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94.見守り会

見守り会。


最初にそう呼んだのは、誰だったのか。


今となっては、誰もはっきり覚えていなかった。


ただ、その言葉は都合がよかった。


監視ではない。


覗き見でもない。


カイトとアリシアを心配しているだけ。


異世界へ渡った二人が無事かどうか、遠くから確認しているだけ。


そう言い聞かせるには、ちょうどいい名前だった。


シロネコ島の家。


夜のリビングには、淡い光が浮かんでいる。


テーブルの中央に置かれた小さな投影機。


そこには、異世界へ渡った黒い首飾りを通して、あちらの世界の景色が映し出されていた。


首飾りには、カイトの魔力が通っている。


一度繋がってしまえば、その魔力が尽きない限り、映像は途切れない。


そしてカイトの魔力は、現代日本にいても変わらず巡っている。


尽きる気配はなかった。


結果として、投影機はほとんど普通に使えた。


最初は、本当に安否確認だった。


カイトが無事に着いたのか。


アリシアが一緒にいるのか。


現代日本という未知の世界で、身体に異常は出ていないのか。


ただ、それを確認するだけのはずだった。


けれど、映像は続いた。


見知らぬ街。

高い建物。

夜でも消えない光。

道を埋める人の波。

音もなく閉まる扉。

光る板を覗き込む人々。

鉄の箱に乗って移動する人間たち。


現代日本は、母たちにとって未知そのものだった。


フローラは静かに観察し、分からないものを一つずつ頭の中で整理していく。


ヴォルカは、乗り物を見るたびに驚いた。


「また、鉄の箱が走っています……」


車が通るたび、目を丸くする。


「なぜ、あの速度で皆さん平然としているのですか?」


電車が映れば、息を呑む。


「長いです……! あの箱、長すぎませんか……!」


バスが停まれば、真剣な顔になる。


「あの中に、人がたくさん入っているのですよね? 窮屈じゃないんですか?」


ネムリアは、食べ物や寝具にだけ少し反応した。


「白いパン」


「甘そう」


「ふかふか」


それ以外は、眠そうな顔で映像を見ている。


けれど、目は逸らさなかった。


母たちは、カイトを見守っていた。


そう思っていた。


けれど、いつからか。


見守り会は、少しだけ楽しみになっていた。


カイトが歩く街。

アリシアが冷凍食品に驚く様子。

現代日本の店。

学校。

制服。


それらを見ることが、母たちの日課になっていった。


ただし、ユキトだけは、違った。


最初の一回だけ、彼も参加していた。


けれど、その時に見てしまった。


自分が異世界へ行った裏で、母が死んでいたかもしれないこと。


自分が消えたことで、母が壊れかけていたこと。


それを知ってから、ユキトは顔を出さなくなった。


妻たちも、強制はしなかった。


現代日本の映像が映るたび、ユキトは何かを見せたくないような顔をした。


あるいは、自分が見たくないものから目を逸らしているようにも見えた。


懐かしさではなかった。


照れでもなかった。


あの世界には、ユキトにとってまだ触れられたくないものが残っている。


妻たちは、そう理解した。


だから、ユキトが参加しないことを責めなかった。


見守り会は、いつの間にか母たちだけのものになっていた。


その日も、リビングには投影機の光が浮かんでいた。


フローラは椅子に座り、映像を見ている。


ヴォルカは両手を膝の上に置き、時折画面の景色に小さく驚いている。


ネムリアはソファの上で膝を抱え、眠たげに投影機を見つめていた。


そこへ、ヨルカが入ってきた。


手には、紙束があった。


神の術式を書き写したもの。

古い魔導書と照合した結果。

転移陣の構造を書き込んだメモ。


ヨルカの顔には、寝不足の色があった。


けれど、目だけははっきりしている。


「分かりました」


その声に、三人が振り向く。


