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悪役たちの朝

夏の朝。


まだ蝉も鳴き始めていない午前六時。


築百年以上になる橘家の大きな屋敷に、一人の女性の声が響き渡った。


「総員起床ーっ! 畑集合! 五分以内!」


静まり返っていた屋敷が一気に騒がしくなる。


「社長、あと五分……。」


「寝坊したら朝飯抜き!」


「起きます!」


障子が次々と開き、強面の男たちが眠そうな顔で庭へ出てくる。


映画では極道。


ドラマでは殺し屋。


時代劇では悪代官。


テレビで見れば誰もが身構えるような顔ばかり。


しかし、その手に握られているのは刀ではない。


ジョウロと鍬だった。


「今日はナスとトマトを収穫するよ。」


「了解。」


「犬の散歩は誰?」


「俺が行く。」


猫三匹も起き出し、縁側を歩き回る。


犬は嬉しそうに尻尾を振り、美琴の周りを走り回る。


「こら待ちなさい!」


追い掛けた瞬間。


ズルッ。


「きゃあ!」


見事に転んだ。


「社長!」


「だから走るなって!」


俳優たちは慣れた様子で美琴を起こす。


「犬に負ける社長って何なんだ。」


「うるさい!」


美琴は頬を膨らませる。


「今日はたまたま!」


「毎日たまたまだよ。」


畑は笑い声に包まれた。


縁側では祖父・恒一が湯呑みを手に、静かにその様子を眺めていた。


「今年のトマトは出来がいいな。」


「そうですね。」


隣には祖母・和子。


「あなた、無理して立たないでください。」


「分かっとる。」


体は若い頃のようには動かない。


それでも毎朝こうして畑を見ることが、恒一の楽しみだった。


「美琴。」


「なーに?」


「ナスは朝のうちに採れ。」


「はーい!」


今でも畑に関しては祖父の知識が一番だった。


畑仕事が終わると、美琴は真っ先に台所へ向かう。


「社長、掃除当番は俺たちだから。」


「私もやる!」


「ダメ。」


「え?」


「この前、掃除機のホース逆に付けたろ。」


「……。」


「その前は洗剤を間違えた。」


「…………。」


「その前は——」


「もういい!」


結局、美琴はエプロンを着ける。


「じゃあ朝ごはん作る!」


「それが一番安心。」


全員一致だった。


やがて食卓には、大皿いっぱいの料理が並ぶ。


焼き鮭。


だし巻き玉子。


採れたて野菜のサラダ。


味噌汁。


炊きたてのご飯。


そして、色鮮やかな野菜ジュース。


「いただきます!」


十二人の声が響く。


「社長、この唐揚げ最高。」


「朝から唐揚げ?」


「力仕事だからね。」


祖母が苦笑する。


「食べる人が多い家は、作る人も大変なんですよ。」


「おばあちゃん、おかわり!」


「はいはい。」


その時だけは、悪役俳優ではなく、大きな子どもたちだった。


朝食後。


全員が玄関に集まる。


祖父が書いた木札。


一、人を見た目で判断しない。


一、引き受けた依頼は最後までやり遂げる。


一、仕事の後は、みんなで飯を食う。


誰も何も言わない。


それでも自然と一礼してから仕事へ向かう。


これが橘家の朝だった。


その時——。


ジリリリリリリ……


事務所の固定電話が鳴る。


「悪役のよろずやです。」


受話器を取った美琴は真剣な表情になる。


「はい……はい……分かりました。」


受話器を置く。


振り返る。


「みんな。」


十人の俳優が美琴を見る。


「仕事だよ。」


その一言だけで十分だった。


「よし。」


「行くか。」


「悪役の出番だ。」


誰よりも怖い顔をした十人の男たちが笑った。


しかし、その笑顔を見た者は誰も怖いとは思わない。


彼らは知っている。


悪役を演じることはあっても、


悪人になったことは、一度もないのだから。

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