13.どこにでも噂になるな
北鉱山の依頼を終えてからの二週間は、早かった。
グランデルの朝はいつも騒がしい。
鍛冶場の音で目が覚めて、煤っぽい空気の中で飯を食い、ギルドへ向かう。
依頼を受けて、潜って、殴られて、帰ってきて、寝る。
その繰り返しだった。
最初の数日は、ひどいものだった。
新しい盾は、思った以上に癖が強かった。
軽い攻撃では何も溜まらない。
そのくせ、重い一撃を受けると急に腕が沈む。
ピッケルゴブリン相手に構え損ねて肩を打たれ、
アイアンモールの突進を真正面から受けてその場で尻もちをつき、
せっかく溜めた衝撃を焦って雑に打ち返して、壁を殴っただけで終わる。
「しょぼ……」
ユキトが呟くと、すぐ横でヴォルカが言った。
「今のは、たぶん振りが雑でした」
「分かってるよ」
「あと足が止まってました」
「分かってるって」
「それから――」
「今日ずいぶん辛辣じゃない?」
ヴォルカは少しだけ目を逸らした。
「……見ていて危ないので」
それは本音だった。
盾の性能は面白い。
だが、使うユキトがまだ全然追いついていない。
重い一撃を受けて、盾がずしりと沈む。
その衝撃は消えない。
腕に残る。
肩にくる。
足で流さなければ、そのまま自分が持っていかれる。
一度、突進を受けた瞬間に足の運びを誤って、ユキトが派手に横転したことがあった。
「ぐっ!」
「ユキトさん!」
ヴォルカが思わず前に出かける。
だがユキトはすぐに手を上げた。
「来るな!」
その声に、ヴォルカは足を止める。
ユキトは土に肘をつきながら、歯を食いしばって立ち上がった。
痛い。
普通に痛い。
衝撃は盾に溜まるが、自分が無傷になるわけじゃない。
むしろちゃんと痛い。
痺れる。
足がぶれる。
肩が抜けそうになる。
「ほんと……最低な盾だな」
息を切らしながら呟くと、フローラが静かに返す。
「ユキトにぴったりですね」
「慰めてるのか?」
「事実です」
ネムリアがフローラの背中で揺れながら、ぼんやり言った。
「……痛いの、前提……」
「そうだよ」
「ひどい……」
「お前にだけは言われたくない」
だが、盾の癖が分かり始めると、少しずつ景色が変わった。
軽い敵には向かない。
小さな打撃では溜まらない。
むしろ防御範囲の狭さだけが目立つ。
だから小型の敵はヴォルカの支援で止める。
ユキトは無理に全部受けない。
一方で、重い一撃を持つ相手には噛み合った。
アイアンモールの突進。
鉱喰いブルータスクの頭突き。
坑道を這うストーンリザードの落下奇襲。
一発一発は重い。
怖い。
まともに食らえば終わる。
だが、それを足で流し、腕で抱え、蓄積し、最後に打ち返す。
最初は全部失敗だった。
次第に半分だけ成功するようになった。
やがて。
「今だ」
ユキトが低く言う。
ヴォルカの小さな炎が、脇道を塞ぐ。
アイアンモールの進路がずれる。
ユキトは半身で踏み込み、盾を拳のように打ち出した。
ドゴッ。
重い打撃音。
魔物の頭が大きく弾かれ、そのまま坑道の壁へ叩きつけられる。
数秒、静寂。
ヴォルカが目を見開いた。
「……入りました」
ユキトも少しだけ目を丸くする。
「入ったな」
フローラが静かに頷く。
「体重の乗せ方が、ようやく安定してきましたね」
ネムリアがぼそっと言う。
「……どん、ってした」
「語彙どうなってんだよ」
それでも、その一撃は確かだった。
その日を境に、動きが変わり始めた。
盾を受ける時、腕だけで耐えなくなった。
足を使う。
腰を落とす。
衝撃を逃がす。
溜めた重さも、なんとなく分かるようになってきた。
目に見えるわけじゃない。
数字も出ない。
でも、腕の痺れと、前腕の重さで分かる。
これくらいなら、もう一発耐えられる。
