14.なんだあのハーレム
大会当日。
鉄の街グランデルは、朝から熱気に包まれていた。
鍛冶場の炉とは違う。
人の熱だ。
街路には屋台が並び、酒場の前ではもう昼前から酔っている連中がいる。
闘技場へ向かう人波は途切れず、石畳のあちこちで今日の勝敗予想が飛び交っていた。
ユキトたちは、その流れに紛れて闘技場へ向かっていた。
ヴォルカは少し落ち着かない顔で、周囲を気にしている。
フローラは静かに歩き、ネムリアは当然のように眠そうだった。
「……人が多いですね」
ヴォルカが小さく言う。
「大会だからな」
「それにしても、見られている気がします」
「気のせいじゃないな」
実際、かなり見られていた。
理由は単純だ。
ユキトの両脇には、息を呑むほどの美女が二人。
後ろには、眠そうだがやはり目を引く美少女が一人。
しかも、その中心にいるのが、どう見ても頼りなさそうな男。
目立たないはずがなかった。
観客席へ向かう途中、あちこちから声が飛ぶ。
「おい見ろよ、あれ出場者か?」
「なんだあのハーレム」
「大会舐めてんのか?」
「女連れて観光気分かよ」
「場違いだろ」
「帰れ帰れ!」
ヴォルカがびくりと肩を揺らした。
「ひどい……」
ユキトは面倒そうに耳をほじる真似をする。
「大会前の客って元気だな」
「気にしないんですか?」
「多少はムカつくけど、今さらだろ」
フローラが静かに周囲を見た。
「見た目だけで判断するのは、人も竜も変わりませんね」
ネムリアがぼそっと呟く。
「……うるさい」
「お前は寝てろ」
「寝る……」
だが、ユキトは内心で少しだけ助かっていた。
注目はされている。
けれど、それは“美女三人を連れた男”としてだ。
竜を連れていることは、まだ知られていない。
あのローブの男が、どこにどこまで売ったかは分からない。
だが少なくとも、ここで公然と話題にはなっていない。
それだけで十分だった。
闘技場の控え通路は、思ったより静かだった。
石造りの壁。
武器の手入れをする音。
息を整える音。
時々、遠くから観客の歓声が響いてくる。
ユキトは壁に背を預け、新しい盾に手を置いた。
重みは、もうほとんど違和感になっていない。
最初はあれだけ振り回された。
今でも完璧ではない。
だが、少なくとも使える。
二週間前の自分とは違う。
そう思える程度には。
ほんの少しだけ息を吐いて、ユキトは盾の縁を軽く撫でた。
その仕草には、前のような戸惑いがない。
ヴォルカが、少し離れたところからそんな姿を見ていた。
まだ、全部が分かるわけではない。
どうしてこの人は、ここまで無理をするのか。
どうして危険な方を選ぶのか。
怖くないはずがない。
痛くないはずもない。
それでも前に出る。
最近は、少しだけ分かる気がしていた。
この人は、ただ格好をつけたいわけじゃない。
強く見られたいだけでもない。
弱いまま終わるのが、嫌なのだ。
守られるだけでいる自分を、たぶん誰より嫌っている。
情けないまま、何もできずにいる自分を、許せないのだ。
だからしがみつく。
痛くても。
怖くても。
格好悪くても。
その不器用さを、ヴォルカはもう知っていた。
知っているのに。
今日は、少しだけ違って見えた。
前よりちゃんと立っている。
前よりちゃんと、自分の足で前に出ている。
そのことが、なぜだか少し嬉しかった。
ヴォルカは小さく瞬きをする。
嬉しい。
そう思った瞬間、自分の胸の奥がふわりと揺れた気がした。
