33.同じ手には乗りません
決闘が始まった。
先に動いたのはナナだった。
銀の光が空気を裂く。
幾重にも重なった術式が地面を走り、封印柱の残滓に触れた瞬間、足元の土が浮き上がる。
砕けた石片が弾丸のようにユキトへ襲いかかった。
ユキトは咄嗟に身を翻した。
正面からは行かない。
いや、行けない。
飛来する石片を紙一重でかわし、横へ、後ろへ、木々の間へと逃げる。
その動きは無様にも見えた。実際、傍から見ればそうだった。
ヴォルカが思わず声を上げる。
「ユキトさん……っ!」
ナナは鼻で笑った。
「……やはりそうですか」
その声には、露骨な侮蔑があった。
「一年前と何も変わっていませんね」
銀髪が揺れる。
彼女の足元に新たな紋様が広がる。
「どうせ今回も、逃げ回ることしかできないのでしょう?」
ユキトは返さない。
木の陰を蹴り、地を滑るように移動する。
ナナの目が細くなる。
「安心してください」
冷たい声音。
「私はもう、一年前と同じ手には乗りません」
次の瞬間、彼女の周囲に浮かんだ光輪が一斉に回転した。
「あなたを追って穴に落ちるような真似は、二度としない」
銀の光線が幾筋も走る。
ユキトは木々の間を縫うように逃げる。
幹を蹴り、低く身を沈め、転がるように躱す。
遅れれば終わっていた。
一筋ごとに、地面が抉れ、木肌が裂け、乾いた破裂音が森へ響く。
ヴォルカの顔が青ざめる。
「速すぎる……!」
リュシアも思わず半歩下がった。
「ちょっと待って、あれまともに当たったら……!」
「黙って見て」
フローラの声は低かった。
低かったが、冷静というより、無理やり落ち着かせている声だった。
「今、こちらが動いたら余計に崩れます」
その言葉にヴォルカが唇を噛む。
「でも……!」
「わかっています」
フローラはユキトを見たまま答える。
指先が白くなるほど握られていた。
「わかっていますけど、今はまだ……!」
ネムリアがユキトの動きを目で追いながら、かすれたように呟く。
「……ちがう」
誰もすぐには意味を掴めなかった。
だがネムリアは、眠そうな声のまま、それでも妙にはっきり言った。
「ただ逃げてるんじゃない」
その一言で、リュシアの目つきが変わる。
確かにそうだった。
ユキトは無茶苦茶に逃げているわけではない。
木の位置。
足場。
ナナの視線。
術式の起点。
全部を見ながら、じりじりと位置をずらしている。
ナナはまだ、その違和感を甘く見ていた。
「どうしました」
侮るように唇を歪める。
「今度は私の魔力切れでも狙っているんですか?」
「残念ですが、その程度なら一日中でも付き合えますよ」
ユキトの足が、もつれたように見えた。
わずかに体勢を崩し、前のめりになる。
ナナの目がわずかに動く。
隙。
そう見えた。
術式が走る。
追撃の光弾が、倒れ込んだはずのユキトへ向かって一直線に飛ぶ。
「まずい――!」
ヴォルカが叫ぶ。
だが。
ユキトは倒れていなかった。
崩れたのはフェイントだった。
あえて足をもつれさせたように見せ、その勢いのまま低く滑り込む。
だが、無理な姿勢だった。
完全には避けきれない。
光弾が左腕のガントレットにぶつかる。
甲高い音を立てて弾けた。
防いだわけじゃない。
衝撃はそのまま腕を痺れさせ、骨の奥まで鈍く突き抜けた。
それでもユキトは止まらない。
その痛みごと左腕に溜め込み、地を擦るほど低い姿勢のまま一気に前へ出る。
ナナの瞳が見開かれる。
「なっ――」
もう懐に入っている。
ユキトは踏み込んだ。
受けた衝撃を逃がさないまま、ガントレットごと体重を乗せて打ち込む。
くぐもった破裂音。
ナナの結界が砕けた。
遅れて、蓄積されていた衝撃が内側から弾ける。
細い身体が後ろへ弾き飛ばされた。
空気が変わる。
ヴォルカが息を呑む。
リュシアの目が見開かれる。
フローラも、わずかに息を乱した。
