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16/33

16.耐えられますか?

大会の熱は、終わってもすぐには冷めなかった。


闘技場を出ても、歓声の名残みたいなざわめきが街中に残っている。

鉄の街グランデルはもともと騒がしい町だが、その日はいつも以上だった。


優勝者の名を叫ぶ声。

賭けに勝った負けたで揉める酔っ払い。

屋台で聞こえる下品な笑い声。


その全部の真ん中に、ユキトたちはいた。


正確には――ユキトと、その両脇と後ろにいる三人が、嫌でも目立っていた。


「おい、見ろよ」


「いたいた、あれだろ?」


「優勝したハーレム野郎」


「いや、もうハーレムっていうか何なんだあれ」


「しかも三人に告白して三人とも通したんだろ?」


「意味わかんねえ」


「まだ付き合ってなかった方が驚きだわ」


そんな声が、隠しもしないまま飛んでくる。


ヴォルカは耳まで赤くして俯き、フローラはいつもの穏やかな顔で聞き流し、ネムリアは半分眠そうにユキトの袖を掴んで歩いていた。


ユキトだけが、妙に遠い目をしていた。


「……まだ現実感ないな」


「どの部分ですか?」


フローラが静かに聞く。


「優勝したこと? 告白したこと? それとも三人とも返事したこと?」


「全部」


ユキトが即答する。


ヴォルカがさらに顔を赤くした。


「そ、その話題を街中でしないでください……!」


「でも事実だし」


「事実でもです!」


ネムリアがぼんやり言った。


「……わたし、彼女」


「お前はそういう時だけ起きるな」


「……大事なこと」


ユキトは頭をかいた。


優勝した。

告白した。

契約も切った。


しかも、その上で三人とも自分を選んだ。


本来なら浮かれてもおかしくない。

でも、妙に足元が落ち着かなかった。


嬉しい。

ものすごく嬉しい。


その一方で、急に全部が変わってしまったみたいで、少しだけ怖い。


そんな曖昧な気持ちのまま、四人はグランデルの通りを歩いていた。


町の反応は派手だった。


祝福もあった。


「優勝おめでとう!」


「次の試合も賭けたかったぜ!」


「いやもう次ないだろ!」


そんな明るい声も飛んでくる。


だが、もちろんそれだけではない。


「女に囲まれていい気なもんだな」


「どうせ契約だの何だので囲ってたんだろ」


「優勝者様はやることが違うねえ」


下品な笑いと、嫉妬混じりの悪意も増えていた。


ユキトはそれを聞き流していたが、ヴォルカは少しだけ傷ついた顔をすることがあった。


フローラはそんな時、静かにヴォルカの歩調を合わせる。


「気にする必要はありません」


「でも……」


「理解できないものを、雑に笑って処理しているだけです」


「フローラ様……」


「それに」


フローラは少しだけ、ほんの少しだけ微笑んだ。


「私たちは、ちゃんと選びましたから」


その言葉に、ヴォルカの頬がまた熱を持つ。


ネムリアは横で、何も気にしていない顔だった。


「……うるさいひと、ねむくなる」


「お前の解決法はだいたいそれだな」


ユキトはそこで、ふいに足を止めた。


「……悪い」


三人が見る。


ユキトは少しだけ視線を逸らしたまま言った。


「親父のところ行ってくる」


「え?」


ヴォルカが目を瞬かせる。


「盾の代金、まだちゃんと払ってないし」


ユキトは腕のガントレット盾を軽く叩いた。


「ついでにメンテも頼む」


言っていることは間違っていない。


間違ってはいないのだが、タイミングがあまりにも露骨だった。


フローラが静かに聞く。


「今ですか?」


「今」


「逃げますね?」


「逃げてない」


「逃げています」


ネムリアがぼんやりと言う。


「……にげる顔」


「お前ら容赦ないな」


ユキトは頭をかきながら、わずかに気まずそうに笑った。


「と、とにかく先に宿に戻っててくれ」


「あとで合流する」


