82.熱狂ライブ
カイトが学校へ行っているあいだ、アリシアは別の場所で動いていた。
最初に必要だったのは、身分だった。
この世界では、名前があるだけでは足りない。
どこから来たのか。
誰が保護者なのか。
どこに住んでいるのか。
どの書類に何を書き、誰に話を通せば、その場にいていい人間として扱われるのか。
アリシアは、それを一つずつ調べた。
最初は面倒な仕組みだと思った。
けれど、調べていくうちに分かってきた。
この世界は、紙と記録で人間を縛っている。
だから、その社会の中へ入るには、結局、どこかに名前がなければならない。
アリシアはそれを理解し、必要な場所へ金を使った。
現代日本で使える身分。
転入に必要な手続き。
学校への連絡。
住まいと保護者まわりの処理。
表から通せない部分は、裏から通した。
ただし、役所の中身をいじったわけではない。
既に存在する曖昧な記録に、金で都合のいい解釈を与えただけだ。
完全な偽造ではない。
けれど、正規の手続きとも言いがたい。
競馬で得た金は、最初は莫大に見えた。
だが、使い始めると減るのは早かった。
身分を買う。
書類を整える。
人を動かす。
時間を短縮する。
不自然さを消す。
金は、石を水に投げ込んだように沈んでいった。
アリシアは帳面に金額を書き、残りを確認した。
ほとんど残っていない。
けれど、後悔はなかった。
必要経費。
そう結論づけた。
すべてはカイトのためだった。
カイトが学校で一人にならないように。
リオとシオンに囲まれて、父の過去に押し潰されないように。
ユキトとして呼ばれ続ける場所で、せめて一人だけでもカイトをカイトとして見られる人間がそばにいられるように。
そう自分に言い聞かせた。
それは嘘ではない。
けれど、全部でもなかった。
カイトと顔を合わせるのが苦しかった。
カイトと顔を合わせづらくなっていた。
聞きたいことはあった。
リオとシオンのことだ。
二人と何を話したのか。
まだ続いているのか。
それとも、もう終わらせたのか。
けれど、聞けなかった。
アヤカの前ではユキトとして振る舞い、学校でもユキトとして扱われ、二人の少女から違う感情を向けられている。
その上で自分まで問い詰めれば、カイトは逃げ場を失う。
そう分かっていた。
けれど、聞かない理由はそれだけではない。
聞かなければ、まだ期待できる。
父の二股の後始末は、もう終わっているのかもしれない。
リオともシオンとも、きちんと話をしたのかもしれない。
そんな都合のいい想像を、少しだけ抱いていられる。
だから、アリシアは動き続けた。
身分を整え、転入の準備を進め、金を使い、人を動かした。
すべてはカイトのため。
そう言いながら、本当は作業に逃げていた。
知りたくない答えを聞かないために。
そして、すでに終わっていてほしいと願う自分を、見ないふりするために。
転入手続きは済んだ。
ただ、手続きを済ませたからといって、すぐに教室へ入れるわけではない。
正式な日取りが決まるまで、数日の空白が生まれた。
その朝、アヤカは仕事で家を空けていた。
カイトも学校へ行っている。
家にはアリシア一人だった。
アリシアは階段を上がり、しばらく廊下に立っていた。
入るべきではない場所がある。
それくらいは分かっている。
けれど、この家には父の過去がある。
祖母の痛みがある。
そして、テレビに映っていた男の影がある。
銀河竜アッシュ。
灰色の髪。
灰色の瞳。
人間離れした容姿。
異常な熱狂。
そして、あの時アヤカが画面を消したこと。
アリシアは、アヤカの部屋へ入った。
きれいに整えられた部屋だった。
けれど、生活の疲れがところどころに残っていた。
畳まれた服。
薬の箱。
読みかけの書類。
机の端に置かれた古い写真立て。
アリシアはそれを手に取った。
写真の中には、若いアヤカがいた。
