真相
◇◇◇ ◇◇◇
「おじい様、イリスです。参りました」
あれから暫くリュカのいる客室いたイリスだったが、前国王からの呼び出しを受けてそちらへ向かっていた。
残して行くリュカが心配ではあったが、リュカに付き添っていた医師からは意識も戻ったのでもう大丈夫だろうと言われたのと、急な容態の変化などがないかこのまま付き添ってくれると言うので、お願いしてきたところだ。
「入っておいで」
「失礼します」
イリスの呼び掛けに、中から了承の声が掛かる。
把手に手を掛けると、イリスが開ける前に扉はウィルニーナによって内側から開けられた。入室すると、部屋の中央に置かれた応接セットのソファに前国王は深く腰を下ろしていた。
戦いの後、前国王もこの国の元首として奔走してくれていた。
各国に連絡を取り、今回の礼と共に今後の対応について協議したり、ウィレンツィア王国の復興について政策を練ってくれていたのだ。
それ故、前国王の元まで歩み寄るとイリスは深く頭を下げた。
「おじい様、この度は色々と御尽力頂きありがとうございました」
「なに、構わんよ。今のところは実質、私がこの国の長たるべき地位にいるからね」
一度は譲位してイリスの父である息子に国を任せた身ではあるが、イリスの父がドルシグの乱の際に崩御しその娘であるイリスがまだ王位を継いでいない今、実質的に王の地位にあるのは祖父である前国王だった。
「おじい様も昨晩から眠られていないのでは?体調は大丈夫なのですか?」
「……ああ、問題ない。心配をかけてすまないね」
そうは言いつつも、老齢の前国王の顔には疲労の色が濃かった。
思わず歩み寄って前国王の下に膝を付けば、見上げるような形になったイリスの頬に、前国王はそっと皺が深く刻まれた手を添えた。
「よく、……顔を見せておくれ」
「はい……」
イリスは何故だか涙が溢れそうになるのを必死で堪え、出来る限り微笑んで見せる。
前国王はそれに応えるように優しく微笑み返すと、するりとイリスの頬を撫でた。
「息子に、よく似ている。笑った目元がそっくりだ」
「私、お父様に似ていますか?」
「ああ、とても」
記憶が戻ったと言っても、幼い頃の記憶は曖昧だ。
遠い昔に、もしかしたら同じことを言われた事があったかもしれないが、イリスはその言葉を素直に嬉しく思った。
「……苦労を掛けたね、アリスティア」
その言葉にイリスは暫し思案した後、ゆっくりと首を横に振った。
「苦労を重ねたのは、この地に留まりウィレンツィア王国を守り続けて下さっていたおじい様達です。私はこの八年記憶を失っており、最近まで何も知らずに生きていたのですから」
イリスとしては本当に言葉通り、自分は何の憂いもなく過ごしてきてしまったという後悔と懺悔の言葉のつもりだった。
しかしその言葉を聴いた前国王は、目を見開いて驚いた後、途端に苦悶の表情を浮かべた。
そして前国王は項垂れると、イリスの頬に添えていた手を離しその手で自身の目元を覆った。
「すまない、……本当にすまなかったね……」
「いいえ!」
項垂れてソファに蹲る前国王の姿がとても小さく見えて、イリスはすぐさまその言葉を否定すると感謝を述べた。
「……長い間、ウィレンツィア王国を御一人で守って下さって、ありがとうございました」
イリスの言葉に前国王が涙に濡れた顔を上げる。イリスは微笑むと、そっと前国王の身体を抱きしめた。
「これからは私もおります。共に、ウィレンツィア王国を守って参りましょう」
「ありがとう、……ありがとう」
前国王の流す涙が、イリスの肩を濡らしていく。
少しでも安心してもらえるようにと、イリスは抱きしめた手に力を込めた。
存在を確かめ合うように抱きしめ合っていた二人だったが、前国王がイリスを抱きしめていた手を離すとゆっくりと口を開いた。
「……アリスティア。少し、共に城内を歩こうか」
突拍子のない誘いに驚くが、イリスは黙って頷くと前国王の身体に手を回して立ち上がるのを手伝う。その様子を目にして、慌てて壁際に控えていたウィルニーナが車椅子を押して駆け付けた。
ウィルニーナの助けも借りて前国王を座らせると、イリスは慎重に車椅子を押して部屋を出た。
車椅子をイリス一人で持ち上げて階段を移動することはできないので、同じ階をゆっくりと進んでいく。
