選択
――時は数時間前に遡る。
今日は朝から、エルヴィンはいつになく上機嫌だった。
ここ最近不穏な動きを見せていたものの、その動きを掴み切れないでいた各国が遂に動き出したからだ。
エダルシア王国では灌漑工事を謳いストレアル山脈の裾野に騎士達を集めていたのだが、今朝から多くの騎士達が現場に姿を見せていないという報告が間諜から上がってきていた。
昨日の夜までは野営地でその姿を確認しているので、おそらく夜の内に身を隠しながらストレアル山脈に入ったのだろうと思われた。
だがストレアル山脈は標高が険しく途中には大地の裂け目と言われる空洞もあり、雪に埋もれているその空洞にうっかり足を踏み入れようものなら最早命の保証はない。
切り立った崖のような場所も多く、ストレアル山脈を越えようとするのならば、標高が低い場所に唯一整備された登山道を通るしかその方法はない。それに山越えにはどうあっても二日はかかる。
援軍としてウィレンツィア王国に攻め入ってくるつもりなのかもしれないが、登山道の出口付近で待ち構えていればいいだけだ。対処のしようはいくらでもあった。
同じく、貿易船に便乗してエダルシア帝国とオートレア王国の連合国軍がサンスタシア帝国入りをしているという情報も掴んでいた。
こちらは海路を使って攻め入ってくる魂胆なのだろうが、大陸を右回りに回る通常航路ではなく、大陸を左回りに回る逆航路で船出したという連絡が入っていた。
この航路だとサンスタシア帝国からドルシグ帝国までの距離は短いが、途中に死の海域と呼ばれる航海の難所があり、その海域を迂回して通らなければならないためかなり時間が掛かるのだ。
意表をつく作戦なのかもしれないが、こちらも到着までに時間が掛かる間に万全の態勢で迎え撃つことが出来るだろう。
(くくくっ、気付いていないとでも思っているのか?つくづく頭の足りない連中だな)
そうなのだ、ここ最近の各国の動きをエルヴィンはなかなか読み切れないでいたのだが、動き出しさえすれば必ず綻びが生まれる。
次々に入ってくる間諜からの報告に、エルヴィンは高揚感を隠しきれないでいた。
(そうだ、もっと俺を愉しませろ!)
この八年、実に平穏でつまらない日々を送っていたのだ。
攻め入って来るであろう各国をどうやって捻り潰そうかと、エルヴィンは一人仄暗い笑みをたたえていた。
しかし実際は、悉くエルヴィンの読みは外れ、窮地に立たされることになった。
ドルシグ帝国本土に連合国軍が攻め入って来たという報告から僅か数時間ほどで、本土が陥落したという連絡を受けたのだ。
その連絡に憤る間もなく、ウィレンツィア王国の王都で火事騒ぎが起こったかと思えば、何処から現れたのかも分からないサンスタシア帝国軍とエダルシア王国軍が王都に攻め入って来たのだ。
「クソッ!」
舌打ちをしながら、執務室を飛び出し王城の正面へと向かって駆け出す。何としても連合国軍が王城に到達する前に兵を集め、連合国軍の侵入を阻止しなければならない。
「なっ!」
だが階下へと降りてきたエルヴィンが目にしたのは、信じられない光景だった。
先程サンスタシア帝国とエダルシア王国の連合国軍がウィレンツィア王国の王都に攻め入って来たという報告を受けたばかりだというのに、もう王城内には数十名のサンスタシア帝国の騎士達がいて戦闘になっていたのだ。
敵がどうやって城内に侵入してきたのかエルヴィンには皆目見当もつかなかった。
そうして奇襲の成功によって、王城内に居たドルシグ帝国兵達はすでに倒されて床に転がされていのだ。
(クソッ、こんなにも早く敵が到達するなんて。……どうする)
物陰に潜み、状況を整理する。王城の別の階や外にも兵達はいるが、このまま統率が取れていない状況で戦ってもこちらに勝ち目はないだろう。
劣勢に舌打ちをしそうになったエルヴィンだったが、テラス前の廊下に居る騎士達の一番後方、エルヴィンから一番近い位置にいた騎士が視界に入った瞬間、その目を細めた。
「……神はどうやら、やはり私の味方らしい」
小声で呟かれたその言葉を、エルヴィンと行動を共にしていた側近のヘルムートが拾った。
「……あの男が、サンスタシア帝国に対しての手札になり得るのですか?」
エルヴィンの視線の先にいる人物を見とめて小声で疑問を呈す。
その言葉に、エルヴィンは片側だけ口角を上げると仄暗く嗤った。
「あれは、王女に対しての貢ぎ物さ」
そして音もなくその人物に近付くと、後ろから拘束しその動きを封じた。
◇◇◇ ◇◇◇
闇夜の中を冷涼な風が吹き抜けていく。寒期から少しずつ温期に移り変わる時期とは言え、この時期の夜間はまだ肌寒い。
だが寒さ以上に場は肌を刺すような沈黙に支配され、誰も身動き一つ取ることができないでいた。
「……まさか、こんなに短時間でドルシグ帝国の本土を陥落させたり、他国からウィレンツィア王国に辿り着けるなど思いもしなかったよ。いったいどんな魔法を使ったのか是非ともお聞かせいただきたいものだな、アリスティア王女」
よく通る声がその場に響き渡る。