今よりずっと柔らかい顔をしている。
隣には一人の男がいる。
派手なスーツ。
軽薄な笑み。
灰色の髪。
灰色の瞳。
テレビで見た銀河竜アッシュと、同じ顔だった。
時間が流れているはずなのに、確かに男だけが変わっていない。
アヤカは老いた。
疲れ、傷つき、時間に削られた。
だが、この男だけは変わらなかった。
アリシアは写真立てを元の位置へ戻した。
「……やっぱり、そういうことでしたか」
声は冷たかった。
その夜。
アリシアはライブ会場にいた。
会場は、開演前から熱を持っていた。
巨大な建物の中に、何千という人間の声が渦巻いている。
照明はまだ落ちていない。けれど客席では、すでに無数のサイリウムが揺れていた。
アリシアは、その最前列にいた。
手には、係員に渡された光る棒がある。周囲の女たちはそれを胸の前で握りしめ、今にも泣きそうな顔でステージを見ている。
アリシアも同じようにサイリウムを持っていた。
ただし、熱狂はしていない。
叫ぶつもりもない。
泣くつもりもない。
ましてや、銀河竜アッシュとやらに心を奪われるつもりもない。
ここへ来た目的は一つだった。
観察するためだ。
銀河竜アッシュ。
かつて、アキトと呼ばれていた男。
アヤカを捨て、世間を熱狂の渦に巻き込んでいる男。
その男が、今この世界で何を名乗り、何を歌い、何を隠しているのか。
それを見極める。
客席の照明が落ちた。
直後、会場が揺れた。
歓声というより、悲鳴に近い。
音が壁にぶつかり、天井へ跳ね、足元まで震わせる。
ステージの中央に光が落ちる。
そこに、一人の男が立っていた。
灰色の髪。
乱れたウルフカット。
ぎらついた灰色の瞳。
人間離れした整った顔。
彼が軽く手を上げただけで、客席の熱がさらに跳ね上がる。
「アッシュ様!」
「銀河竜!」
「こっち見て!」
周囲の女たちが叫ぶ。
アリシアは淡々とサイリウムを振った。
合わせないと目立つ。
だから振る。
それだけだった。
ステージ上のアッシュは、慣れきった顔で笑っていた。
自分が求められていることを知っている。
自分が手を振れば歓声が上がることを知っている。
自分が少し目を細めれば、客席の女たちが息を呑むことも知っている。
そのすべてを、当然のように使っていた。
「うぇーーい! 乗ってるかー!」
会場が爆発する。
アリシアは、その笑顔を見ながら思った。
あれが、私の祖父かもしれないのですか。
最悪だった。
曲が始まる。
音は大きく、演奏は派手で、歌は無駄に上手かった。
悔しいが、声には力がある。
人を引きつけるだけの華もある。
ステージ上での立ち方も、視線の配り方も、完璧に計算されている。
だからこそ腹立たしい。
中身がどうであれ、見せ方だけは本物だった。
何曲目かが終わった時、アッシュは水を飲み、客席へ向けて片手を上げた。
「ここで、まだどこにも出してない曲、今日だけ特別に歌うよ」悲鳴のような歓声が上がる。
アリシアの手が、ほんの少し止まりかけた。
新曲。
もしかすると、そこに手がかりがあるかもしれない。
アヤカを捨てたこと。
父を探さず出ていったこと。
過去への後悔。
あるいは、彼が現代日本で何を求めているのか。
そのヒントが、歌詞の中に少しでも残っているかもしれない。
アッシュは照明の中で、少しだけ寂しげに笑った。
「タイトルは――『さよならだけが知っている』」
意味深だった。
あまりにも意味深だった。
アリシアは初めて、真剣に耳を澄ませた。
イントロは切なかった。
歌声も、やはり無駄に良かった。
客席の女たちは、もう泣きそうになっている。
だが、歌詞を追うほどにアリシアは理解した。
これは後悔の歌ではない。
別れを美化しているだけだ。
置いていった相手の痛みには触れない。
自分がどれほど自由かを、綺麗な言葉で飾っているだけ。
悲しげに歌っている。
だが、背負ってはいない。
