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19.勇者より厄介だな

山をひとつ、軍勢が囲んでいた。


その光景を見た瞬間、ユキトは思わず口を閉ざした。


多い。


ただ多いというだけではない。

逃がさないための数だった。


夜の山肌に、篝火がいくつも灯っている。

中腹から麓まで、火が取り囲むように散っていた。


点ではなく線。

線ではなく面。


火の位置だけでも分かる。

退路を潰し、包み込み、時間をかけて削るための配置だと一目で分かった。


そして、その火の合間に据えられた兵器。


大型バリスタ。

太い鎖のついた巨大なボーラー。

どれも人を殺すためではなく、空を飛ぶものを叩き落とすための形をしている。


篝火に照らされたその輪郭が、夜の中で余計に不気味だった。


「……本気だな」


ユキトが低く呟く。


ヴォルカは顔を強張らせたまま、包囲網の先――山頂近くを見ていた。


そこには、青白い稲光が時折走っている。


若い雷竜。


岩場の上で翼を震わせ、何かを訴えるように鳴いていた。

羽の一枚が裂けている。

片側の飛膜は焼け焦げたように黒く、うまく畳めてもいない。


飛べない。


それだけで、状況の悪さが分かった。


闇の中で、青白い雷だけが痛々しく目立っている。

隠れることもできず、包囲された山頂で追い詰められているのが遠目にも分かった。


フローラが静かに言う。


「若いですね」


「かなり」


ネムリアがぼんやりと空を見上げたまま答える。


「……まだ、こども」


ユキトがフローラに確認する。


「それでも竜だろ?」


「はい」


フローラは頷いた。


「ですが、若い竜には若い竜の弱さがあります」


ユキトが視線だけ向ける。


フローラは山頂の若い雷竜を見たまま、淡々と続けた。


「竜形態には本来、時間制限があります」


「大人の竜であっても、常にあの姿でいられるわけではありません」


「本来なら数時間で限界に近づきます」


「それに長く維持すればするほど、少しずつ理性が落ちていく」


「特に厄介なのは――」


そこで一度、若い雷竜の傷ついた羽へ目をやる。


「攻撃を受けたり、痛みを負った時です」


「その瞬間に理性が極端に落ちやすい」


ユキトが眉を寄せた。


「暴走するってことか」


「そうです」


フローラは短く答える。


「しかも若い竜は、初めての本格的な竜化訓練で加減を知らない」


「本来なら1時間程度で限界に近づきます」


「ですが、出力が弱い個体ほど、逆に低燃費で長引くことがあります」


ヴォルカがはっとしたように顔を上げる。


「じゃあ、あの子……」


「数日単位で無理やり維持してしまったのでしょう」


フローラはそう言って、小さく息を吐いた。


「その代わり、大人の竜と比べれば力はかなり弱い」


「人間にも、それが見えてしまっている」


ユキトの目が細くなる。


「だから狩りやすい」


「ええ」


フローラは否定しなかった。


「若い。弱い。飛べない。しかも竜化が解ける瞬間を待てば、人間形態で確保できる」


「人間にとっては、これ以上ない獲物です」


その言葉に、ヴォルカの表情が曇る。


「そんなの……」


「ひどすぎます」


ネムリアは相変わらず眠そうな顔をしていたが、その目だけは山の上から外していなかった。


「……おびえてる」


若い雷竜はまた鳴いた。


高く、細く、怯えと苛立ちが混ざった声だった。

夜気の中で、その声だけがやけに遠くまで響く。


本当に子供なんだ、とユキトは思った。


竜だとか雷だとか以前に、あれはまだ一人でどうにもできない子供の鳴き声だった。


だから余計に、目の前の包囲網が胸糞悪かった。


ユキトは兵器の配置をざっと見て、それから三人に視線を戻す。


「正面からは無理だな」


「はい」


フローラが即答する。


「ユキト一人では当然無理ですし、私たちが竜形態で突っ込むのも危険です」


ヴォルカが少し唇を噛んだ。


「私が行けば……」


「駄目です」


フローラはすぐに言った。


「今のあなたが竜形態であの中へ入れば、兵士ごと、若い竜ごと吹き飛ばしかねない」


ヴォルカは反論できなかった。


自分でも分かっているからだ。


怒りと焦りのまま竜化すれば、たぶん止まれない。


ユキトがフローラを見る。


「フローラなら?」


「私も万能ではありません」


「ある程度の損耗には耐えられます」


「ですが、その間にユキトへ何かあれば守れない」


「それに」


そこでフローラは、山を囲む兵たちのさらに奥を見るように目を細めた。


篝火の向こう、闇の奥。

火に照らされない位置に何がいるかまでは見えない。


「見えている戦力だけを基準に、竜形態で踏み込むべきではありません」


「……英雄級がいるかもしれない」


ユキトが言葉を拾う。


「英雄?」


ヴォルカも少しだけ目を瞬かせた。


フローラは頷く。


「勇者とは別です」


「勇者は裁定者。世界の均衡を見る側の存在」


「ですが英雄は違う」


夜風が少し吹いた。


山肌の草が揺れ、遠くの兵の旗が鳴る。

篝火の火が、わずかに傾く。


その中でフローラの声だけが妙に落ち着いていた。


「人間の中には、ごく稀に“人の枠を外れた者”が出ます」


「世の中のバランスを考えているわけではない」


「裁定する義務もない」


「ただ純粋に、強い」


「それだけで国家の切り札になり得る者たちです」


ユキトは小さく舌打ちした。


「勇者より厄介だな」


「場合によっては」


フローラは否定しない。


