死闘の果てに
一刻でも早く剣を手にしようと完全にエルヴィンに背を向けたのが仇となった。
攻撃が迫っているのも分かっていた。だから剣での攻撃が来ると思って振り向きざまにエルヴィンの上半身の動きに注視してしまった結果、予想外の攻撃に対応しきれなかったのだ。
腹にエルヴィンの重い蹴りを受けて、小柄なイリスは階段の数段上に吹っ飛ばされ段差に身体を強かに打ち付けた。
「ぐぅっ」
呻き声が漏れるが、今はそれどころではない。必死で剣を持っていない方の腕で腹を押さえて立ち上がると、フラッデルで後方に向かって飛びあがった。
(一旦体制を立て直さないと)
フラッデルで大階段を登りきり、迫ってくるエルヴィンを見据えながらイリスは必死に考えを巡らせる。何処に向かおうとも、建物内での戦闘ではフラッデルの利が生かせずイリスには不利なことに変わりない。
(何処か広い開けた場所に……)
再び大階段を降りて玄関ホールを利用する手もあるが、ホールでは今まさにドルシグ兵とサンスタシア帝国騎士団の戦闘が繰り広げられている。イリス一人が複数人を相手にするのであればフラッデルを使った戦闘も可能だが、この状況では他の戦闘が邪魔になってしまう。
それに今ヴォルターがどこにいるのかは分からないが、前国王を連れてまだそんなに遠くへも逃げられていないだろう。前国王の安全確保のためにも、再び玄関ホールに戻ることは躊躇われた。
「っ!!」
イリスが逡巡していると、後方から飛んできた短剣によって前方の進路を塞がれた。振り返ると、エルヴィンはイリスを追いかけながら再び腰の後ろに手を回し短剣を手に取ろうとしているところだった。
(このままじゃ狙い撃ちされる!)
大階段を登り切った先は左右に回廊が伸びているが、歴史のある古い建築物であるエストラル城の回廊の幅は広くはない。このまま回廊を真っ直ぐにフラッデルで飛んでいたのでは狙われるのは必至だ。
「っ!」
再び風を切る音と共に後方から飛んできた短剣を剣で薙ぎ払う。
その時視界の先の回廊に、テラスに続くガラス扉が見えた。フラッデルで最初に降り立ち、先程戦闘になった場所だ。
あそこなら屋外であるためフラッデルの利を生かせるし、先程アイザックが援護するといってくれていたように外からの援護射撃も期待できる。
イリスは迷わず、テラスへ向かってフラッデルを走らせた。
だが、それが失敗だったと直ぐに気付くことになる。
「え……」
その光景を見て初めて、イリスは自分の選択が間違っていたことを知った。
テラスにはまだ、横たわるリュカの姿があったのだ。
リュカの傍には二人の人物がいて、慌ただしく治療を施している様子がこの位置からでも見て取ることができた。
だがイリスがテラスを離れから、大分時間が経っている。それでもまだこの場でリュカの治療をしているということは、リュカを安全な場所に移動しようとしたのだが思ったよりも傷が深くて移動させることが出来ず、この場である程度の処置をすることになったのだろう。
(ここで戦闘を繰り広げるわけにはいかない!)
沈痛な面持ちでテラスの様子を見ていたその時、不意に殺気を感じてイリスは咄嗟に剣を構えて振り返った。
「しまっ、ぐっ!」
ついリュカの容体が気になり意識を逸らしてしまっていた。
その間にエルヴィンが距離を詰めており剣を振り下ろす。その一撃は辛うじて受け止めたものの、先程のように蹴りを食らってイリスの身体は再び吹っ飛んだ。
蹴り飛ばされた先が運悪くテラスに続くガラス扉だったため、ガシャンというけたたましい音と共にガラスが割れ、イリスの身体はテラスの中程まで無様に転がった。
「なっ!!」
リュカの治療にあたっていた医療班の青年がその音で侵入してきた人物達に気付き驚きの声を上げる。だがイリスは彼等に構っている余裕はなかった。
ガラスに突っ込んだ時に割れたガラスの角で幾つもの切創ができ、イリスの顔や衣服を切り裂いて血が流れ出ている。
(しまった!フラッデルが!)