フローラが静かに言った。


「転移陣のことですか」


「はい」


ヨルカは頷く。


「あちらの世界へ渡る術式の仕組みです」


ヴォルカの表情が緊張する。


ネムリアも、少しだけ顔を上げた。


ヨルカは紙束を広げる。


「これは、単純な座標転移ではありません」


「座標ではない?」


フローラの目が細くなる。


「場所を指定して飛ぶ術式ではないということですか」


「はい」


ヨルカは頷いた。


「血縁を辿っています」


リビングの空気が、わずかに変わる。


「世界を越える時、存在を安定させるために、転移者は向こう側にいる血縁者へ引き寄せられます」


ヨルカは説明を続けた。


「兄さんとお姉ちゃんが現代日本へ行けたのは、父さんの血筋があったからです」


「ユキトさんの……」


ヴォルカは、最初に映像で見た疲れ切った女の顔を思い出した。


「初めの転移では、傍に父さんの血縁者がいた可能性が高いです」


その言葉を聞いた瞬間、フローラの表情が止まった。


ヴォルカも、同じように息を呑む。


ネムリアが短く言った。


「アヤカ」


ヨルカが振り向く。


「アヤカ?」


フローラはすぐには答えなかった。


思い出していた。


最初に映った場所。


海の見える崖。

柵。

風。

夜。

そして、そこにいた女。


ユキトの母。


アヤカ。


あの場所は、偶然ではなかった。


カイトとアリシアが、なぜあそこに現れたのか。


なぜ、よりにもよってあの瞬間、アヤカの近くに落ちたのか。


今、ようやく意味が繋がった。


「……あの場所に出たのは」


フローラが低く言う。


「ユキトさんのお母様に引かれたから、ということですね」


ヴォルカの顔が青ざめる。


「あの時、もし少しでも遅れていたら……」


言葉が続かなかった。


ネムリアが短く言う。


「危なかった」


本当に、危なかった。


最初の転移から、すでに細い糸の上だった。


カイトとアリシアが現れなければ。

アヤカが一歩踏み出していれば。

彼女が二人を見つけなければ。


何かが、取り返しのつかない形で終わっていたかもしれない。


ヨルカは、母たちの反応を見て眉を寄せた。


「何を知っているんですか?」


その問いに、誰もすぐ答えなかった。


ヨルカはそこで初めて、リビングの中央へ目を向けた。


投影機。


淡い光。


そこに映っている現代日本。


テーブルの上には飲み物とお菓子がある。

椅子は見やすい位置に置かれている。

ヴォルカの前には、いつの間にか現代日本について書き留めた紙まである。


一度や二度ではない。


準備されている。


日課になっている。


ヨルカの顔から、少しずつ血の気が引いていった。


「まさか……ずっと見ていたんですか」


フローラはすぐには答えなかった。


ヴォルカが気まずそうに目を伏せる。


ネムリアが短く言った。


「見守り会」


ヨルカは、その言葉を聞いて固まった。


「見守り……会?」


「カイトとアリシアが心配で」


ヴォルカが言う。


「無事かどうか、確認する必要があります」


フローラも静かに続ける。


「緊急時に備えるためです。向こうで何が起きているか、こちらが把握できなければ対応が遅れます」


ネムリアが頷く。


「心配だから」


それは嘘ではなかった。


心配している。


愛している。


失いたくない。


全部、本当だった。


でも。


「兄さんは、このこと」


ヨルカの声が、少し低くなる。


「知っているんですか」


誰も答えなかった。


その沈黙だけで、十分だった。


ヨルカは、投影機を見る。


そこに映っているのは、カイトとアリシアがいる現代日本。


本人たちは知らない。


兄も。

姉も。


知らないところで、母たちに見られていた。


「酷いです」


ヨルカは言った。


ヴォルカの肩が揺れる。


「ヨルカ……」


「これは見守りではありません」


