11……借金つき
その夜は、グランデルの安宿に戻った。
部屋は狭かった。
ベッドは硬い。
窓の外ではまだ鍛冶場の音が遠くに響いている。
ユキトは布団に沈んだまま、ほとんど動かなかった。
「痛い……」
「知ってます」
フローラが静かに答える。
ヴォルカは心配そうに覗き込んでいた。
「本当に大丈夫なんですか……?」
「大丈夫じゃないけど、生きてる」
ネムリアは隅で丸くなっていた。
「……おやすみ……」
「お前はいつも通りだな」
ユキトは天井を見たまま、小さく息を吐いた。
今日、負けた。
はっきりと。
どうしようもない差を見せつけられて。
でも、無駄ではなかった。
普通の攻撃であれば何度でも耐えられるが、
即死には耐えられない。
そして、今の自分には、その対策が足りない。
頭の中では、何度も同じ場面が繰り返される。
盾が遅れた。
首を打たれた。
終わった。
なら。
次は、そこを埋めるしかない。
「……明日」
ユキトが呟く。
ヴォルカが首を傾げた。
「はい?」
「盾、買いに行く」
翌朝。
グランデルの朝は早かった。
煙突からはもう煙が立ち上り、街のどこかで金属を打つ音が鳴っている。
熱と騒音で目が覚めるような街だった。
ユキトたちは昨日の鍛冶屋へ向かった。
親父はもう店を開けていた。
大きな体を組み、店先で金属片を眺めていたが、ユキトの顔を見るなり鼻を鳴らした。
「来たか」
「来た」
ユキトは真顔で答える。
「俺に合う盾くれ」
親父はしばらく何も言わず、ユキトを見ていた。
やがて低く聞く。
「お前、本当に戦闘力1なのか?」
「そうだよ」
「昨日見てたが、妙だ」
親父は腕を組む。
「何回も食らって、何回も立ってた。普通ならもっと先に壊れる」
ユキトは少しだけ肩をすくめた。
「ゴブリンキング倒したし」
親父の片眉が上がる。
「……ほう」
「あとゴブリンに囲まれたし、スライムにも転ばされたし、首もやられた」
「最後のは自慢にならん」
「知ってる」
親父は鼻を鳴らし、それから少しだけ楽しそうに口元を吊り上げた。
「経験則だがな」
太い指が机を叩く。
「戦闘力の差は、そのまま受けるダメージに反映される」
「強え奴の一撃は重い。弱え奴ほど、その差を正面から食らう」
「お前みたいな数値の奴が、今まで生きてきたこと自体が奇跡だ」
ユキトはうんざりした顔で答える。
「で?」
「で、面白え」
親父の目がぎらりと光る。
職人の目だった。
「面白がるなよ」
「面白がるだろうが」
親父は言い切る。
「死ぬほど弱いくせに、前に出る。しかもまだ盾を使いたがる」
「なら、その弱さごと使う盾を作ればいい」
ユキトは少しだけ眉をひそめた。
「……何それ」
親父は奥の棚から、黒っぽい鉱石を取り出した。
鈍い光を宿した、重そうな石だった。
「衝撃蓄積鉱石」
「鉱山迷宮で出る」
フローラが小さく目を見開く。
「それは……」
親父は頷いた。
「受けた衝撃を抱え込む変わり種だ」
「軽い攻撃じゃ反応しねえ。だが、一定以上の衝撃なら溜め込む」
ヴォルカが少し前のめりになる。
「溜め込んで、どうなるんです?」
親父はにやりと笑う。
「ぶん殴り返せる」
静寂。
ネムリアが半分寝たまま呟く。
「……それは、ちょっと好き」
親父は続ける。
「普通の盾みてえに広く守るんじゃない」
「ガントレットに盾をつける」
「防御範囲は狭くなる。だが小回りが利く」
「受けた衝撃を抱えて、最後にパンチみてえに打ち出す」
ユキトは少しだけ黙った。
頭の中で動きを思い描く。
受ける。
耐える。
溜める。
近距離で打ち込む。
親父が指を立てる。