それだけ言うと、本当にそのまま人混みの中へ消えていった。


ヴォルカはしばらくその背中を見送っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……逃げましたね」


「逃げましたね」


フローラも頷く。


ネムリアは眠そうなまま言った。


「……でも、ちょっとわかる」


ヴォルカが苦笑する。


「私たちも正直、少しほっとしています……」


それは本音だった。


さっきまでの告白と返事と大騒ぎ。


受け入れたのは自分たちだ。

後悔もしていない。


けれど、気持ちが追いついているかと言われれば、それはまた別だった。


部屋に戻ると、ようやく静かになった。


外ではまだ祭りの余韻みたいな騒ぎが続いている。

けれど、この安宿の一室まで来れば、それもだいぶ遠い。


ネムリアは布団に入った瞬間、もう半分寝ていた。


「……ねる」


「早いですね……」


ヴォルカが苦笑する。


フローラは椅子に腰を下ろし、しばらく黙っていた。

ヴォルカも落ち着かずに立っていたが、やがて観念したように向かいへ座る。


沈黙。


なんとなく、さっきまでのことをまだ誰も整理しきれていなかった。


最初に口を開いたのは、フローラだった。


「先に確認しておきたいことがあります」


ヴォルカがびくりとする。


「は、はい……」


フローラは静かに言った。


「“彼女”という言葉です」


ヴォルカが瞬きをする。


「彼女……ですか」


「はい」


フローラは頷いた。


「人間は、あの言葉をもっと軽く使うことがあるのでしょう」


「好きだから付き合う。合わなければ別れる。そういう段階があるのかもしれません」


「ですが、竜にとっては違います」


ヴォルカの表情が少し引き締まる。


そこは、彼女にも分かっていた。


フローラは続ける。


「竜には、人間の言うような意味での“交際”という概念が、ほとんどありません」


「誰かを恋人として受け入れるのは、その相手を伴侶として迎えるのに近い」


「軽い好意や、一時の熱で踏み込む領域ではありません」


ヴォルカは耳まで赤くなりながらも、しっかり頷いた。


「……はい」


「私も、そういう意味で受けました」


「軽い気持ちじゃありません」


フローラはその返答を聞いて、小さく息を吐いた。


「よかった」


「そこに認識の差があると、後で面倒ですから」


ヴォルカは膝の上で指を絡める。


「でも……相手はユキトです」


「人間です」


「私たちより、ずっと先に死にます」


部屋の空気が、少しだけ重くなった。


フローラは否定しなかった。


「ええ」


「竜が他種族を受け入れるというのは、そこまで含めて受け入れるということです」


「相手の寿命が自分より短いこと」


「いつか先に見送るかもしれないこと」


「それでも、自分の想いはそのあとも消えないこと」


ヴォルカが息を呑む。


フローラの声は穏やかなままだった。

穏やかなまま、容赦がなかった。


「竜は、一度番と認めた相手を簡単には手放せません」


「たいていは、生きている間ずっと想い続けます」


「相手が死んだ後もです」


ヴォルカの指先に、少しだけ力が入る。


知っていた。

そんなことは、昔から分かっていた。


でも、改めて言葉にされると重かった。


フローラは静かに言う。


「だから確認したかったのです」


「あなたが受けたのは、人間の言う軽い恋人ではなく、竜の側の伴侶認定に近いものだと理解しているのかどうか」


ヴォルカはしばらく黙っていた。


ユキトの顔が浮かぶ。

馬鹿で、軽くて、どうしようもなくて。

でも、放っておけない男。


その相手が、自分より先に老いるかもしれない。

先に死ぬかもしれない。

そして自分は、そのあとも想いを引きずる。


本来なら、恐ろしい話だった。


でも。


「……はい」


ヴォルカは小さく、けれどはっきり頷いた。


「分かって、受けました」


