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17/37

17.なかなか面白いでしょう?

鍛冶屋を出て、ユキトは安宿へ戻った。


廊下を歩き、いつもの部屋の扉を開ける。


すると、中の空気が少しだけ妙だった。


ヴォルカとフローラが、揃って少し赤い。


何か話していたのは分かる。

しかも、たぶん自分の話だ。


でも、ユキトはそこを掘らなかった。


掘ったらまたややこしいことになる。

そのくらいの勘はある。


「ただいま」


「お、おかえりなさい」


ヴォルカの返事が少し上擦る。


フローラも、いつもの調子を保ってはいるが、どこか微妙に落ち着かない。


ただ、その中でネムリアだけはいつも通りだった。


布団に埋まりながら、


「……すやぁ」


とても平和そうに寝ている。


それを見て、ユキトは少しだけ肩の力を抜いた。


「……癒やしだな」


「どういう意味ですか?」


ヴォルカが聞き返す。


「いや、なんかこう」


ユキトは寝ているネムリアを見ながら言う。


「一人だけ全然変わってなくて安心する」


ネムリアは答えない。


答えないが、寝息だけはやたら安定していた。


その普段通りが、今は少しだけありがたかった。


そして


静かだ。


静かすぎる。


さっきまで街中ではあれだけ騒がれていたのに、今は逆に音がなさすぎて落ち着かない。


「……よし」


ユキトが急に言った。


ヴォルカがびくっとする。


「は、はい?」


「今夜は大会優勝の祝いだ!」


唐突だった。


ユキトはそのまま勢いで続ける。


「街一番の高級宿に切り替える!」


一瞬、部屋が静まる。


ヴォルカが目を瞬かせた。


「え?」


「またですか?」


フローラが静かに言う。


「まただ」


ユキトは即答した。


「こういう時は景気よく行くんだよ」


「明らかに空気に耐えられなくなっただけに見えますが」


「それもある」


「認めるのですね」


「認める」


ユキトは開き直った。


「この妙な気まずさを吹き飛ばすには、もう金の力しかない」


ヴォルカが困ったように笑う。


「ひどい理屈です……」


「でも、ちょっと分かります」


フローラはため息をついたが、その口元にはほんの少しだけ笑みがあった。


「優勝賞金を得た途端、使い方が雑になりましたね」


「こういうのは勢いが大事なんだよ」


その時、布団の中からもぞっと動く影があった。


ネムリアが半分だけ顔を出して、眠そうに呟く。


「……ねる……」


「寝るために高級宿行くぞ」


「……いく」


「そこは来るんだな」


ネムリアはこくりと小さく頷くと、また布団に顔を埋めた。


ヴォルカが少しだけ肩の力を抜く。


「本当に行くんですね……」


「行く」


ユキトはきっぱり言った。


「今日は優勝した日だ」


「彼女もできた」


「だからいい宿に泊まる」


その言葉に、ヴォルカとフローラの耳がまた少しだけ赤くなる。


ユキトはその反応を見て、ああやっぱり気まずいなと思った。


だから余計に、今夜は豪遊で押し流すしかない。


「よし、決まり」


ユキトは立ち上がる。


「荷物まとめろ」


「ネムリアはそのままでいい」


「……はこばれる……」


「そういうことだ」


それからしばらくして、四人は再びグランデルの通りに出た。


夜の街は、昼間よりもさらに賑わっていた。

鍛冶屋の灯り。

酒場の喧騒。

屋台の明かり。

大会の興奮を引きずった人々の熱。


その真ん中を、また四人で歩く。


さっきと違うのは、安宿へ戻る時よりも少しだけ足取りが軽いことだった。


宿はすぐに見つかった。


街で一番高い、とユキトが胸を張って言っただけあって、入口からして違う。

磨かれた床。

やたら丁寧な従業員。

花の香り。

安宿には存在しない種類の静けさ。


ユキトはその空気だけで少し満足した。


「いいな……」


「まだ何もしてませんよ」


フローラが冷静に言う。


「でももういい」


「単純ですね」


「分かりやすいとも言う」


案内された部屋は広かった。


前に無理して泊まった高級宿と同じくらい、いやそれ以上かもしれない。

食卓があり、風呂があり、寝台が広い。

しかも窓から見えるグランデルの夜景が妙に綺麗だった。


ヴォルカは入った瞬間、また落ち着かなくなった。


「ひ、広い……」


「安心する」


ユキトは真顔で言う。


「人間は広い部屋と柔らかい寝台でだいたい元気になる」


「雑です」


「でも少し分かります」


