04.花の神殿の花聖竜姫
ユキトは、ぐっすり眠っているネムリアを背負っていた。
ネムリアは完全に力を抜いている。
「すやぁ……」
まるで自分の寝床にでもいるような安心しきった寝息だった。
首元に額を預け、細い腕はユキトの肩にゆるく回っている。
ヴォルカがその様子を少し心配そうに見上げる。
「その……」
遠慮がちに口を開く。
「重くないですか……?」
「大丈夫」
ユキトは平然と答えた。
老人が腕を組み、感心したように鼻を鳴らす。
「戦闘力1なのに、妙に体力はあるのう」
その時だった。
背中のネムリアが、うとうとしたまま小さく寝返りを打つ。
むにっ。
ユキトの動きが一瞬止まった。
「……なるほど」
「何がなるほどじゃ」
老人が即座に突っ込む。
ユキトは真顔で答えた。
「背負い特典はこれがあるのか」
ヴォルカの顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、何言ってるんですか……!」
ネムリアは背中で小さく身じろぎしただけで、まったく起きる気配がない。
「んー……」
むしろ、さらに深く眠っていくようですらあった。
ユキトはそのまま歩きながら地図を広げた。
探知の鍵が淡く光る。
地図の上に、いくつかの封印反応がふわりと浮かび上がった。
ユキトは満足そうに頷く。
「さて」
老人が見るからに嫌そうな顔をする。
ユキトはにやりと笑った。
「次のおんにゃのこはどこかな?」
老人は深いため息をついた。
「言い方を変えろ」
封探知の鍵が淡く光る。
足元に広がる古代地図が、ゆっくりと更新されていく。
新しい封印反応が三つ。
老人は目を細め、それぞれを読み上げた。
「まず一つ目……」
杖が空の上、雲の向こうを示す。
「天空大陸――竜王封印」
古代文字が浮かび上がる。
『竜王女アストラ』
老人の声が少し低くなった。
「実年齢は五千年以上。竜の王じゃ」
「もし触れでもしたら――」
杖で空を叩く。
「竜王ブレスで消し炭じゃな」
「却下」
「即決じゃの」
ヴォルカも小さく頷いた。
「竜王は……本当に怖いです……」
次に老人は、黒く渦を巻くような光点を指差した。
「黒城――魔王竜封印」
『魔王竜リリス』
「性格は……悪魔のような気分屋じゃ」
老人は腕を組む。
「怒るかもしれんし、笑って許すかもしれん」
「一番読めない竜じゃな」
「ギャンブルか」
最後に、地図の中央付近。
花の紋様のように優しく輝く光点が浮かんでいた。
「花の神殿――花聖竜封印」
老人の声が、少しだけやわらかくなる。
『花聖竜姫フローラ』
「優しく神聖な竜じゃ」
「だが――」
少し間を置く。
「泣かせると神罰が降る」
「神罰?」
「大体死ぬ」
その時。
背中のネムリアが寝言を漏らした。
「むにゃ……」
「ゆきと……」
「やさしく……」
背中で体が少し動く。
むにっ。
ユキトはまた小さく頷いた。
「なるほど」
ヴォルカがさらに赤くなる。
「ち、近いです……」
老人はわざとらしく咳払いをした。
「結論としては」
「花聖竜姫が一番危険度が低い」
ユキトはにやりと笑う。
「つまり」
「次の候補はお花娘」
「もう止めん」
老人は諦めたように肩を落とした。
ユキトは地図を畳む。
「よし。花の神殿に行く」
「本当に行くのか……」
「神罰ですよ……?」
ヴォルカが不安そうに言う。
ユキトは肩をすくめ、自分のステータスを見た。
ユキト
戦闘力:1
それを見て、ひとつ頷く。
「もうすでに」
「戦闘力1なんですが何か?」
「開き直りおった」
「強い考え方ですね……」
ヴォルカが妙に感心していた。
背中ではネムリアが寝言を漏らす。
「むにゃ……」
「ゆきと……」
「ふかふか……」
完全に寝床扱いである。
数日後。
一行は花の神殿へ辿り着いた。
そこは今まで訪れた封印の地とは、まるで別世界だった。
咲き乱れる花々。
澄み渡る空気。
柔らかな光に満ちた白い神殿。
石造りの柱には蔦と花が絡みつき、風が吹くたび花びらが静かに舞う。
どこまでも清らかで、美しく、穢れを知らない場所だった。
老人が自然と声を潜める。
「ここは花聖竜の聖域じゃ」
