急なオーディション
朝の畑仕事を終え、全員で朝食を囲む。
食器を片付け終えた美琴は、いつものように事務所へ入った。
パソコンを立ち上げ、キャスティングサイトを開く。
毎朝の日課だった。
「今日もないかなぁ……。」
独り言をこぼしながら画面をスクロールしていく。
その手が、不意に止まった。
『急募』
その二文字が目に飛び込んできた。
連続ドラマ『県警捜査一課』
組長役 一名募集
撮影は明日。
出演予定だった俳優が体調不良のため降板。
本日午後、都内にてオーディション。
「えっ……。」
美琴は募集要項を何度も見返した。
条件は五十代後半。
身長百八十センチ前後。
威圧感のある風貌。
思わず笑みがこぼれる。
「剛さんじゃん。」
椅子から立ち上がると、そのまま居間へ向かった。
「剛さん!」
縁側で猫を撫でていた黒川が振り返る。
「どうした。」
「急なんだけど、オーディション。」
募集要項を差し出す。
黒川は一通り目を通した。
「今日か。」
「うん。」
「急だけど……受ける?」
少しだけ間が空く。
「受けよう。」
黒川は静かに答えた。
「よし。」
美琴はすぐに応募手続きを始める。
プロフィールを送り、宣材写真を添付する。
送信ボタンを押した直後、スマートフォンが鳴った。
「……早っ。」
画面を見た美琴は思わず笑う。
「書類通った。」
黒川は少し驚いたように眉を上げた。
「もうか。」
「急募だからだろうね。」
美琴は予定表を確認する。
「午後一時、スタジオ集合。」
「分かった。」
「便利屋は?」
九条が聞く。
「俺が行っとく。」
「悪い。」
「その代わり、仕事取ってこいよ。」
黒川は小さく笑った。
「保証はできない。」
「それでいい。」
九条も笑う。
俳優の仕事に、絶対はない。
だから誰も、「受かってこい」とは言わなかった。
黒川はいつも通り身支度を整え、静かに家を出た。
オーディションを終えた黒川は、スタジオをあとにした。
結果が分かるのは数日後。
考えても仕方がない。
いつものことだった。
駅へ向かう途中、コンビニに立ち寄る。
美琴に頼まれていた牛乳を買い、店を出る。
夕暮れの街は、仕事帰りの人たちで少しずつ賑わい始めていた。
交差点を渡り、公園の前を歩いていると、一人の男の子が目に入る。
ランドセルを背負い、ふらつきながら歩いている。
足取りが明らかにおかしい。
黒川は思わず足を止めた。
男の子は数歩進むと、不意に力が抜けたように前へ倒れ込んだ。
「おい!」
黒川は牛乳の入った袋を足元に置き、駆け寄る。
呼びかけても反応はない。
すぐにスマートフォンを取り出し、一一九番へ電話をかけた。
場所と状況を簡潔に伝え、電話を切る。
数分後、救急車が到着した。
救急隊員が駆け寄る。
「一一九番通報された方ですか?」
「はい。」
「倒れたところをご覧になりましたか?」
「はい。」
「どんな様子でした?」
「歩いていて、急に倒れました。少しふらついていました。」
「分かりました。」
救急隊員は男の子の状態を確認し、もう一人の隊員がランドセルの中を調べる。
「身元が分かるものはありません。」
「警察にも連絡してください。」
男の子はストレッチャーへ乗せられ、救急車へ運ばれていく。
隊員が黒川へ向き直った。
「あとで警察の方が来ますので、少しこの場でお待ちいただけますか。」
「分かりました。」
救急車はサイレンを鳴らし、病院へ向かった。
黒川は、その場で静かにパトカーの到着を待った。