ヴォルカも正直に頷いた。


ネムリアは、もはや感動する余裕すらなく、最初に見つけた寝台へ一直線だった。


「……ここ」


「まだ寝るな」


「……ためしね」


「何のためしだよ」


夕食は、無駄に豪華だった。


大きな肉料理。

焼きたての魚。

濃いスープ。

香りのいいパン。

果物。

甘い菓子。


テーブルに並べられるたびに、ユキトの機嫌が少しずつ目に見えて回復していく。


「すご」


「優勝賞金って偉大だな」


「お金って素晴らしい」


フローラが少し呆れたように言う。


「感想があまりにも俗っぽいですね」


「でも嬉しいだろ」


「それは否定しません」


ヴォルカは最初こそ遠慮がちだったが、一口食べた瞬間に表情が緩んだ。


「……おいしい」


「だろ?」


「はい……」


その声が、少しだけ幸せそうだった。


ネムリアは眠そうな顔のまま、だが食事だけはしっかり進めている。


「……これ、すき」


「寝ぼけてても分かるんだな」


「おいしいのは、わかる……」


豪遊は、たしかに効いた。


さっきまで部屋に漂っていた微妙な気まずさが、少しずつ食事と一緒に薄まっていく。


完全には消えない。


視線が合うと少しだけ逸れるし、ふとした言葉で頬が熱くなる瞬間もある。


でも、それすら今は悪くなかった。


食後、風呂へ入る流れになった時も、やはり少し空気が揺れた。


ユキトは咳払いして言う。


「こ、今回も俺は覗いたりしないからな」


ヴォルカが即座に言い返す。


「今回“も”って何ですか!?」


「いや、言葉の綾だよ!」


「そういうところです!」


フローラがくすっと笑う。


「安心してください、ヴォルカ」


「仮に来ても、返り討ちにしますから」


ヴォルカが一瞬だけ真顔になり、逆に少し焦ったようにユキトを見る。


「……ユキトさん、本当に死にますよ?」


「やっぱ行かない方がいいな……」


ぼそっと呟くと、フローラが小さく笑い、ヴォルカも呆れたように息をついた。


さっきまでの妙な熱はまだ残っているのに、こういうやり取りができるくらいには、空気が少し戻ってきていた。


ネムリアは半分寝ながら服の裾を引っ張っていた。


「……おふろ……」


「はいはい、行きましょうか」


フローラが立ち上がり、ヴォルカもまだ少し頬を赤くしたまま続く。


結局、三人で風呂へ行くことになった。


残されたユキトは、一人きりになった部屋でようやく深く息を吐く。


静かだ。


窓の外からは、まだ街の音が聞こえる。

でも、この部屋の中は穏やかだった。


ユキトは柔らかい椅子に沈みながら、ぼんやり天井を見る。


今日は、いろいろありすぎた。


優勝した。

告白した。

彼女ができた。

親父に礼を言った。

金を返された。

どれも現実感が薄い。


でも、今こうして一人で静かにしていると、じわじわと胸に落ちてくる。


嬉しい。


本当に、嬉しいのだ。


少し経ってから、三人が戻ってきた。


頬が少し温まっていて、髪に湯気の名残がある。


ヴォルカはどこか気恥ずかしそうで、フローラはいつもより柔らかく、ネムリアは今にも寝そうだった。


その姿を見た瞬間、ユキトは思った。


ああ、幸せだな、と。


派手じゃない。


完璧でもない。


気まずさだってまだある。


でも、悪くない。


むしろ、その不器用さまで含めて、今はとても大事なものに思えた。


「……なんですか、その顔」


フローラが聞く。


「いや」


ユキトは少しだけ笑った。


「何事もなかったみたいで、いいなって思っただけ」


ヴォルカが瞬きをする。


ネムリアは寝台に倒れ込みながら呟く。


「……なにもなくない」


「いっぱいあった」


「そうだけどさ」


ユキトは肩をすくめた。


「今くらいは、そういう気分でもいいだろ」


誰も否定しなかった。


その夜だけは、本当にそうだった。


全部が片付いたわけじゃない。

面倒ごとも、たぶんまだ来る。

きっとすぐに、また騒がしくなる。


それでも。


飯がうまくて。

風呂があって。

寝台が柔らかくて。

隣に三人がいて。


そのことが、たまらなく満ち足りていた。


グランデルの夜は更けていく。


高級宿の窓の外では、鍛冶都市の灯りがまだ消えない。

その光の下で、四人はようやく、少しだけ肩の力を抜いていた。








同じ頃。


グランデルの街は、まだ大会の熱を引きずっていた。


鍛冶場の火は遅くまで落ちず、酒場の笑い声は路地の奥まで流れてくる。

優勝者の名。

賭けの結果。

そして何より、表彰式で起きたあの告白騒ぎ。


