4
――暖を拾ってから、十一日目。
休み二日目。
ユウは大型テーマパークのゲート前にある料金表を見て、震えていた。
「……まさか、こんなにも高いのだとは知りませんでした……昨日の朝に分かっていれば、お断りしていたのに……」
「ユウさん。ここまで来てそれはいけないなぁ?」
「だから頑なに、どこのテーマパークか秘密にしていたのですね……」
「ほら、拾ってくれた日に言ってたじゃん。もうすぐ二十歳になるって。誕生日がいつかは知らないけど、今日は俺からの誕生日プレゼントってことで!」
暖はにっと笑った。
「だから今日は一日、奢られて、はしゃぎなさい。はい、これつけて」
そう言って暖がユウの頭につけたのは、ウサギの耳がついたカチューシャだった。
ユウがあまりの金額に現実逃避していた時に、こっそり購入していたのだ。
「え……え?」
ユウは、頭につけられたウサギの耳にそっと触れた。
「ユウ、こういう時は素直にありがとうって言えばいいんだよ。チケットはもう買ってあるし」
「……ええっ!?」
「ネットで買っといたから」
暖は少し屈んで、言葉をなくしたユウに笑いかけた。
「強引だとは思ったけどね? なんか楽しいこと、俺がユウとしたくてさ。だから貰ってくんない? 『一日ウサギの国のプリンセスになれる』っていう、俺特製のバースデーチケット」
「…………プリンセスでないと、ダメなのですか?」
「じゃあ、ウサギの国のユウさん」
「……プレゼント、ありがとうございます。戸惑いが大きいだけで、嬉しくないわけではありません。そこだけは誤解しないでください」
ユウは真剣な顔で暖に詰め寄った。
すると暖は、嬉しさと楽しさが混ざったような――そんな表情で笑った。
ユウは一度楽しむと決めたら、それを崩さない。
ユウが必ず行きたいと言ったアトラクションは、まさかの本格派お化け屋敷だった。
日本家屋を模した大きな建物を丸ごと使ったウォークスルー型で、おどろおどろしい雰囲気を纏っている。
気のせいか、ここだけ空気が冷たく感じられる。それが余計にユウをワクワクさせた。
「暖さん……興奮が止まりません」
「ぶふっ!」
二十分ほど並んだだけで、すんなりと二人の番がやってきた。
そして意気揚々と中に入っていったユウは、十数分後には悲鳴を上げていた。
しかし悲鳴は一つではない。
「ユウさん! お化け屋敷好きなんじゃないのかよ!」
「す、す、す、好きと、得意は同列ではな……きゃー! う、後ろー!」
「うわー!! 生首!」
「口にしないで!」
それからしばらくして。
屋敷から出てきた二人は息も絶え絶えだった。
「……暖さん……休憩、しませんか……?」
「まだアトラクション一つ目だけど、賛成」
近くのベンチに腰を下ろした二人は、静かに息を吐いた。
そして、ゆっくりと顔を見合わせて――笑った。
「もうさー! めっちゃ怖かったっつーの!」
「私もです! とても怖くて楽しかったです!」
「そこは同列になんの?」
「はい! 怖いからこそ楽しいです」
またひとしきり笑うと、少し静かな時間が流れた。
ユウはしばらくぼーっと前を歩く人波を見ていた。
そしてふと自分の左側に座る暖に視線を移す。
少し開いた膝に肘を預け、前屈みになっている。風が吹くたびに、柔らかな髪がわずかに揺れた。
「暖さんは、飾らないところが女性から好まれるのでしょうね」
「えー? 俺、あの人たちの前ではこんなんじゃなかったよ」
「あの人たち、というのはお友達の、彼女さんたちのことですか?」
「そーそー、俺の顔が良いんだってさー」
前を向いたまま、うっすらと笑う暖に、ユウは首を傾げた。
「どこか……自嘲めいて聞こえますが」
「うーん、そうなのかもねー……おかげであいつらには怒られるし」
「暖さんのお顔が好きというのなら、好きにさせておいたらいいのではないでしょうか」
「……んん!?」
暖は驚いたようにユウを見た。
そしてユウはその視線をまっすぐに受け止めた。
