15.こっちだって初めてなんだよ
闘技場の熱は、試合が終わっても消えなかった。
勝者が決まったあとも、観客席のざわめきは収まらない。
優勝。
それも、最初は「ハーレム野郎」と笑われていた男が勝ったのだ。
歓声と、どよめきと、まだ信じきれないざらついた空気。
その全部が混ざったまま、表彰式の舞台が整えられていく。
ユキトは控えの通路で、一人、静かに息を吐いた。
まだ腕が痺れている。
ガントレット盾を打ち込んだ右腕は熱を持ち、全身もだるい。
決勝の最後の感触が、まだ骨の中に残っていた。
勝った。
その実感は遅れてやってきた。
「……勝ったんだな」
ぽつりと零す。
その声に、後ろから足音が近づいてくる。
ヴォルカだった。
顔はまだ少し赤く、でもさっきまでの緊張よりずっと柔らかい。
「はい」
短い返事。
それだけなのに、どこか嬉しそうだった。
その隣にフローラが立つ。
表情は穏やかだが、その瞳の奥にはさっき加護を与えた時の熱が、まだ少し残っている。
ネムリアはいつもの通り半分眠そうだったが、今日は珍しくちゃんと起きていた。
「……かったね」
「うん」
ユキトは三人を見る。
ヴォルカ。
フローラ。
ネムリア。
今日ここまで来れたのは、一人ではなかった。
それは嫌になるくらい分かっている。
でも、そこに甘えていただけの自分でも、もうない。
今なら。
今の自分なら。
少なくとも、最初の頃の自分よりはずっとマシだと、そう思えた。
表彰式の呼び出しがかかる。
「優勝者、ユキト選手! 表彰台へ!」
闘技場の中央へ出ると、観客席から一斉に視線が降ってきた。
最初のような罵声だけではない。
驚き。
興奮。
好奇。
まだ少しだけ残る反感。
全部だ。
「おいおい、マジで優勝したのかよ」
「レイナまで倒したぞ、あいつ」
「何なんだあの盾」
「いやそれより、やっぱ女三人連れてんのかよ……」
「試合は本物だったな」
「でもあの面子はやっぱおかしいだろ」
ユキトは表彰台の一段高い場所へ立つ。
金属のトロフィーのようなものと、賞金袋が手渡される。
司会役の男が満面の笑みで言った。
「新星現る、ですね! まさかここまで勝ち上がるとは思いませんでした!」
「俺も」
観客席が少し笑う。
司会が続ける。
「優勝者として、何か一言お願いします!」
歓声が上がる。
観客はたぶん、熱い言葉を期待していた。
勝利の宣言とか、今後の目標とか、強敵への敬意とか。
ユキトはしばらく黙って、会場を見渡した。
思ったより、たくさんの顔が見える。
鍛冶屋の親父は腕を組んでいる。
レイナも、観客席の端から静かにこちらを見ていた。
そして一番見たかった三人は、舞台のすぐ近くにいた。
ヴォルカ。
フローラ。
ネムリア。
その姿を見た瞬間、ユキトはふっと息を吐いた。
「……俺、最初はこの大会、出る気なかったんだよ」
会場が少し静かになる。
「目立つの嫌だし。面倒だし。危ないし」
観客席のあちこちで、小さな笑いが起こる。
「でも出た」
「出て、よかったと思ってる」
ユキトはそこで少しだけ言葉を切った。
「勝てたのは、たぶん俺一人の力じゃない」
その言葉に、観客の視線が自然と三人へ向いた。
美女三人。
ずっと一緒にいた連れ。
ざわざわと、また空気が動く。
「だからその前に、やることがある」
ユキトは表情を引き締めた。
三人の方へ、はっきり顔を向ける。
「ヴォルカ」
「フローラ」
「ネムリア」
名前を呼ばれた三人が、それぞれわずかに息を止めた。
ユキトは言った。
「俺は今、この場で契約を破棄する」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
会場の音が消えたように静かになった。
ヴォルカの目が大きく開く。
「え……?」
フローラの瞳も、わずかに揺れた。