別動部隊のサンスタシア帝国の騎士達が廊下からテラスを取り囲んでおり、テラスの階下にある王城の入り口にはサンスタシア帝国の騎士団が到着していた。更には王都民の避難誘導を終えたエダルシア王国軍も王城に集まり出している。
にも関わず、テラスの腰壁を背に立つエルヴィンは余裕の表情以外の何物でもなかった。
「……アリスティア王女。お前に選択権をやろう」
先程の揶揄うような声音ではなく、抑揚のない地を這うような低音が響く。
「私を『世界の力』の元に案内しろ」
「……」
エルヴィンがこの状況で何を言うのか、イリスには予想出来ていた。
この圧倒的不利な状況を一変させることが出来るのは、『世界の力』を手に入れること以外他にない。
「もし協力しないと言うのであれば……」
「っ!!」
エルヴィンの隣に立つヘルムートの剣が、更にリュカの首に食い込む。すでに床には小さな血溜まりができていたのだが、その上に更に首元から真っ赤な鮮血が滴り落ちた。
「……分かった!言う通りにするから、リュカから剣を放してっ!」
そう言ってイリスが唇を噛み締めると、エルヴィンは片側だけ口角を上げニヤリと嗤った。
そして視線だけをヘルムートに向けて顎をしゃくる。その合図を受けて、ヘルムートはリュカの首筋に当てていた剣を放した。
「決断が早くて助かるよ。私はつまらない事と待たされる事が嫌いでね」
リュカの首筋から剣が離れたのを見て、イリスの後方にいた騎士達が剣を握っていた手に力を込める。
その僅かな動きに目ざとく気付いたエルヴィンは、片眉を上げ顔を歪めた。
「……それ以上動かないでもらおうか。人質の命の保証はないぞ?とりあえず全員武器を捨てて、アリスティア王女以外は城外に出て頂くとしよう」
エルヴィンの言葉に後方にいた騎士達の空気が揺らぐ。
それもそうだろう。今現在王都民は無事に避難させ、駆け付けた連合国軍でエストラル城を取り囲んでいるのだ。エルヴィンを討つのなら今しかない。目の前の人質を犠牲にすれば、事は簡単に済むのだ。
しかし人質を考慮しエルヴィンの言に従った場合、エルヴィンは『世界の力』を手に入れてしまう。『世界の力』が何なのかは分からないが、千年前の世界大戦後に、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓って封印された代物だ。
エルヴィンにとって圧倒的不利なこの状況を覆す程の兵器だった場合、取り返しがつかないことになってしまう。
だが、たった一人の人質を犠牲にすることが、イリスにはどうしてもできなかった。
無論人質が誰であっても、それは変わらなかっただろう。しかしその人質は、あろうことかリュカだったのだ。
イリスの運命が回り始めたあの時から一緒に苦楽を共にしてきた仲間の命を突き付けられて、イリスはそれを犠牲にすることなど到底できなかった。
「……皆、ごめんなさい。……彼の言う通りに」
イリスが項垂れたまま小さく告げる。その言葉に後方にいた騎士達が僅かに騒めく中、不意にヘルムートに囚われたままのリュカが呻き声をあげた。
「やめ、……イ、リ……。おれ、……、はい、か……ら」
「お前は黙っていろ」
エルヴィンが心底嫌な物でも見るように顔を歪めると、リュカの襟首を掴んでいたヘルムートは剣の柄でリュカの首筋に一撃を入れた。
まともに一撃を食らったリュカは、べしゃりと床に倒れ込む。
「っ!人質の命が保障されないのであれば、その条件は飲めない!」
咄嗟にイリスが叫べば、エルヴィンは悪びれずに答えた。
「この男が勝手に喋るのが悪いのだろう?そちらこそ早く騎士をどけさせろ」
「……皆、言う通りに」
カランカランという剣が床に落ちて跳ねる乾いた音が辺りに響き出す。
イリスはエルヴィンを睨み付けながらぐっと唇を噛むと、テラスの端に自身も剣を放り投げた。
石造りのテラスの床に、放り投げた剣が跳ねて硬質な音を立てる。その光景を目にして、エルヴィンは大声で笑いだした。
「はははっ!お優しい王女様は人質を助けようと、我々の有利に戦況を覆してくれる。なんと慈悲深い事かっ!」
その言葉を、イリスは掌を痛いほど握りしめて耐えた。爪が食い込んで血が滲んできているが、構う余裕は無かった。
その時イリスのすぐ後ろにいたレオンとロイが、後方に下がるために後ろを向いた際に、小声でイリスに囁きかけた。
「諦めるな」
「一旦下がって様子を窺う」
はっとして顔をあげたイリスだったが、悟られないように後ろは振り向かなかった。
エルヴィンとヘルムートをさり気なく探るも、レオンとロイは後ろを向いた隙に囁いたので口元が動いているところは見られておらず、今のやり取りに気付いた様子はない。
(そうだ……私が諦めちゃいけない)
先程までは動揺と怒りで沸騰していた思考が、レオンとロイのお陰で少しずつ冷静さを取り戻していく。
怒りで我を忘れたり現状を嘆くよりも、今できることを考えなくてはいけない。
イリスは真っ直ぐにエルヴィンを睨み付けながら、これからどうすべきか必死に思考を巡らせた。




