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22/35

22.今のこいつはそれ以上でもそれ以下でもない

山の空気は、ようやく静かになっていた。


静か、というより――寝ていた。


遠くの兵士はそこら中で倒れたまま。

竜用の兵器も沈黙。

王子も転がっている。

さっきまであれだけ騒がしかった山が、今は妙にしんとしていた。


その中心で、ネムリアは竜形態のまま気持ちよさそうに爆睡していた。

ヴォルカも同じだ。


黒い巨体が、少し離れた場所で横たわっている。

ついさっきまで暴走寸前だったとは思えないほど静かだった。


ユキトはその二体を見張るように立っていた。

隣にはフローラがいる。


「……何度見てもひどい光景だ」


思わずそう言うと、フローラが小さく頷いた。


「ええ」


「竜二体が寝ていて、兵士も寝ていて、王子も転がっています」


「冷静に言うとだいぶひどいですね」


「冷静じゃなくてもひどいだろ」


ユキトは肩を回した。


まだ体が痛い。

王子を折るために動き回ったせいもあるし、その前から色々ありすぎた。


でも、とりあえず終わった。

若い雷竜は母親に返した。

母竜も引いた。

王子は契約で縛った。

ヴォルカもネムリアの睡眠に沈めて止めた。


これ以上は、たぶん今日は何も起きない。


……と思っていた。


風がひとつ、山の向こうから降りてくる。


フローラが顔を上げた。


「また来ますね」


「母親か?」


「ええ。気配は同じです」


少しして、赤い雷をまとった母竜ヘレナが再び姿を見せた。


今度は戦う気配はない。

だが普通に怖いものは怖い。


そのままこちらへ降りてきたヘレナは、前脚の爪で何かを引きずってきて――


「おい待て」


ユキトは思わず言った。


「何か落としたぞ?」


ヘレナは、その“何か”をぽいっと地面へ放った。


どさっ。


「きゃっ!?」


小柄な少女が転がるように地面へ落ちる。


金髪。

小柄。

華奢。

見た目だけなら中学生くらいだ。


ただ、目だけはやたら強い。

つり目気味の勝ち気な目。

今は疲れているはずなのに、それでも睨む感じが先に出てくる顔だった。


小さな竜角。

細い尾。

いかにもまだ未成熟な雷竜の娘、という見た目。


……で、胸は小さい。


ユキトはそこまで反射で認識してから、心の中で即座に処理した。


恋愛対象外。

完全に外。

以上、終わり。


フローラが静かに言う。


「若いですね」


「若いっていうか……ガキじゃないのか」


「いいえ、大人と子供の中間点あたり、そのくらいでしょうね」


少女は地面に手をついて体を起こすと、真っ先に母竜を睨んだ。


「ちょっと!?」


「何するんですか!? 普通もっと丁寧に下ろしません!?」


ヘレナは面倒くさそうに鼻を鳴らした。


ユキトは少しだけ眉を上げる。


元気はある。

面倒事だろうな。

今の時点の評価はそのくらいだった。


少女は今度はこっちを見る。


まずフローラを見た。

警戒した。


次に寝ているヴォルカを見る。

その瞬間だけ、顔が強張った。


怖いんだろう。


ネムリアを見た。

意味が分からなそうな顔をした。


最後にユキトを見た。


その視線に混じっていたのは、苛立ちと屈辱と、あと少しだけ説明しにくい引っかかりだった。


ユキトは眉をひそめる。


「何だよ」


少女は即答した。


「別に」


「別にって顔じゃないだろ」


「うるさいですね」


「元気だな」


「元気じゃありません!」


即答だった。


でも、その返しで少しだけ空気が緩む。


ヘレナが低く鳴いた。


少女の肩がびくっと跳ねる。


もう一度鳴く。


明らかに「先にやることがあるだろ」という圧だった。


ユキトは腕を組む。


「ほら、母ちゃんが言ってるぞ」


「母ちゃん言うのやめてください!」


「じゃあお母さま?」


「それも今はやめてください!」


「注文多いな」


フローラが口元を押さえる。