「変なことをすると、本当に神罰が来るぞ」
「つまり」
ユキトが真顔で聞く。
「触るなってこと?」
「そうじゃ!!」
神殿の中央には巨大な花の祭壇があった。
幾重にも花弁を重ねたような形の台座。
その上に、一人の少女が静かに眠っている。
淡いピンク色の長い髪。
小さく可憐な竜角。
透き通るような白い肌。
そして胸元は、穏やかな呼吸に合わせてゆっくりと上下していた。
眠る姿は、まるで花の精そのものだった。
可憐で。
儚くて。
それでいて、触れれば壊れそうなほど清らかだった。
ユキトの口元が少し緩む。
「その顔をやめろ」
老人が即座に釘を刺す。
祭壇の文字が淡く光る。
神獣姫フローラ
封印中
ヴォルカが小さく呟いた。
「花聖竜……」
背中ではネムリアが相変わらず熟睡している。
「すやぁ……」
その瞬間だった。
祭壇の上の少女が、ゆっくりと目を開いた。
金色の瞳。
朝の光をそのまま閉じ込めたような、やわらかく澄んだ色だった。
フローラは静かに周囲を見渡し、やがてユキトへと視線を向ける。
「……人間?」
穏やかな声だった。
耳に届いた瞬間、心が少し静かになるような、やさしい声。
「なぜここに?」
老人は心の中で叫んだ。
(終わった)
ヴォルカも緊張している。
(神罰くる……)
だがユキトは、不敵に笑った。
現在。
ユキト
戦闘力:1
ヴォルカ
災厄竜姫
ネムリア
夢竜姫(背中で熟睡)
その中心で、フローラは静かにユキトを見つめていた。
金色の瞳は穏やかだったが、その奥には底知れない威厳があった。
「ここは神聖な場所です」
花の香りの中で、フローラは静かに言う。
「目的を言いなさい」
老人が小声で囁いた。
「慎重に答えるんじゃぞ……」
ヴォルカも固唾をのんで見守っている。
ユキトは腕を組んだ。
そして、飾らずに答えた。
「この世界、バランス崩れてるだろ」
「え?」
老人が間の抜けた声を出す。
フローラの眉が、ほんのわずかに動いた。
ユキトは続ける。
「封印されてる竜、多すぎる」
ヴォルカと、背中のネムリアを指差す。
「世界守る側の戦力が減りすぎてる」
「だから探してる」
フローラは黙って聞いていた。
ユキトの声はいつになく真っ直ぐだった。
「世界守れる奴を」
神殿に、しんとした静けさが落ちる。
フローラは少しだけ目を閉じた。
考えるように。
確かめるように。
その時。
ヴォルカが一歩前へ出た。
声は少し震えていたが、真剣だった。
「この人は……」
フローラが視線を向ける。
ヴォルカは続けた。
「悪い人ではありません」
「私を解放してくれました」
「それに……」
少し恥ずかしそうに俯く。
「私が……暴走しないように……」
「見てくれています」
老人が小声で言う。
「竜の証言は重いぞ……」
フローラは静かにヴォルカを見る。
「あなたが言うのですね」
「炎魔竜」
ヴォルカは小さくうなずいた。
その時だった。
ユキトの背中でネムリアが寝言を言う。
「むにゃ……」
全員の視線がそちらへ向く。
ネムリアは目を閉じたまま、ふわふわした声で言った。
「この人……」
「わるい人じゃない……」
「やさしい……」
「ふかふか……」
また寝た。
「説得力があるのかないのか」
老人が呆れる。
フローラはふっと小さく息をついた。
それは呆れたため息ではなく、少し気を抜いた時のやわらかな呼吸だった。
「……なるほど」
そしてユキトを見る。
「あなたは」
「竜を集めているのですね」
ユキトは親指を立てた。
「そう」
「違う」
老人が即座に否定する。
だがユキトはあっさりと言った。
「ぶっちゃける」
「?」
フローラが首を傾げる。
その仕草さえ、小さく咲く花のように可憐だった。
ユキトは堂々と言い切る。
「爆乳ドラゴン娘集めたい」
「言うな!!」
「い、言わなくていいです……!」
老人とヴォルカの声が重なる。
神殿に沈黙が落ちた。
だが次の瞬間。
フローラは、くすりと小さく笑った。
鈴のようにやさしい笑い声だった。
「正直ですね」
ユキトは肩をすくめる。
「でも」
「困ってる奴は助ける」
「だからここにいる」