街中が、その話で持ちきりだった。


だが。


その騒がしさも、少し外れた路地まで来れば、遠い。


石壁に囲まれた細い裏通り。

酒場の裏口近く。

生ぬるい夜気の中、そこだけが妙に静かだった。


その静けさの中に、二人の男がいた。


一人は、ローブの男。


いつものように、口元にだけ軽い笑みを浮かべている。

だが、その目は少しも笑っていない。

何かを売る時の顔だった。


もう一人は、若い男。


上等な外套。

仕立ての良い服。

磨き上げられた靴。

立っているだけで、自分がこの場の中心であると信じて疑わない空気。


第三王子、アルベルト。


その少し後ろに、護衛が二人。

彼らは黙っているが、いつでも剣に手をかけられる距離を保っていた。


アルベルトは、ローブの男を見ても特に警戒を強める様子はなかった。

自分が脅かされる側に立つことを、最初から想定していない人間の立ち方だった。


「で?」


最初に口を開いたのはアルベルトだった。


声には明らかな退屈が混じっている。


「わざわざ人払いまでさせておいて、くだらぬ見世物の続きを聞かせるつもりではあるまいな」


ローブの男は肩をすくめた。


「まさか」


「僕はいつだって、有益な話しかしませんよ」


「信用ならんな」


「だからこそ、買う価値がある」


その返しに、護衛の一人がわずかに顔をしかめた。

だがアルベルトは手を上げて制する。


ローブの男は、少し楽しそうに続けた。


「今日の優勝者、ユキト」


「戦闘力1」


アルベルトの眉が、ぴくりと動く。


「……1?」


「ええ」


「だが優勝した」


「それだけでも十分、奇妙でしょう?」


ローブの男は壁から背を離し、一歩だけ前へ出た。


「しかも、あの男は美しい女を三人連れている」


「今日の茶番で街中が盛り上がっているのは、殿下もご存知の通りです」


アルベルトは鼻で笑う。


「三人まとめて愛を囁いた愚か者の話か」


「見苦しい」


「その程度なら、くだらん」


「問題は中身です」


ローブの男の声が、ほんの少しだけ低くなる。


アルベルトは黙った。


ローブの男はそこで、間を作った。

食いつく瞬間を待つように。


「彼女たちは、ただの女ではない」


アルベルトの目が細くなる。


「……言いたいことをはっきり言え」


ローブの男は薄く笑った。


「竜です」


短い沈黙。


路地の向こうから、遅れて酒場の笑い声が流れてくる。

だが、この場の空気だけが、そこから切り離されたみたいに冷えた。


護衛たちの気配が一段強くなる。

アルベルトだけは、すぐには言葉を返さなかった。


その反応を見て、ローブの男は内心で小さく笑う。


やはり、食いついた。


「少なくとも、僕はそう見ています」


「一人は火炎」

「一人は神聖」

「一人は、ひどく眠たげですが……あれもまた、ただ者ではない」


「そして、その三人が戦闘力1の男の側にいる」


アルベルトはゆっくりと口を開く。


「証拠は?」


「ありません」


ローブの男は即答した。


「ですが、殿下が興味を持つには十分でしょう?」


アルベルトは黙ったままだった。


その沈黙は拒絶ではない。

値踏みだ。

ローブの男には分かった。


だから、そこへさらに言葉を置く。


「こういう曖昧な話は、下手に追っても形になりません」


「ですが、立場のある方が触れれば話は早い」


「相手が何を隠しているのか」

「手元にあるものが本物なのか」

「抱えている価値に見合う器かどうか」


「そのあたりは、殿下ならすぐ分かる」


アルベルトの目が細くなる。


だがそれは不快ではなく、値打ちを測る側の目だった。


ローブの男は、そこで一歩引くように肩をすくめた。


「僕のような人間が遠くから探るより――」


一拍置く。


「殿下のように、正面から価値を量れる立場の方が確実です」


アルベルトは短く鼻を鳴らした。


「当然だ」


その声には、疑いより先に自負があった。


「鼠みたいに嗅ぎ回るより、正面から見れば済む話だ」


ローブの男は薄く笑う。


「ええ。僕もそう思います」


アルベルトは数秒、黙ったままだった。


その視線は、ローブの男ではなく、もっと遠くを見ている。

頭の中で何かを組み立てている目だった。


「……面白い」


その一言には、好奇心よりも前に所有欲が滲んでいた。


珍しいもの。

価値あるもの。

強いもの。


そういうものは、最終的に自分のもとへ集められて当然。

そう信じている人間の目だった。


「ただの成り上がりが、竜を三体も?」


アルベルトが低く言う。


「ずいぶんと不相応だな」