笑っていた。


少女はものすごく嫌そうに口を開いた。


「……助けられたことについては」


そこで止まる。


顔が赤い。

言いたくないのが丸分かりだ。


後ろでヘレナがじろりと見る。


少女の肩がまた震える。


「……ありがとう、ございました」


小さい声だった。


言い終わった瞬間、ものすごく悔しそうな顔をした。


ユキトは少しだけ驚いた。


ちゃんと言えるんだな、と思った。


だがヘレナはそこで終わらせなかった。


もう一度、低く鳴く。


少女が固まる。


「まだあるんですか!?」


ヘレナが短く鳴く。


今度はさっきよりはっきり意味が見えた。


説明しろ。

頼め。

全部、自分の口で。


そういう親の圧だった。


少女は本気で嫌そうな顔をした。


「……最悪です」


「何がだよ」


「これから全部言わされるんです!」


完全に八つ当たりだった。


ユキトは肩をすくめる。


「じゃあ言えよ」


「嫌です!」


「即答だな」


「嫌なものは嫌です!」


ヘレナがじろりと娘を見る。


少女の肩がまた震えた。


逃げられないと悟った顔で、少女は深く息を吸う。


「……最終試験だったんです」


「は?」


「お母様に言われてたんです。大人になる前の最後の確認だって。竜形態を維持しろって」


そこまではまだ普通だった。


だが次の言葉あたりから、少女の顔がみるみる赤くなっていく。


「でも私は、縄張りの中で大人しく飛ぶのがつまらなくて……」


言いながら、自分でも情けなくなってきたんだろう。

目が泳いでいた。


「お母様には前から言われてたんです」


「いずれ大人になる前には、ちゃんと外を見てこいって」


「縄張りの中だけで満足するな、見聞を広げろって」


ユキトが眉を上げる。


「じゃあ普通に時期が来たら出ればよかっただろ」


少女は即座に顔をしかめた。


「だから、今回はその時じゃなかったんです!」


「お母様が言ってたのは、ちゃんと時期を見てからの話で……!」


「私は待てなくて、勝手に前倒ししただけです!」


そこまで言ってから、少女は半ばやけくそみたいに続けた。


「外を見たくて、勝手に縄張りを抜けたんです」


「人間の領域に入って、それで……」


「数日も竜形態のまま飛べてしまって」


ユキトが眉を寄せた。


「数日?」


「普通はそんなに維持できません」


フローラが静かに補足する。


少女はすぐそっちを睨んだ。


「分かってます!」


「……後でお母様に言われました」


「私はまだ成長途中で、しかも出力が弱いから、逆に燃費だけ良かっただけだって」


「すごいんじゃなくて、未熟なだけだって」


ユキトは思わず言った。


「ひどい話だな」


「本当にひどいんですよ!」


即答だった。


「私はすごいことしてるつもりだったのに、実際は弱いから長持ちしただけなんですから!」


「本人が言うと破壊力あるな」


「うるさいですね!」


ユキトはちょっとだけ気の毒になった。

でもその感想以上のものはない。


今のこいつは、可哀想な女の子じゃない。

扱いを間違えると面倒を増やすトラブルメイカー。

それ以上でも以下でもなかった。


少女は続けた。


「飛んでるうちに、だんだん訳が分からなくなって……」


「気づいたら山にいて、人間に囲まれてました」


「怖かったです」


そこだけ少し声が小さくなる。


素なんだろうなと思った。


ユキトは茶化さなかった。


「兵が急に寝て、今なら逃げられるって思ったのに、体が動かなくて」


「そこへお母様が来て」


「助かったと思ったら……」


そこで少女の目が、寝ているヴォルカへ向く。


本能で出る怖さが、その顔にまだ残っていた。


「黒い竜が来て」


「……あれは駄目でした、格が違いすぎます」


ユキトはヴォルカを見る。


寝顔は平和だ。

さっきまで暴走寸前だったくせに。


少女はぎゅっと拳を握った。


「お母様でも勝てないって、分かりました」


「でもお母様は私を見捨てずに、何度もブレスを吐いて……」