これは重すぎる。
今打たないと危ない。
ユキトの感覚が、少しずつ追いついていく。
毎日、依頼を受けた。
鉱山迷宮の巡回補助。
坑道内の魔物排除。
鉄鉱石を餌にする獣型の処理。
旧採掘路の見回り。
崩落した支道での害獣駆除。
帰り際、鉱山の入口近くで休んでいた鉱夫たちの話し声が聞こえることもあった。
「昨日も見たんだよ、山の上に影がよ」
「またか?」
「ああ。雷みたいに光ってな。竜影じゃないかって話だ」
「若い竜でもうろついてんのかね」
「やめろよ、不吉なこと言うな」
ユキトはその時、一瞬だけそちらを見たが、深くは気にしなかった。
「竜ってどこにでも噂になるな」
そう呟くと、ヴォルカが妙な顔をした。
「……まあ、そうかもしれません」
フローラは何も言わない。
ネムリアは寝ていた。
日々の依頼の中で、四人の連携も変わった。
もう、最初の頃のぎこちなさはほとんどない。
ユキトが前衛で受ける。
ヴォルカが目立たない範囲で動きを縛る。
フローラが回復と全体観察。
ネムリアが時々、致命的な気づきを落とす。
奇妙な形だった。
普通ではない。
綺麗でもない。
でも、ちゃんと回っていた。
ある日、狭い坑道で二体のアイアンモールに前後から挟まれた時のことだった。
前から来る突進に盾を合わせる。
重い一撃。
溜まる。
だが、後ろにも気配。
ユキトが振り返るより先に、ネムリアがぼんやり呟いた。
「……うしろ、はやい」
ヴォルカがすぐに熱の線を走らせる。
後ろの個体の足元だけを軽く焼き、進路を鈍らせる。
その一瞬でユキトは体勢を戻した。
「助かった!」
フローラが、回復の手を止めずに小さく笑う。
「形になってきましたね」
その言葉通りだった。
そして、一週間と少し経った頃には。
ユキトはもう、新しい盾に振り回されてはいなかった。
まだ完璧ではない。
まだ危なっかしい。
それでも、使えていた。
重い相手の一撃を受け。
流し。
溜め。
最後に打ち返す。
最初の頃のように、ただ痛がっていただけではない。
ちゃんと自分の武器になっていた。
その日、依頼帰りの坑道で、ユキトはひとり壁に背を預けて、少しだけ笑った。
「……俺、ちゃんと強くなってるかもな」
大したことない一言だった。
でも、それはユキトにとって初めてに近い感覚だった。
自信。
それがほんの少しだけ、自分の中に生まれている。
ヴォルカが少し先を歩きながら、振り返る。
「何か言いました?」
「別に」
「変な顔してました」
「ひどいな」
「でも……」
ヴォルカは言いかけて、少しだけ口をつぐんだ。
前よりずっと、背中が頼もしく見える。
まだ弱い。
まだ危うい。
それでも、前とは違った。
少し前までのユキトは、目を離せばそのまま壊れてしまいそうだった。
守ってあげなければいけない。
支えてあげなければ危ない。
そんなふうに思っていたはずなのに。
今は違う。
危なっかしいのは変わらない。
放っておけないのも変わらない。
それなのに、ただ守るだけでは足りない気がした。
この人が前に出るなら、自分もその隣にいたい。
ふと、そんな考えが胸をよぎる。
ヴォルカは少しだけ目を見開いた。
この人は、弱いくせに前に出る。
怖いくせに、逃げた方が痛いと言う。
格好悪いところもたくさんある。
なのに、気づくと目で追ってしまう。
守りたいと思っていたはずなのに。
気づけば、それだけじゃなくなっていた。
胸の奥が、少しだけ落ち着かない。
ユキトが何気なくこちらを見る。
その視線がぶつかった瞬間、ヴォルカは反射みたいに目を逸らした。
「……どうした?」
「なんでもありません!」
思ったより強く返してしまって、自分で少し驚く。