ネムリアが小さく言う。
「……入った」
その声には、さっきまでの眠たさがなかった。
ナナはすぐに体勢を立て直した。
だが、さっきまでの侮りは消えている。
ユキトは血まみれだった。
脚も脇腹もやられている。
まともに動ける状態ではない。
それでも、今の一撃は本物だった。
「……そういうことですか」
ナナの声が低くなる。
「逃げていたんじゃない」
ユキトは肩で息をしながら、低く構えた。
「最初から、そこまで来るつもりだった」
ナナの眉がぴくりと動く。
一年前と同じ。
そう決めつけていた。
穴へ落ちる程度の、運だけでしか状況をひっくり返せない男。
そう思っていた。
だが違う。
この男は今、逃げるふりをして、自分の攻撃の癖と視線の誘導を読んでいた。
「……本当に、気に入りませんね」
ナナの周囲に、再び銀の光輪が浮かぶ。
今度は先ほどより少ない。
だが密度が違った。
軽く潰すための術式ではない。
明確に、壊すために近い圧を持った魔力。
それを見た瞬間、ヴォルカの背筋が凍る。
「……っ、空気が」
森の空気が変わっていた。
重い。
息がしづらい。
胸の奥を見えない手で掴まれているような圧迫感。
リュシアが顔を強張らせる。
「なに、これ……」
フローラは答えなかった。
答えられなかった。
ただ本能が告げていた。
まずい。
理屈は分からない。
でも、ここから先は人が軽々しく触れていい領域じゃない。
ネムリアが珍しくはっきりした声を出す。
「……やばい」
短い。
だが、それで十分だった。
ナナ自身も理解していた。
ここから押し返すには、もう一段深く出力を上げる必要がある。
だがそれをやれば何が起きるか、この場で一番よく知っているのもまたナナ自身だった。
ユキトはそれを見た。
見て、それでも止まらない。
ここで退けば終わる。
ここで外せば世界が終わる。
そう思っているからだ。
銀の閃光が走る。
ユキトは正面から踏み込んだ。
次の瞬間、森全体に衝撃音が響いた。
ナナの術式と、ユキトの踏み込みが正面から噛み合ったのだ。
空気が裂ける。
地面が沈む。
遅れて、周囲の木々がまとめて揺れた。
ナナは後退しない。
銀の魔力が腕に集まり、刃のように伸びる。
薙ぎ払う。
突き込む。
間合いに入ったものを切り捨てるための、容赦のない連撃。
ユキトはそれを真正面からは受けなかった。
半歩ずらす。
肩を引く。
腕一本で流す。
受け切れない分は肉で持っていく。
斬れる。
裂ける。
血が飛ぶ。
それでも足は止まらない。
ナナの目が揺れた。
まだ来る。
脚を貫かれ、脇腹を抉られ、肩も浅くない傷を負っている。
普通なら、とっくに膝をついているはずだった。
なのにこの男は、まるで痛みごと前へ押し込むみたいに踏み込んでくる。
「っ……!」
ナナが術式を重ねる。
今度は近距離用の拘束陣。
足元に展開し、踏み込んだ敵の骨ごと動きを止める類の封印術。
ユキトは気づいた。
だが止まらない。
一歩目で踏み込む。
二歩目で捕まる。
三歩目で――踏み抜いた。
骨が軋む嫌な音がした。
ヴォルカが悲鳴のように声を漏らす。
「ユキトさん!?」
「だめ……!」
フローラも思わず一歩出た。
けれど、そこで止まる。
止まるしかなかった。
今ここで手を出せば、全部が壊れる。
そう分かる程度には、場の空気が危うくなっていた。
ネムリアが低く言う。
「……もう、ひきかえせない」
眠そうな声音ではなかった。
ぞっとするほど静かな、本能の声だった。
ナナの拘束陣は、確かにユキトの足を止めた。
だが止まったのは一瞬だけだった。
ユキトはそのまま、身体ごと前へ倒れ込むように踏み込んだ。
肩からぶつかる。
結界が軋む。
ひびが入る。
ナナの表情が変わった。
一年前と同じじゃない。
逃げるだけの男じゃない。
埋めて誤魔化して終わるだけの男じゃない。
少なくとも今この瞬間だけは、本当に自分を壊しに来ている。