ヨルカは震える声で続けた。


「兄さんも、お姉ちゃんも、知らないんですよね」


フローラは目を伏せない。


だが、反論もしなかった。


ヨルカはさらに言おうとした。


けれど、その前に映像の中で動きが変わった。


校舎の裏手。


荒れた第二校庭。


カイト。

アリシア。

リオ。

シオン。


そして、シオンの手の中にある一枚の写真。


ヨルカの息が止まる。


「それは……」


アリシアの大切な写真だった。


家族の写真。


シロネコ島の海。

白い砂浜。

笑っている家族たち。


ヨルカは知っている。


あの写真を、アリシアがどれほど大切にしていたか。


映像の中で、シオンの指に力が入る。


次の瞬間。


写真が裂けた。


音は小さかった。


けれど、リビングにいた全員の胸を切った。


ヴォルカが口元を押さえる。


フローラの目が鋭くなる。


ネムリアは青ざめる。


ヨルカは、それ以上に青ざめていた。


まずい。


姉が壊れる。


写真が破られたことも怖い。


でも、それ以上に怖いのは、これからだった。


アリシアがカイトへ向けている感情。


姉が兄へ向けるには、あまりにも重く、熱く、歪んだもの。


ヨルカはそれに気づいていた。


気づいていたから、母たちに知られたくなかった。


見せたくなかった。


姉が兄を、ただの兄として見ていないことを。


母たちにだけは。


けれど映像は止まらない。


アリシアの表情から、感情が消えていく。


ヨルカは耐えられなかった。


「私が行きます」


フローラが反応する。


「ヨルカ、待ちなさい」


ヴォルカも立ち上がる。


「危険です」


ネムリアが短く言う。


「まだ、だめ」


けれど、ヨルカはもう魔法陣を展開していた。


血縁転移。


不完全でもいい。


一瞬でもいい。


このまま見られるくらいなら。


母たちに姉の本心が暴かれるくらいなら。


自分が行く。


自分が止める。


「私がお姉ちゃんを止めます」


赤黒い光が広がる。


ヨルカの姿が、リビングから消えた。


映像の中に、ヨルカが現れる。


第二校庭。


アリシアの前。


「お姉ちゃん!」


その声は、投影機越しにも震えていた。


ヨルカは分かっていた。


人間形態では、アリシアに勝てない。


ヨルカは戦う術を真面目に学んでこなかった。


剣も。

体術も。

魔法戦の駆け引きも。


姉のように磨いてこなかった。


戦いたくなかった。


誰かを傷つけるための技術を、覚えたくなかった。


それでも、自分には炎魔竜の血がある。


竜化すれば、何とかなる。


そう思っていた。


炎魔竜としての力なら、竜化した姉さえ簡単に押さえ込める。


竜になれば、全部止められる。


それが、ヨルカの甘さだった。


画面の中で、ヨルカの周囲に力が集まる。


リビングで、ネムリアが立ち上がった。


「だめ」


その声は届かない。


ヨルカが竜化しようとした瞬間。


世界が反応した。


赤黒い光が弾ける。


ヨルカの輪郭が歪む。


映像が乱れる。


そして次の瞬間、ヨルカはリビングの床に叩き戻されていた。


「ヨルカ!」


ヴォルカが駆け寄る。


ヨルカは床に手をつき、荒く息をしていた。


大きな怪我はない。


けれど、顔は真っ青だった。


何もできなかった。


行ったのに。


止めるつもりだったのに。


竜化すれば何とかなると思ったのに。


何もできずに、戻された。


「……弾かれた」


ヨルカが呟く。


「向こうで竜化しようとしたら、何かに弾かれました」


フローラの顔が硬くなる。


ヴォルカはヨルカの肩を支えたまま、投影機を見る。


映像はまだ続いていた。


そして、そこに映っていたのは。


求愛モードを発動したアリシアだった。


ヨルカの瞳が揺れる。


もう隠せない。


母たちも見ている。


アリシアがカイトに向けているもの。


それが姉としての愛ではないこと。