「そのあと拘束されて」


「私は、あの黒い竜と人間がグルなのかと思いました」


「それで、あなたが来て」


ここで初めて、少女は真っ直ぐユキトを見た。


「……本当に弱そうで、理解できませんでした」


「言うねえ」


「だってそう見えたんです!」


「まあ、そうなんだけどな」


ユキトがあっさり認めると、少女の方が一瞬詰まった。


たぶん否定されると思ってたんだろう。


「でも」


少女は苛立ったように続ける。


「私は竜形態で脅そうと思ったのに、それすらできなくて」


「勝手に人間形態に落ちて」


「そのままお母様のところへ返されて……」


「助けられたのに、意味が分からなくて、すごくむかついて」


ユキトは少し笑った。


「助けられてむかつくのか」


「むかつきますよ!」


即答だった。


「だって、理解できなかったし、しかも屈辱だったし……!」


「で、そのあと母親に怒られた?」


少女はものすごく嫌そうな顔をした。


「めちゃくちゃに」


「だろうな」


「しかも全部バレてたんです」


「試験を口実にしただけで、本当は外を見たくて勝手に飛び出したことも」


「最初に言われたのが、まず礼をしなさい、です」


ユキトは少しだけヘレナを見る。


なるほど。

そこは通すんだな。


少女は悔しそうに唇を噛んでから、続けた。


「それで……外を見ろって話には、その……別の意味もあって」


そこでまた見事に詰まる。


ユキトが首を傾げる。


「別の意味?」


少女は口をぱくぱくさせた。


ヘレナが追い打ちみたいに鳴く。


フローラが静かに言った。


「種の多様化、でしょうか」


少女が固まった。


次の瞬間、耳まで真っ赤になる。


「なっ……!」


「フローラ、お前たまにすごいな」


「……いつもです」

「竜は長命ですし、閉じた環境に留まり続けるのを好みませんから」


淡々とした補足だった。


だが少女にとっては公開処刑に等しかったらしい。


「ち、違っ……いや違わないですけど!」


「お母様が、世界を見て回って、伴侶も探せって……!」


「種の多様化のためにも、ちゃんと外を知れって……!」


言い切った瞬間、少女はその場にうずくまりそうな顔をした。


ユキトは少しだけ黙った。


「へえ」


「へえって言わないでください!」


「いや、母親が真面目だなって」


「私には最悪です!」


「伴侶探しを親に言わされるのは、まあ嫌だろうな」


「だから嫌だって言ったんです!」


少しだけ場が緩む。

だが少女は、勢いのまま言った。


「別にあなたを伴侶候補として見てるとか、そういうのじゃありませんからね!」


「最初からそこは全然違いますから!」


「どう見ても弱そうだから勧めないって、お母様も言ってましたし!」


ユキトは黙った。

フローラも黙った。


少し間が空いてから、ユキトは言った。


「……安心した」


少女が固まる。


「は?」


「いや、そこは安心材料だろ」


「何でですか!?」


「何でって、お前」


ユキトは寝ているヴォルカとネムリアをちらっと見る。


「今これ以上ややこしいの増やしたくない」


「増やすとか言わないでください!」


「増えたじゃん」


「増えてません!」


「増えたよ」


少女は本気で悔しそうな顔をした。


たぶん今、主導権を取りたかったのに全部ずらされたんだろう。


ユキトはちょっとだけ面白かった。


でも、そのまま笑って流すと、たぶんこの子はちゃんと下りてこられない。


だから少しだけ真面目に聞く。


「じゃあ何でだよ」


少女が一瞬だけ詰まる。


「何でついてこいって話になる」


「外を見ろ、伴侶を探せ、そこまでは分かった」


「でも相手は俺じゃない。じゃあ何で今うちなんだよ」


そこで少女の顔が、嫌そうに歪んだ。


言いたくない。

でももう逃げ場がない。


後ろでヘレナが、低く鳴く。


完全に「言いなさい」だった。


少女は寝ているヴォルカを見る。


さっきまで暴れていた黒い巨体。