だが傷よりもイリスにとって重要なのは、先程テラスを転がった時に足からフラッデルが運悪く外れてしまったことだった。
辛うじて剣だけは離さずに持っていたが、イリスは内心とても焦っていた。
イリスは落としたフラッデルの位置を確認しようと急いで起き上がる。フラッデルはテラスの床を転がった際の衝撃で外れたようで、ちょうどテラスの入り口付近に落ちていた。
「!」
しかしそのフラッデルを踏みつけてテラスに入室してきたエルヴィンは、イリスの希望を断つかのようにフラッデルを廊下の方に向けて蹴り飛ばした。
その様子を動くことも出来ずに見ていたイリスは、フラッデルをより遠ざけられ絶望しかける。
「……」
だがイリスは、あることを思い出した。
そして、エルヴィンに悟られないように視線を動かして周囲の様子を確認した。
後方に視線を向ければ痛々しいリュカの姿が目に入るが、そこはぐっと気持ちを押し殺して無に徹する。
医療班の青年達は、今まさにこの場所が戦場と化したことでガタガタと身体を震わせているが、手を止めることなくリュカの治療を続けてくれていた。
そのことに感謝しつつ、イリスは視線を横へとずらす。案の定、そこにはフラッデルが置いてあった。
ここは最初にフラッデルでイリス達が降り立った場所なので、レオンとロイが乗り捨てたフラッデルがテラスの腰壁近くにそのまま置いてあったのだ。
だがその場所は、今リュカが倒れている場所のすぐ目の前でもあった。
(なんとかリュカ達を巻き込まないようにしてフラッデルを手にしないと)
どんなにイリスに剣の才能があっても、フラッデルを使用しない普通の戦闘ではどうしても腕力、膂力、腕の長さなどの差で男性相手では劣ってしまう。
しかもイリスを殺すことだけに執着を見せている狂人と化したエルヴィンともなれば、力の差は歴然だ。
なんとしてもフラッデルを手にすべく画策するイリスだったが、そんな相手に集中しきれていない状況をエルヴィンが見逃すはずはなかった。
「うおらぁぁ」
「っ!!」
渾身の力で振り下ろされた一撃は重く、剣を持つイリスの手が僅かに痺れる。だが、そんなことを気にしている間もなく次の一撃が飛んできた。
イリスは繰り出される攻撃を何とか受け止め、躱し、逃げながらフラッデルとの距離を測る。だが、そちらに意識を集中しすぎると命の危険に晒されかねず、動く好機を見つけあぐねていた。
そんな中、城の庭園の方からこちらに向けて声が掛かった。
「イリス伏せろ!!」
不意にアイザックの声が聴こえ、迷うことなくイリスはその声に従いテラスの腰壁付近に移動すると身を屈めた。
そこに、庭園の方からエルヴィン目掛けて何かが風を切っていくつも飛んできた。
(弓隊!!)
庭園の向こう、位置と距離からして城を取り囲む城門の上から放たれた矢は、真っ直ぐにエルヴィン目掛けて飛んできていた。
それに気付き、エルヴィンもイリスに向かって振り下ろそうとしていた剣の軌道を変えて自身に降りかかる矢を振り払う。
だが数が多く、払いきれなかった矢の一本がドスッ、という鈍い音を立ててエルヴィンの利き手である右肩に深く突き刺さっていた。
(今だっ!)
咄嗟にイリスはリュカの傍にあるフラッデル目掛けて身を低くしたまま駆け出した。
(よし、これで!)
フラッデルに手が届く。そう思った瞬間、イリスの身体は真横に吹っ飛んでいた。
「ぐっ、がはっ!」
ドンッという鈍い音と共に、テラスの腰壁にイリスの身体は叩きつけられた。その衝撃に、握っていた剣が手から離れる。
何が起こったのかも分からず、痛みを訴える脇腹を押さえた。口からは浅い呼吸と共に、咳き込むと血が吐き出された。
それでも何とか膝を付いて立ち上がろうとするが、肋骨が折れたようで上手く力が入らない。イリスはたまらず、その場にへたりと座り込んだ。
「あ、あぁ、……」
イリスが追いつめられ流石に看過できなくなったようで、視界の先では医療班の青年がリュカの治療をしていた手を止めこちらを様子を窺い呻き声を溢していた。
(私の心配はいいから、リュカを治してあげて)
言葉で伝えたいが、イリスの口からは今までに聞いたこともない音が零れ落ちるだけだった。
「これで貴様も終わりだ」
不意に、リュカの方を見ていた視界の先に人影が入り込んだ。エルヴィンだ。
エルヴィンは膝を付いてイリスの前にしゃがみ込んでいる。テラスの腰壁に隠れることで、弓隊の攻撃から身を隠しているのだろう。
(ああ、そうか)
エルヴィンの右肩に刺さったままの矢が視界に入る。
フラッデルに向けて走ったイリスに咄嗟に剣を振り下ろせず、エルヴィンはイリスを横凪ぎに蹴り飛ばしたのだろう。
(……ちょっと、驕っていたのかもしれない)
状況的には連合国軍の圧倒的優勢だ。イリスが手を下さずとも、エルヴィンを屋外に誘導出来さえすれば誰かがエルヴィンにとどめを刺してくれたことだろう。
イリスとて、それが分からないわけではなかった。だがイリスはフラッデルに手を伸ばし、自らの手で決着をつけることを無意識のうちに望んだのだ。
――自分にはその権利があると。自分にはその役割があると。自分にはそれを成し遂げるだけの力もあると。
完全に驕りだった。仲間の力を借りてここまで来たというのに、最期の最期で仲間のことを信じなかったのは自分自身だ。
(これが、運命だったのかもしれない)
八年前、イリスも死ぬはずだったのだ。……けれど、生き延びた。
そして今、イリスは死のうともドルシグ帝国を、エルヴィンを討つことは確実に出来るだろう。
(私自身がエルヴィンを討たなければならないわけじゃない。……王国の奪還が達成されれば、それで十分)
音もなく立ち上がったエルヴィンが左手で短剣を振り上げる。その一連の動きが、イリスにはいやにゆっくりと動いて見えていた。
視界の端では、廊下を駆けてレオンとロイがこちらに向かって来ているのが見える。何か言っているのがその口の動きで分かるが、もうイリスの耳には何も届いていなかった。
心はすっかり凪いでいた。辺りは何の音もない静寂の空間だった。
そして自身に向けて振り下ろされる短剣を、イリスはただ黙って静かに見つめていた。