「僕もそう思います」


ローブの男は平然と相槌を打つ。


「戦闘力1で優勝する男です」


「不相応なものを抱え込むのが好きなのかもしれませんね」


アルベルトはそこで、ほんのわずかに笑った。


「……なるほど」


「力も、名声も、女も、全部いっぺんに手に入れたつもりでいるのか」


「滑稽だな」


ローブの男は何も言わない。


アルベルトの視線が、少しだけ冷たくなる。


「しかも竜か」


「価値としては申し分ない」


その声の奥にあるのは、明らかな欲だった。


だが、その欲はあくまで王族らしい言葉で包まれている。


「王家に置けば、見栄えもいい」


「珍しさだけでなく、力としても使える」


それに


「……見目も悪くない」


その一言だけで、ローブの男には十分だった。


本音が見えた。


アルベルトは下品に舌なめずりするような男ではない。

そのくらいの品位と教育はある。


だが、その奥にある欲は、そういう方向にも向いている。


竜としての価値。

女としての価値。

両方を“王家に置くもの”として欲している。


上品ぶった語り口のまま、それを当然のように考えている。


その在り方が、一番気持ち悪かった。


ローブの男は少しだけ肩をすくめる。


「殿下は、美しいものをお好みのようだ」


「当然だ」


アルベルトは即答した。


「価値あるものは、相応しい場所に置かれるべきだ」


「美しいものも、珍しいものも、強いものもな」


「戦闘力1の男の手元にある方がおかしい」


その言葉には、悪意すら希薄だった。


本気でそう思っている。

だからこそ、どうしようもなく質が悪い。


ローブの男は、相手の底が見えたことに満足しながら、本題へ戻る。


「で、その情報の値段ですが」


アルベルトがようやく視線を戻した。


「高いですよ」


「当然だろう」


ローブの男は指を二本立てた。


アルベルトが眉をひそめる。


「強気だな」


「竜の情報ですから」


「安売りする理由がない」


しばらく見つめ合ったあと、アルベルトは後ろの護衛へ目配せした。


小袋が投げられる。


ローブの男は片手で受け取り、重みを確かめる。


金貨の触れ合う乾いた音がした。


「結構」


そこで、ローブの男はもう一つだけ言葉を足した。


「それと、忠告を一つ」


アルベルトの眉がわずかに動く。


「忠告?」


「もし接触するなら、甘く見ない方がいい」


ローブの男は淡々と言った。


「戦闘力1だから弱い、で済む相手じゃない」


「弱いからこそ、危険を避ける嗅覚だけは異様に鋭い」


「中途半端に圧をかければ、すぐ逃げる」


「雑に囲えば、もっと厄介な形で消える」


「そういう男です」


アルベルトは鼻で笑った。


「逃げる?」


「王家相手にか?」


「ええ」


ローブの男はあっさり頷く。


「むしろ、そういう相手だからこそでしょうね」


アルベルトの口元が、ほんのわずかに歪んだ。


愉快そうにも、苛立っているようにも見える笑みだった。


「……面白い」


「逃げられるものなら、逃げてみろ」


その声音には、完全に獲物を見つけた側の熱があった。


ローブの男は内心で、それを確認する。


十分だ。


これでいい。


王子は動く。

しかも、自分が獲る側だと信じたまま。


そうなれば、ユキトも必ず反応を見せる。


逃げるか。

拒むか。

噛みつくか。

それとも、もっと別のやり方で煙に巻くか。


どれでもいい。

反応さえ見えれば、情報になる。


アルベルトは踵を返しかけて、最後に一度だけ振り返った。


「もしその情報が嘘なら」


「その時は、売ったお前から順に責任を取らせる」


ローブの男は軽く頭を下げる。


「怖いですね」


「ですが、ご安心を」


「きっと殿下は、気に入ると思いますよ」


アルベルトは答えなかった。


そのまま護衛を連れて、夜の路地を去っていく。


足音が遠ざかる。


やがて静けさが戻る。


ローブの男は手の中の小袋をもう一度見た。


ちゃり、と乾いた音。


口元に、薄い笑みが浮かぶ。


「……やっぱり高く売れた」


それから、少しだけ空を見上げる。


高級宿では、今ごろ優勝者とその恋人たちが祝勝気分に浸っているのだろう。


戦闘力1の優勝者。

三人の竜。

そして、世間知らずな第三王子アルベルト。


火種としては、十分すぎる。


「さて、今度はどんな反応を示しますかね?」


ローブの男は小袋を懐へしまうと夜の闇へ消えた。

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