家族としての心配ではないこと。


母たちは、最初は理解できなかった。


アリシアは悪役を演じているのだと思っていた。


カイトを救うため。

リオとシオンを遠ざけるため。

カイトがユキトの代わりとして壊れないようにするため。


自分が憎まれ役になってでも、弟を取り戻そうとしているのだと。


そう思っていた。


思いたかった。


けれど、求愛モードはごまかせない。


あれは、そういうものではない。


アリシアは本当にカイトを求めている。


姉としてではない。


異性として。


しかも、求愛モードを支配の形で使っている。


ヴォルカの顔から血の気が引いた。


「うそ……でしょう」


フローラは映像を見つめたまま、低く言う。


「“あれ”を、あの形で使うなんて」


ネムリアが短く言った。


「さいてー」


ヨルカは膝を抱えるようにして、床に座り込んでいた。


家族が壊れていく。


そんな音がした。


血の繋がった姉弟。


それだけでも重い。


けれど、問題はそこだけではなかった。


アリシアはカイトの意思を押し潰そうとしている。


竜だから。

本能だから。

自分だけが理解しているから。


そういう理由で、相手の選択を奪おうとしている。


しかも、後ろには人間の少女たちがいる。


カイトは逃げられない。


逃げれば、彼女たちが危ない。


ヴォルカが震える手でヨルカを見る。


「もう一度、魔法陣を……」


ヨルカは首を横に振った。


泣きそうな顔だった。


「無理です」


魔法陣は消えている。


弾かれた衝撃で術式が崩れた。


すぐには再起動できない。


ヨルカは行けない。


母たちも行けない。


助けられない。


見えているのに、届かない。


ただ、見守ることしかできなかった。


映像の中で、カイトとアリシアが向かい合う。


母たちは、すぐに理解した。


勝てない。


普通なら、勝てるはずがない。


アリシアは強い。


花聖竜としての格。

戦闘経験。

魔力。

身体能力。

技術。


その全てでカイトを上回っている。


さらに今は、求愛モードで底上げされている。


対するカイトは、親からみてあまりにも未熟。


竜化も使うことができない。


現代日本という世界が、それを許さない。


後ろにはリオとシオンがいる。


逃げるべきなのに、逃げられない。


逃げれば後ろの少女たちが殺される。


フローラの声が冷えた。


「分かっていて、この形にしましたね」


娘への言葉だった。


ヴォルカは両手を握りしめる。


「アリシア……どうして」


ネムリアは黙っている。


映像の中で、白い光が走る。


土が抉れる。

校庭の線が裂ける。

カイトの身体が何度も押し込まれる。


細かな攻防は、投影機越しには追いきれない。


けれど、分かることはあった。


カイトは自由に動けない。


後ろを守っている。


リオとシオンの前から退かない。


それが、選択肢をさらに削っている。


避けられるはずの攻撃を受ける。

下がれるはずの場所で踏みとどまる。

反撃よりも、防ぐことを選ぶ。


ヴォルカの目に涙が浮かぶ。


「逃げてください……」


届かない。


フローラは、唇を噛んだ。


「あまりにも卑劣です」


静かな声だった。


言いながら、フローラ自身が傷ついていた。


娘を、そう評するしかない。


「これは、愛ではありません、親としてこんな関係絶対に認めません」


その言葉が、リビングに落ちる。


戦闘は続く。


けれど、母たちにはもう結果が見え始めていた。


カイトの動きが鈍る。


一歩が遅れる。


受けた衝撃の逃始めていた。


カイトの動がし方が乱れる。


膝が落ちそうになる。


それでも立つ。


それでも守る。


それでも、前にいる。


やがて映像の中で、カイトが地面に伏せた。


リビングの時間が止まった。


ヴォルカが小さく息を吸う。


フローラの指先が、椅子の縁を強く掴む。


ヨルカは声も出せない。