守りたいと思っていたはずだった。
危なっかしくて、放っておけなくて。
自分が前に立たなければと思っていたはずだった。
でも、今はそれだけでは足りなかった。
この人が前に進めたことが、自分のことみたいに嬉しい。
傷つけば嫌だと思う。
無茶をすれば腹が立つのに、目を離せない。
気づけば、見ている。
さっきからずっと、見ている。
――どうして、こんなに気になるんだろう。
ヴォルカはそこで、そっと息を呑んだ。
その時だった。
係員が名を呼ぶ。
「一回戦、入場準備!」
ユキトが顔を上げる。
「行くか」
いつもの軽い声だった。
大げさでもなく、気負いすぎてもいない。
けれど、その何でもない一言に、ヴォルカの心臓が変に跳ねた。
「……はい」
返事が少しだけ遅れた。
自分でも分かる。
今のはおかしかった。
ユキトが一瞬だけ不思議そうにこちらを見る。
その視線が向いただけで、胸の奥がまた落ち着かなくなる。
ヴォルカは慌てて顔を逸らした。
なんでもないふりをして、いつも通りに歩き出す。
けれど、少しだけ足元が落ち着かない。
さっきまでと同じはずなのに、同じようにできない。
自分が、自分ではないみたいだった。
フローラはそんなヴォルカの横顔を見ていたが、何も言わなかった。
ただ、ほんのわずかに目を細める。
言葉にしなくても分かる。
ヴォルカの中で、何かがまた一歩だけ進んだのだと。
ユキトは盾を軽く持ち直し、そのまま入場口へ向かう。
フローラは静かに頷いた。
「ご武運を」
ネムリアが、ぼんやりと手を上げる。
「……たぶん勝つ」
「適当だな」
短く返して、ユキトは闘技場へ出た。
歓声。
そして、それ以上に、野次。
「ハーレム野郎だ!」
「女連れて何しに来た!」
「帰っていちゃついてろ!」
「大会を舐めるなよ!」
砂混じりの闘技場の土が、陽に焼けて白く光っている。
ユキトは眩しそうに目を細め、それから肩をすくめた。
「思ったより嫌われてるな……」
対戦相手は、長槍を持った若い男だった。
体格は良い。
いかにも正統派の新人、という感じだ。
男もユキトを見て、露骨に眉をひそめた。
「女連れで大会かよ」
「たまたまだよ」
「たまたまでそんな面子になるか」
「俺もそう思う」
開始の合図。
相手はまっすぐ来た。
槍の間合いは長い。
一撃は重くないが、速い。
ユキトはすぐには踏み込まない。
軽い突きは、盾に溜まらない。
無理に受けても意味がない。
半歩引く。
流す。
また来る。
今度は横薙ぎ。
そこへ盾を合わせる。
ガン。
軽い。
まだだ。
観客席から罵声が飛ぶ。
「守ってばっかじゃ勝てねえぞ!」
「女にいいとこ見せたいだけか!」
ユキトは聞き流した。
焦らない。
溜める価値のある一撃だけを待つ。
苛立った相手が、踏み込みを深くする。
両手で槍を握り、強引に押し込んできた。
その瞬間。
重い。
「――今だ」
ユキトは受け流しながら前に出た。
盾に溜まった衝撃を、半身で打ち返す。
パンチみたいに。
体重を乗せて。
ドゴッ。
槍使いの体が浮く。
観客席のざわめきが止まる。
相手が転がったところへ、ユキトは追わない。
ただ盾を構え直す。
立ち上がろうとした相手は、数秒遅れ、そのまま膝をついた。
審判の声が響く。
「勝者、ユキト!」
歓声より先に、どよめきが広がった。
「……今の何だ?」
「盾で殴ったのか?」
「いや、あの威力おかしいだろ」
「ハーレム野郎、ただの色物じゃねえのか」
ユキトは息を吐き、控え通路へ戻る。