すると廊下には、窓越しに午後の暖かな日差しが差し込んでいた。
「今日は暖かいな。少し、外へ出ようか」
「はい」
前国王の言葉を受けて、テラスに出るためにイリスは廊下に面してるガラス扉の一つを開けた。
扉が開くと同時に、清涼な風が吹き抜けイリスの短い髪を揺らしていく。それに思わず目を眇めたイリスだったが、周囲の安全を確認するとテラスの中程まで車椅子を進めた。
城の東側の庭園に面しているテラスのため、城の正面にあるテラスに比べれば広くはないが、二人で外を眺めるのには十分だった。
城の東側の庭園は、昔イリスの部屋だった場所からも見える庭園だ。
だが最後にイリスがこの庭園で見たのは、警鐘が鳴り響き怒号と剣戟の音が飛び交っている光景だった。
しかし今は、穏やかな午後の日差しを浴びて風に木々がそよいでおり、過去にそんな光景が繰り広げられていた場所だとは到底思えなかった。
「『世界の力』とは何か、あの部屋で分かったかい?」
不意に話しかけられ、ぼんやりと庭園を見つめていたイリスははっとして前国王を見下ろした。
だが前国王は、イリスを見ることなく腰壁越しに僅かに芽吹いてきた庭園を見つめていた。
「……あれは……、ありとあらゆる知識や技術を、後世に残したもの、ということですか」
イリスの返答に、やはり視線は合わせず前を見据えたまま前国王は頷いた。
「……ああ、そうだよ」
前国王は、ゆっくりと振り返り車椅子を押すイリスを見上げた。
「あれは千年前の世界大戦の際に、地下シェルターだったこの場所に集められた科学者や技術者が書き残したものだと言われている」
「……地下シェルター、だったんですね」
だから人工的に作られた空間になっていたのかと、イリスは一人納得した。おそらく、戦争から身を守るためのシェルターだったのだろう。
「ここに集められた者達は、死を覚悟していたことだろう。なにせ、死のウイルスに対する抗体はまだ見つかっていなかったのだからね。
だから自分の死後、自身の持つ知識が役に立つことを願って書き残したものなのだそうだ。
この城は千年前の世界大戦後、その知識や技術が悪用されることを防ぐために、生き残った人々の技術の粋を結集して建てられたものなのだよ」
後から知ったのだが、もし封印の扉を爆発して開けようとするなど正しい手順で開錠しなかった場合、このエストラル城自体が崩落する仕組みになっていたのだという。だからこそ、エルヴィンも強硬手段に出ることが出来なかったのだ。
「封印の間には、それこそ今の科学技術や医術をもってしても成し得ないものも書き残されている。今現在不治の病とされている難病の治療法ですらあるくらいだ」
「っ!!それならその知識を使えばいいじゃないですか!」
治療法があるのならば使わない手はないと息巻いて詰め寄るイリスを余所に、前国王は至って穏やかに告げた。
「……何故、世界大戦が起こり、世界の人口が激減するほどの事態に陥ったかは分かるか?」
その声は先程までの穏やかな声色とは異なり、施政者としての厳しさを伴ったものだった。
「それは領土を巡る争いから始まり、泥沼化した戦いは細菌兵器の投入……で、……」
イリスは最後まで言葉を紡げずに押し黙る。イリスが何かに気付いたことを察して、前国王は言葉を続けた。
「過ぎたる力を持てば、人はそれを使わずにはいられない。今は正しく使えたとして、今後はどうなるか分からない。自分達の技術が追いついていないのに過ぎたる力を使えば、不測の事態が起こった時に対応できなくなるだろう」
千年前の世界大戦で細菌兵器が使われた際、細菌兵器を生み出した国でも想定できなかった変化をウイルスが遂げたために、人口を激減さる事態に陥った。
だがその当時は、元となった殺戮ウイルスを創り出すだけの技術があった。そのため後手には回ったが、抗体を作り出すことにも成功している。
しかし今、千年経った現在でも人々が持ちえない知識と技術を持ち込んで何か不測の事態が起こったら、それに対処することは不可能だろう。その場合、今度こそ人類は滅ぶ未来を辿る。
「あれは文字通り、『世界の力』なのだよ」
イリスはその事実に、ぶるりと身体を震わせた。この力がエルヴィンの手に渡らなくて本当に良かったと思った。
(エルヴィンは『世界の力』が何たるか、その事実に気付いていたのかしら)