「ただし、楽な装備じゃねえ」
「軽い攻撃じゃ溜まらねえ」
「溜めてる間はどんどん重くなる」
「受けた衝撃は消えねえ。お前にも普通に痛い」
「足を使って受け流さねえと、自分が吹っ飛ぶ」
「打つ時もちゃんと体重を乗せろ。雑に振ったら衝撃が散る」
「連発はできねえ」
「限界を超えたら壊れる」
「即死級には当然無力だ」
一つ一つ、欠点しかないみたいな説明だった。
だが、ユキトの顔は少しずつ変わっていく。
親父が最後に言う。
「普通の戦士ならゴミだ」
「だが、お前みてえな馬鹿にはちょうどいい」
ユキトは、そこでようやく少し笑った。
「……それ、俺に合ってるな」
親父は満足そうに頷いた。
「だろうが」
「作る」
「一日かける」
「徹夜になるが、面白えから知らん」
「勝手に盛り上がるなよ」
「黙れ客」
その日の親父は本当に勝手に盛り上がった。
工房の奥に引っ込み、金床を鳴らし、怒鳴り、煤だらけになりながら、ほとんど徹夜で新しい盾を作り上げた。
そして翌朝。
親父は完成した盾を、誇らしげにカウンターへ叩きつけた。
「できたぞ!」
低く響く金属音。
それはもう、普通の盾とは少し違っていた。
小型のガントレット型。
取り回しを重視した構造。
だが表面には、鈍く重い光を宿した衝撃蓄積鉱石が埋め込まれている。
親父の目はぎらついていた。
完全に寝ていない顔だった。
煤だらけの腕でその盾を撫でながら、満足げに笑う。
「面白え……!」
「戦闘力1の馬鹿が、痛みに耐えてぶん殴り返すための盾だ!」
「普通の戦士には扱えねえ!」
「だが、お前みてえな無駄に耐える馬鹿にはぴったりだ!」
ユキトは受け取った盾を腕に通し、軽く重さを確かめた。
重い。
だが、今までのものよりずっと手に馴染む。
親父は一歩下がって、その様子を眺める。
「くくっ……」
「いい」
「実にいい」
それから両腕を組み、勝手に盛り上がった声で続けた。
「これであと二週間後の大会が楽しみになってきたなぁ!!」
ユキトは盾を見たまま答えた。
「出ないよ?」
沈黙。
親父の笑みが止まる。
「……は?」
ヴォルカが目を瞬かせる。
「えっ」
フローラも静かに首を傾げた。
「出る流れだと思っていました」
ネムリアがぼんやりと言う。
「……でないの?」
親父が固まったまま聞き返す。
「いや、待て」
「出ねえのか?」
「出ない」
「なんでだ!?」
「なんでって」
ユキトはきっぱり言った。
「目立つの嫌だし」
親父
「お前!!」
ヴォルカ
「出ないんですか!?」
フローラ
「私も当然そのつもりかと」
ネムリア
「……おんぶで観戦する気だった」
「お前らまで何なんだよ」
工房の中で、ユキトだけが本気で困惑していた。
しばらく空気が止まったあと、親父は深いため息をついた。
「……まあいい」
「大会出る出ねえは勝手にしろ」
そう言って、親父は顎をしゃくる。
「で、買うのか?」
ユキトは一瞬だけ黙った。
欲しい。
かなり欲しい。
だが、問題はそこじゃない。
「いくら?」
親父はにやりともせず、淡々と金額を告げた。
ユキトの表情が止まる。
「……は?」
「その値段だ」
「高っ」
「そりゃ徹夜仕事だ。素材もただじゃねえ」
ヴォルカも横で目を丸くした。
「そ、そんなに……?」
フローラが静かに計算して、少しだけ眉を上げる。
「今の所持金では、手が届きませんね」
ネムリアがぼんやり呟く。
「……町に住める」
「住めるな」
ユキトは真顔で頷いた。
親父は腕を組んだまま、面白がるように言う。
「売ってほしいか?」
「煽るなよ」
「欲しいなら金を持ってこい」
