02.禁断火山の炎魔竜姫
その頃、ユキトはすでに森を歩き出していた。
「この世界のルールは分かった」
そう言って、人差し指を一本立てる。
「封印されてるやつは、だいたい強い」
ぐっと拳を握る。
「つまり!」
空へ向かって高らかに宣言した。
「どこかにいるはずだ! 封印されし爆乳ドラゴン娘!!」
老人は顔を引きつらせ、深々とため息をついた。
「その発想は危険じゃ」
「でも事実だろ?」
ユキトが肩をすくめた、その時だった。
彼の手の中にあった小さな鍵が、ぴかりと光った。
淡い光が地面へと広がり、森の土の上に複雑な古代文字の地図が浮かび上がる。
老人の目が見開かれた。
「それは……」
震える声で続ける。
「探知の鍵……!」
地図の上には三つの光点が現れていた。
それぞれが違う場所で、脈打つように明滅している。
老人は一つ目を指差した。
「北の山――」
古代文字が浮かび上がる。
『氷竜封印』
次に砂漠の方角を示す。
「砂漠の遺跡――」
『古代竜王封印』
そして最後に、海の方角。
「海底神殿――」
『深海竜封印』
老人の手はわずかに震えていた。
「どれも……世界級の封印じゃぞ……」
ユキトは地図を見つめたまま黙り込む。
数秒後。
ゆっくりと口角が上がった。
「つまり」
「嫌な予感がする」
老人の呟きを無視して、ユキトは指を三本立てた。
「爆乳ドラゴン娘候補が三人」
「違うと思う」
「これは神がくれた爆乳ガチャだ」
「違う」
「SSRが三体」
「違う」
「どれから引く?」
老人はとうとう天を仰いで叫んだ。
「世界が終わる!!」
だがユキトは、なおも真剣な顔だった。
「ちなみに」
「うむ?」
「この中で若くてセクハラしても大丈夫そうな子はどれ?」
老人はしばらく無言になり、それから底の深いため息をついた。
「おぬし……発想がだいぶ危ないぞ」
「いや、大事な情報だろ」
老人は地図を指でなぞる。
「まず前提じゃ。封印されておる竜はすべて数百から数千歳クラス。つまり全員、竜の基準ではとっくに成人以上じゃ」
「そこは安心」
「安心するな」
まず北の山。
『氷竜姫フィルリア』
「見た目年齢は十八から二十ほど。実年齢は四百年。性格は――超まじめな氷の女王タイプじゃ」
「へえ」
「妙なことをすれば、即、氷漬けじゃな」
「却下」
「判断が早い」
次に砂漠。
『紅竜王女サラマンダ』
「見た目二十五前後。実年齢千二百年。誇り高い女王タイプじゃ」
老人は真顔で続けた。
「無礼を働けば焼却じゃな」
「却下」
「合理的ではある」
最後に海。
『深海竜姫ルネア』
「見た目二十前後。実年齢八百年。性格はマイペースで好奇心が強い」
少し考えて付け加える。
「怒るかどうかは……機嫌次第じゃ」
ユキトは腕を組んだ。
「つまり安全なの一人もいないじゃん」
「当たり前じゃ」
その時だった。
ユキトの持つ鍵が、再び強く光った。
ぴかっ、と赤い光が地図に走る。
三つの光点とは別の場所。
地図の端、燃え盛るような赤が一つ、脈打っていた。
禁断火山
その下に、古い文字が浮かび上がる。
『封印対象――炎魔竜』
老人の顔色が変わった。
「ま、まずい……」
「つまり」
ユキトがにやりと笑う。
「大当たりの匂いがする」
「話を聞け」
老人は一歩詰め寄り、必死の形相で言った。
「それは絶対に解いてはいけない封印じゃ!」
「昔、王国を二つ滅ぼした怪物――古代災竜の封印じゃぞ!!」
「過去の勇者と竜族が命がけで封じた存在じゃ!!」
「なるほど」
「わかったか!?」
ユキトは頷いた。
「つまり、めちゃくちゃ強いドラゴン娘の可能性がある」
「なんでそうなる!!」
禁断火山のふもとに辿り着いた時には、空そのものが赤黒く染まっていた。
地面の裂け目からマグマが川のように流れ、熱風が容赦なく肌を打つ。
その中央。
巨大な黒い封印門が、まるで山そのものの一部のようにそびえ立っていた。
表面には無数の古代文字が刻まれている。
その中央に、警告文が深く刻まれていた。
『炎魔竜姫ヴォルカ
決して解放するな』
老人が震える声で言う。
「……まだ戻れるぞ」
ユキトは門を見上げたまま、静かに答えた。
「いや」
手の中の鍵を握る。
「俺は――」
真剣な顔で言い切った。
「俺を待っている爆乳娘を信じる」
老人は遠い目をした。
「終わった、この世界」
その直後だった。
どんっ、と鈍い音が響く。
「ぬわあああ!?」
老人が情けない悲鳴を上げる。
ユキトが無言で老人の背中を押し、封印門の前にある小さな祠の中へ突き飛ばしたのだ。
ユキトは腕を組む。
「罠チェック」
「何を言っておる!?」
「いや、戦闘力1なんだからしょうがないっしょ」
「最低じゃ!!」
数秒の沈黙。
何も起きない。
ユキトと老人は、揃って瞬きをした。
「……」
「……」
「罠なし?」
「押す必要あったか??」
「よし、安全」
ユキトが安心したように祠の中へ足を踏み入れた、その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ……!!