ユキトは怪訝そうな顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。
ヴォルカは黙ったまま歩き出す。
顔が少し熱い。
たぶん、変な顔をしている。
だから、振り返れなかった。
フローラはそんなヴォルカの変化にも気づいていたが、何も言わなかった。
ただ、静かに四人分の歩幅を合わせて歩く。
その帰り道だった。
ふと、ユキトは妙なことに気づいた。
いつからだろう。
ヴォルカたちに、セクハラをしなくなっていた。
前なら、もっと軽口を叩いていた。
隙あらば触ろうとしていた。
契約を盾に、冗談の形で踏み込んでいた。
思えば、今でもやろうと思えばできた。
たぶんもう、前ほど本気で怒られない気もした。
でも。
気がついたら、しなくなっていた。
雑に触りたいと思わなくなっていた。
軽く扱いたくなかった。
前みたいに、欲しいから触る、じゃなかった。
もっと違う何かに、変わっていた。
ユキトは歩きながら、少しだけ目を伏せる。
「ああ……」
小さく呟く。
ヴォルカが首を傾げた。
「どうしました?」
「いや」
ユキトはほんの少しだけ苦笑した。
「気づいただけ」
「何にです?」
しばらく黙ってから、ユキトは心の中で答えた。
――俺、本気でこいつらが好きなんだ。
ヴォルカも。
フローラも。
ネムリアも。
欲しいと思う。
大事にしたいと思う。
そして、欲が出る。
守られるだけじゃ嫌だ。
隣にいたい。
できることなら、自分の彼女にしたい。
そこまで思って、ユキトは空を見上げた。
グランデル闘技大会まで、あとわずか。
親父は勝手に盛り上がっていた。
フローラたちも、なぜか出る前提みたいな顔をしていた。
自分は、目立つのが嫌いだ。
本来なら出ない。
面倒だし。
リスクもある。
でも。
もし告白するなら。
もし本気で隣に立ちたいなら。
今の自分のままでいいのか、とも思った。
もっと胸を張れる何かが欲しい。
せめて、自分で自分を少しだけ認められるくらいには。
ネムリアはいつもの調子で、ぼんやり空を見ていた。
グランデルへ戻ると、街の空気が少し変わっていた。
人が多い。
看板が増えている。
鍛冶屋も酒場も、いつもよりざわついている。
大会が近いのだと、嫌でも分かった。
あと一日。
気が付けば闘技大会の前日だった。
街の中央には出場者の最終確認の掲示。
見物客向けの屋台準備。
賭けの話をする酔っぱらい。
浮き足立つ空気。
ユキトはその掲示板の前で立ち止まった。
ヴォルカが気づいて聞く。
「……気になりますか?」
「別に」
そう言いながら、ユキトはしばらく動かなかった。
親父が勝手に盛り上がっていた。
フローラたちも、なぜか出る前提だった。
自分はずっと出る気なんてなかった。
目立つのは嫌だ。
面倒だ。
危険だ。
でも。
今の自分なら。
少なくとも、最初の頃の自分よりは、ずっとマシだ。
それに。
好きだと自覚してしまったら、欲まで出る。
彼女たちの隣に立つ男でいたい。
告白する資格が欲しい。
胸を張って、選ばれたい。
そのために、今の自分をどこかにぶつけてみたかった。
ユキトは、ふっと息を吐く。
そして、受付へ向かった。
受付嬢が顔を上げる。
「はい、本日は――」
「大会、まだエントリーできる?」
受付嬢が目を丸くする。
「……本日締切ですが、まだ間に合います」
ヴォルカが横で止まる。
「え?」
フローラも静かにユキトを見る。
ネムリアだけが、少し遅れて言った。
「……でるの?」
ユキトは振り返らない。
ただ、短く答えた。
「出る」
それは、ギリギリの決断だった。
でも。
きっと、ずっとそのつもりだったのかもしれないと、ユキトは思った。