「勇者は役割で動きます。ですが英雄は違う。個人です」


「善にも悪にもなる」


「だから読めない」


ヴォルカが小さく息を呑む。


「じゃあ、この包囲網の中にそういうのが混じってるかもしれないってことですか……?」


「可能性は低いでしょう」


「ですが、ゼロではない」


フローラの答えは冷静だった。


「私が警戒しているのは兵の数ではありません」


「見えていない切り札です」


「強いからこそ、知らないものに雑に踏み込まない」


その言葉に、ユキトは少しだけ納得した。


フローラが弱気なのではない。

本当に強いからこそ、最悪を考えている。


そういう慎重さだった。


沈黙。


山の上では、若い雷竜がまた鳴いている。

篝火の輪はゆっくりと狭まりつつある。


時間がない。


その時だった。


ネムリアが、珍しく自分から一歩前へ出た。


「……わたしなら」


三人が見る。


ネムリアは眠たげな顔のまま、山一帯を指でなぞった。


「ここ、いったい、ねむらせられる」


一瞬、誰も何も言わなかった。


ユキトが聞き返す。


「どこまで?」


ネムリアの指が、山を丸ごと囲むようにゆっくりと動く。


「……あそこから、こっちまで」


ヴォルカが目を見開く。


「そんなに!?」


ネムリアはこくりと頷いた。


「でも、みんなねる」


「敵も、味方も」


「竜でもねる」


フローラの瞳が少しだけ細くなる。


「私やヴォルカでも?」


「ちかづいたら、ねる」


ネムリアはさらりと言った。


「わたしも、ねる」


「どれくらい」


ユキトの問いに、ネムリアは少しだけ考えてから答える。


「……二時間、三時間」


ユキトは山を見た。


兵。

兵器。

頂上の若い雷竜。

眠りに落ちた包囲網。


十分だ。


「それ採用」


即答だった。


ヴォルカが振り向く。


「いいんですか!?」


「他にあるか?」


「……ないです」


「ならこれで行く」


ユキトはすぐに切り替えた。


「睡眠範囲の外まで移動してから始める」


「俺たちは三人で人間形態のまま山に入る」


「竜化はしない」


「危険すぎるからな」


フローラも頷く。


「妥当です」


ヴォルカはまだ少し不安そうだったが、それでもうなずいた。


「……分かりました」


「若い竜の説得を優先」


「可能なら、そのまま連れ出す」


「王子軍は寝てる間だけ無力化」


ユキトはそこでネムリアを見る。


「問題は俺たちまで寝ることなんだけど」


「その前に、いる」


ネムリアが言った。


「何が?」


「これ」


次の瞬間だった。


ネムリアが急に近づく。


ヴォルカもフローラも、反応が一拍遅れた。

あまりに自然で、ためらいがなかったからだ。


ネムリアはそのままユキトの襟元を掴み、ぐいと引いた。


「え?」


気づいた時には、唇が塞がれていた。


柔らかい感触。

次いで、深い侵入。


「――!?」


ユキトの目が大きく開く。


ネムリアは眠そうな顔のまま、だがまるで呼吸を奪うみたいに深く口づけていた。

舌が絡み、唾液が流れ込む。

抵抗する暇もないまま、数秒では終わらない熱が押しつけられる。


ヴォルカが固まる。


フローラの表情が止まる。


ようやく離れた時、ユキトは本気で咳き込んだ。


「っ、げほっ……な、何!?」


ネムリアはふらりと半歩下がり、ぼんやりと答える。


「加護」


「睡眠、きかない」


ヴォルカの顔が一気に真っ赤になった。


「ネ、ネムリアさん!?」


フローラは静かな声で言った。


「……聞いていませんでしたね」


「何を!?」


「所有権アピールは禁止、という話です」


ネムリアは首を傾げた。


「……ひつようだからした」


理屈としては正しい。


だが、それで済ませていい話でもない。


空気が、ぴしりと張った。


二人の嫉妬心が、今まさに音を立てて起き上がろうとしているのを、ユキトは本能で察した。


まずい。


非常にまずい。


「ま、待て!」


ユキトが慌てて割って入る。


「今それどころじゃないからな!?」


ネムリアは気にもせず、眠そうにまばたいた。


「……へいき」


ユキトは涙目で確認した。


「全部聞いたあとで言うけどさ」


「これ、俺、眠れなくなったりしないよな?」


危険予知能力が、なぜかその一点にだけ嫌な反応を返していた。


ネムリアは少しだけ考える素振りを見せて、


「……たぶん」


と答えた。


「たぶん!?」


ユキトが一瞬だけ泣きそうになる。


その情けない反応で、修羅場は一度止まった。


だが、止まっただけだった。


ヴォルカとフローラは、きっちり覚えてしまったからだ。

ネムリアが、自分たちの決めた線を、何も知らずに平然と踏み越えたことを。


それでも今は、戦場だった。


ユキトは無理やり話を戻す。


「いいか、作戦確認だ」


「ネムリアはここで睡眠」


「俺たちは三人であの若い竜に接触」


「人間形態のまま行く」


「竜化は無し」


「説得して、できるならそのまま連れ出す」


ヴォルカはまだ少し赤い顔のままだったが、なんとか気持ちを切り替えた。


「……分かりました」


フローラも頷く。


「護衛は私が」


「ヴォルカは即応支援」


「ユキトは接触役ですね」


「そういうこと」


ユキトは答える。


空気はまだ少し危うかった。

だが、全員が前を向き直った。


山の上で、若い雷竜がまた鳴く。


夜は深い。

時間は、もうほとんど残っていなかった。

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