ネムリアがゆっくりと首を傾げる。
「……けいやく」
次の瞬間。
観客席が爆発した。
「はあ!?」
「契約って何だよ!」
「奴隷か!?」
「おいおいおい、どういうことだ!」
「女を契約で縛ってたのかよ!?」
「最低じゃねえか!」
空気が一気に濁る。
軽蔑と嫌悪が、目に見える形で広がっていく。
司会役ですら、一瞬言葉を失っていた。
ヴォルカは顔色を変えた。
「ユキトさん……!」
この反応になることくらい、ユキトにも分かっていた。
分かっていて、言った。
胸の奥が少しだけ痛む。
でも、それでいいと思った。
ユキトは騒ぎの中で、はっきりと言葉を続ける。
「勘違いされても仕方ないってのは分かってる」
「でも、これだけは先に終わらせたい」
会場のざわめきはまだ消えない。
それでも、少しずつユキトの声が通り始める。
「契約があるままだと意味がない」
「それじゃ、俺が選ばせてるみたいだから嫌なんだよ」
その声は、最初の頃の軽口とは違っていた。
不器用で。
でも真っ直ぐだった。
ユキトは三人を見る。
「俺の側にいる理由が、契約のせいだったら嫌だ」
「お前らには、お前らの意思でいてほしい」
ヴォルカの喉が小さく震える。
フローラは、何も言えずにユキトを見つめていた。
ネムリアだけが、少し遅れてその意味を掴む。
「……自由にするの?」
「そうだよ」
「それで、えらんでってこと?」
「そういうこと」
そのやり取りに、会場がまたざわつく。
さっきまでの軽蔑とは少し違う。
戸惑いだ。
ユキトはそこで、ようやく本題へ進んだ。
「その上で言う」
一度、深く息を吸う。
観客も。
三人も。
誰もが次の言葉を待っていた。
ユキトはまずヴォルカを見た。
気弱で。
優しくて。
自分よりずっと強いくせに、ずっと自分を守ろうとしてくれた竜。
次にフローラを見る。
穏やかで。
慈愛に満ちていて。
それでも本気で怒ると誰より怖くて、今日、自分に命を押しつけてきた竜。
最後にネムリアを見る。
眠そうで。
気ままで。
何を考えているのか分かりづらいくせに、時々一番大事なことだけ見抜いてしまう竜。
それぞれ違う。
全然違う。
でも、みんな好きだった。
ユキトは口を開く。
「俺は、お前らが好きだ」
観客席がまた揺れる。
だが今度は、誰も途中で茶化さなかった。
ユキトは続ける。
「最初はたぶん、もっと雑だった」
「欲しいとか、触りたいとか、そういうので見てたと思う」
ヴォルカが真っ赤になる。
フローラが目を細める。
ネムリアはぼんやり聞いている。
「でも今は違う」
「雑に触りたくない」
「軽く扱いたくない」
「ちゃんと好きだ」
その言葉は、会場全体へというより、完全に三人へ向けられていた。
「三人まとめてとか、ふざけてるって思われても仕方ない」
「でも本気だ」
そして、ユキトは堂々と言った。
「ヴォルカ」
「フローラ」
「ネムリア」
「俺の彼女になってほしい」
数秒。
会場は完全に止まった。
そして次の瞬間、今までで一番大きなどよめきが闘技場を揺らした。
「三人同時に!?」
「はあああ!?」
「そっちかよ!!」
「いや待て、まだ付き合ってなかったのか!?」
「そっちの方が驚きだわ!」
「ハーレムじゃなくて片想いだったのかよ!!」
「優勝者コメントで何やってんだこいつ!!」
鍛冶屋の親父が腕を組んだまま吠える。
「そこで言うのかお前ェ!!」
レイナは観客席で片手で顔を覆った。
「……マジかよ」
司会は完全に処理落ちしていた。
表彰式の進行が死んでいる。
当のユキトは、言い切ってからようやく少しだけ恥ずかしくなってきた。
だが、もう遅い。
ヴォルカは顔を真っ赤にして固まっていた。
「え……」
「え、え、え……!?」
完全に処理できていない。
肩がわなわな震えている。
目も泳いでいる。