封印門の文字が一斉に赤く光る。
床いっぱいに巨大な魔法陣が広がり、空気がびりびりと震え始めた。
『封印守護システム起動』
古代音声が響く。
「やっぱ罠じゃあああ!!」
老人の叫びと同時に、地面が割れた。
そこから現れたのは、巨大な石の守護者だった。
封印守護ゴーレム
戦闘力:3200
ユキトは真顔になった。
「終わった」
ゴーレムがゆっくりと拳を振り上げる。
その時だった。
封印門の奥から、かすかに声が聞こえた。
「……ん……」
眠りの底から浮かび上がってくるような、か細く柔らかな声だった。
「……人間?」
少し間を置いて、戸惑うように続く。
「どうして……こんな場所に……」
門の隙間から、赤い魔力が漏れ出している。
「……あれから、何年……?」
「まだ……夢……?」
その不確かな声音は、想像していた“災厄”のものとはあまりにも違っていた。
ユキトは即答した。
「ジジイが勝手に落ちただけです」
「嘘つけ!!」
だが、そのやり取りの間にもゴーレムは迫ってくる。
ユキトは状況を冷静に確認した。
自分の戦闘力は1。
相手は3200。
「無理」
とりあえず隣の老人の肩を叩く。
「元勇者とかなんだろ!?」
「違う!!」
「え」
ゴーレムの拳が振り下ろされる。
ドゴォォォン!!
「元大魔法使い!」
「違う!!」
「隠された最強賢者!」
「違う!!」
「じゃあ何なんだよ!!」
老人は涙目で叫んだ。
「ただの学者じゃあああ!!」
「弱っ!!!」
その時、封印門の奥から、今度は少しだけ焦ったような声が響いた。
「……危ない」
「人間さん……」
その言葉には、怯えよりも心配が混じっていた。
「そのままだと……」
「ゴーレムに、殺されてしまいますよ」
ユキトは眉をひそめる。
声は少しだけ迷い、それでも懸命に続けた。
「もし……」
「もし、外に出してくれるなら……」
「私が……止めます」
ユキトは腕を組んだ。
(この感じ……)
(たぶん押したらいける)
そして封印門へ向かって言う。
「出てきたいなら、俺に命乞いしろ!!」
「状況!!」
老人の悲鳴が飛ぶ。
ユキトは構わず指を二本立てた。
「条件は二つ」
「まず俺を襲わない」
「そして――」
真顔になる。
「セクハラしても怒らない」
「お前、どっちが命令できる立場かわかってんのか!! しかもそんな条件飲むわけないだろ!!」
老人はゴーレムから逃げ回りながら叫んだ。
「おいジジイ。ちゃんと契約できるんだろうな?」
「できるにはできる!」
「できるのかよ!?」
ゴーレムから逃げ回りながら、老人は半泣きで叫んだ。
「人と竜の契約自体は、昔から存在する!! 問題はそこじゃない!!」
「じゃあ何が問題なんだよ!」
「相手が古代災竜じゃということじゃ!!」
老人は転びそうになりながら、必死に杖を振り回した。
「普通の竜ですら気難しくて誇り高いんじゃぞ! そんな相手に、初手で“セクハラしても怒らない”などという最低条件を突きつけて、飲んでもらえるわけがないじゃろうが!!」
「そこは交渉次第だろ!」
「交渉の内容が終わっとるんじゃ!!」
ゴーレムの巨大な影が二人に落ちる。
「詰みじゃん」
ユキトが呟いた、その時だった。
門の向こうから、小さな声が聞こえる。
「……人間さん」
今度の声は、先ほどよりもずっと弱々しかった。
けれど、必死だった。
「もし……もし外に出られたら……」
しばらく躊躇い、言いにくそうに続ける。
「その……」
「お友達に、なってくれますか……?」
ユキトは一瞬、言葉を失った。
老人の言葉が頭をよぎる。
――契約自体はできる。
――だが普通は、こんな条件で竜が応じるわけがない。
それでも。
聞こえてきた声は、世界を滅ぼした怪物のものには思えなかった。
ただ、長い長い孤独の中で、誰かに手を伸ばそうとしている少女の声だった。
ゴーレムの拳が再び振り上がる。
ドゴォォォン!!