ユキトは盾を見た。
欲しい。
今の自分に合っている。
それは分かる。
だが。
この金額を払ったら、生活が死ぬ。
食費。宿代。雑費。
冒険者としての活動資金。
何より、三人と動くための余裕が一気に消える。
ユキトは少しだけ考えてから、盾をカウンターへ戻した。
「買わない」
親父が片眉を上げる。
「ほう?」
「その金額なら無理だ」
ユキトはあっさり言った。
「欲しいけど、今は買えない」
「生活の方が大事だ」
工房の空気が少し変わる。
ヴォルカが、ほんの少しだけ安心した顔をした。
フローラは静かにユキトを見ている。
ネムリアは眠そうなまま、でも一応話は追っていた。
親父はしばらく無言だった。
やがて、重たいため息をつく。
「……ちっ」
「仕方ねえな」
ユキトが顔を上げる。
親父は嫌そうな顔のまま言った。
「大会が終わるまでだ」
「その金額を払うんなら、一時的に貸してやる」
「払えなきゃ返せ」
ユキトが瞬きをする。
「……いいの?」
「よくねえ」
親父は即答した。
「渋々だ」
「じゃあなんで」
「どうせそれ、練習必須だからな」
親父は盾を指で弾いた。
鈍い音が返る。
「今のお前が持ってても、すぐ実戦で使いこなせる代物じゃねえ」
「攻撃受けなきゃ本領は出ねえし、溜めりゃ重くなる。打つ時も、ちゃんと体重乗せねえと衝撃が散る」
「使って、失敗して、痛い目見て、ようやく形になる武器だ」
「だったら、先に練習させた方が早え」
ユキトは盾を見る。
それから、小さく息を吐いた。
「……まあ、ダンジョンで練習ついでに稼げば、どうにかなるか」
親父が鼻を鳴らす。
「そういうこった」
「ただし」
太い指が、どん、とカウンターを叩いた。
「壊したら弁償だぞ」
ユキト
「急に怖いこと言うな」
「限界超えたら壊れるって説明しただろうが」
「したな……」
「加減は自分で覚えろ」
「蓄積量も感覚頼りなんだろ」
「だからお前の腕次第だ」
親父はそこで少しだけ目を細めた。
職人の目だった。
面白い玩具を渡す目ではなく、
道具の先にある“使い手”を見ている目だった。
「返す頃には、お前の腕も見せてもらう」
ユキトが顔を上げる。
親父は口元を吊り上げた。
「大会に出なくてもな?」
その言葉は、押しつけじゃなかった。
勝手に期待しているだけでもなかった。
この盾を使うなら、それ相応のものを見せろ。
そういう職人の要求だった。
ユキトは少しだけ笑う。
「……面倒くさい親父だな」
「職人を褒める時は、もう少し敬意を持て」
「褒めてねえよ」
「だが貸す」
「渋々な」
「何回言うんだよ」
ヴォルカが安堵と不安の入り混じった顔で言う。
「よ、よかったですね……?」
フローラは静かに頷く。
「かなり破格ではありますね」
ネムリアが眠そうに呟く。
「……借金つき」
「嫌な言い方するな」
親父は最後に盾をユキトの方へ押し出した。
「持ってけ」
「使い潰すな」
「使いこなせ」
ユキトはそれを受け取った。
腕に通す。
重みが乗る。
まだ慣れない。
でも、確かに自分の戦い方の先にあるものだと分かる。
レンタル購入。
半分借金。
半分期待。
全部、まだ未完成。
それでも、ユキトは盾を握ったまま小さく頷いた。
「……じゃあ、借りる」
親父はにやりともせず言った。
「返済、忘れんなよ」
「覚えてるよ」
「本当か?」
「そこまで信用ない?」
「ねえな」
「ひどい」
工房の中で、ようやく少しだけ空気が緩む。
そして親父は、ほんの少しだけ楽しそうに目を細めた。
「ま、せいぜい稼いでこい」
「その盾、安くはねえんだからな」