今にも煙を吹きそうだった。
フローラは、一瞬だけ本当に珍しく目を見開いた。
その後、静かに息を吐く。
笑っているわけではない。
でも、その表情にはたしかに熱があった。
「……大胆ですね」
小さく呟く。
けれど、その頬にはごく薄く赤みが差していた。
ネムリアは少し遅れて意味を飲み込んだらしい。
「……ん」
「……それ、つまり」
数秒考えてから、ぽつりと聞く。
「……いっしょにいて、いいってこと?」
ユキトは少しだけ力を抜いて答える。
「できれば、ずっとな」
ネムリアはそれを聞いて、いつもの眠たげな顔のまま、でも少しだけユキトに近づいた。
「……なら、いい」
ヴォルカが限界みたいな声を出す。
「よ、よくないですぅ!!」
「どっちだよ」
「今その場で言うことじゃないです!!」
「それはそうかも」
フローラが小さく笑った。
「返事は、今でなくてもよろしいのですか?」
ユキトは三人を見て、それから観客席の大騒ぎを見渡した。
「今じゃなくていい」
「でも俺は本気だ」
その言葉は、ようやく静かに落ちた。
ヴォルカは胸元を押さえて俯く。
フローラはまっすぐユキトを見つめる。
ネムリアはそのままユキトの袖を軽く掴んだ。
観客席ではまだ騒ぎが続いていた。
「まだ付き合ってなかったのかよ!!」
「優勝よりそっちがでけえ!!」
「大会の締めが告白って何だよ!」
「しかも三人同時ってどういう神経だ!!」
「いやでも契約切ってから言うのは本気っぽいぞ……」
「それはそれで重いんだよ!」
表彰式は、完全に壊れていた。
だがユキトは、不思議と少しだけすっきりしていた。
勝った。
言った。
契約も切った。
ここから先は、もう自分の手を離れている。
だからユキトは、肩の力を抜いて言った。
「返事は今じゃなくていい」
「ちゃんと考えてくれれば、それでいい」
その言葉に、ヴォルカがはっと顔を上げる。
フローラは数秒、黙ってユキトを見ていた。
その瞳は静かだった。
だが、その静けさの奥で、確かに熱が揺れていた。
契約は切られた。
自由になった。
選ぶかどうかは、自分たち次第。
それはフローラにも分かっていた。
分かっていたからこそ――逆に、もう待つ理由がなかった。
フローラは一歩前に出る。
観客席のざわめきが、少しだけ弱まる。
彼女はユキトをまっすぐ見て、静かに言った。
「分かりました」
ユキトが少し目を瞬く。
フローラは穏やかな声音のまま続ける。
「彼女になりましょう」
一瞬。
会場が、また止まった。
ユキト
「……え?」
観客
「は?」
ヴォルカ
「え?」
ネムリア
「……ん」
フローラは表情を崩さない。
「今さら迷う理由がありません」
「あなたは私たちを自由にした上で、それでも選んでほしいと言った」
「なら、私は私の意志で答えます」
声は穏やかだった。
けれど、その中に揺るがないものがある。
「あなたの彼女になります」
「だから――」
そこで、ほんの少しだけ目を細める。
柔らかい笑み。
だが、その奥にあるのは、確かに独占欲だった。
「他の方に譲るつもりはありません」
会場が爆発した。
「うおおおおお!?」
「早い早い早い!!」
「一番乗りかよ!!」
「優しい顔して強ぇ!!」
ユキトは本気で固まっていた。
「え、ちょ、待っ――」
その横で、ヴォルカの思考が止まっていた。
フローラの言葉が、頭の中で一拍遅れて意味になる。
彼女になる。
譲るつもりはない。
つまり。
取られる。
その瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
嫌だ。
その感情が、理屈より先に飛び出した。
ヴォルカは顔を真っ赤にしたまま、半ば反射で叫んだ。
「だ、だめです!!」
全員の視線がヴォルカに集まる。