「他人が、〝何かを好き〟だと思う気持ちは変えることができません。それはその人の嗜好ですので。ですが、それが不快だと伝えることは自由です」
暖はユウを見つめたまま、黙っていた。
「もしや、暖さんは……自分を不快にさせた女性たちのことで、お友達に怒られて、拗ねているのでしょうか」
「……なんか、俺子どもみたいじゃない?」
「大事な人の前では、みんな子どもでいいじゃないですか」
暖の瞳が揺れた気がした。
「……ユウの前でも?」
「そうなら、嬉しいです」
ここでふと、暖の真似をしてみようかと、ユウは考えた。
そして――ニヤッと挑戦的に笑ってみせた。
「ぶーっ! ははははは! ユウ、似合わねー!」
その結果、暖はお腹を抱えて笑った。
「……暖さんの真似をしたのですが」
「そーだと思った! あははは!」
「……」
暖はいつものように明るく笑うと、立ち上がった。
「よし! そろそろ次行こうぜ!」
「次は暖さんが乗りたいものでいいですよ」
ユウもゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ絶叫系いく?」
「一回転しないやつがいいです」
「仰せのままに、ウサギの国のユウさん」
二人は並んで次へと向かった。
***
家に着いたのは二十時を回った頃だった。昼食も夕食もテーマパークで済ませてきたので、あとは銭湯に行くだけだ。
「すぐにお風呂に行きましょうか」
「だなー。ここで一回ゆっくりすると、尻が重くなりそう」
「腰、じゃないんですか……?」
「俺の爺さんが尻って言ってたような……?」
そんな軽口を交わしながら銭湯へ向かった二人は、帰宅するなりリビングのカーペットの上に倒れ込むように寝転んだ。
「あーーーー! つっかれたーー!」
「……ですね。このまましばらく動きたくないです」
「洗濯物は明日コインランドリー行くか」
「はい……一日くらいありです」
うつ伏せになっていた暖が、ユウの方へと寝返りを打った。
「明日は家でゆっくりもいいな」
ユウはうつ伏せで顔だけ暖の方へ向けた。
「いいんですか? 明日になればまた復活しますよ」
「んー、じゃあ明日の気分で決めようぜ」
「そうしましょう」
そうして、しばらく動かずぐったりしていた二人は、気づけばそのまま眠っていた。
――暖を拾ってから、十二日目。
「ぅわああ……!」
暖の叫び声で、ユウは朝を迎えた。
ゆっくりと目を開けると、上半身を起こした暖が、ぼんやりとした視界に映った。
どうやら、かなり驚いているらしい。
「あー……、おはようございます……朝からすごい声出ますね」
「いや、おはよう!? いつのまにか寝てたわ! ごめん!」
まだ体を起こす気分ではないユウは、寝転んだまま返事をした。
「それなら私もごめんなさい、ですね」
「……今、『ヘラ』って効果音が聞こえそうな笑い方だったぞ」
「へらへらへら」
「それは違う」
それからしばらくして、ようやく体を起こしたユウ。
朝ごはんの支度をしていると、普段は静かな暖のスマホが、珍しく着信音を響かせた。
ユウはそこでようやく、暖が自分の前では極力、スマホを触っていないことに気付いた。
「ちょっとごめんな」
そう言って暖は電話を受けつつ、家の外に出た。
ユウは直感で、お友達からだと感じた。
――そういえば、そろそろ二週間ですね……私としたことが、忘れていました……
そして、朝ごはんが出来上がる頃には、暖はすでに戻ってきて、いつものように箸を並べていた。
「ぉわ! どした、魚めっちゃ焦げてんじゃん! これはこれで香ばしそうでアリだけど」
「……もうすぐ二週間だということを、忘れていた自分に驚いていたら、こうなりました。すみません」
「いや大丈夫、美味そう。にしても、もう二週間かぁ、早いなー」
暖はお茶碗にご飯をよそうと、ユウの前に置いた。
「あと二日、ですね」
「最後の日はパーティでもする?」
「ふふふ、考えておきます」