その言葉に、フローラは少しだけ目を見開いた。
しばらくユキトを見つめる。
まるで、その言葉の本当の重さを量るように。
そして静かに言った。
「……わかりました」
「え?」
老人が思わず声を上げる。
フローラはゆっくりと立ち上がる。
花びらが、彼女の足元でふわりと舞った。
立ち上がった姿は、眠っていた時よりさらに美しかった。
淡い桃色の髪が肩を流れ、白い衣が風に揺れる。
清らかな気配をまとっているのに、どこか頼りなくやさしい。
「あなたの言葉」
「信じてみましょう」
「マジ?」
「軽いな!!」
「よかったです……」
ヴォルカが胸を撫で下ろす。
背中ではネムリアが変わらず、
「すやぁ……」
である。
ユキトは満足そうに頷くと、ポケットから紙を取り出した。
「じゃあ」
「契約書な」
「用意しておったのか!?」
老人が叫ぶ。
ユキトはさらさらと何かを書き始める。
そこに書かれていたのは――
一、セクハラしても怒らない
二、俺に危害を加えない
三、俺が困ってたら慰める
もちろん、日本語である。
この世界では異世界言語なので、誰にも読めない。
ユキトはその紙をフローラへ差し出した。
「はい」
フローラは両手で丁寧に受け取った。
「……?」
しばらく目を落とし、首を傾げる。
「これは……」
「古代文字ではありませんね」
「何の文字じゃ? ワシも読めん」
老人も覗き込む。
フローラは少し困ったように眉を下げた。
その表情は神聖というより、素直に戸惑っている少女の顔だった。
「申し訳ありません」
「読めません……」
「まあまあ」
ユキトは適当に流す。
ヴォルカが不安そうに口を開く。
「だ、大丈夫なんでしょうか……」
フローラは紙を胸元に抱え、少し考え込んだ。
「契約とは、本来慎重にすべきものです」
「ですから――」
その瞬間。
かちっ。
「おぬし何しておる!?」
ユキトが探知の鍵を紋章に差し込んでいた。
次の瞬間。
ゴォォォォォ……
神殿中に魔力が広がる。
祭壇を縛っていた封印の鎖が、
ぱきん……
ぱきん……
と音を立てて砕けていく。
「封印……!」
「解けておる!!」
ヴォルカと老人が同時に声を上げる。
「え?」
フローラは目をぱちぱちさせた。
封印の光がふわりと弾ける。
神殿の中を、神聖な風が優しく吹き抜けた。
花びらが舞い、柔らかな光が満ちる。
フローラは、完全に自由になっていた。
しばしの沈黙。
フローラはゆっくりとユキトを見る。
「……」
「契約」
「まだですよね?」
「そうじゃ!!」
老人が力強く頷く。
だがユキトは平然としていた。
「まあ」
「先に出しても問題ないだろ」
「問題しかないわ!!」
フローラはその返答に、少し驚いたような顔をした。
しばらくユキトを見つめる。
やがて、そっと微笑んだ。
その笑みは、春の花がひらくみたいにやわらかかった。
「……なるほど」
「?」
ヴォルカが不思議そうにする。
フローラは静かに言った。
「契約も済んでいないのに」
「先に封印を解いたのですね」
「そうだけど」
「悪い人ではなさそうですね」
「もう少し考えろ!!」
老人が悲鳴を上げる。
フローラは、もう一度紙へ目を落とした。
「読めませんが」
「きっと大した内容ではないでしょう」
ユキトは、にやりと笑う。
フローラはそんな彼を見ても、怒るどころか少し困ったように微笑むだけだった。
それから、白く細い手をそっと差し出す。
「では」
「契約しましょう」
「えええええ!?」
老人の悲鳴が神殿に響く。
次の瞬間。
足元に契約魔法陣が広がった。
淡い花の光が、ユキトとフローラをやさしく包み込む。
花びらのような光が舞い上がり、神殿全体が祝福するように静かに輝いた。
「契約成立です……!」
ヴォルカがほっとしたように言う。
背中のネムリアは相変わらず。
「すやぁ……」
「どうなってもワシは知らん!!」
老人はとうとう天を仰いだ。
その中で、フローラは契約の光に包まれながら、少しだけ照れたように微笑んでいた。
自分が信じたことを疑わない、やさしすぎる笑みだった。
可憐で。
穏やかで。
そして危ういほどまっすぐな、花聖竜姫の笑顔だった。