今は静かに眠っているだけなのに、それでも近くにあるだけで怖い。


その怖さを飲み込むみたいにして、少女は言った。


「……お母様が」


そこで一度、少女は寝ているヴォルカを見る。


さっきまで暴れていた黒い巨体。

今は静かに眠っているだけなのに、それでも近くにあるだけで怖い。


少女はその怖さを飲み込むようにして、言った。


「お母様自身も分かったんです」


「これは怒らせたら駄目な相手だって」


「本気でやり合ったら、下手をすると瞬殺されるくらい危ないって」


「だから……しばらく同行させる相手としては、一番安全だって」


フローラが静かにヴォルカを見る。


「正しく評価されていますね」


「私は怖かったです!」


即答だった。


「今も怖いです!」


ユキトは答えなかった。


ただ一度だけ、寝ているヴォルカを見る。


さっきまで暴走寸前だった黒い巨体は、今は嘘みたいに静かだった。


少女はその沈黙をどう受け取ればいいのか分からないまま、寝ているヴォルカを見たまま、さらに絞り出すように言った。


「……しかも」


「しかも?」


「……お母様が」


また止まる。


耳まで赤い。


フローラが少しだけ目を細めた。


「まだあるのですね」


「あるんですけど言いたくないんです!」


ヘレナが鳴く。


逃がさない、という鳴き方だった。


少女は顔を覆いそうになって、それでも何とか耐える。


そして、死ぬほど嫌そうに言った。


「……あれがオスなら、惜しかったのにって」


沈黙。


ユキトは黙った。

フローラも黙った。


少女はその沈黙だけで死ねそうな顔になっていた。


「違いますからね!?」


「私が言ったんじゃありませんからね!?」


「お母様が勝手にそう思っただけですから!」


「私は関係ありませんから!」


「いやでも言ったのはお前だぞ」


「言わされたんです!」


ユキトはヴォルカを見る。


確かに、見た目だけなら圧倒的だ。

強さも格も分かりやすい。

オスだったらどうこうと言い出す気持ちが、理解できなくもないのが微妙に嫌だった。


「ヴォルカ、人気あるな……」


「人気という表現で済ませていい話なんですかこれ!?」


「知らん」


「ひどい!」


少女は本気で真っ赤だった。


恥ずかしさと悔しさで、もう顔が限界だった。


でも、そのおかげで逆にはっきりした。


母親はこの子をただ押しつけたいわけじゃない。

格を見た。

強さを見た。

しばらく預ける相手として問題ないと判断した。

その上で、少しでも世界を見せようとしている。


かなり現実的で、かなり竜らしい打算だった。


ユキトは肩をすくめる。


「なるほどな」


「半分修行で、半分里に帰しづらい事情があって」


「その上で、預け先としてはうちが一番マシって判断か」


少女は小さく唇を尖らせた。


「……そうです」


「もっと嫌そうに言うかと思った」


「嫌ですよ!」


「でもお母様の判断が正しいのも分かるから、余計に嫌なんです!」


「面倒くさいな」


「あなたにだけは言われたくありません!」


ここまで来ると、だいぶこの子の形が見えてきた。


生意気。

負けず嫌い。

プライドが高い。

でも、怖いものはちゃんと怖い。

理屈も分かる。

分かった上で感情がついていかない。


つまりかなり面倒だ。


でも、放っておくともっと面倒なのも分かる。


その上でユキトは、ようやく話の全体を掴んだ。


本来なら、まだ縄張りの中で試験を受ける段階だった。

その先に、外を見る旅も、見聞を広げることも、伴侶を探すこともあった。

なのにこの少女は待てなかった。


退屈で。

むしゃくしゃして。

自分で勝手に“その先”を前倒しして飛び出した。


そして案の定、人間に捕まり、母親に助けに来させた。

そのせいで里に帰りにくくなった。

母親としてもそれはさすがに可哀想だ。

だから少し外へ出して、頭を冷やさせる。

しかも預け先として見るなら、ヴォルカがいるここが一番安全。


ユキトは肩をすくめる。


「完全に自爆じゃねえか」