アリシアの目から、少しずつ光が消えていった。
曲が終わる。
会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
アッシュは、その熱が引かないことを分かっている顔で、片側の口角を上げた。
「昔の俺に向けた曲って感じかな。まあ、昔の俺、マジで女泣かせだったからさ」
そこで、わざと間を置く。
「……今もだけど」
会場が悲鳴のように沸いた。
アリシアは、完全に死んだ目でサイリウムを握り直した。
反省ではありませんね。
自己演出です。
その後もライブは続いた。
アッシュは歌い、笑い、客席を煽り、女たちの声を浴びた。
自分がどう見られているかをよく分かっている。
悪い男。
自由な男。
誰のものにもならない男。
それを魅力として売っている。
周囲の女たちは、その危うさに酔っていた。
アリシアは違った。
この男の危うさは、魅力ではない。
ただ責任を取らないだけだ。
ようやく最後の曲が終わり、会場の熱が少しずつ引いていく。
ファンたちは興奮したまま感想を言い合っていた。
「新曲やばかった」
「泣いた」
「アッシュ様って、やっぱり過去に何かあるよね」
アリシアは無言でサイリウムを見下ろした。
過去に何かあるのは確かでしょう。
ただし、それは決して綺麗な物ではありません。
この数日で、アリシアは銀河竜アッシュについて調べていた。
表向きは、デビュー直後から爆発的な人気を得た謎のカリスマミュージシャン。
だが、ネット上には奇妙な噂が多かった。
その一つが、昔のホスト時代の名前。
銀牙アキト。
今の銀河竜アッシュと、昔の銀牙アキトは同一人物ではないか。
顔が変わらなすぎる。
年齢が合わない。
昔の写真と、今のアッシュがほとんど同じ。
一方で、別の説もあった。
銀河竜アッシュは、銀牙アキト本人ではなく、彼の隠し子なのではないか。
顔が似すぎているのは、親子だから。
年齢が合わないのも、本人ではなく息子なら説明がつく。
銀牙アキトは昔から女関係の噂が絶えなかったため、隠し子がいても不思議ではない。
そういう書き込みも、少なくなかった。
アリシアはその説を一度読んで、すぐに保留にした。
ありえない話ではない。
けれど、今の銀河竜アッシュの顔と、昔の銀牙アキトの顔は、似ているというより同じだった。
親子という説明では、少し弱い。
少なくとも、確認する価値はある。
そう判断した。
そのほかにも、銀河竜アッシュにまつわる都市伝説めいた書き込みは多かった。
そして、最低な逸話も多すぎた。
昔の女が泣いて聞いたという。
――私のこと、忘れたの?
アッシュは優しく微笑んだ。
――忘れるわけないだろ。君のことは毎日思い出してる。
女が涙ぐむ。
――アッシュ……。
そこで彼は続けた。
――ところで、君は誰だっけ?
デビューして1週間経たない時の話だそうだ。
アリシアはそれを読んだ時、無言で画面を閉じかけた。
最低ですね。
別の逸話もあった。
女が詰め寄る。
――責任取ってよ!
アッシュは真剣な顔で頷く。
――分かった。俺も責任を感じてる。
女が期待する。
――じゃあ……。
――だから、君が幸せになることを心から祈ってる。
――あなたが責任取るんじゃないの!?
――祈るのも責任の一つだろ?
アリシアは淡々と結論づけた。
責任の概念を冒涜しています。
さらに別の噂。
――私たち、運命だったんじゃないの?
――運命だったよ。
――じゃあどうして捨てたの?
――運命って、最後まで一緒にいるって意味じゃないだろ。
――は?
――出会った時点で運命は達成してる。
アリシアは思った。
言葉の使い方が汚い。
そして、もっとも彼らしいと言われていた逸話。
――昨日、別の女といたでしょ。
――昨日の俺と今日の俺を同じものとして扱うの、少し乱暴じゃない?
――同一人物でしょ!