「怖くないわけじゃありません」


「でも、それでも受けました」


その声は震えていたが、逃げてはいなかった。


フローラは静かに受け止める。


「そうですか」


それから少しだけ目を細めた。


「私も同じです」


「好きだから、では済まない」


「受け入れるなら、その先まで引き受ける覚悟が要る」


ヴォルカは熱くなった頬を少し伏せる。


自分は勢いで頷いたわけではない。

全部整理できていたわけではないけれど、軽い気持ちでもなかった。


だから今、改めて言葉にされても逃げずに頷ける。


しばらく沈黙が落ちたあと、フローラが続けた。


「だからこそ、決めておくべきことがあります」


ヴォルカが顔を上げる。


「決めておくこと……?」


「余計な争い方はしない、ということです」


フローラは穏やかなまま聞いた。


「あなた、私がユキトに抱きついて勝ち誇った顔をしたら耐えられますか?」


ヴォルカは即答した。


「それは戦争です」


言ってから、自分で口を押さえる。


フローラは小さく頷いた。


「でしょう?」


「なら、やめましょう」


「そういう形の所有権アピールは、お互いに」


ヴォルカは真っ赤なまま、それでも真面目に頷く。


「……はい」


「私もされたら無理です」


「同じですね」


フローラの口元に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだ。


それから一拍置いて、さらに続けた。


「もう一つ」


ヴォルカが少し緊張した顔になる。


「は、はい」


「これ以上、恋人を増やしたくありません」


ヴォルカは今度もすぐ頷いた。


「……嫌です」


かなり本音だった。


フローラも静かに言う。


「私もです」


「ただの恋人が一人増える、では済みませんから」


そこで少しだけ間を置いて、フローラは淡々と続けた。


「普段の言動があれなので分かりにくいですが、ユキトは黙っていればかなり目を引く顔をしています」


ヴォルカが一瞬だけ固まる。


「……それは、はい」


否定できなかった。


悔しいが事実だった。

ユキトはかなり整っている。

黙って立っているだけなら、もっと素直に人の目を引く顔だ。


「普通の性格で、普通の喋り方をしていれば、今よりずっと面倒だったでしょうね」


「それは……そう思います」


ヴォルカは少しだけ視線を逸らした。


「あの人、喋るとだいぶ駄目になりますけど」


「ええ。かなり台無しになります」


フローラは即答した。


「ですが、台無しにしきれていないから困るのです」


その重みは、もうヴォルカにも分かっていた。


また少し沈黙が落ちる。


それから、ヴォルカが恐る恐る口を開いた。


「……あの、フローラさん」


「なんでしょう」


「その、もう一つ……気になってることがあって」


フローラが静かに視線を向ける。


ヴォルカは少し言い淀んでから、意を決したように言った。


「ユキトが前に言ってたじゃないですか」


「封印された爆乳ドラゴン娘しか興味がない、って……」


言った瞬間、また顔が熱くなる。

自分で口にしていても、ひどい言葉だと思う。


フローラは一拍だけ黙った。


それから、静かに答えた。


「ええ。あれは本当でしょう」


ヴォルカが固まる。


「……え?」


「冗談ではありません」


フローラの声は落ち着いていた。

落ち着いているのに、妙に逃げ場がなかった。


「ユキトは、あの種の話を雑に言うことはあります」


「ですが、あれに限っては、少なくとも根の部分では本気です」


ヴォルカの頬が引きつる。


「ほ、本気なんですか……?」


「ええ」


「封印されている」


「竜である」


「そして胸が大きい」


「その三つに強く反応するのは、たぶん事実です」


ヴォルカはしばらく言葉を失った。


何か言おうとして、でも何も出てこない。


ようやく出たのは、ひどく情けない声だった。


「……最低では?」