ヴォルカが小さく息をつく。
「よかった……」
「まだ一回戦だぞ」
「それでもです」
フローラは静かに言う。
「きちんと落ち着いていましたね」
ネムリアがうとうとしたまま言った。
「……どん、ってした」
「説明が雑なんだよ」
二回戦。
相手は双剣使いだった。
速い。
軽い。
連撃主体。
今度は新盾の弱点が露骨に出た。
細かい打撃では溜まらない。
防御範囲も狭い。
ユキトは何度も肩や脇腹を掠められた。
「ちっ……」
観客が沸く。
「ほら見ろ!」
「速い相手にはついていけてねえ!」
「やっぱ色物だろ!」
罵声は多い。
だが今度は、その中に少しだけ期待も混じっていた。
ユキトがどうするのかを、皆が見ていた。
双剣使いが、速さで押し切ろうとする。
ユキトは盾で全部は追わない。
むしろ足を使い、相手の進路を切る。
軽い攻撃は捨てる。
本命の踏み込みだけを読む。
数度の被弾の後、相手が決めに来た瞬間。
深く踏み込んだ一撃だけを、重ねて受けた。
ガンッ。
そこで初めて、盾が重くなる。
「もらった」
ユキトは低く言って、すぐに踏み込んだ。
今度は散らない。
脇腹に打ち込み、相手の呼吸をまとめて奪う。
二回戦も、勝った。
帰ってきたユキトの肩には血がにじんでいた。
ヴォルカが顔色を変える。
「け、怪我……!」
フローラが静かに回復を重ねる。
「軽い相手は、やはり厄介ですね」
「親父の説明が正しかった」
ユキトは苦笑する。
「万能じゃないな、これ」
「だからこそ、面白いのでは?」
フローラの声音は穏やかだった。
準決勝。
相手の名を聞いた瞬間、観客席がざわついた。
「レイナだ!」
「本命じゃねえか!」
「終わったな、ハーレム野郎!」
通路の向こうから現れたレイナは、初めて会った時と同じように無駄がなかった。
だが、ユキトを見る目だけは少し違っていた。
前よりも、ずっと真剣だった。
レイナはユキトの盾を見る。
構えを見る。
足運びを見る。
そして、試合前に短く言った。
「……驚いた」
ユキトが片眉を上げる。
「悪い意味で?」
「いや」
レイナは首を振る。
「初めて見た時は、ただの無謀な馬鹿だと思った」
「今も半分はそうだろ」
「半分で済ませるな」
だが、レイナは続けた。
「ここまで来るとは思ってなかった」
「成長が異常だ」
それは、お世辞ではなかった。
本気の驚きだった。
ユキトは少しだけ笑う。
「そりゃどうも」
試合が始まる。
レイナは速い。
正確だ。
そして容赦がない。
だが、以前の裏庭とは違う。
ユキトはもう、初撃で首を許さなかった。
盾の角度。
足の置き方。
視線の残し方。
全部が前より洗練されている。
観客席の空気が変わる。
「防いでる……」
「前にレイナとやったことあんのか?」
「いや、でも今の……新人の動きじゃねえぞ」
レイナの剣が首を狙う。
ユキトは半歩遅らせて流す。
完全ではない。
それでも、前みたいに“終わり”の形には入らない。
レイナの目が細くなる。
「そこか」
「そこだよ」
ユキトは答える。
「前に教えられたからな」
レイナの口元が、ほんの少しだけ上がった。
嬉しそうではない。
だが、認めた顔だった。
それでも。
押される。
経験も技術も、まだ相手が上だった。
最後は、レイナの踏み込みに対して、ユキトがあえて重い一撃を受けた。
首ではなく、肩口へ。
大きく溜める。
その痛みに耐えながら、踏み込み返す。
全身の体重を乗せた打撃。
ドゴッ!!
