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07.冒険者登録

朝だった。


柔らかな陽光が、薄いカーテン越しに部屋へ差し込んでいる。

祭りの夜の名残なのか、遠くからまだ人の話し声が聞こえていた。


ユキトはぼんやりと目を開けた。


しばらく、何がどうなっているのか分からなかった。


天井。

やたら上質な布団。

柔らかすぎる寝台。


ああ、宿だ。


昨日、祭りの勢いで一番高い部屋を取ったんだった、とそこまで思い出して――


「……ん?」


違和感に気づく。


寝る前、確かベッドは少し離してあったはずだ。

いや、正確に言えば、ユキトが勝手に離した。


何か事故が起きると嫌だから。

主に自分の理性の問題で。


なのに今。


なぜか。


むにゅ。


胸元に、柔らかい感触があった。


ユキトは、ゆっくり視線を下げた。


「……」


ネムリアがいた。


ぴったりくっついていた。

というより、完全に抱きついて寝ていた。


細い腕がユキトの胴に絡みつき、顔は胸元に埋まっている。

いつの間に移動したのか、寝息はやたら安定していた。


「すやぁ……」


こいつだけ世界が違うな、とユキトは思った。


「なんでだよ……」


小声で呟く。


ネムリアは起きない。


というか、抱きついたままさらに擦り寄ってきた。


「……あったかい」


「寝言で状況説明するな」


ユキトは顔をしかめた。


起こすべきか。


しかし起こしたら起こしたで面倒な気もする。


少し悩んでから、そっと腕を外そうとした、その時だった。


「おはようございます」


不意に声がした。


ユキトの動きが止まる。


戸口の方を見れば、湯上がりではなく寝起きらしい、少しだけ髪の乱れたフローラが立っていた。


その後ろから、ヴォルカもおそるおそる顔を出す。


そして二人とも、状況を見た。


見た上で、止まった。


「……」


「……」


最初に反応したのはヴォルカだった。


「えっ」


次の瞬間、顔が真っ赤になる。


「え、えええええっ!?」


「待て違う」


ユキトは即答した。


「朝起きたらこうなってただけだ」


「最低ですね」


「フローラまで!?」


フローラは口元に薄い笑みを浮かべていたが、目はわりと冷静だった。


「いえ、状況は見れば分かります」


「助かる」


「ネムリアが勝手に移動したのでしょう」


「ですよね!?」


ヴォルカはまだ混乱していた。


「で、でも、その、寝ている間に何か……」


「してない」


「本当に?」


「してない」


「本当に本当に?」


「なんで尋問なんだよ」


その間も、ネムリアは起きない。


「すやぁ……」


むしろ抱きつく力が少し強まった。


ユキトはため息をつき、諦めたようにネムリアの頭を軽く押した。


「おい、起きろ」


「……ん」


「朝」


「……まだ夜」


「朝だよ」


「じゃあ寝る……」


「論理が終わってるな」


結局、フローラが静かに近づき、ネムリアの肩をぽんぽんと叩いた。


「ネムリア。起きてください」


「……ふぁ」


ようやく目を開ける。


そして自分の体勢を見て、少しだけ首を傾げた。


「……?」


「なんで抱きついてんだよ」


「寝やすかった……」


「理由がシンプルすぎる」


ネムリアはそれだけ言うと、何事もなかったように離れ、ふらふらと窓際へ歩いていった。


ヴォルカはまだ顔が赤いままだった。


「も、もう……朝から何なんですか……」


「俺が聞きたい」


ユキトは頭をかきながら体を起こす。


寝起きの気だるさはあったが、不思議と意識ははっきりしていた。

昨日の夜、考えたことがそのまま胸に残っているからだろう。


フローラがその表情を見て、少しだけ目を細めた。


「決めた顔ですね」


ヴォルカが首を傾げる。


「?」


ユキトは立ち上がった。


「うん。決めた」


三人の方を向く。


「今日から俺、冒険者になる」


沈黙。


ヴォルカの目が大きく開いた。


「……え?」


ネムリアは窓際で外を見ながら、


「ぼうけんしゃ……」


とだけ呟いた。


フローラは、やはり驚かなかった。

昨夜、少しだけ聞いていたからだ。


ヴォルカは一拍遅れて声を上げる。


「ぼ、冒険者って……あの、迷宮に潜って、戦って、命を懸ける、あの冒険者ですか!?」


「たぶんその冒険者」


「たぶんって……!」