地面が砕ける。
ユキトは歯を食いしばった。
「……クソ」
そして、叫ぶ。
「契約だ!!」
鍵を封印門へ突き立てる。
かちり、と乾いた音がした。
その瞬間、鍵が眩く輝いた。
古代魔法陣が展開し、封印門全体に光の亀裂が走る。
「やめろおおおお!!」
老人の叫びも、もう止まらない。
ゴゴゴゴゴ……!!
古代の封印が崩れ始めた。
赤い魔力が溢れ出し、熱風が吹き荒れる。
そして――封印が解けた。
門の向こうから、ひとりの少女が姿を現す。
黒髪。
赤い瞳。
黒い竜角。
その存在から溢れる魔力は、ただ立っているだけで空気をねじ曲げるほど圧倒的だった。
けれど、その少女自身は、どこか頼りなげに見えた。
細い肩。
不安そうに揺れる視線。
長い眠りから覚めたばかりのように、少しおぼつかない足取り。
それでも、彼女は確かに美しかった。
炎に照らされた黒髪は艶やかに揺れ、赤い瞳は鋭いはずなのに、今は怯えた小動物のようにわずかに揺れている。
黒い角も禍々しさより先に、妙に彼女の儚さを際立たせていた。
そして何より――ユキト基準では、十分に大きかった。
ゴーレムが拳を振り下ろす。
だが。
少女はそっと拳を振り上げた。
一瞬、空気が止まる。
次の瞬間。
――どん。
それだけだった。
ゴーレムの巨体が外側から崩れ、石の粒となって砕け散る。
戦闘力3200。
完全消滅。
静寂が降りる。
聞こえるのは、遠くで煮え立つマグマの音だけだった。
老人も、ユキトも、しばらく動けない。
少女――ヴォルカは、二人を見た。
その目には勝者の余裕ではなく、戸惑いがあった。
自分が本当に外へ出ていいのか、まだ確信できていないような顔だった。
やがて彼女は、そっとユキトへ向き直る。
「あなたが……」
声は小さい。
「契約した人間、ですか」
「そうだ。俺の名前はユキト」
ヴォルカは少しだけ目を見開いたあと、丁寧に頭を下げた。
「助けてくださって……ありがとうございます」
火山の風が吹く。
黒い髪が揺れ、赤い瞳がかすかに細められる。
「私は……ヴォルカです」
小さく、けれどはっきりと名乗った。
「炎魔竜姫ヴォルカ……」
そこで少し迷ってから、困ったように視線を落とす。
「……です」
自分で名乗っておいて、少し恥ずかしくなったらしい。
その様子が妙に人間くさくて、ユキトは思わずまじまじと見てしまう。
ヴォルカはそんな視線に気づいたのか、さらにおどおどしながら続けた。
「契約に……従います」
少し考えてから、指を折る。
「約束します」
「ユキトさんを……襲いません」
そして、顔を真っ赤にした。
「その……」
「少しの……」
「せ、セクハラなら……怒らない、です……」
「成立してしまった」
老人が遠い目で呟く。
「なんで飲んだんじゃ……」
ヴォルカは恥ずかしさで耳まで赤くしながら、それでも逃げずにユキトを見上げた。
どうやら本気で約束を守るつもりらしい。
その真面目さと危うさが、余計に放っておけない。
そして彼女は、小さく首を傾げた。
「……この後」
「どうしますか?」
その声音には、不安があった。
命令を待つ従者のようでもあり、初めてできた繋がりを失いたくない子供のようでもあった。
火山の熱風の中で、ヴォルカは静かにユキトを見つめている。
災厄の竜姫。
王国を二つ滅ぼした怪物。
そう呼ばれた存在のはずなのに。
今、ユキトの目の前にいるのは――
ただ、助けてもらったことに戸惑い、これから自分がどこへ行けばいいのかわからず、けれど必死に役に立とうとしている、不器用な少女だった。
ユキトは数秒、黙ってヴォルカを見つめた。
そして。
「とりあえず」
真顔で言う。
「飯、食える?」
ヴォルカはぱちぱちと瞬きをした。
「……え?」
「いや、仲間になったならまず飯だろ」
「それとも竜ってマグマとか食うの?」
「た、食べません……!」
少し慌てたように首を振る。
「普通に食べます……!」
その答えに、ユキトは満足そうに頷いた。
「よし」
そして親指を立てる。
「じゃあ、まずは飯だ。ヴォルカ」
ヴォルカは一瞬きょとんとして、それからほんの少しだけ、嬉しそうに笑った。
「……はい」
その返事はとても小さかった。
けれど、確かに嬉しさが滲んでいた。
長い封印から解かれた少女にとって、それはたぶん、最初にもらった“命令”ではなく“居場所”だった。