その現実が、ナナの内側の怒りをさらに煽った。
「そうまでして……!」
銀光が爆ぜる。
ナナの背後に浮かぶ光輪がさらに増え、重なり、圧縮されていく。
目に見える。
危険だと。
理屈なんて分からなくても、誰にでも分かるくらいに。
リュシアの顔が引きつった。
「ちょっと、待って……まずいってこれ……!」
「わかっています!」
フローラの声が鋭く飛ぶ。
いつもの穏やかさを失った声だった。
「でも、今は入れません……!」
ヴォルカが拳を握る。
「でもこのままじゃ、どっちか……!」
「どっちもです」
フローラが吐き捨てるように言った。
その言葉に全員が凍る。
どっちか、ではない。
このまま行けば、たぶんどちらも壊れる。
その中心で、ユキトはなお踏み込んでいた。
ナナの放った光刃が右肩を深く裂く。
血が溢れる。
それでもユキトは腕を伸ばす。
届く。
そう思った瞬間、ナナも覚悟を決めかけた。
ここから先は危険域だ。
でも押し返すならもうこれしかない。
自分の身を守るため。
ミラの想いを守るため。
その一歩を踏み越えようとした時だった。
ユキトが先に入った。
低い。
速い。
血で滑る足場も、崩れかけた呼吸も、全部無視して滑り込んでくる。
ナナの視界の死角へ。
術式の起点を外す角度へ。
「――ッ」
反応が一拍遅れた。
ユキトの拳が、今度は確かにナナの中心へ入った。
鈍い衝撃。
細い身体が浮く。
背中から地面へ叩きつけられる。
光輪が散る。
張り詰めていた術式が一気に乱れた。
ナナの息が止まる。
ユキトはそのまま間合いを詰めた。
逃がさない。
もう一撃。
ここで終わらせる。
誰もがそう理解した。
ヴォルカが顔を青くする。
フローラが息を止める。
リュシアが目を見開く。
ネムリアの指先が、はじめて微かに震えた。
ナナも理解していた。
ここで押し返すには、もう完全に危険域へ踏み込むしかない。
だがその一歩は、今の自分だけじゃない。
周囲ごと巻き込む可能性がある。
それでも――と、歯を食いしばった瞬間。
「やめて!!」
灰色の影が、二人の間に飛び込んだ。
ミラだった。
息を呑む暇もなかった。
彼女は泣いていた。
ぼろぼろだった。
ついさっきまで呆然と立ち尽くしていたはずなのに、それでも今は両手を広げ、ナナを背中に庇っていた。
「やめて……っ、やめてよ……!」
ユキトの動きが、そこでようやく止まる。
拳は振り下ろされる寸前で止まっていた。
ほんの少しでも遅ければ、ミラごと叩き壊していた距離だった。
ヴォルカが青ざめたまま声を失う。
フローラも言葉を持てない。
リュシアは目の前の光景を、ただ見ているしかなかった。
ミラは震えていた。
肩も、唇も、差し出した指先も震えている。
それでも一歩も退かなかった。
「どいてくれ、ミラ」
ユキトの声は掠れていた。
自分でも、何を言っているのか分からないような声だった。
「どかない」
ミラは即座に言い返した。
「絶対、どかない」
ナナが息を呑む。
「ミラ……」
「黙ってて」
ミラは振り返らない。
ナナを守るように立ったまま、ユキトだけを見た。
「ナナはこの一年、閉じ込められたまま終わらなかった」
その一言が、森の空気を変えた。
ミラは泣いていた。
でも声だけは、はっきりしていた。
「自分が災厄でしかない存在のまま終わりたくないって、ずっと頑張ってた」
ユキトの目が揺れる。
ミラは続ける。
「最初は本当に危なかったんだよ。ちょっと感情が揺れただけで、空気が変になって、封印までおかしくなって……私、何度も怖かった」
「でもこの子、逃げなかった」
「苦しくても、怖くても、自分で自分を止められるようになりたいって、ずっと足掻いてた」
涙が止まらない。
拭う暇もなく頬を伝って落ちていく。
「私、ずっと見てたの」
ナナの瞳が揺れる。
怒りでもない。