レイナの剣が弾かれ、体勢が崩れる。
そこへユキトの肩がぶつかり、二人まとめて転がる。
ぎりぎりの差だった。
審判が手を上げる。
「勝者、ユキト!」
観客席が爆発した。
ざわめきと歓声が一気に混ざる。
レイナは土の上で息を吐き、それから笑った。
悔しそうに。
でも、どこか晴れやかに。
「……本当に来やがったな」
ユキトが息を切らしながら返す。
「何が」
「私の見えてるところまでだよ」
それは、最大級の賛辞だった。
決勝。
相手は、大剣使いだった。
体格もでかい。
動きは派手ではない。
だが、一撃の重さが見るからにおかしい。
観客席の空気も違った。
「本命だ」
「あれは新人じゃ止められねえ」
「ハーレム野郎、ここまでだな」
ユキトも、それは分かっていた。
構えを見ただけで分かる。
重い。
速い。
そして、当たれば終わる。
今の自分の弱点。
即死級への対策がない。
それが、ここで形になって立っていた。
試合開始。
大剣が振り下ろされる。
ユキトは受けない。
流す。
かわす。
だが、風圧だけで肌が粟立つ。
二撃目。
三撃目。
重い。
盾が反応する。
溜まる。
だが、その前に死ぬかもしれない。
観客席の歓声が遠い。
控え席で、フローラは静かにその試合を見ていた。
ヴォルカは、手を握りしめている。
ネムリアは珍しく起きていた。
フローラだけが、分かっていた。
今の一撃は危ない。
次はもっと危ない。
このままでは、そのうち本当に間に合わない。
竜の加護。
まだ、与えていない。
与えるべきか。
ずっと迷っていた。
友として。
戦友として。
あるいは――男として。
どの感情で与えるのか、自分でも決めきれていなかった。
でも。
次の一撃で、ユキトが死ぬかもしれないと分かった瞬間。
迷いは消えた。
「駄目です」
フローラが、誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「それは駄目」
その直後、大剣使いが踏み込んだ。
今までで最も深い一撃。
避けても間に合わない。
流しても足りない。
受けても、首が持っていかれる。
ユキト自身も分かっていた。
「っ――!」
その瞬間。
フローラの指先が、胸元で静かに結ばれる。
花びらみたいな微光が、ほんの一瞬だけ走った。
誰にも見えないほど薄い。
けれど確かに、ユキトの体へ流れ込む。
「受け取りなさい」
静かな声。
でもそれは、命令だった。
次の瞬間、大剣がユキトに叩き込まれる。
観客席が息を呑む。
まともに入った。
終わった。
誰もがそう思った。
だが。
血が飛ぶはずの場所で、淡い光が一瞬だけ揺れた。
崩れたはずの体が、止まる。
千切れかけた呼吸が、戻る。
ユキト自身が一番驚いていた。
「……は?」
痛みはある。
でも、終わっていない。
生きている。
フローラは小さく息を吐いた。
その指先が、わずかに震えている。
ヴォルカが隣で目を見開く。
「今……」
ネムリアがぼそっと言う。
「……あ、それ」
大剣使いが目を見張る。
ユキトは訳も分からないまま、それでも前に出た。
死ななかった。
なら、今だ。
溜めていた衝撃を、全身で打ち返す。
ドゴッ!!
渾身の一撃が相手の胴へ入る。
大剣使いの巨体が大きく揺れ、そのまま膝をつく。
さらに一歩。
もう一度。
体重を乗せて、叩き込む。
観客席が総立ちになる。
審判の声が、どよめきの中で響いた。
「勝者――ユキト!!」
歓声が爆発した。
野次は、もう消えていた。
ユキトはその場に膝をついた。
息が荒い。
頭も痛い。
何が起きたのか、正直よく分からない。
控えへ戻ると同時に、ユキトは真っ先にフローラを見た。
「……何した」
フローラは逃げなかった。
静かに、まっすぐ見返す。
「加護を与えました」
ヴォルカが息を呑む。
ネムリアがぼんやりと頷く。
「……やっぱり」
ユキトは顔をしかめる。
「勝手に?」
「勝手にです」
「なんで」
フローラはほんの少しだけ目を伏せ、それから言った。
「あなたが死ぬ方が困るからです」
短い言葉だった。
でも、そこに嘘はなかった。
「文句があるなら、生きてから聞きます」
ユキトは数秒、何も言えなかった。
怒るべきなのか。
礼を言うべきなのか。
分からない。
ただ一つだけ分かるのは、フローラが本気でそれをしたということだった。
それだけの重さが、その声にはあった。
ヴォルカはそんな二人を見て、胸の奥が少しだけざわつくのを感じていた。
でもそれ以上に、ユキトが勝ったことが嬉しかった。
ネムリアは小さく言う。
「……かったね」
ユキトはようやく息を吐いて、苦笑した。
「……勝ったな」
グランデル闘技大会。
優勝。
そして、その瞬間から。
何かがまた、少しだけ変わり始めていた。