フローラは少しだけ考えた。


「かなり最低ですね」


「否定しないんですね!?」


「できません」


あまりにも即答だった。


ヴォルカは両手で顔を覆う。


「うぅ……」


耳まで赤い。

恥ずかしいのか、怒っているのか、自分でもよく分からない。


「私たち、確かに最初はみんな封印されてましたけど……」


「そんな、条件みたいに言われると嫌なんですけど……」


「なんかこう……たまたま刺さったみたいで……!」


フローラはその反応を静かに見ていた。


そして、穏やかに言う。


「嫌なのは分かります」


「私も、初めてあれを聞いた時はどうかと思いました」


「どうかと思ったで済むんですか……」


「済んでいません」


フローラは淡々としていた。


「普通に腹は立ちました」


「立ったんですね……」


「立ちます」


少し間を置いてから、フローラは続ける。


「ですが、それでも受け入れるしかありません」


ヴォルカが顔を上げる。


「受け入れる……?」


「はい」


フローラはまっすぐ言った。


「性癖は、理屈で矯正できるものではありません」


「こちらが嫌がったところで、根の部分まで変わるわけではない」


「そして厄介なことに、ユキトはたぶんそれを恥だとも思っていません」


ヴォルカは言葉に詰まる。


それは、ものすごく想像できた。


「むしろ開き直ってる気がします……」


「ええ。かなり」


「最悪です……」


「最悪ですね」


二人の意見は珍しく完全に一致していた。


それでもフローラは、そこで話を終わらせなかった。


「ですが、同時に一つ分かることもあります」


ヴォルカがちら、と指の隙間から見る。


フローラは静かに続けた。


「ユキトは確かに、そういう属性に強く惹かれるのでしょう」


「ですが、それだけで伴侶を決められるほど単純ではありません」


「本当にそれだけなら、もっと気楽に、もっと雑に相手を選んでいたはずです」


ヴォルカは少しだけ手を下ろす。


「……それは」


「はい」


フローラは頷いた。


「刺さりやすい条件ではある」


「でも、決定打はそれだけではない」


「そういうことです」


ヴォルカはしばらく黙っていた。


嫌だ。

正直かなり嫌だ。

よりによって、そんなところが本気なのかと思う。


だが同時に、胸のどこかで分かってもいた。


ユキトは、そこだけで相手を選ぶほど軽くはない。

むしろ変なところは軽いくせに、肝心なところほど変に重い。


だから余計に腹が立つ。


「……嫌ですけど」


ヴォルカはぽつりと言った。


「すごく嫌ですけど」


「たぶん、本当にそうなんだろうなっていうのは……分かります」


フローラは静かに頷く。


「ええ」


「私も、納得はしていません」


「ですが、理解はしています」


ヴォルカは口を尖らせる。


「納得はしてないんですね」


「していません」


「よかった……」


思わず本音が漏れた。


フローラの口元が、少しだけ緩む。


「ですが、そこを含めて受け入れると決めたのも、私たちです」


その言葉に、ヴォルカは少しだけ黙る。


そこは、逃げられなかった。


性格も。

面倒くささも。

軽薄さも。

変なこだわりも。

最悪な性癖も。


綺麗なところだけではない相手を、それでも自分は選んだのだ。


「……はい」


小さく答える。


「そこは、もう……仕方ないです」


「嫌ですけど」


「かなり嫌ですけど」


「でも、受け入れます」


フローラはその言葉を聞いて、静かに息を吐いた。


「それで十分です」


そこで二人は、ほぼ同時にネムリアを見た。


ネムリアは布団の中で、


「……すやぁ」


完全に寝ていた。


ヴォルカが困ったように呟く。


「聞いてませんね……」


「聞いていませんね」


フローラも頷く。


「一応、この確認はいずれ必要ですが」


「今は無理そうです」


二人で少しだけ、息を吐く。