「分かってますよ!」


即答だった。


「分かってるから余計に帰りづらいんです!」


そこから先は少しだけ声が小さくなった。


「勝手に飛び出して……」


「勝手に捕まって……」


「お母様に助けに来させて……」


「このまま里に戻ったら、顔向けできません」


フローラが静かに頷く。


「それは帰りづらいですね」


「帰りづらいどころじゃありません!」


少女は半分やけくそみたいに言った。


「絶対に言われますよ!」


『あの子、勝手に飛び出して捕まったんですって』って!」


「しかもお母様まで呼びつけて!」


「この状態で戻れって言われた方が、まだ罰として分かりやすいです!」


ヘレナは黙っている。


だがその沈黙は、否定ではなかった。

むしろ全部その通りだと認めている顔だった。


少女はそこで少しだけ声を落とした。


「……だからお母様も」


「さすがに、そのまま里に戻すのは可哀想だって」


「いきなり帰すより、しばらく外を見てこいって……」


ユキトは少しだけ空を見た。


なるほど。


外を知れ。

見聞を広げろ。

将来的には伴侶も探せ。

そのうえで、今すぐ里に帰るのは本人がきつすぎる。


だから少し外へ出して、頭を冷やさせる。


「半分修行で、半分島流しみたいなもんか」


「島流しって言わないでください!」


「違うのか?」


「違わなくはないですけど!」


「だろうな」


少女は本気で悔しそうな顔をした。


でも、その悔しさの中に、少しだけ救われたみたいなものも混じっていた。

全部言ってしまったせいかもしれない。


ユキトはそこで、改めて少女を見た。


「母親の都合は分かった」


「里に帰りにくいのも分かった」


「で、お前は?」


少女が止まる。


「お前自身はどうしたいんだよ」


それはたぶん、予想外の問いだった。


少女は口を開いて、閉じた。


視線が揺れる。


外の世界を見たい。

戻りたくない。

助けられた借りもある。

たぶん、それだけじゃない。


でも、そのどれも今は綺麗に言えない。


顔を見れば分かった。


この子はまだそこをちゃんと言葉にできない。


だから結局、出てきたのはかなり苦しい強がりだった。


「……少し同行してもいいかなって、思っただけです」


「上からだな」


「うるさいですね!」


「元気じゃん」


「元気じゃありません!」


ユキトは思わず少し笑った。


その瞬間、少女はまた悔しそうな顔をした。


たぶん今、笑われたと思ったんだろう。

でも違う。


ああ、まだまだガキだな、と思っただけだ。


ヘレナが、後ろで短く鳴く。


今度は「頭を下げろ」と言っているのが、ユキトにも何となく分かった。


少女の肩が落ちた。


完全に観念した顔だった。


それから、ぎこちなく頭を下げる。


ものすごく嫌そうに。

でも、ちゃんと。


「……お願いします」


小さい声だった。


でもさっきの礼より、ずっと重かった。


助けられた礼じゃない。

自分から頼んだ声だ。


ユキトは少しだけ黙った。


本来なら断りたい。

かなり断りたい。

見た目からして絶対面倒だし、実際もう面倒だ。


しかも今はネムリアのキスで空気が終わってる。

ここにさらに火種を入れたくない。


ただ、途中で放り投げれば今回みたいな目にまた遭うかもしれない。

そうなったらせっかく助けたのに寝覚めが悪い。


だったら手元に置いて管理した方がまだマシだ。


ユキトの結論は、その程度だった。


優しさというより、後始末。

あるいは安全管理。


「……分かった」


少女の肩がぴくっと動く。


「ただし」


「面倒起こしたらその都度考える」


「あと俺は子守じゃないからな」


「雑用くらいはやってもらう」


少女が顔を上げる。


「ざ、雑用!?」


「嫌なら帰るか?」


「帰りません!」


「じゃあ決まり」


「何なんですかその流れは!?」


「合理的だろ」


「全然です!」


ユキトは肩をすくめる。


「とりあえず今のところ、お前は保護付き雑用係候補だ」


