03.眠りの森の幻夢竜姫
ユキトは封印探知の鍵を掲げた。
刃が淡く光り、火山の赤い空を鈍く反射する。
「よし」
満足そうに頷く。
「次の爆乳ドラゴン娘はどこだ?」
背後で、ヴォルカがびくりと肩を震わせた。
「え、えっと……」
まだ契約したばかりの彼女は、そういう話題にどう反応すればいいのかわからないらしい。
赤くなったり困ったりしながら、結局おろおろするしかない。
老人はそんな二人を見て、深く深くため息をついた。
「おぬし……本当に封印巡りツアーをする気か……」
その時だった。
ユキトの手にある探知の鍵が再び光る。
淡い光が地面へと広がり、足元の土の上に古代文字の地図が浮かび上がった。
新しい封印反応が三つ。
老人は杖でそれを順に示す。
「まずはこれじゃ」
空の彼方、雲の上を指すように杖先が動く。
「天空神殿――雷竜封印」
老人の声が少しだけ重くなる。
「雷竜姫ライゼリア。気性が荒く、女王気質じゃ」
少し間を置き、真顔で続けた。
「もし無礼を働けば……即、雷撃じゃな」
ユキトは即答した。
「却下」
老人は頷きもせず、次を指差す。
「次」
砂色に光る光点。
「光の遺跡――白竜封印」
「白竜姫アルシア。サディスティックな女王タイプじゃ」
また真顔になる。
「もし触れでもしたら……鞭打ちになるぞ」
「却下」
「決断が早いのう」
最後に、森の奥を示す柔らかな緑の光点。
「眠りの森――幻夢竜封印」
「幻夢竜姫ネムリア」
老人は顎に手を当て、少し考えるように目を細めた。
「常に眠っておる竜じゃ」
「怒るかどうかは……」
「起きておるかどうか次第じゃな」
ユキトは腕を組み、真剣に考える。
「つまり」
「当たり枠はこれ」
「そういう問題ではない」
その横で、ヴォルカが小さく口を開いた。
「その……」
「ドラゴンって……普通は、一体解放するだけでも……世界中が大騒ぎになります」
老人が重々しく頷く。
「もう一体いる時点で、手遅れじゃ」
ユキトはしばらく黙り込んだ。
そして満足そうに頷く。
「よし。幻夢竜姫だな」
「結論が早い」
その時だった。
ユキトの手が、何気なくヴォルカの胸を揉んだ。
「ひゃっ!?」
ヴォルカの体が大きく跳ねる。
顔が一瞬で真っ赤になった。
「な、な、な……」
小さく震える声で、自分の胸を押さえる。
「い、今……触りましたよね……?」
「契約確認」
ユキトが平然と言うと、ヴォルカは慌てて空中の契約魔法陣を見上げた。
そこには淡く光る文字が浮かんでいる。
『軽度セクハラ:許容』
ヴォルカはしばらく固まっていたが、やがて観念したように小さく頷いた。
「……契約ですから」
「怒りませんけど……」
視線を落とし、耳まで赤くなりながら続ける。
「び、びっくりするので……」
「できれば……事前に言ってください……」
老人が呆れたように言った。
「優しすぎる」
その瞬間だった。
ヴォルカの背中から、ふっと赤い魔力が漏れた。
次の瞬間。
火山そのものが唸りを上げた。
ゴォォォォォォォォ!!