あの部屋を見て、エルヴィンは苛立ちの声を上げていた。
だがあの部屋はエルヴィンが欲しがる力そのものだろう。しかし実際には、歓喜する様子は見られなかった。
(『世界の力』の真実に気付いていたにしろ、直ぐに使えるような兵器でなかったことにきっと苛立ったのね)
今となっては、エルヴィンがあの時何を考えていたのかを知ることはできない。だがあの部屋を最も有効に使うであろうエルヴィンの手にその力が渡ることはなかった、今はその事実だけが大事だった。
イリスは気を引き締め直すと、前国王を真っ直ぐに見つめた。
「おじい様、私、『世界の力』を今後もずっと守っていくと誓います」
イリスの決意に目を細めた前国王は、柔らかく微笑んだ。
「ああ、そうだね。私はもうすぐ死ぬ。その役目は任せるよ」
「そんな!」
そんなつもりで言ったのではないと、イリスは慌てて前国王の手を取る。
そんなことは分かっているとばかりに前国王は微笑むと、イリスが握った手を覆うようにもう一方の手を重ねた。
「私もこの命が続く限り、ウィレンツィア王国の復興に力を注ごう。しかし、私が表に立つことは無理なことも多い。出来ればそなたに、私が存命のうちに即位してもらいたいと思っている」
「それは……」
そのことはイリスも考えていた。
前国王の年齢を考えれば、公務で表舞台に立ち続けることは難しい。イリスに王族としての覚悟がないわけではないが、その自信が無かった。
(私だって一歩間違えれば、エルヴィンのようになるかもしれない)
人を無闇に殺めることはないだろうが、良かれと思ってしたことが相手を傷付けることだってある。それが政治ともなれば、一方には善政でも他方にとってみればそうでないことだってあるのだ。
皆にとって良い王に成れる自信が今のイリスには無かった。
「なに、最初から完璧でなくても良いのだよ。まだ私もいる。それに、そなたにはこんなにも親身になって助力を申し出てくれる者達が沢山いるだろう。皆を頼ればよいのだよ」
イリスの心内を見透かしたかのように掛けられた言葉に、イリスは驚いて知らず俯けていた顔を上げる。すると、前国王が視線で庭園の方を見るように促していた。
その視線を辿ってイリスも庭園の方を見遣れば、今も連合国軍の人達が忙しなく行き来している様子が見えた。
自国の王の命を受けたとはいえ、皆ウィレンツィア王国の為に尽力し、今も協力してくれている者達だ。
「此度の助力に、私も各国に連絡を入れたのだがね。皆、イリスを慕って助けてくれたのだと言っていたよ」
「!」
その言葉に、イリスは目を見開いた。
次の瞬間、目尻に浮かんだ涙が零れないように袖でぐいっと拭うと、イリスは前国王に向かって笑いかけた。
「では……それに応えるためにも、私は頑張らねばなりませんね」
「ああ、そうだね」
イリスと前国王は顔を見合わせ、穏やかに微笑み合う。
そんな二人の間を、爽やかな風が吹き抜けていった。
「戻りましょうか」
「ああ、頼む」
イリスは車椅子を押して廊下に戻ると、再びゆっくりと歩き出した。すると、前国王がイリスを振り返って見上げた。
その顔がどこか楽しそうで、イリスも自然と笑顔になって問いかけた。
「どうかされましたか?」
「いやなに。あの扉は、王族の中で『世界の力』を悪用しようと考える者がいたとしても、その一存では使えない様に二人の王族によって初めて扉が開く仕組みになっているだろう?」
急に封印の扉の話になって驚くが、イリスは疑問を挟まずに「はい」と返事を返した。
「私が死ねば暫くは開くことがない時期が来るだろうが、次代ができれば何も問題はないと思ってな」
「……?」
言われていることがよく分からず、イリスが首を傾げる。そんなイリスを面白がるように、前国王はくつくつと楽しそうに笑った。
「私が存命のうちに、ぜひひ孫の顔が見たいものだなと思ってな」
「ひまっ!」
顔を真っ赤にしたイリスを見て、満足したように微笑むと前国王は前に向き直る。しかしそんな事を考えたこともなかったイリスは、大いに慌てふためいた。
そうして前国王の私室に戻ったイリスは、部屋で待っていたウィルニーナに顔が赤いことを指摘され体調を心配される事態となり、益々慌てることになったのだった。