ヴォルカは明らかに動揺していた。


「ど、どうして急に……」


「急にじゃない」


ユキトは言った。


「たぶん、前から決めたかったんだと思う」


窓の外へ目を向ける。


祭り明けの朝らしい、穏やかな町並み。

花の街リリウムは平和そのものだった。


「この町、平和だろ」


「はい」


フローラが頷く。


「神殿の近くですから。大きな魔物被害も少なく、冒険者向けの仕事は少ないはずです」


「だよな」


ユキトは軽く伸びをした。


「だから、ここじゃない。次の町に行く」


「次の町……」


ヴォルカが不安そうに繰り返す。


「そこで冒険者登録する」


ネムリアがぽつりと言った。


「……みんなで?」


ユキトは首を振った。


「いや、登録するのは俺だけだ」


「え?」


今度はフローラが少しだけ眉を上げた。


ユキトは苦笑する。


「三人とも、初期ステータス見られたらたぶん色々バレるだろ」


それは事実だった。


竜であることを隠している以上、冒険者ギルドの正式な測定や登録は危険が大きい。

普通の人間ではありえない数値や特性が出る可能性が高すぎる。


フローラが静かに頷く。


「賢明ですね」


ヴォルカはそれでも不安そうだった。


「で、でも……ユキトさん一人で……」


「一人じゃないだろ」


ユキトは言った。


「ついてきてくれるんだろ?」


ヴォルカは言葉に詰まる。


それから、小さく、しかしはっきりと頷いた。


「……はい」


ネムリアは窓辺から振り返り、


「ついてく……」


「でも寝る……」


「そこは知ってる」


ユキトは軽く笑った。


その後、四人は宿を出て、リリウムから最寄りの次の町へ向かった。


祭りの翌日ということもあり街道はまだ人が多かったが、昼前には次の町へ着いた。

リリウムより活気があり、荷馬車や行商人、革鎧を着た若者たちの姿も多い。


そして町の中心近くに、目当ての建物はあった。


冒険者ギルド。


分厚い扉の前で、ユキトは一度だけ深呼吸した。


「よし」


ヴォルカがきょろきょろと周囲を見る。


「なんだか……すごい人ばかりですね」


「見るからに“それっぽい”のが多いな」


実際、周囲には剣や槍を背負った若者、革鎧に身を包んだ女、いかにも腕自慢らしい男たちが集まっていた。


そして。


その中で。


ユキトは嫌でも目立っていた。


両側に美女二人。

その後ろに、眠そうにふらふら歩く美少女一人。


「なんだあの面子……」


「すげえな」


「おいおい、あいつだけ場違いすぎるだろ」


「彼女連れで冒険者登録か?」


「遊びかよ」


そんな視線が集まるのも当然だった。


ユキトは気にせず、受付へ向かう。


「登録したいんですけど」


受付嬢はにこやかに頷いた。


「はい。新規登録ですね。こちらへどうぞ」


測定用の簡易な水晶板や書類が用意された一角へ案内される。

そこでユキトだけが椅子に座り、簡単な説明を受けた。


ヴォルカが小声で聞く。


「ほ、本当にユキトさんだけなんですね」


「そうだよ」


「でも……」


「大丈夫」


大丈夫、とは言ったが、何が大丈夫なのか自分でも分からなかった。


ただ、ここで引く気はなかった。


やがて簡易測定が始まる。


そして。


案の定だった。


戦闘力の欄を見た受付嬢が、一瞬だけ目を止める。


「……え?」


その声は小さかったが、近くにいた連中には十分聞こえた。


「戦闘力、1?」


ざわり、と空気が動く。


「は?」


「今なんつった?」


「1?」


「子どもか?」


周囲から、くすくすという笑いが漏れ始めた。


ヴォルカの顔が青くなる。


「ユキトさん……」


ネムリアは眠そうな目のまま、


「いち……」


「すくない……」


とだけ呟いた。


フローラは黙っていた。


ただ、ほんのわずかにユキトを見る。


昨夜、打ち合わせた通り。

ユキトが本当にやる気なら、自分は支える。

目立たず、気づかれず、必要な時だけ。


その確認のように、ユキトは一度だけフローラに視線を向けた。


ほんの一瞬。


フローラは小さく頷いた。


それだけで十分だった。


その時、野次馬の中から一人の男が前に出てきた。


エリック。


二十代前半くらい。

革鎧姿で、そこそこ鍛えている。

顔には薄い笑み。

そして、その目にははっきりとした嫉妬があった。


「へえ」


エリックはユキトを見下ろすように言う。


「戦闘力1で冒険者?」


周囲が笑う。