「ひどい!」


「せっかく助けたのに途中で放り出すと寝覚めが悪い」


「だから手元で管理する」


「それだけ」


少女は本気で傷ついた顔をした。


「女の子に対してもう少し言い方ってものがありません!?」


ユキトは即答した。


「ない」


「ひどい!」


「気を許してない相手にはこんなもんだ」


「もっとひどい!」


フローラが、そこで初めて少しだけ笑った。


「率直ですね」


「誤解される優しさよりマシだろ」


ユキトがそう言うと、フローラは少しだけ目を細めた。


意味は分かっているんだろう。

変に優しくすれば火種が増える。

だったら最初からドライに線を引く。


今、ユキトは今後の接し方を決めた。


ヘレナはそれを見て、一度だけ低く鳴いた。


礼を言っているようにも、後は任せたと言っているようにも聞こえる鳴き方だった。


そのまま、もう用は済んだとでもいうように翼を広げる。


「帰るの早くない?」


ユキトが思わず言う。


フローラが静かに答える。


「用件は済んだのでしょう」


「割り切ってるなあ……」


ヘレナは娘を一度だけ見た。


心配も、釘刺しも、少しの誇りも混ざった目だった。

でも最後に残った感じは、たぶんこうだ。


親として押し出すところまではやった。

あとはお前が自分でやれ。


そういう親の目だった。


ヘレナはそのまま空へ上がる。

赤い雷をひとすじ残して、山の向こうへ消えていった。


ユキトはその背を見送った。


ああいう目を見ると、少しだけ思う。


ちゃんと愛されてるんだな、と。


厳しいし雑だし、かなり強引だった。

でも娘を見ていた。

礼を言わせた。

事情を説明させた。

頼み事も自分で言わせた。

最後に背中を押して帰った。


ああいうのを見ると、向こうに置いてきた母親のことを少しだけ思い出す。


元気だろうか。


たぶん元気なんだろう。

あの人はそういう人だ。

朝から晩まで働いて、疲れてても平気な顔して、放っておくとずっと誰かのために動いてる。


親父は――


まあ、特に俺のことなんて何も思ってないだろうな。

相変わらずお袋に食わせてもらいながら忙しく遊んでいるんだろうな、くらいだ。


そこは本当にそれ以上でも以下でもなかった。


一瞬だけ考えて、すぐ切る。


もう戻れない。

それに戻りたくない。


だったら考えても仕方ない。


ユキトは視線を前に戻した。


残されたのは、


眠っている竜二体。

転がった兵と王子。

見張りのユキトとフローラ。

そして、新しく増えた生意気を絵にかいたような金髪の少女。


ユキトはしばらく空を見上げてから、ぼそっと言った。


「……何か増えたな」


少女が即座に反応する。


「何か扱いしないでください!」


「元気だな」


「だから元気じゃありません!」


「いや、だいぶ元気だろ」


フローラが小さく笑う。


「にぎやかになりそうですね」


ユキトは、まだ寝ているヴォルカを見た。


起きたら絶対に面倒だ。

ネムリアもたぶん面白がる。

フローラは静かに観察する。

そしてこの新入りは確実に反発する。


……面倒だ。


本当に面倒だ。


でも、その面倒さが少しだけ可笑しかった。


ユキトはもう一度ため息をつく。


「とりあえず、起きるまで待つか」


「え?」


少女が目を丸くする。


「今紹介してもどうせ寝てるし」


「……確かに」


「お前も座っとけ。ふらついてるぞ」


少女は反発しようとして、でも実際ふらついていたので言い返せなかった。


その悔しそうな顔を見て、ユキトは思う。


たぶん、こいつはこれから盛大に空回りするんだろうな、と。


しかもかなりの確率で自爆型だ。


雑用係として便利かは微妙。

でも放っておくともっと面倒だ。

だったら目の届く範囲に置くしかない。


そういう打算だった。


山の上には、まだ静かな風が吹いていた。




挿絵(By みてみん)

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