三章 トンボ草とエピローグ 3
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もうもうと立ち昇る黒煙が後方へと流れて行きます。
ガタンゴトンと規則正しい振動に揺られ、私たちは今、汽車旅の真っ最中でした。
警察から提供された怪盗オマールの自白情報、それとパンシパル教官から寄せられた創造器の入手先に関する情報。
これらの情報は、どちらも同じ地名を指し示しています。
ロンデ二オンから西にある田舎町『プラムターナ』。
怪盗オマールとパンシパル教官は、どうやらその町で偽の創造器を手に入れた——。
となれば話は早く、私たち『ドナルドカンパニー』は創造器調査事務所と謳っているように、その調査に乗り出したのです。
「楽しみですのニャ。あたり一面がラベンダー畑だなんて夢みたいです」
その台詞だけならば、夢見る少女のようで非常に愛らしいものです。
しかしその言葉を吐いた当の本人は、キノコ狩りにでも行くのかというほどの大きな編み籠を抱えており——爆発的に値が吊り上がるだろうと予測されるラベンダーを乱獲する気満々でした。
これも全てパンシパル教官が寄越した余計な一言の所為でもありますが、大佐が何も言わないので、私も黙っておくことにしました。
きっと、釘を刺したところでギャンギャン泣き喚かれて面倒だと思っての判断でしょう——窓際席で頬杖をついている大佐を見て、そう察します。
「にしてもケメット、あなたどうしてそんなにお金が欲しいの?」
そりゃあお金は大事です。貧困の幼少時代、町に住みつく野生のピクシーを捕えては路地裏で血抜きをし、空腹を満たしていた経験が私にはあります。お金は大事。大金はもっと大事。ですが、他人の金をあてにして一攫千金を目論むほど横着ではありません。
向かいの席に座るケメットは私の隣に編み籠を置きました。
「ウチには夢がありますのニャ」
「夢?」と何やら似つかわしくない台詞に私は聞き返します。
「ウチは将来、大きくて立派な農園を持ちたいのです。だからお金を貯めなくてはなりません。立派なブドウ畑を作って、毎日ブドウを食べて生きていきたいですのニャ」
「へぇ……あなたが農園ね……」
日頃のケメットから想像していた突飛な夢とは乖離する、実現可能な範囲の目標に私は少々肩透かしを食らった気分です。
「なので、大佐の遺書には財産をすべてケメットに譲るという一文を認めてもらう手はずですのニャ」
ポカン、と横から飛んできた拳がケメットの頭を小突きます。
「そんなもん書いたらあんた、早々にあたしに毒もって始末する気でしょ。絶対に書かないんだから」
「あんまりだニャ! ウチがどれほど大佐を慕っているとお思いですか!」
このくらいだニャ、と目いっぱい手を広げて、子供のように愛情の大きさを表現するケメットでしたが、大佐がつれない態度を取るもので、今度は私に水を向けてきます。
「中尉の夢はなんですのニャ?」
「私はもちろん——」
何度も話した通り、プルームプルハット家の再興、貴族としての復権。
これ以外にはあり得ません。
「だったらウチと一緒にラベンダー集めればいいですのに」
「よくよく考えたけれど、その程度では私の夢は叶えられないわ」
夢の足しにはなるでしょうけど、圧倒的に足りない。
自分が求めるものは多すぎるし、贅沢なのも自覚しているけれど、こればっかりは曲げられない。これは亡くなってしまったおじい様、仕送りを続けている家族、そして何より自分に誓った目標なのだから、譲る気はないのです。
「そこでアルトロモンドよ」
先ほどまで低めのテンションで機嫌も悪そうに見えた大佐でしたが、途端に水を得た魚のように活き活きと会話に参加してきます。
「それは——わかってますけど……実際どうなんですか。何か当てはあるんです?」
「『ゲニウスの扉』の初版本以外に何があるの? あれがあたしたちの聖典なの」
流石は大佐。当てはないそうです。
「でもこうして不思議探しを続けていけば、アルトロモンドのヒントだってどこかに転がってるかもしれない。今回だって創造器にまつわる案件なわけだし、何よりパンシパルが『奇跡の家』だなんて面白そうなネタを教えてくれたでしょ。見たら願いが叶う家よ? アルトロモンドの家バージョンだわ。面白そうじゃない」
「ウチはアルトロモンドにラベンダーをお願いすることにして、それを元手に農園を開きますニャ」