驚きでもない。
もっと深い、言葉にしづらい揺れだった。
ミラは一歩、ユキトへ近づいた。
「私がどれだけ傷ついたかは、別」
その一言に、ヴォルカが目を見開く。
フローラも静かに息を止める。
リュシアが唇を噛んだ。
ミラは笑えないまま、それでも言う。
「痛かったよ」
「待ってたし、信じてたし、来たと思ったら違って……振られて」
声が震える。
「ほんとに痛かった」
「今でも苦しい」
「でも、それとこの子を壊していい理由は別だよ」
ユキトの腕から、少しずつ力が抜けていく。
ミラは、泣き顔のまま言い切った。
「私は赦す」
その言葉に、ユキトの目が見開かれた。
「赦すから」
「だから、ナナを壊さないで」
ナナが震える声で言う。
「……ミラ、あなた」
「この子、まだ完全じゃない」
ミラはようやく振り返った。
ナナを見る目は、ひどく優しかった。
「でも、もう災厄でしかない存在じゃない」
「ちゃんと変わろうとしてきたの」
「だから、ここで終わらせないで」
ユキトの手が、完全に下がった。
その瞬間、自分がまた何をしようとしていたのか、ようやく理解した。
責任を取るつもりだった。
逃げないつもりだった。
全部、自分で背負うつもりだった。
でも結局また、自分だけで決めて、自分だけで終わらせようとしていた。
埋めた時と同じだ。
何も変わっていない。
ユキトはゆっくりと、ナナから離れた。
膝が折れるようにその場に落ちる。
血が土へ滲む。
「……悪い」
小さな声だった。
誰に向けたものか、自分でも分からない謝罪だった。
ミラにか。
ナナにか。
後ろで見ていた三人にか。
あるいは、その全部か。
ミラは大きく息を吸った。
泣き顔のまま、何とか言葉を繋ぐ。
「でもね」
ユキトが顔を上げる。
ミラは涙をそのままに、はっきり言った。
「私、やっぱりあなたじゃなくて、アッシュを探したい」
その言葉は静かだった。
でも、確かだった。
ユキトは何も言えない。
ミラは続ける。
「ナナ、ついてきて」
ナナの銀の瞳が揺れる。
「私……こんなバカな人、やっぱり私からお断りだわ」
傷ついた声だった。
けれど、その中に自分で選ぶ強さがあった。
「赦すのと、好きでいるのは別だもん」
「私は、私で行く」
そこで初めて、ミラは少しだけ笑った。
涙でぐしゃぐしゃの、どう見ても綺麗じゃない笑顔だった。
それでも確かに、自分の足で立つ人の顔だった。
ユキトは俯く。
引き止めない。
引き止められない。
そんな資格はないと、ちゃんと分かっていた。
ヴォルカが長く息を吐く。
苦しそうな、でも少しだけ解けた息だった。
フローラも静かに目を閉じる。
そして開いた時、その表情はまだ厳しいままだったが、先ほどまでの冷え切ったものではなくなっていた。
ネムリアがぽつりと呟く。
「……ばか」
責める声。
でも、それだけだった。
見捨てる声ではなかった。
ユキトはそれが、どうしようもなく痛かった。
許されたわけじゃない。
軽蔑も失望も消えていない。
でも最後にナナを壊さない方を選んだことだけは、三人ともちゃんと見ていた。
少し離れたところで、リュシアはずっと黙っていた。
唇をきつく結んで、爪が食い込むくらい拳を握って、それでも何も言えなかった。
最低だ。
本当に、最低だ。
会いに来たと思ったら、違った。
待たせるだけ待たせて、期待させるだけ期待させて、挙げ句の果てにあんな形で全部を壊す。
ミラを泣かせて。
ナナまで壊しかけて。
残された三人にも、あんな顔をさせて。
こんなの、好きになった方が馬鹿みたいじゃない。
そう思うのに。
それでも目が離せなかった。
血まみれで、ぼろぼろで、みっともなくて。
格好悪くて。
自分勝手で。
どうしようもなく最低なのに。
それでも最後の最後で、壊さない方を選んだ。
その姿が、悔しいくらい目に焼きついて離れない。
なんでそんな顔するのよ。