ネムリアだけが、まばたきもせずに映像を見ている。


アリシアが近づく。


勝敗は決した。


少なくとも母たちにはそう見えた。


倒れたカイトへ手を伸ばす。


治すように。


抱き起こすように。


自分のものとして、連れていくように。


母たちは、同じ未来を想像した。


カイトが負けた。


アリシアの言いなりになる。


弟ではなく、伴侶として扱われる。


本人の意思は押し潰される。


愛の名で、家族の形ごと歪められる。


ヴォルカの声が震えた。


「そんな……」


フローラは何も言えない。


言葉にすれば、確定してしまいそうだった。


ネムリアが、かすかに呟いた。


「……いやだ」


その声は、短い。


けれど、悲壮だった。


助けに行けない。


止められない。


目の前で、息子が奪われるかもしれない。


その瞬間だった。


映像の中で、カイトの腕が動いた。


力のない、弱々しい動き。


アリシアが止まる。


一瞬だけ。


その腕が、アリシアの背へ回ったように見えた。


ヴォルカが息を呑む。


受け入れた。


そう見えた。


けれど、違った。


次の瞬間、二人の重心が崩れる。


抱擁に見えた動きは、固定だった。


受け入れたのではない。


逃がさないために捕まえた。


カイトは倒れた身体をそのまま使い、アリシアの懐へ沈み込む。


綺麗な技ではない。


映像越しにも分かるほど、泥臭い。


力任せですらない。


ただ、離さない。


それだけの動き。


土が舞う。


白線の粉が跳ねる。


二人の身体が校庭に転がる。


次に映像が安定した時、上にいたのはカイトだった。


腕は震えている。


息も荒い。


まともに立てる状態ではない。


それでも、アリシアを押さえている。


殺すためではない。


勝敗を決めるための位置。


リビングに、誰の声もなかった。


カイトは、アリシアが自分にだけ緩む一瞬に賭けていた。


自分へ触れれば、アリシアが判断を誤る。


受け入れられたと、都合よく思う。


その隙を突いた。


フローラが、ようやく息を吐いた。


「……勝ちました」


ヴォルカは涙を零した。


「勝った……のですか」


ネムリアが短く答える。


「ぎりぎり」


それは勝利だった。


けれど、晴れやかなものではなかった。


カイトは、姉の愛を利用して勝った。


アリシアは、受け入れられたと思った瞬間に倒された。


だから、誰も喜びきれない。


ただ、最悪の未来だけは避けられた。


その安堵だけが、リビングに落ちた。


けれど。


ネムリアは、まだ映像を見ていた。


「まだ」


ヴォルカが振り向く。


「ネムリアさん?」


「終わってない」


アリシアの目は、まだ死んでいなかった。


負けた。


押さえ込まれた。


拒絶された。


それでも、諦めていない。


むしろ、別の刃を取り出そうとしている。


映像の中で、リオとシオンがアリシアを責めた。


好きなら何をしてもいいわけじゃない。


そんな形で押しつけていい理由にはならない。


その言葉に、母たちは頷いた。


その通りだった。


アリシアは間違っている。


けれど、アリシアは笑った。


そして、鞄を開いた。


ばさり、と。


何冊もの本が、夜の校庭へ落ちる。


母たちは、一瞬、何を見せられているのか分からなかった。


表紙。


竜の女。


角。

翼。

尾。


そして、鎖。


封印柱。

拘束具。

檻。


自由を奪われた爆乳ドラゴン娘ばかり。


ヴォルカが声にならない声を出した。


「ユ、ユキトさん……?」


フローラは冷静であろうとした。

けれど、表紙に並ぶ竜の女たちを見て、わずかに目を細める。


「……またですか。なぜこういう時に限って、あの人の趣味が出てくるんですか」


ネムリアが短く言う。


「ゆきとのばか」


本来なら、それで終わるものだった。


最低。


下品。


偏っている。