なんですかその二度手間は。
「そうだ——前から気になっていたんですけど、大佐はアルトロモンドにどんな願いを叶えてもらいたいんですか?」
それは以前からずっと気になっていた疑問です。何かにつけてアルトロモンドで解決を図ろうとする悪癖を持つ大佐。そんなアルトロモンド教の信者である彼女は、当然ながら幻の扉を見つけたいとする動機——『願い』があるはずです。
タイミングも悪くないと思い、軽い気持ちで尋ねてみたのですが。
「それは……当てたら、教えてあげる」
ふふん、と鼻で笑うとしたり顔で頬杖をつき、車窓に目を向けてしまいます。
何でしょう。稚気を覗かせながらも流し目で色っぽさを醸し、小悪魔感を演出して良い女には謎が付きものよ、とでも言いたげな態度。
これまでの付き合いがなければ唾を吐きかけてやるところです。
ゴトン、と列車が大きく揺れました。
大き目の石でも踏んだのか、客車全体が少し弾んでしまうような衝撃を受け、その直後——通路を歩いていた老人が私たちの席の前でよろめきました。
「危ないニャ!」
そう叫んだケメットが咄嗟に老人の腕を掴み助けに入りました。
事なきを得たかと、一瞬そう思ったのもつかの間——。
老人はケメットの腕を支えにバランスを崩し、弧を描くように私たちの客席の縁に顔面を強打してしまったのでした。
「ちょっと——ッ、だ、大丈夫ですか?」
床に蹲るご老人の安否を気に掛けて身を乗り出すと、老人はふらつきながらも自分で立ち上がります。
「ああ、大丈夫。助かったよお嬢さん」と、老人は鼻血をだくだく流しながら言いました。
「ぜんぜん大丈夫じゃない!?」
慌ててハンカチを取り出して老人に差し出し、止血をして差し上げました。
外見から想像するに、七〇は回っているであろうご老体。身なりはそれなりに確りとした紳士服でしたが、やはり年相応に体の肉は落ちています。こんな細身で血を流しては直ぐに貧血で倒れかねませんので、編み籠を除けて暫く座ってもらうことにしました。
「いやはや、申し訳ない。お嬢さんのハンカチを台無しにしてしまった」
「いえ、大したお怪我じゃなくてよかったです」
そりゃあハンカチ一つとっても大事に使いまわす生活水準ですが、それを取沙汰すほど心は貧しくありません——と心中で思った矢先にいらぬお節介が飛んできました。
「中尉は貧乏なので、ハンカチは返してあげてくださいニャ」
「何言いだすのよ馬鹿ネコ! いえ、結構ですから! 鼻紙だと思って、血が止まったら捨ててしまってください」
第一、そんな血まみれのハンカチなんて返してもらっても困ります。
私の献身的な態度に感銘を受けたであろう老人は謝辞を述べ、立ち上がろうとしますが、ケメットが耳をピクンと動かし、足元を見つめながら声を大にして言いました。
「お爺ちゃん、足が木になってるニャ!」
という彼女の言葉通り、老人のズボンの裾から覗いていた左足は義足でした。失礼に当たると思って叱りつけようとしたところ、老人は気さくに笑って答えます。
「カッコいいだろう?」
なんと懐の広い老人でしょう。普通なら指摘されたことを不快に感じられるやもしれませんのに、人生経験豊富な大人の余裕とはこういうものでしょうか。
ちらりと義足に目をやった大佐が老人に尋ねました。
「お爺ちゃんはどちらまでの旅程なの?」
「私かい? 故郷のプラムターナさ。お嬢さんがたは旅行かな?」
「あたしたちの目的地も一緒よ。仕事でね」
「それはご苦労なことだ。若いうちは、男も女もとんと働くべきだからね。私はちょうど一線を退いて若い者に任せてきたところだよ。あとは故郷でやり残した仕事をしながらノンビリとするさ」
深く刻まれた皺を更に深めて老人は快活な笑顔を見せると、血まみれになったハンカチのことを詫びて席に戻っていかれました。
こうした見知らぬ人との交流も旅の醍醐味と言えましょう。
異なる景色、異なる空気、日常とは違う様々な事柄に触れて知見も広がるのは、新しい自分に出会うような気持ちにさせてくれます。決まった仕事場に留まり、同じ日常を繰り返していた時分には体験できなかったことでした。
——ただ、これは本分ではありません。
神代より伝わる伝説の魔道具——『創造器』の贋作が出回る理由を解き明かすため、私たちは一路プラムターナへ。
汽車の汽笛が間延びして、穏やかな丘陵地に響き渡ります。