炎が噴き上がる。
マグマが空へと吹き上がり、火山全体が巨大な炎に包まれた。
岩が溶け、地面が割れ、熱風が周囲を薙ぎ払う。
「うわあああああ!!」
「なにこれ!?」
老人とユキトが同時に叫ぶ。
数秒後。
炎はゆっくりと収まり、あたりは焼け野原になっていた。
周囲の岩山は真っ黒に焦げ、まるで火山がもう一度噴火した後のようだった。
ヴォルカは青ざめた顔で、慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……!」
「驚くと……魔力が暴走してしまって……」
恥ずかしそうに俯く。
「昔から……よく、こうなるんです……」
ユキトと老人は無言で焼けた地面を見渡した。
しばしの沈黙。
やがてユキトが小さく呟く。
「……今後」
「自重します」
老人が怒鳴った。
「最初からそうせい!!」
数日後。
一行は眠りの森の近くまで来ていた。
老人が地図を覗き込みながら言う。
「ここを突っ切れば、もうすぐ近くじゃ」
ユキトは拳を握る。
「よし!」
「眠りの森はもうすぐだな!!」
老人は疲れ切った顔でため息をついた。
「また封印を解く気か……」
「当たり前だ」
ユキトは堂々と胸を張る。
「爆乳はいくらいても飽きないからな!!」
「……もう何も言うまい」
その横で、ヴォルカが小さく呟いた。
「えっと……」
「わ、私は……」
言いよどむ。
「もう……」
さらに小さな声になる。
「飽きられてますか……?」
ユキトは即答した。
「いや」
親指を立てる。
「爆乳は多いほどいい」
「理論が終わっておる」
だがヴォルカは、その答えに少しだけほっとしたように息を吐いた。
本当に安心したように、胸元をそっと押さえる。
(……ちょっと安心しました)
そんなふうに思っていることは、たぶん誰にも気づかれていない。
やがて一行は眠りの森へ足を踏み入れた。
森は異様なほど静かだった。
風は弱く、枝葉はほとんど揺れない。
鳥のさえずりすら聞こえず、世界そのものが眠りに沈んでいるようだった。
老人が声を潜める。
「ここは幻夢竜の結界じゃ」
「眠気が強くなる……」
言い終えるより早く。
「……ねむ」
ユキトの瞼が半分落ちた。
「ほら言わんこっちゃない」
老人も少しふらついている。
ヴォルカは首を傾げた。
「私たち竜には効きませんけど……」
その時、森の奥に巨大な石の祭壇が見えた。
苔むした古代の台座。
その中央に、一人の少女が眠っている。
緑色の髪。
小さな竜角。
白く柔らかな肌。
そして胸元は、眠りに合わせてゆっくりと上下していた。
祭壇に刻まれた文字が淡く光る。
幻夢竜姫ネムリア
封印中(熟睡)
「寝てる」
「寝てるな」
「ぐっすりですね……」
三人の感想が綺麗に揃った。
ユキトは腕を組んだ。
「つまり」
少し考える。
「触っても起きない可能性」
「やめろ」
「だ、だめです……!」
ヴォルカが慌てて止める。
だがその時、祭壇の上の少女が小さく声を漏らした。
「……ん……」
目はまだ閉じたまま。
「だれ……?」
「五分だけ……」
「あとで……起きるから……」
そのまま、また眠りに落ちた。
ユキトは真顔で頷いた。
「何かおかしい。確認する」
「嫌な予感しかしない」
ユキトは祭壇の上のネムリアを見下ろした。
夢竜姫ネムリアは、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
呼吸はゆっくり。
まつ毛もぴくりともしない。
ユキトが腕を組む。
「まずは」
「偽乳じゃないか確認しないとな」
「最低じゃ!!」
「だ、だめです……!」
しかしユキトは、まるで学術調査でもするような顔でそっと手を伸ばした。
軽く触れる。
柔らかい感触が返ってくる。
ユキトは神妙に頷いた。
「すごい。本物だ」
その瞬間。
ネムリアの目が、ほんの少しだけ開いた。
眠たげな、淡い色の瞳が半分だけこちらを映す。
「……ん」
ユキトの手。
自分の胸。
そしてユキトの顔。
ぼんやりと順番に確認する。
しばらく沈黙。
そしてネムリアは、眠そうな声のまま言った。
「……確認、終わった?」
「はい」
ユキトが素直に答えると、ネムリアは小さく頷いた。
「そっか……」
それから、少しだけ身体を丸める。
「じゃあ……」
「あと百年くらい、寝るから……」
「マイペースすぎる」
「怒らないんですね……」
ヴォルカが驚いたように呟く。
