生還
「この患者は中程度の怪我なので、一階の大広間に。玄関ホールを左に曲がった先にあります。ですが先にこちらの重傷者を二階の客室に搬送してください。大階段を登って左の回廊です」
「「了解」」
イリスの指示を受けたエダルシア王国の騎士達が、中庭の芝生の上に横たわっている患者を簡易の担架に乗せて王城内に運んでいく。その後ろ姿を見送って、イリスは次の患者の下に向かった。
戦いで負傷した者達がこの中庭に集められており、その患者一人一人の手首には怪我の程度を表す札が医療班によって既に付けられている。イリスはそれを見ながら、どの患者を何処に運ぶべきか騎士達に指示を出していた。
王城内では直ぐに処置が必要な患者から、敵味方関係なく医師による手術や処置が施されている。故に医療班は今患者の治療で手一杯で、こちらまで手が回っていなかった。
そのため王城内の間取りを知るイリスやヴォルターが怪我の程度に応じて患者の搬送先の指示を出しており、戦いを終え軽傷や負傷しなかったオートレア王国の騎士やサンスタシア帝国の騎士がその指示に従い患者を搬送してくれていた。
「……」
大方の患者を搬送し終え、イリスは残り僅かになってきた負傷者を見遣る。
重傷者はすでに搬送を終えているので、今は痛みに呻き声をあげる者もなく、中庭は少しずつ平時の静けさを取り戻しつつあった。
あの戦いから数時間が経過し、被害の状況が明らかになっていた。
今回の戦いにおいて、ドルシグ帝国軍のみならず、やはり連合国軍にも死傷者は出ていた。
だがアイザックが複数人で敵を相手するよう指示を出していたこともあり、連合国軍の死傷者数は少なく、またドルシグ帝国兵もできうる限り生かして捕らえることが可能だったようだった。
けれども、どんなに死傷者数が少なかろうが、この戦いで命を落とした者はいる。
そのことを考えるとイリスの胸は痛んだ。だが、俯いてばかりもいられない。
命を賭して掴み取ってもらったウィレンツィア王国の未来を、これからイリスが繋いでいかなければならないのだ。
イリスは中庭に一時的に集められていた負傷者を、最後の一人まで対応し続けた。
けれどイリス自身も怪我人だった。結果として肋骨が三本折れていたことが判明し、マルグリットからは当分の絶対安静を言い渡されていたのだ。
けれど動いている方が気持ち的に楽だったイリスは、やるべきことを見付けて積極的に動いていた。休んでいようものなら余計な事を考えて塞ぎ込んでしまいそうで、それを断っていた。
怪我をおして奔走している姿をマルグリットに目撃されるたびに小言を言われたが、イリスの心情を察してくれているようで、何だかんだ言いながらもマルグリットはイリスが動き回ることを見逃してくれていた。
中庭にいた負傷者全員をそれぞれの治療場所に搬送したのを見届けて、イリスは王城の二階にある客室へと向かった。
そこは重症の患者の治療室になっており、医師達が忙しなく各部屋を行き来していた。
「負傷者の容体は?」
二階と三階の重傷者がいる客室の廊下には、警護のために騎士を配置していた。もう脅威が襲ってくることはないと思うが、万が一何かが起こった場合に重傷者には抵抗する術がないので、念のための措置だった。
サンスタシア帝国の黒い騎士服を着た顔馴染みの騎士に声を掛ければ、一瞬思案するように視線を彷徨わせた後、イリスを気遣いながらも教えてくれた。
「……三階の手前の部屋にいるドルシグ兵の容体が、良くないらしい」
「……そう……ありがとう。引き続きここをお願いします」
顔馴染みの騎士に礼を述べて、イリスは三階へと向かった。
教えられた部屋の扉の前に立つと、中からは懸命に医師達が患者に掛ける声と、慌ただしく動きながら治療にあっている音とが廊下まで聴こえてきていた。
(どうか、……患者の命が助かりますように)
この数時間の間に、治療の甲斐なく亡くなってしまう者もいた。だが処置が早かったお陰で、命が助かった者もいる。
しかし命が助かった者の中には、意識を取り戻した瞬間、敵であった連合国軍によって助けられたことを知って罵詈雑言を並べ立て暴れるドルシグ兵もいた。
それも致し方が無い事だと分かっている。現実を受け入れるまでには時間がかかるだろう。
(たとえ偽善と言われようと、救える命は救ってみせる)