――肉体はね。
アリシアは、もはや画面を見る目が凍っていた。
哲学のふりをした逃亡です。
中には、さらに悪ノリした都市伝説もあった。
銀河竜アッシュには全国に百人の子がいる。
百人の母親が集まると、アッシュ本人が封印される。
だから彼は常に逃げ続けている。
通称、股間百物語。
アリシアはそれだけは即座に否定した。
これは虚偽でしょう。
竜という種族は、本来、愛が重い。
伴侶と認めた相手を、生涯かけて愛する。
一人の相手に執着し、守り、添い遂げる。
求愛モードですら、その重さの表れだ。
欲望だけで百人に子供を産ませるなど、竜の種族倫理から外れすぎている。
それに、アキトは最低ではあっても、アヤカと共にユキトを育てていた時期がある。
夫としても父としても破綻していたとしても、完全に関係を持ち散らかすだけの存在だったわけではない。
だから、これはさすがに盛られた噂だ。
アリシアはそう判断した。
ライブが終わる。
狂気じみた熱は、少しずつ会場から引いていった。
それでも関係者出口の近くには、熱心なファンたちが残っている。
アリシアもその中に紛れた。
周囲の女たちは、まだ夢から覚めていないような顔で話していた。
「ねえ、知ってる? 今度アッシュ様、ドラマ主演するんだって!」
「え、主演?」
「主演だって! 夢見るデビュー前のバンドマン役らしいよ。まだ何者でもないのに、歌い出した瞬間だけ世界の中心になる男って感じ!」
「うわ、絶対アッシュ様のための役じゃん!」
アリシアは、黙って聞き流した。
「しかも主題歌もアッシュ様が歌うんだって!」
「やば、絶対見る」
「一話から泣く自信ある」
そう言って、女たちは笑った。
アリシアは微笑まなかった。
最前列でサイリウムを振っていた美少女。
周囲から見れば、彼女も熱心なファンの一人に見えるだろう。
実際は、獲物を待つ狩人だった。
しばらくして、アッシュが出てきた。
派手な服。
気軽な笑み。
慣れた手つきでファンに応える姿。
だが、その目は違った。
ファンを見ているようで、女を選んでいる。
誰が若いか。
誰が落ちそうか。
誰が面倒ではなさそうか。
誰と今夜遊べそうか。
アリシアは、その視線に内心で嫌悪を覚えた。
やがて、アッシュの目が彼女に止まる。
異常な美貌。
若い。
最前列にいた。
サイリウムを振っていた。
無口で、少し冷めた雰囲気。
アッシュはそれを、自分に夢中なコアなファンだと判断した。
他のファンに気づかれないよう、さりげなく近づく。
「最前列にいたよね?」
アリシアは作った微笑で答えた。
「はい。素敵でした」
吐き気を堪えながら。
アッシュは満足そうに笑い、小さな紙を渡した。
そこには、高級レストランの場所と時間が書かれている。
「少し話そう。君だけに」
そう言って、他のファンに気づかれる前に離れていった。
アリシアは紙を見る。
すでに予約済みの店だった。
つまり、この男は最初から、誰かしら女を拾うつもりでライブに来ている。
アリシアは冷たく思った。
賭けでしたが、勝ちました。
夜景の見える高級レストランだった。
窓の向こうには、現代日本の都市の光が広がっている。
初めて見る異世界の夜景。
普通なら、目を奪われてもおかしくない。
だが、アリシアの目は冷めていた。
彼女が見ているのは夜景ではない。
目の前の男だ。
アキト。
銀牙アキト。
銀河竜アッシュ。
アヤカを捨て、父を探さず消えた男。
そして、自分の祖父かもしれない男。
アッシュは上機嫌だった。
「いやー、それにしても美人だね。俺のファン?」
「……ええ」
「サインいる?」
「必要ありません」
「照れてる?」
「いえ」
アリシアは最低限の愛想だけを保った。
本当は、今すぐ席を立ちたい。
だが、それでは意味がない。
この男から情報を引き出す。
逃げ道を塞ぐ。
そのために、ここまで来た。
アッシュは軽い調子で話し続ける。
若い女を口説く時の慣れた距離。
食事。
夜景。
褒め言葉。
軽い接触。
指先が近づくたび、アリシアは自然に避けた。
アッシュはそれすら、初々しい反応だと勘違いしているようだった。
料理が運ばれる。
飲み物が置かれる。
周囲の席との距離は程よく離れている。
逃げ出せないほどではないが、立ち上がれば目立つ。
アリシアは、そこで仮面を外した。
「あなたは、自分が何をしたか説明できますか?」
アッシュは軽く笑った。
「え、なに? 俺なんかした?」
「置き手紙一つで家族を捨てました」
笑顔が、ほんの少しだけ止まった。
アリシアは続ける。
「アヤカさんに対して。ユキトさんに対して。何も思わないのですか」
アッシュはすぐには答えなかった。
重く受け止めているのではない。
面倒な話になった、という顔だった。
「そんなことあったねえ」
