人の計らいで馬車を呼んでもらい、教会までの道すがら、この土地の伝説の大まかな内容を知ることができました。
『トンボの聖女』という伝説。
時代は一五〇〇年以上前にまで遡ります。
プラムターナの小さな農村に産まれた一人の女性——名を『エルヴィラ』と言い、この時代に大流行していた流行り病に立ち向かった魔女でした。彼女の使い魔がトンボであるとされており、『トンボの聖女』伝説とはこれが由来でした。
伝承では魔女や聖女であるとされていましたが、現代の研究では、医療の知識に明るい修道女であった、という見解がなされております。
当時、先進的な医療行為によってその名が知れ渡りつつあった彼女ですが、その卓越した医術から魔術師と噂されるようになりました。しかしこの時期、教会と魔術師の関係は悪く、排斥運動が行われている真っただ中にあり、噂を聞きつけた大司教の一派によってエルヴィラは捕えられ、火刑に処されました。
罪状は、魔術によって病を流行らせたというもの。
彼女が処刑されて暫くし、病の流行が収まったことから数世紀渡って彼女は咎人として記されてきたのです。
しかし研究が進み、当時の文献が解析されはじめると、彼女が処方した薬の製法がアルビオン全土に広まったことで、病の流行が終結したという見方が多数を占め、教会は過ちを認めて彼女を聖人と崇めるようになりました。
どうしてこのような誤解が生まれてしまったのか――それはエルヴィラの持つ医療技術が、現代とそん色のない高度なものであったが故、魔女との誹りを受けたのでした。
その元凶が、いつも彼女と共に居たとされる『虹のトンボ』。
七色に輝く妖精のピクシーであるという文献も残されておりますが、聖遺物として教会が保管している彼女のメモには、『神からの贈り物』『祈りが通じたのだ』『虹のトンボは知識を授けてくれた』——との記述が遺されている。研究者たちはエルヴィラに知識を与えた『虹のトンボ』を、所有者の願いを叶和える自立型の創造器と断定。
しかしトンボは彼女と共に火の中に消え去り、創造器の現物は残されていない。
「という胸糞の悪いお話でしたニャ」
ご丁寧にも、頼んでもいないのに、パンフレットを音読して読み聞かせてくれていたケメットは「教会はひどい奴らだニャ」と感想を述べ、馬車の座席に冊子を放り投げました。
「その聖女エルヴィラが祀られている教会が、今からいく教会ってことね」
「そのようですね。でも、奇跡の家と関係があるんでしょうか?」
「噂のある周辺で、一番霊験あらたかな場所って教会しかないんでしょ?」
「まさか、聖女の幽霊が何かしているんじゃ」
「怖い話はやめて」
「……」
またです。また男性票を獲得しようと、あざとさを見せてくるんですこの女は。
それから馬車で揺られること二時間弱。移動に次ぐ移動で、何もしていないのに草臥れムードが漂う中、私たちは目的地『聖エルヴィラ教会』に到着しました。
教会は古めかしい外観で、白い建物の表面は剥げかかっています。敷地もこじんまりとしており、裏手の平野に区切られた墓地もあまり大きくありません。
「今日はさっと見て終わりにするわ。長居したら日が暮れちゃうしね。この辺うろつくことを坊さんに断っておきましょう。ケメット、御者に待ってて貰うよう伝えておいて」
「ガッテン承知だニャ」
パタパタと馬車まで走っていくケメットを尻目に、私は大佐の後に続いて教会の中へと足を踏み入れました。
「邪魔するわ! 今日ってやってる?」
「パブじゃないんですから止めてください」
酒場にでも来たかのような態度の大佐を諫めますが、中は静かなものです。
静謐を旨とし、心穏やかに祈りを捧げる場所なのですから、当然と言えば当然。
しかしながら、いささか静かすぎました。
礼拝堂内には牧師はおろか、一人の参拝者も居らず、堂内の内陣に至る身廊の先、祭壇の後ろにある聖女の像だけがこちらに無機質な眼差しを向けているだけ。
「なぁに? 誰も居ないじゃないの」
「裏の墓地で何か作業中なのかもしれませんね」
目立ったものは聖女エルヴィラと思しき像だけで、ステンドグラスもない質素な礼拝堂を見渡していると、入口からケメットが誰かと会話をしながら入ってきました。
「そこでウチは言ってやったのです。『弾がないならてめぇの玉を詰めやがれ』と」
「あらま、ダメよ若い娘さんがそんな汚い言葉を使っちゃあ。うふふふ」
ケメットの隣には、口元を抑えて楽し気に笑う老婆がいました。
見たところごく一般的な婦人服姿で、教会の牧師や修道女というわけでは無さそうです。
「ケメット、そのご婦人は?」と私が尋ねると、彼女は首を傾げます。
「知りません、いったい誰だニャ?」
それを聞いているんです。
知りもしない赤の他人と、よくあんな汚い言葉を使って楽し気に話せるものです。
老婆は「あらあら」と上品に笑いました。
「私は近所に住むただのお婆ちゃんですよ。いつも畑仕事が終わるとここに来るのが日課なの。ここは滅多に人も来ない教会だからね、静かに過ごすには持って来いなのよ。あなた達は牧師様に用があるのかしら?」
「あ、ハイ。ちょっと仕事でこの周辺の調査をしたくて……できれば牧師様に話を通したかったのですが」
「なら大丈夫よ。あの人は大らかな方だから。今頃、自分の畑で畑仕事をしているわ」
「は、はぁ……」
聖職者としての聖務を放り出して畑仕事とは随分といい加減、もとい、平和な教会です。