だがその時だった。
ネムリアの身体から、ふわりと淡い魔力が広がった。
まるで薄い夢が溶け出すような光。
「……」
「……」
「……眠」
「これが幻夢竜の能力じゃ!」
ユキトも老人も、揃ってふらついた。
ヴォルカだけが平然としている。
ネムリアは寝言みたいな声で言った。
「起こしたなら……」
少しだけ間を置く。
「責任……とって……」
また小さな間。
「友達……?」
その声は、あまりにも緩くて、あまりにも無防備だった。
怒りも警戒もない。
ただ、起こされたから少し寂しい。だから隣にいてほしい。
そんな子供みたいな響きだった。
ユキトは眠そうなネムリアを見て、口元を吊り上げる。
「よし……」
「今なら契約いけるな」
「悪い顔をしておる」
「だ、大丈夫なんでしょうか……」
ネムリアはまだ半分夢の中だ。
「……んー?」
その声すら、とろけそうに柔らかい。
ユキトは指を立てた。
「契約内容だ」
一つ。
「俺に危害を加えないこと」
二つ。
「セクハラしても怒らないこと」
三つ。
「俺が困ったら慰めること」
「増えておる!!」
「えっ」
ヴォルカが目を丸くする。
だがネムリアは、目を閉じたまま、ぼんやり頷いた。
「うん……」
「いいよ……」
「早い!!」
ユキトですら少し驚いた。
「マジで!?」
ネムリアは、眠ったままゆっくり指先をユキトへ向ける。
「その代わり……」
小さな、小さな声。
「起こさないで……」
「いっぱい……寝たい……」
「OK」
「あと……」
ネムリアの声が、少しだけ甘くなる。
「たまに……」
「頭、なでて……」
ヴォルカはそのやり取りを見て、ほんの少しだけ目を伏せた。
(……ちょっとショックです)
そしてごく小さな声で呟く。
「……私も」
「なでてもらったこと……まだないのに……」
その言葉はほとんど風に消えたが、本人にとってはなかなか重大だった。
ユキトは静かに告げる。
「契約成立」
その瞬間、ユキトとネムリアの周囲に淡い光が舞った。
契約魔法陣がゆっくり回転し、柔らかな夢の魔力が森へ広がる。
けれど当のネムリアは――
そのまま祭壇の上にころんと横向きになった。
「じゃあ……」
小さくあくびをする。
「寝るね……」
数秒後。
すやぁ……
完全に寝た。
老人はぽかんと口を開けていた。
「本当に契約してしまうとは……」
ヴォルカも目を瞬かせる。
「す、すごい自由ですね……」
ユキトは腕を組んだ。
「よし」
眠っているネムリアを見下ろし、もう一度頷く。
「封印解除だ」
「またやるのか……」
「だ、大丈夫でしょうか……」
祭壇の中央には古代の封印紋章が刻まれていた。
ユキトは懐から小さな鍵を取り出す。
鍵が淡く光る。
老人は顔をしかめた。
「二匹も解き放たれるとは悪夢じゃ……」
ユキトは迷いなく鍵を紋章へ差し込んだ。
かちっ。
次の瞬間。
ゴォォォォォ……
夢の魔力が森全体へ静かに広がった。
祭壇を縛っていた鎖が震え、一つずつ砕けていく。
ぱきん。
ぱきん。
ヴォルカが息を呑む。
「封印……解けてます……!」
老人は慌てて叫んだ。
「幻夢竜が完全解放されるぞ!」
しかし――
当のネムリアは。
すやぁ……
微動だにしない。
「起きないの?」
「幻夢竜は基本寝ておる」
「自由ですね……」
ヴォルカがしみじみと言った、その時だった。
森全体が、ふわりと光った。
まるで夜空の星が、地面へ降りてきたような淡い光。
ネムリアの身体から溢れた夢の魔力が、暴れることなく静かに世界へ広がっていく。
眠りの森を覆っていた封印が、ゆっくりと溶けるように消えていった。
巨大な魔力のはずなのに、それは不思議なほど穏やかだった。
荒れ狂うのではなく、包み込む。
壊すのではなく、眠らせる。
そしてネムリアが、小さく寝言を漏らした。
「……ん」
「ゆきと……」
ほんの少しだけ、口元が緩む。
「おやすみ……」
そのまままた、深い眠りへ落ちていく。
すやぁ……
ユキトはその様子を見て、満足そうに頷いた。
「よし」
ヴォルカが小さく呟く。
「……本当に寝てますね」
老人は遠い目をした。
「こんな自由な災厄があるか……」
祭壇の上で眠るネムリアは、まるで世界の理より自分の睡魔を優先しているようだった。
けれど、その無防備さも、そのゆるさも、その甘えるような一言も――
確かに、ヒロインとしては強かった。
少なくともユキトの中では、かなり当たり寄りだった。