アリシアは呼吸を忘れた。
「そんなこと?」
「でもさ、それ一週間以上前の話でしょ?」
一週間。
アリシアは、その言葉の意味を一瞬理解できなかった。
この男の中では、その程度で過去になるのか。
アッシュは笑って続ける。
「それに俺、もう今はアキトじゃないんだよ。銀河竜アッシュ。肩書き変わると、人って変わるもんじゃん?」
「つまり、肩書きが変われば、妻子を捨てた事実も消えると?」
「いやいや、消えるっていうか、過去の俺と今の俺は別物っていうか」
「別物ではありません」
「いや、でも大人じゃん?」
「何がですか」
「ユキトもさ。子供って、いつまでも子供じゃないでしょ? もう大人だし? 自分で生きて、自分で決める年齢なんだから、そこから先って俺の担当じゃなくない?」
アリシアは呆然とした。
倫理が違いすぎる。
父の歪みとは違う。
父は、逃げないために縛った。
この男は、逃げた後で過去を切り捨てている。
罪を罪として保存する場所が、この男の中にない。
アッシュは、そんなアリシアを見て何か勘違いしたようだった。
「分かった。君、ユキトの彼女でしょ?」
アリシアは答えない。
アッシュは楽しそうに笑った。
「いやー、我が息子ながらやるじゃん。こんな美人と付き合うなんてさ」
アリシアは、その目を見た。
息子の彼女かもしれない。
そう思ってなお、今夜遊ぶつもりでいる。
アリシアはそれを感じ取り、内心で強い嫌悪を覚えた。
この男の中には、線がない。
踏み越えてはいけない境界がない。
相手が誰の大切な人間か。
どんな関係の中にいる人間か。
そういうものを、欲望の前に置く習慣がない。
それでも、アリシアは微笑を崩さなかった。
この男に、嫌悪すら反応として与えたくなかった。
「捨てられた側にとっては、一週間ではありません」
アリシアは言った。
「ユキトさんが、どんなふうに生きてきたか、知っているんですか」
「まあ、元気にやってるんじゃない?」
「お母様がどんな思いで探していたか、見たんですか」
アッシュは答えない。
アリシアの声に、初めて怒りが滲んだ。
「それで……それで『もう大人だから関係ない』なんて」
アッシュは困ったように笑う。
「いやー、人生一回! 楽しまなきゃ損じゃん? 深刻になりすぎると老けるよ?」
そこで、アリシアは切り込んだ。
「では、なぜあなたは老けないのですか」
アッシュが止まる。
「え?」
「なぜあなたは老けないのですか。そこに疑問は持たなかったのですか」
アッシュは少し考えた。
「いや……銀河魔中年だから普通かと……」
「そんな理由で納得していたんですか?」
「え、だって芸名みたいなものが現実に追いついてくること、あるだろ?」
「ありません」
アリシアは写真を出した。
若い頃のアヤカ。
そして、ホスト時代のアキト。
写真の下には、銀牙アキトの名前。
今の銀河竜アッシュと、顔が同じ。
アリシアは写真をテーブルに置く。
「少なくとも、老化停止を“魔中年だから”で処理することはできません」
アッシュの目が、初めて変わった。
この女は、ただのファンではない。
ただのユキトの彼女でもない。
情報を持っている。
アリシアはさらに踏み込む。
「あなた、竜なんですか?」
アッシュは本気で分からない顔をした。
「は?」
「この世界では、角も尾も消える。そして、あなたは老けない」
アリシアは言う。
「“灰竜”なんですか。答えてください」
アッシュはしばらく黙った。
そして、困ったように笑った。
「いやー……それ、忘れてた」
アリシアが固まる。
「はい?」
「銀河竜アッシュとか名乗ってるとさ、だんだんそっちがキャラになってくるじゃん? でもそういや俺、ガチで竜だったわ」
「忘れていた……?」
アリシアの声が低くなる。
「自分が、竜であることを……?」
「改めて言われると、そうだね」
この男は、自分が竜であることすら忘れる。
アリシアは、もう怒りよりも理解不能さに近いものを覚えた。
同時に、アッシュも察していた。
この女は異世界を知っている。
竜を知っている。
灰竜という言葉を知っている。
ユキトと深く関係している。
危険だ。
アッシュは軽く席を立とうとした。
「いやー、ちょっと電話が」
「座ってください」
アリシアの声は冷たかった。
「今逃げれば、この店の全員にあなたの昔の名前を聞こえるように言います」
アッシュが止まる。
「それはちょっと困るね」
「でしょうね」
アリシアは逃がさない。
そして、最後の札を切った。
「私は、ユキトさんの彼女ではありません」
アッシュが目を細める。
「じゃあ、何?」
アリシアはまっすぐ見る。
「ユキトさんの娘です」
一拍。
「……は?」
「つまり、あなたの孫です」
アッシュの笑顔が、そこで初めて完全に止まった。