「迷える子羊が少ないのはいいことだわ」
ナチュラルに胸中で呟いた独白に大佐は答え、老婆に歩み寄っていきます。
「ねえお婆ちゃん、この辺りで不思議なことって起きたりしない? あたしたちはその調査をしに来たの。例えば幽霊屋敷の噂とか」
「あなた達も『奇跡の家』を見に来たのね。前にも何人か同じ質問をされたのよ。でお御免なさい、私はここで生まれて七〇年になるけど、一度もそういう不思議な体験はしたことがないのよ」
それ聞いた大佐は「ふぅむ」腕を組んでと思案気な顔を作りました。
「よし、ありがとうお婆ちゃん。あたしたちは勝手にそこらを見て周ることにするわ。もし牧師さまがいらしたら宜しくお願いね」
それだけ言い残すと、さっさと教会から出て行ってしまいます。私も老婆に礼を言って、大佐の後に続きました。
「どうなってるの? ここに七〇年も住んでるお婆ちゃんが見たことないって言ってるものを、吹聴して回っている何某どもは見たことがあるってわけ?」
教会を出てからすぐ、大佐は老婆の前で見せていたサバサバとした気軽い雰囲気を一変させて、むすっと不機嫌になりました。
「そうですのニャ。どういうことか答えていただきたい、中尉どの」
「えっ! 私が!?」
唐突に向けられた切先。ケメットが論理破綻しているのはいつものことですが、悪乗りなのか、大佐まで私にきつい視線を向けてきます。どうして私が悪いみたいに捉えられているのか意味不明でしたが、なけなしの頭を絞って考えてみました。
「ま、まだ何もないと決まったわけじゃないですよ。そうだ! そういえば教官が教えてくださった噂では、早朝の朝靄が立つ時間帯という話でしたよね? 時刻が鍵になっているのかもしれませんよ?」
パンシパル教官の話では、朝靄が立つ時刻、教会の街道沿いに突如としてあるはずのない家が現れるのだそうです。その家を見た者は願いが叶う。
「場所はそういえば、青い花がどうのと——」
「そうです! ラベンダーですのニャ!」
突然ケメットは大声を上げると、どうして黙っていたんだとばかりに大佐の頭を引っ叩き、編み籠を背負って駆け出していきました。
私はその後ろ姿を、米神に青筋を立てた大佐の隣で見送るのでした。
奇跡の家——言ってしまえば幽霊屋敷。ですが、一般的に幽霊屋敷とは、実物があってこその怪談話だとルイズは思います。その家に幽霊が出るから幽霊屋敷。しかし、件の屋敷はその実物も、元になりそうな廃墟もない。存在しない家。
そんなものをどうやって見つけるのか——この難題を前に、私たちは虱潰しに周辺を見て回るしかありませんでした。
丘陵の上に立ち、私はのどかな牧草地を見回します。ポツポツと農家が散見できる以外、人家らしきものは見当たりません。じきに日も沈み、街頭もないこの片田舎は夜の暗闇に包まれてしまうことでしょう。
「今日はもう無理ね」
そう独り言ちて、すでに探索に飽きて教会の柵に腰かけている大佐の元へ向かいます。
よく見ればケメットが口を半開きにして、呆けた顔で固まっていました。
近づいていくと、大佐が声を荒げ、何やらケメットにお説教をしている様子です。
「あたし言ったわよね!? 馬車に待っててもらうようにって! あんたに!」
「ですがウチはちゃんと言いましたニャ」
「じゃあなんで馬車が居なくなってんのよ!」
そんな会話が漏れ聞こえてきてしまい、気分が滅入ってしまいます。どうやらここまで送ってくれた馬車は町に帰ってしまったようです。となればホテルまで徒歩で帰宅しなければならないのですが、恐らく四時間以上の行軍を強いられることでしょう。
「はぁ……ケメット、あなた御者になんて言ったのよ」
もしかすると、時間を改めて迎えに来てくれるように頼んだのでは? なんて希望に縋りたくて、私はケメットに訊きました。
「ウチはちゃんと言いました。『あのお方はかの有名な賢天の魔術師シンクレアだニャ。我々の仕事が済むまでこの場で待っていろ——さもなければどうなるか、わかっているニャ?』と、ちゃんと含みを持たせたのです」
「何を含ませてるのよッ!」
「さすが、大佐のネームバリューですね」
「なによ! あたしのせいだって言いたいの!?」
妙な言い回しで、結果的に御者を脅迫する形をとったケメットが悪い。
しかし過ぎたことです。今はこの後どうやって町までの足を確保するか。
もしくは、考えたくありませんが歩いて帰るか。
大佐は男性も履いているような革靴だからまだ良いとしても、私とケメットはパンプスなので舗装のない道を何時間も歩くのはさすが骨が折れます。靴擦れで血まみれなったり、足首を挫いたり、容易に想像できるのです。
そういえば、いの一番にラベンダーを探しに行った成果はあったのだろうかと気になり、ケメットが背負う籠を覗きこんでみました。
「空っぽね」
「タンポポくらいしか咲いておりませんでした」
重い空気が漂います。ここまでの道程と、これからの苦労を思ってか、私たち三人は揃ってため息をつきました。
見知らぬ土地、田舎特有の融通が利かない交通手段。都会が恋しい、と私たちが肩を落としていると、背後から陽気で少ししゃがれた声が掛けられました。
「あらあら、綺麗な娘さんたちがため息なんてついちゃって。幸せが逃げちゃうわよ」
先ほどの老婆が、孫を見るような優しい笑顔で立っていました。