ネムリアがこの手の話をどこまで自覚しているのか、正直よく分からない。

ただ、少なくとも今の話を聞いていないことだけは確かだった。


そして今の確認は、さっきまでよりずっと重い意味を持っている。


ただの恋人同士の線引きではない。

寿命差も、死別も、その後まで残る想いも分かった上で、それでも受け入れた者同士の確認だ。


そのまま、しばらく無言が落ちた。


さっきまでの会話の余韻が、部屋の空気にまだ残っている。


マウントは禁止。

恋人は増やしたくない。

そして、自分たちは軽い気持ちでユキトを受け入れたわけではない。


それに加えて、どうしようもないことも一つ、はっきりしてしまった。

ユキトが口にしていた「封印された爆乳ドラゴン娘しか興味がない」というあの最低な性癖は、冗談ではなく本当だった。


できれば流してしまいたかった。

できれば聞かなかったことにしたかった。

だが、それも含めて受け入れると決めたのは自分たちだ。


互いに確認できたことは多い。

けれど、その分だけ、口にしてしまった重みもあった。


ヴォルカは膝の上で指を組み、少しだけ視線を落とす。

フローラは窓の方へ目を向けていたが、その横顔は普段よりわずかに固い。


何か言うには、少しだけ気まずい。

でも、黙っているのも落ち着かない。


そんな妙な空気が、部屋の中に漂っていた。


一方その頃


ユキトは鍛冶屋の前に立っていた。


さっきまでの熱狂と、あの妙な気まずさから離れたことで、ようやく息がつけた気がする。


「……助かった」


誰にともなく呟いて、店の扉を開ける。


奥では親父が、いつものように腕を組んでいた。

だがユキトの顔を見るなり、その眉がわずかに上がる。


「来たか、優勝者」


「来たよ」


ユキトはガントレット盾をカウンターの上に置いた。


「とりあえずメンテ頼む」


「派手に使ったからな」


親父は盾を持ち上げ、表面を撫でるように指でなぞる。

縁の歪み、金具の緩み、衝撃蓄積鉱石の具合。

一目見て状態を把握したらしく、短く鼻を鳴らした。


「……まあ、ひどくはない」


「ちゃんと加減したな」


「壊したら弁償って言われてたし」


「言ったな」


親父は盾を持って奥へ引っ込んだ。


しばらくして、金属を叩く音と、何かを締め直す音が聞こえてくる。

ユキトはカウンターに肘をつきながら、その音をぼんやり聞いていた。


不思議と、こういう時間は落ち着く。


恋人だの告白だの、そういうややこしいものがない。

ただ、道具の音だけがしている。


やがて親父が戻ってきて、盾をどんと置いた。


「終わりだ」


「早いな」


「この程度で一晩預かるほど暇じゃねえ」


ユキトは盾を受け取って、腕に通してみる。


締め直された留め具。

馴染む重み。

金属の感触。


問題ない。


「うん。いい感じ」


「当然だ」


そこでユキトは、一度懐を探った。


「じゃあ代金」


親父が片眉を上げる。


「本当に払うのか」


「払うよ」


ユキトは小袋をカウンターに置いた。


「借り物のままにしとくのも嫌だし」


「それに」


少しだけ笑う。


「出るつもりなかったけど、大会出たよ」


親父が鼻を鳴らす。


「見りゃ分かる」


「いや、そうじゃなくて」


ユキトは盾を軽く叩いた。


「親父のおかげだ」


「ありがとうな」


親父はそこで、ほんの一瞬だけ黙った。


戦闘力1の馬鹿が、本当に優勝した。

それだけでも相当おかしい。


だが、それ以上にあの表彰式がひどすぎて、そっちの印象まで残っている。


親父は腕を組み直し、わざとらしくため息をついた。


「まさか戦闘力1で優勝するとは思わなかったぞ」


「俺もだよ」


「それ以上に、あの告白は何だ」


「ひどすぎだろ」


ユキトが真顔で頷く。


「それ、俺も思う」


親父が吹き出した。


「言った本人が言うな!」


「いや、でもひどいだろ」


「三人まとめてって何だ」


「しかも通るか普通」


「通ったんだから仕方ないだろ」


「若いっていいなあ」