ヴォルカは自分でも何を言ったのか一瞬わからなかった。
でも、もう止まらなかった。
「よ、よくないです!!」
「取られちゃうの、嫌です!!」
言ってから、自分で真っ赤になる。
でも、それでも続けた。
「わ、私も……!」
声が震える。
足も少し震えている。
それでも、ユキトを見る目だけは逸れなかった。
「私も、彼女になります!!」
「なりますって何だよ」とユキトは思ったが、口に出す余裕はなかった。
観客席は完全にお祭りだった。
「増えたあああ!!」
「二人目早い!!」
「取られちゃうって言ったぞ今!!」
「かわいすぎるだろ!!」
ヴォルカはもう耳まで真っ赤だった。
「わ、私は……」
「ずっと守る側のつもりでした」
「でも、気づいたら違ってて……」
「ユキトさんが前に出るたび、怖かったです」
「でも……でも、それでも、かっこいいって思っちゃって……」
最後はもうほとんど泣きそうだった。
「だから……私も、隣にいたいです」
その言葉は、フローラのように落ち着いてはいなかった。
けれど、だからこそ本音だった。
そして。
ネムリアだけが、少し遅れて状況を飲み込んでいた。
「……ん」
「……ふたりとも、なるの?」
誰にともなく聞く。
フローラが静かに頷き、ヴォルカは真っ赤な顔のままこくこくと頷く。
ネムリアはぼんやりとユキトを見る。
いつもの眠たげな目。
でも、その奥でちゃんと考えていた。
契約がなくなった。
自由になった。
それでも選ぶか、という話。
ネムリアは少しだけ首を傾げる。
「……わたしも」
そして、とてもネムリアらしい声で言った。
「いっしょがいい」
静かな一言だった。
けれど、それは誰よりも素直だった。
「ねるのも」
「おんぶも」
「ごはんも」
「ずっと、いっしょがいい」
そこまで言って、少しだけ間を置く。
それから、ユキトの袖をちょこんと掴んだ。
「だから、わたしも彼女になる」
会場が三度、揺れた。
「三人目えええええ!?」
「マジかよ!!」
「全員OKしたぞ!!」
「伝説か!?」
「優勝よりこっちが本番だった!!」
鍛冶屋の親父が頭を抱えた。
「何なんだこの大会の締めは!!」
レイナは観客席で深く息を吐きながら、でも少しだけ笑っていた。
「……やりやがった」
司会はもう完全に進行を諦めている。
当のユキトは、しばらく本当に何も言えなかった。
告白した。
自由にした。
選んでほしいと言った。
でもまさか、本当に。
この場で。
三人とも。
そこまで来るとは思っていなかった。
「……え」
間の抜けた声しか出ない。
フローラが少しだけ微笑む。
「何ですか、その反応は」
ヴォルカはまだ真っ赤なままだったが、今さら引けなかった。
「こ、告白したのはそっちです!」
ネムリアは袖を掴んだまま言う。
「……ことわると、おもってた?」
ユキトはようやく、ぎこちなく笑った。
「いや……」
「ちょっとだけ」
「最低ですね」
フローラが即答する。
「ひどいです……!」
ヴォルカも言う。
ネムリアはぼんやりと付け足した。
「……ばか」
「お前ら急に辛辣だな」
でも、その言葉さえ嬉しかった。
ユキトは三人を見た。
ヴォルカ。
フローラ。
ネムリア。
自由になった上で。
ちゃんと自分の意思で。
それでも選んでくれた。
胸の奥が、熱かった。
「……そっか」
小さく呟く。
それから今度は、ちゃんと笑った。
「じゃあ改めてよろしく」
観客席から一斉に声が飛ぶ。
「軽いな!!」
「そこはもっと何か言えよ!!」
「優勝者コメントより下手か!!」
ユキトはようやくそちらを見て、少しだけ肩をすくめた。
「うるさいな」
「こっちだって初めてなんだよ」
その言葉に、また会場が笑いと歓声に包まれる。
闘技場の空は青かった。
騒がしくて。
めちゃくちゃで。
でも、間違いなく最高だった。




