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「暖さん。家を出るとき、再検討すると言いましたよね」
「うん、言った」
二人はファミレスの席で向かい合って、真剣な顔で見つめ合っていた。
まるで別れ話の前兆か、あるいはそれに匹敵する重大発表を控えているかのように、二人の間には張り詰めた空気が漂っていた。
近くのテーブルを片付けていた店員は、ちらちらと二人を盗み見ていて、好奇心が垣間見えた。
「元々、私が明日……もう、今日ですが、休みということもあって暖さんを拾いました」
「はい」
「そして、暖さんの捨てられた理由も伺ってなるほど、と思いました。それと同時にそれならば、と」
「……う、うん。めっちゃ引き伸ばすな」
暖は最初こそ姿勢正しく、ピシリと座っていたが、どんどん前のめりになっている。
「きっと、お友達もほとぼりが冷めれば、すぐに迎えに来てくださると思います」
「うん。多分ね」
「ですので――」
ユウのオリーブグリーンの瞳が、真っ直ぐに暖を捉えた。
暖はなぜだか、ごくりと唾を飲み込んだ。それぐらいの迫力が、ユウから発せられている。
近くでは、既にピカピカのテーブルを隅から隅まで念入りに拭く店員の姿。
その背中には、今にも大きな耳が生えてきそうだった。
「一週間か、二週間をめどにうちにいてもらって構いません」
「ぇえ!?」
驚きの声を発したのは、まさかの店員で、ハッとしたように頭を下げると「すみません……!」と言って、裏にはけて行った。
「「…………」」
暖はもちろん、ユウも目を丸くして去っていく店員を見ていた。
「ふふふ!」
「はは……っ!」
どちらともなく笑いがこぼれた。
「……って、笑いごとじゃないっつーの! えー、ユウさん? 俺が男だって分かってる? しかも数時間前に会ったばっかりの」
「それは拾った本人なので分かってます。それに、男だろうと女だろうと、長く知っているからといって、居候を許す訳ではありません」
凛とした返答に、暖の方が押され気味になっている。
「いや、でもね?」
「それに、暖さんも拾われて嬉しそうでしたし」
「え……うん、いや……それは、ね? でも、最初の夜だけ凌げればいいかなって思っただけで……」
「私はあなただから、いいかと思ったんです」
暖は思わず両手で顔を覆った。
「……いや、ユウさん。そのセリフは危険よ……?」
「え? いま、なんと?」
暖は特大のため息を吐いた。
「ユウは、さ」
暖がスッと目を細めた。
急に鋭さを帯びた大人の視線。
それをユウは、真っ向から受け止めた。
「俺が、何もしないとでも思ってんの? ユウはもう成人してんだから、俺が言ってる意味――分かるよね?」
低く、静かな声には、どこか危険な響きがあった。暖は自分の持つ武器を、少し解放した。
片方だけ上がった口角。挑むような視線。
しかしユウには、なぜそうやって自分を危険な男だと、見せようとするのかが分からない。
「暖さんは、〝何もしないと思っている私〟を襲える人なんですか?」
「…………」
「襲いますか?」
「…………ごめんなさい、襲いません」
「分かってます」
暖は、テーブルに額をゴンとぶつけ、そのまま項垂れた。
「一つ確認なのですが」
「……なんでもどーぞ、喜んで」
「……? あの、お仕事はされてるようなお話でしたが」
「やってるよー。ちゃんと収入あります」
暖は顔を上げると額をさすった。
テーブルの端の跡がくっきりとついていて、ユウはクスリと笑ってしまった。
「それでは、お料理はできますか?」
「……できるって言いたいけど、全くできません」
「分かりました。それならそこは私が担当しますね」
暖は情けなさそうに、ふにゃ、と笑った。
「ごめんねー、食費は出すから」
それにユウは首を横に振った。
「いえ、暖さんに対して使った分だけを頂きます。それ以上はいりません」
「え……え? なんで!?」
まさかそうくると思わなかった暖は、二度見の勢いでユウを見つめた。
「お金が余ってしまうと、暖さんが家に戻る時にややこしくなるからです」
「そんなの、迷惑料として貰ってよ!」
「いえ、いりません。仮に食費をもらってしまうと、それを使い切るために、毎日の食卓がアラブの富豪のようになりますよ」
「あ、アラブの富豪……?」
「それはまぁ冗談ですが」
暖はあんぐりと口を開いたまま、固まった。
「ですので、使った分だけ頂きますね。ただ、私に合わせてしまうと、暖さんはあっという間に飢えそうなので、ちょっとメニューは変えますけれど」
世間話のように話すユウを、暖は慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと待って! その考えはありがたいけど、それなら俺も同じでいいから! 拾ったやつに気ぃなんかつかうなって!」
「……そうですか? では、無理そうならすぐに教えてくださいね」
「はい!」
暖は半ば勢いと投げやりで頷いたのだった。
その後、ようやくファミレスを出た二人は、タクシーアプリを使って暖のおすすめのスーパー銭湯へ向かった。
ファミレスの会計時には、店長と店員にひたすら謝られた。
行きのタクシーの車中では、ユウは終始無言だった。
暖は、なんとなく話しかけてはいけない雰囲気を察して、黙ってちらちらと様子を見るに留めた。
そしてタクシーを降りた時。
ユウがおもむろに口を開いた。
「お風呂に入るだけなのに、タクシーを使う意味が何度考えても分かりませんでした」
それを聞いた暖は、「……ですよねー」としか、言えなかった。
***
スーパー銭湯から帰ってきた二人は、部屋割りやら何やらで揉めていた。