朝食を終えた二人は、激安スーパーに買い物へ行った。そこでユウ一人なら滅多に買わないお菓子やアイス、ジュースをたくさん買い込んで、家に戻った。
今日は映画三昧にしようという話になったのだ。
テーブルの上に乗り切らないお菓子は、床に置いた。タブレットも用意して、準備は万端だ。
「暖さん、タブレットまで持ってたのですね……すごいです」
「あー、仕事柄ねー。あった方が便利なんだよ」
「なるほど」
暖はポテトチップスの袋を縦に裂いて、大きく広げた。お皿のような出来栄えに、ユウは小さく拍手をした。
「ポテトといえば、ユウのポテトフライ愛だよなー」
ははっと、軽く笑いながら、暖はタブレットで映画を調べていく。
「油を特売の日に買って作ろうと思います」
「家で作るの、案外難しそうだよな」
「同じにはできないでしょうね」
二人が一本目に選んだのは、ホラー映画だった。
「これ、暖さんなら一番最初にやられますよ……」
「音に反応して襲ってくるって知ってたら、さすがの俺も黙りますよ?」
ユウはポテトチップスを一枚取ってかじった。パラパラと欠片がこぼれ落ち、ユウは慌てて拾った。そして、手に残ったポテトチップスを一口で食べた。
「ポテチはうまいけど、手が汚れるのとくずが落ちるのが残念だよな」
「諦めて後から掃除します」
「手伝いまーす」
二人はそこからしばらく映画に釘付けだった。
部屋の明かりを消しているため、映画の光だけが二人の顔をぼんやりと照らしていた。
「こんなさ。一人みたいな世界、俺なら耐えらんないわ」
「私は……どうでしょう……今ならきっと耐えられません」
「今なら? じゃあ前は違うの?」
「以前の私なら、そういうものだと納得して、淡々と生きていくかもしれません」
二人はタブレットから視線を外さないまま、話を続けた。
「淡々とって言葉が、似合うようで似合わないよな」
暖はくすりと笑った。
「似合うと言われるかと思いました」
「いーや、似合わないねー」
「……ですか」
しばらくして映画が終わると、二人は盛大に息を吐いた。
「あーー、なんか思ってたホラーと違ったなー!」
「分かります。ただ怖いだけじゃなかったので、違う疲れがありますね」
「電気つける?」
「お願いします」
まだ昼前なので、カーテンを閉めていても真っ暗ではない。
暖は電気のスイッチまで難なくたどり着くと、明かりをつけた。
部屋が明るくなった途端、ユウはほっと息を吐いた。
「人は暗い中では生きていけませんね」
「明かりって、人類が最初に手に入れた文明みたいなもんだしな」
「ざっくりですね」
それから二人は、コメディ、医療系と立て続けに観ていった。
三本目を見終わる頃には、すっかり午後になっていた。さすがに二人とも疲れてきたので、一度長めの休憩を取ることにした。
しかしそこでユウは重大なことを思い出した。
「……はっ! 暖さん、大変です!」
「お!? どーした!?」
「洗濯物を忘れていました!」
「…………あー! コインランドリー!」
二人は玄関の隅にきちんと用意されたままの袋を見つめた。
「俺行ってくるわ」
「じゃあ私は、その間にお掃除しておきますね」
「よろしく〜。じゃあ行ってくるわ」
「いってらっしゃいです」
バタンと、扉が閉まる音がした。
そして鍵をかける音。
予備の鍵は、初日に渡してあった。
ユウはしばらく玄関の扉をじっと眺めていた。
それから一時間もしないうちに暖が帰ってきた。
「ただいま〜、洗濯物ほっかほか。ほっかほかついでに弁当買ってきた」
「おかえりなさい。ありがとうございます」
二人は遅い昼食を食べ、また映画を観た。そして二本観たところでさすがにお開きにして、銭湯へ出掛けた。
ユウは帰ってくると、明日の仕事の持ち物をチェックした。
明日、明後日と、仕事に行けば木曜の休みがやってくる。
そしてその時には暖はいない。
ユウは、ぎゅっと締め付けるように痛む胸を押さえた。
どうしてこんなにも痛むのか、自分でも分からなかった。