なんで、そうやって苦しそうにするのよ。
そんなの見せられたら、嫌いになりきれないじゃない。
リュシアは奥歯を噛みしめた。
胸の奥が痛い。
失恋なんて、もっと分かりやすく終わるものだと思っていた。
振られた。
じゃあ嫌いになる。
もうどうでもよくなる。
そんなふうに、簡単に切れるものだと思っていた。
でも全然違った。
好きだった気持ちが、そのまま傷になって残っている。
消えてくれない。
消えてくれないまま、目の前で「やっぱりこの人は最低だ」と思い知らされる。
それがこんなに苦しいなんて、知らなかった。
リュシアは小さく息を吸った。
吸ったはずなのに、うまく肺に入らなかった。
ここにいたら駄目だ、と思った。
これ以上そばにいたら、きっとまた期待してしまう。
今は違っても、いつか見てもらえるんじゃないかと、そんな惨めなことを考えてしまう。
それが嫌だった。
こんなにきっぱり振られたのに、まだ少しでも好きな自分が、たまらなく悔しかった。
だから、離れないといけなかった。
リュシアは顔を上げる。
「私、ミラさんについていきたい」
全員の視線が集まる。
けれど、今はもう逸らさなかった。
声が震えそうになるのを、無理やり押さえつける。
「……いや、ついていく」
ユキトの目が、わずかに動いた。
それだけでまた胸が痛む。
そんな自分が本当に嫌になる。
「今の私じゃ、たぶんここにいられない」
静かに言う。
でも、途中から少しずつ感情が滲んだ。
「ミラさんが何を探すのかとか、ナナがどう生きるのかとか、そういうのもある」
「でも、それだけじゃない」
一度、言葉が詰まる。
喉が熱い。
泣くものかと思った。
こんなところで泣いたら、もっと惨めだと思った。
それでも声は、少しだけ掠れた。
「……あんたのそばに、今のままいたくない」
森の空気が静まる。
リュシアはユキトを見た。
まっすぐ。逃げずに。
「まだ少し好きだからよ」
その一言は、思ったよりずっと静かに出た。
叫ぶみたいになるかと思った。
責めるような声になるかと思った。
でも実際には、傷口を自分で確かめるみたいな声だった。
「好きだから、ムカつくし」
「好きだから、あんなの見せられて余計に腹が立つし」
「好きだから、このままあんたたちの後ろで何もなかった顔してついていくの、無理」
唇が震える。
「そんなの、私が惨めすぎる」
ミラが息を呑む。
ナナも黙ったまま、リュシアを見ている。
ヴォルカは何も言わない。
フローラも挟まない。
ネムリアだけが、静かに目を細めていた。
リュシアは続ける。
「だから離れる」
「ちゃんと諦めるために」
「ちゃんと嫌いになれるのか、ならないのか、自分で決めるために」
そこで少しだけ、自嘲気味に笑おうとした。
でもうまく笑えなかった。
「……それに、ここにいたら、たぶんずっと期待しちゃうから」
その言葉だけは、ひどく小さかった。
言ってしまったあとで、ものすごく悔しくなった。
でももう引っ込められない。
ユキトは何も言わなかった。
言えなかった。
その沈黙が、逆に答えみたいで、リュシアは胸の奥をきつく掴まれた気がした。
それでも、逸らさない。
もう逃げないと決めたから。
「さようなら、ユキト」
一拍置く。
「……今は、まだちゃんと笑えないけど」
「それでも、お世話にはなったわ」
最後だけ、少しだけいつもの調子を戻そうとした。
けれど失敗した。
声が震えていた。
ユキトはその言葉を黙って受け止める。
引き止めない。
引き止められない。
リュシアはそれを見て、最後にようやくはっきり理解した。
ああ、本当に終わったんだ。
思っていたより、ずっと痛かった。
でも、ここで背を向けなければ、たぶん一生引きずる。
だからリュシアは踵を返した。
泣かないように、顔を上げたまま。
それでも森の奥へ歩き出した瞬間、視界が少しだけ滲んだ。