「私は寝室で寝ますね。布団は母が使っていたものがあるので、それを使います。暖さんは、私の布団を使って下さい。昨日干したばかりだし、シーツも洗濯してるので大丈夫だとは思いますが。部屋はリビングを使って下さいね」
部屋干ししていた洗濯物を八畳のリビングで畳みながら、淡々と説明するユウ。
その後ろでは、あぐらをかいた暖がユウの背中に向かって反論していた。
「いや、だからさ! 俺、寝袋あるから、布団はユウが使えよ。それにリビングなんて広い所じゃなくても、俺台所でいいから!」
「広いといっても二畳分しか変わりませんよ?」
「だーかーらー! そういうことじゃなくって! 普段の生活はちゃんと守ってほしいんだよ。俺はおまけとして考えて!」
「普段から寝室で寝てます」
「……ですよね!?」
「はい。何も変わりはないです」
畳み終えたユウが、洗濯物を持って立ち上がると、暖も立ち上がり、寝室に続くドア枠に肩を預けた。
タンスに服をしまうユウを見ながら、暖はふと思ったことを尋ねた。
「なぁ、布団は母のって言ってたけど……」
暖はそこでハッとして、口を閉じた。
口に出す前に、一度考えるべきだったと、後悔した。けれど、振り向いたユウは特に気にした様子もなく、いつもどおりの口調で答えた。
「私が高二の時に亡くなりました。あ、病気なので病院で、ですよ?」
「え、あ、あー……いや、反応しにくいわ!」
「暖さんが、気まずそうだったので」
「……悪い」
「いえ、大丈夫ですよ」
ユウは服を仕舞う間、ずっと背中に視線を感じていた。
気にさせてしまったのだろう。
けれどそれはユウの本意ではない。
気づかれない程度にため息を吐いた。
それは暖にではなく、自分と他人との考え方の違いについて。
「暖さん」
ユウは寝室からリビングへと戻る数歩の間に、暖へもう一度座るようにお願いした。
ユウには普通サイズでも、暖には小さく見える座布団が少し可笑しい。
「先に言っておきますと、私は祖父母も、父も亡くしています。親戚はいません。父が亡くなった時、お金と一緒に離れていきましたから。けれど、そのことについて、暖さんが気まずく感じたり、不憫に思ったりする必要はないんですよ?」
「……悪い、でもそんなつもり――」
ユウは右手の人差し指を一本立てた状態で、スッと暖の顔の前に持っていった。
暖は驚いたように少し身を引くと、話を止めた。
「まだ、続きがあります」
「は、はい」
「母方の祖父が亡くなった時も、父が亡くなった時も、母はとても悲しんでいました。父が亡くなった時に、このアパートに越してきたのですが、泣き声がうるさいとよくお隣から怒鳴られました」
「なんだそいつ! まだいんの? 俺、行ってこようか?」
本気なのか、片足を立て始めた暖にユウは微笑んだ。
「ありがとうございます……ですが、もうその方も亡くなりました」
「お、おう」
再び座り直す暖。
「私は祖父母も父も大好きでした。楽しい思い出が沢山あります。でも、母とはその話をすることがしばらくできませんでした。祖父母ですら楽しく話せるまで数年は掛かりました。父を愛していた母とは、死ぬまで父の話はできませんでした。それが私はとても寂しかったです。私は、楽しい思い出を話したいし、知ってもらいたいんです。暖さんにも、知ってほしいんです」
じっ……と暖を見つめるユウは、緊張しているのか、その瞳が少し揺れている。
暖はその瞳をしばらく見つめると、ニッと笑った。
「そのお母さんは、結構美人だったんじゃねーの? ユウは綺麗もんな。いや、可愛い、の方か」
「……っ」
ユウは思ってもみない暖の言葉に、怯むように息を呑んだ。
髪はいつも自分で切ったボブ。
周りからは、『無造作すぎるボブ』と言われている。メイクもしないし、オシャレだって二の次だ。
「……母は、綺麗でした。祖父がイギリス人だったので」
「瞳の色を見た時、血が混じってんのかなーとは、思ってた。いいな。格好いい」
ユウは嬉しくて、気付けば笑っていた。
それからユウは、料理下手ではあったものの、いつも『楽しい、幸せだ』と口にしていた母のことや、父とは小学生の頃までしか一緒にいられなかったが、大きな庭で追いかけっこをして父が転んで笑ったことなどたくさん話した。
そして、空が白み始めた頃、ユウは力尽きたように眠った。
「…………」
暖は、目の前で横になって眠るユウをじっと見つめている。
「いやー……正直、色々予想外だわー」
暖はユウを起こさないようにそっと抱き上げると、寝室へ運んだ。
寝落ちする前にユウが敷いていた布団へ近づくと、ふと一か所のシミが目に留まった。
それは、ついさっき母の布団を丁寧に敷きながら、『ここのシミは母が寝ぼけてお茶をこぼした時のものです』と、愛おしそうにしていたもの。
ゆっくりとユウを布団に下ろすと、暖は足元の掛け布団を掛けた。
静かな部屋に、ユウの寝息が小さく響いている。
暖はふっと目だけで笑い、立ち上がった。
部屋の電気を消して、扉を閉める。
そしてさっきまで二人で過ごしていた部屋に、一人で座ってポケットからスマホを取り出すと、山のように届いている三人の友人たちからの連絡を、一つずつ確認していった。
最初のうちは文句ばかりだったものが、段々と様子を伺うものに変わっている。
そして直近の連絡は、三人揃っての『仕事来るよな? いつ頃迎えに行けばいい?』だった。
「……ばぁか、喧嘩した彼女かよ」
『仕事には行くから、心配すんな』と、打ち込んだ。
送信を確認した暖は寝袋を取り出すと、もぞもぞと潜り込んだ。
そして、初めての家の匂いと穏やかな雰囲気に包まれて、束の間の睡眠を楽しむのだった。