「そりゃまた、すげえ勇気だな」


「いや、無謀か」


エリックはわざとらしく肩をすくめた。


「……なあ、兄ちゃん」


「せっかくだ。訓練、つけてやろうか?」


意図は見え見えだった。


可愛い女たちの前で、恥をかかせる。

戦闘力1の素人を、訓練の名目で叩きのめす。


誰にでも分かる。


ヴォルカが一歩前に出そうになる。


「やめてくださ――」


「受けるよ」


ユキトは即答した。


ヴォルカが固まる。


「え……?」


エリックの方が一瞬驚いた顔をした。


だがすぐに笑う。


「いい度胸だ」


「訓練場、使わせてもらうぞ」


ギルドの裏手には貸し出しの訓練場があった。


木剣、木槍、訓練用の斧、短剣、棍棒。

非殺傷用に調整された武器がずらりと並んでいる。


見物人もぞろぞろついてきた。


完全に見世物だった。


ユキトはそれでも平然としていた。


最初から分かっていたからだ。


いずれ必要になる。


無様な姿を晒すことも。

弱いと笑われることも。

それでも前に立つことも。


だったら、今日でいい。


訓練場の中央へ進みながら、ユキトは思う。


相手の思惑は分かっている。


でも、自分の目的もはっきりしている。


勝つことじゃない。


知ることだ。


戦闘力の差が、どれほど絶望的なのか。

どの武器が自分に合うのか。

何なら少しでも長く立っていられるのか。


全部、今知っておきたかった。


向かいに立ったエリックが、木剣を肩に担ぐ。


「一応言っとくが、加減はするぜ?」


「助かる」


「泣いても知らねえからな」


「たぶん泣く暇ないと思う」


開始の合図が出る、その直前。


ユキトはもう一度だけフローラを見た。


目が合う。


打ち合わせ通り。


自分が倒れたら、即座に回復。

周囲にばれないよう、エフェクトなし。

ただし、限界を見たら止める。


フローラは静かに頷いた。


ヴォルカとネムリアは、その意味を知らない。


だから。


「始め!」


合図と同時に、エリックが踏み込んだ瞬間。


ゴッ。


木剣が振り下ろされる。


ユキトは受ける間もなく、まともに肩口へ一撃を食らった。


体が吹き飛ぶ。


土の上を転がる。


「……がっ」


息が詰まった。


痛い。


尋常じゃなく痛い。


訓練用?

どこがだ。


ヴォルカが息を呑む。


「ユキトさん!」


ネムリアも少しだけ目を見開いた。


「……いたそう」


エリックは苦笑した。


「ほらな。一発だ」


見物人たちがどっと笑う。


だが。


ユキトは歯を食いしばって起き上がった。


痛みが引いていく。

肩の感覚が戻る。

フローラの回復だ。


誰にも分からないほど自然に。


エリックが眉をひそめる。


「……あ?」


ユキトは立ち上がると、今度は木槍を取った。


構える。


そして。


次の瞬間には、また叩き落とされた。


長い得物は重い。

間合いも分からない。

振るう前に踏み込まれ、胴を打たれ、倒れる。


「ぐっ……!」


また土。


また激痛。


また、立つ。


次は短剣。


次は斧。


次は棍棒。


そのたびに、一撃で沈んだ。


訓練場には笑いが満ちていた。


「あいつ何してんだ?」


「武器試し?」


「素人にも程があるだろ」


「いや、戦闘力1だぞ」


ヴォルカはもう泣きそうだった。


「や、やめてください……!」


「もう十分です……!」


だがユキトは止まらない。


立っては武器を変える。

倒れてはまた立つ。


ネムリアですら、だんだん眠気の薄れた目で見ていた。


「……なんで立つの」


フローラは答えない。


ただ、静かに回復を続けていた。

その横顔だけが、少しだけ硬い。


エリックの方も、だんだん余裕が消えていく。


最初はただの見世物のつもりだった。


一発で終わる。

二、三発で泣いて終わる。

そう思っていた。


なのに。


何度倒しても、立つ。


それどころか、こいつは試している。


武器の重さ。

間合い。

受けた時の感触。


まるで、勝てないことを前提に“何が一番マシか”を探している。


「なんだよ、お前……」


エリックは苛立たしげに言う。


ユキトは返事をしない。


次に手に取ったのは、盾だった。


丸盾。


訓練用の、厚めの木製。


腕に通し、構える。


エリックが鼻で笑う。


「今さら盾?」


踏み込む。

木剣が振り下ろされる。


ゴンッ!!