親父がしみじみ言う。


「俺も三十年若けりゃいけたか?」


「無理じゃない?」


「即答かよ」


二人で少し笑った。


それは、男同士の軽い会話だった。

気を使わなくていい。

余計なことを考えなくていい。

そのことが、ユキトには妙にありがたかった。


笑いが少し落ち着いたあと、親父はカウンターの上の金を見た。


それから何も言わず、それをユキトの方へ押し戻す。


「……ん?」


「餞別だ」


親父はそっけなく言った。


「金はいらねえ。持ってけ」


ユキトは一瞬だけ目を丸くする。


「ありがとうな!」


それから、あっさりと小袋を掴んだ。


「大切にするわ!」


親父が少しだけ呆れた顔になる。


「普通、もう少し遠慮するだろうが」


「くれるって言ったじゃん」


「言ったが」


「じゃあもらう」


「……お前らしいな」


親父はそう言って、わずかに笑った。


ユキトも笑う。


「だろ?」


そう言って笑ったあと、ユキトは盾をもう一度軽く叩いた。


乾いた金属音が、小さく店の中に響く。


親父はそれを聞きながら、ふっと鼻を鳴らした。


「……行くのか」


短い問いだった。


だが、何を聞かれているのかはすぐ分かった。


大会が終わった。

告白も終わった。

この街に留まる理由は、もうあまり多くない。


ユキトは少しだけ肩をすくめる。


「まあ、そのうち」


「すぐじゃないけどな」


「そうか」


親父はそれ以上は聞かなかった。

どこへ行くのか。

誰と行くのか。

何を目指すのか。


そういうことを、わざわざ口にしない人だった。


その代わり、しばらく黙ったあとで、ぽつりと言う。


「死ぬなよ」


あまりにも簡単で。

あまりにも不器用で。


だからこそ、少しだけ胸に残った。


ユキトは一瞬だけ目を細めて、それからいつもの調子で笑う。


「努力はする」


「絶対とは言わねえんだな」


「そういう見栄張ると死ぬからな、俺」


「違いねえ」


また少しだけ笑いが落ちる。


それで十分だった。


ユキトは盾の留め具を確かめると、くるりと背を向けて扉の方へ向かう。


「じゃ、世話になった」


「ああ」


「また壊しかけたら持ってくる」


「壊す前に持ってこい」


「善処します」


扉に手をかける。


そのまま出ていこうとして、ふと足を止めた。


振り返らないまま言う。


「――優勝できたの、割と本気でこの盾のおかげだから」


「マジで助かった」


今度はさっきより少しだけ静かな声だった。


親父はしばらく何も言わない。


やがて、ぶっきらぼうに返す。


「道具は使う奴次第だ」


「お前が勝ったんなら、お前がちゃんと使っただけだ」


ユキトはそこで少しだけ目を瞬かせて、それから小さく笑った。


「そっか」


扉が開く。


外の空気が流れ込んでくる。


街はまだ、闘技大会の熱をどこかに残していた。

遠くで笑い声がして、誰かが優勝者の名前を話しているのが聞こえる。


でもその喧騒も、今は少し遠かった。


ユキトは片手を上げる。


「じゃあな、親父」


「おう」


短いやり取りだけを残して、ユキトは店を出た。


扉が閉まる。


店の中に静けさが戻る。


親父はしばらくその扉を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


それから誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。


「……戦闘力1で優勝、か」


呆れたような声だった。


だが、その口元にはわずかに笑みが残っていた。


「ほんと、訳の分からねえ馬鹿だ」


金床の横に戻り、次の仕事の道具を手に取る。


いつも通りの鍛冶屋の時間が、また始まる。


けれどほんの少しだけ。

今日は悪くない日だった。






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