イリスの想いはマルグリットも同じだったようで、オートレア王国の医師団を率い、敵味方の区別なく救命と治療に全力を注いでくれている。
助かった命をその後どう使うかは、その人次第だ。イリスに恨みを募らせて復讐を考える者だっているかもしれないが、それはその時だと思っている。
そんなことよりも、助かるはずの命を見捨てることの方がイリスには出来なかった。理不尽に命が奪われる場面を見てきたイリスには、最初からその選択はなかった。
「イリスっ!!」
祈るような気持ちで扉を見つめていたイリスの耳に、階下から切羽詰まった声がかかる。
驚いて声のした方を見れば、ロイが勢いよく階段を駆け上がって来るところだった。
「リュカが目を覚ました!!」
「!!」
階段の途中でイリスの姿を見付けた瞬間、一時でも早くと告げられたその言葉に、イリスの心臓はドクンと一つ大きく跳ねた。
そして考えるよりも早く、今し方ロイが登ってきた階段へ向かって駆け出していた。
「一段落してリュカの様子を見に行ったら、ちょうど意識が戻ったんだ!」
すれ違いざまにロイに声を掛けられるが、その言葉はイリスの耳に届いてはいなかった。
自身の心臓が立てる音が嫌に煩くて、他の音が全く聞こえなかったのだ。
イリスは縺れそうになる足を何とか動かして階段を駆け下りると、二階にある客室の一室に向かった。
「リュカっ!」
重症の病人だから静かにしなければという考えがなかったわけではないが、逸る気持ちを抑えきれずイリスは声を掛けながら目的の部屋の扉を開け放った。
客室は続き部屋になっており、応接セットなどが置かれた部屋を駆け抜け寝室に続く扉をくぐると、そこにはベッドに横たわるリュカと、その傍には医師が一名付き添っていた。
容体が急変した時のために経過を診てくれていたようで、意識が戻ったリュカの心音を聴診器で聴いているところだった。
診察はちょうど終わったところのようで、入室してきたイリスを見た医師は静かに頭を下げるとそのまま寝室を出て行く。駆け付けたイリスに配慮して、隣の部屋に移動してくれるようだった。
「……うっ」
医師を見送っていたらベッドから呻き声が聴こえてきて、イリスはすぐさまベッドに駆け寄った。
「リュカ!」
「……あ、……イ、……」
リュカは喉を深く切られていたが手術は無事に成功しており声帯にも問題無かったようで、以前のように喋ることが出来るだろうとリュカの手術を担当した医師からは聴いていた。
だがまだ術後すぐのため、上手く声を出せないのだろう。
「リュカ!良かった……目が覚めて……」
リュカは手術が成功した後も意識が戻らず、この数時間眠りっぱなしだった。
漸く意識は戻ったが、ベッドに横たわるリュカの顔色は青白く、表情にはまだ生気がなかった。出血がひどく一時は危なかったくらいなので、それも致し方ないだろう。
そんなリュカの弱々しい姿を目の当たりにしたイリスは、リュカが心配するだろうから零すまいと思っていた涙が思わず零れそうになって、大いに慌てた。
それを誤魔化すために、イリスは笑顔を作りながら肩を竦め、リュカに向かって態と茶化すような声をかけた。
「弱いくせに、無茶をするから……」
「……」
リュカは長く眠っていたせいか意識が戻ったといってもまだ目の焦点が合っていず、イリスの方を見ているようでその深い冥色をした双眸はイリスを通り越したどこか遠くを見つめているようだった。
「……イ、……、ス」
「うん、……うん。いるよ、ここにいる」
呼ばれた名に何度も頷きを返す。傍に居ることが分かるように、イリスはそっとリュカの手を取った。
その掌から伝わる温もりが、リュカが生きていることをイリスに実感させてくれる。
知らずイリスの目から零れ落ちた涙が、握ったリュカの手に落ちる。
一度零れた涙に気付くともう堪えることが出来なくなり、イリスはリュカの手を自身の額に付けるようにして握りながらシーツに顔を埋めた。
「……リュカ、助けてくれて、あり、が……と」
囁かれたその言葉に、リュカが今できうる限り精一杯の力でイリスの手を握り返してくれた。
それは弱々しい力ではあったが、イリスの手にははっきりとそれが伝わった。
そんなリュカの行動にまた涙が溢れ、イリスは涙が枯れるまでその場で涙を流し続けた。