鈍い音。


衝撃はすさまじい。

腕が痺れる。

肩が抜けそうになる。

結局、受け切れずに尻もちをつく。


それでも。


今までより、少しだけマシだった。


ユキトの目が変わる。


「……盾、いいな」


誰に言うでもなく呟いた。


エリックの顔が引きつる。


その後も、何度も倒れた。


盾を構えても弾かれる。

横から打たれ、足を払われ、突き飛ばされる。

土に転がり、息を詰まらせ、何度も立つ。


だが、もう一撃では終わらなかった。


ほんの一拍。

ほんの一瞬。

前より長く立てる。


それだけで、ユキトには価値があった。


見物人たちの空気も変わっていく。


最初の嘲笑は薄れ、代わりに戸惑いが広がる。


「なんで……」


「まだ立つのかよ」


「いや、普通もうやめるだろ」


エリックがとうとう剣を下げた。


額に汗がにじんでいる。


「お前……痛くないのかよ」


その問いに、ユキトは少し笑った。


口の端を上げる。


「痛いよ」


本音だった。


全身が痛い。

骨まで響く。

吐きそうなくらいだ。


でも。


ユキトは盾を構えたまま、エリックを見た。


「でも、それより」


一度、後ろを振り返る。


ヴォルカ。

ネムリア。

そしてフローラ。


「逃げる方が、ずっと痛い」


静寂が落ちた。


エリックが眉をひそめる。


「は?」


ユキトは前を向く。


「このままずっと、あいつらに守られて生きていく方が、俺には無理だ」


その言葉は、強さの宣言ではなかった。


覚悟の宣言だった。


勝てない。

弱い。

戦闘力1。


そんなことは、もう分かっている。


それでも前に立ちたい。


その格だけは、譲れなかった。


エリックは舌打ちした。


「……意味分かんねえよ」


「だろうな」


「気持ち悪いんだよ、そういうの」


「知ってる」


エリックはしばらくユキトを睨んでいた。


そして最後に、吐き捨てるように言った。


「……今日はこれまでにしてやる」


木剣を放り投げる。


「付き合ってられるか」


完全な捨て台詞だった。


勝ったつもりで来たのに、何も勝った気がしない。

そんな顔だった。


訓練場を去っていくエリックを、誰も笑わなかった。


残された静けさの中で。


ヴォルカが、ほとんど駆け寄るようにユキトのところへ来た。


「ユキトさん……!」


今にも泣きそうな顔だった。


「もう……もうやめてください……!」


ネムリアも珍しくすぐ近くまで来て、じっと見上げる。


「いっぱい倒れた……」


「うん」


「いたかった?」


「めちゃくちゃ痛かった」


ネムリアは少しだけむっとした。


「じゃあやだ」


「でも必要だった」


ヴォルカは唇を噛む。


「どうして……そこまで……」


その問いに答えたのは、フローラではなく、ユキト自身だった。


「冒険者になるからだよ」


盾を見下ろす。


「弱いままでも、前に立つ方法を見つける」


「そのために必要だった」


フローラは静かにその姿を見つめていた。


優しい目だった。


だが同時に、どこか決意を固めるような目でもあった。


まだ言わない。

まだ与えない。

けれど、このままではいけないことも分かっている。


その覚悟を、本当に最後まで貫くのなら――


自分はきっと、その時、何かを与える。


そんな未来を思わせるように。


フローラは小さく目を伏せた。


「……まずは登録ですね」


その言葉で、空気が少し戻る。


ユキトは盾を置き、息を吐いた。


「そうだな」


それから苦笑する。


「とりあえず、戦闘力の差がどういうもんかはよく分かった」


ヴォルカがまだ青い顔のまま聞く。


「……どれくらい、ですか」


ユキトは即答した。


「想像の十倍ひどい」


「……」


「でも、やるしかない」


その目は、もう昨日までのものとは少し違っていた。


弱いまま。

無様なまま。

それでも前に進むと決めた目だった。

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