そう片づけていいはずだった。


けれど、アリシアはそれを武器にした。


人間の女は一冊もない。


爆乳ドラゴン娘だけ。


しかも、封じられた竜ばかり。


父は本来、灰竜としてある側だった。


けれど、そう生きられなかった。


自分でも知らないまま、本来の側を押し込められていた。


だから無意識に、封じられたものを求めた。


閉じ込められたもの。


自由を奪われたもの。


不自由を強いられたもの。


そして、竜、竜、竜。


「ち、違いますから」


突然、ヴォルカが震えた声を出した。


誰も聞いていない。


フローラも、ネムリアも、ヨルカも、まだ何も言っていなかった。


それなのに、ヴォルカは顔を真っ赤にして、両手を胸の前で握りしめる。


「ユキトさんと、そんなことはしていませんから……!」


沈黙。


「一度も許しませんでした。道具とか、拘束とか、そういうことは、本当に一度も……!」


そこまで言って、ヴォルカは自分の口を押さえた。


遅かった。


フローラは静かに目を逸らした。


ネムリアは、何も言わずに視線を下げた。


ヨルカは、姉の暴走を止めに行ったはずなのに、なぜ母たちの夫婦事情を聞かされているのか分からなくなった。


誰も追及しない。


誰も笑わない。


誰も否定しない。


その沈黙だけで、十分だった。


同じようなことを、お願いされた者がいる。


たぶん、一人ではない。


フローラが低く言う。


「……今は、そこではありません」


誰に向けた言葉なのか分からない。


けれど、その一言で、どうにか話は戻った。


アリシアの言葉は酷い。


使い方は最低だった。


リオとシオンを傷つけるために、真実を刃にしている。


カイトを追い詰めるために、父の過去まで暴いている。


けれど。


筋が通ってしまう。


ヴォルカが震える。


「ユキトさんが……竜?」


フローラはすぐに否定しようとした。


「ありえません。ユキトが、普通の人間以下の力しかなくて、どれだけ悔しい思いをしてきたのか……私たちは見てきました」


そこで、言葉が止まる。


ネムリアが短く言った。


「でも、老けない」


沈黙。


その一言で、見ないふりをしていた違和感が形を持った。


ユキトは、出会った頃からほとんど変わっていない。


彼は自分を人間だと思っていた。


妻たちも、そう思っていた。


けれど、怖かった。


自分たちは竜。


ユキトは人間。


いつか、ユキトだけが老いていき、最後には見送ることになる。


その未来を、ずっと恐れていた。


覚悟していたつもりだった。


でも、本当は、覚悟などできていなかった。


もし。


もし、ユキトが竜なら。


もし、本当に灰竜なら。


ヴォルカの目に涙が浮かんだ。


「……ユキトさんは」


声が震える。


「私たちと同じ時間を、生きられるのですか」


それは、喜びだった。


この場で抱いてはいけない感情だった。


カイトは傷ついている。


アリシアは最低なことをしている。


リオとシオンも壊されている。


ヨルカは、目の前で家族が壊れるのを見ている。


それなのに、胸の奥へ安堵が広がっていく。


フローラは顔を伏せた。


「喜んではいけませんが……これは」


自分に言い聞かせるような声だった。


ネムリアが短く言う。


「……でも、うれしい」


誰も否定できなかった。


映像の中では、アリシアの暴露が続いている。


カイトは凍りつき、リオとシオンは言葉を失っていた。


シロネコ島のリビングでは、母たちが動けない。


ヨルカは泣きそうな顔で、床に座り込んでいる。


姉が壊れている。


兄が傷ついている。


それでも母たちは、最悪の真実に救われてしまった。


アリシアは最低だった。


その言葉に、誰も異論はなかった。


けれど、その最低な娘が暴いた真実は、あまりにも甘かった。



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