人質
前国王の安否を確認し、その安全を確保したイリス達一行は来た道を戻っていた。
王族の居住区には様々な部屋がいくつもあるが、そのどれかにエルヴィンがいるとは到底思えなかったからだ。
「エルヴィンの性格からして、この状況で何処かの部屋に閉じこもっているということは考えにくいからね」
イリスの後ろを走りながらロイが声を上げれば、それにレオンも首肯した。
「そうだろうな。このような圧倒的に不利な状況でも、どうやったら相手に対して最も効果的で残虐なダメージを与えられるかを考えるだろう」
「……」
レオンの言葉に、イリスは思考を巡らせた。
ドルシグ帝国本土はおそらくエダルシア王国とオートレア王国の連合国軍によって間もなく陥落するだろう。そしてウィレンツィア王国の王都民はエダルシア王国軍とゴットハルト工房の協力で王都の外に避難中であるし、先程城内でサンスタシア帝国の騎士隊と遭遇したことを考えると、王城内にいる人々の避難も進んでいるだろう。
前国王を人質にしていたのはエルヴィン本人ではなかった。そしてそこにいたドルシグ兵達も制圧した上に、そこにはウィルニーナがいたので前国王を護るように頼んでいる。
ウィルニーナの実力の程をイリスは知らないが、剣を扱えるが故にアリスティア王女付きの侍女に抜擢されたことは当時から何となく知っていた。更に無線でサンスタシア帝国の騎士達にも増援をお願いしておいたので、前国王の身の安全は確保できただろう。
これまでの現状を整理して、イリスはふと走っていた足を止めた。
(すでに雌雄は決しているこの状況で、エルヴィンは次にいったい何を考えるのかしら)
まさに打つ手なしのこの状況で、エルヴィンが取る行動が全く読めない。
足を止めたイリスに気付いて同じように走るのを止めると、ロイが怪訝そうにイリスの顔を覗き込んできた。
「どうした?イリス」
「……エルヴィンは、どこに居るのかしら」
イリスの言葉に顔を見合わせた二人だったが、レオンがイリスを正面から見据えて訊ねた。
「例えばイリスが、一国の王としてこの状況に陥ったのならば、どうする?」
「私が、王として……。そうね、この状況は負けが確定しているでしょう?これ以上の犠牲を出さない為にも、潔く投降するわ」
レオンの言葉に迷いなく答えると、レオンは少しだけ表情を緩めた後再び訊ねた。
「イリスならそうだろうな。だが、もし仮に、投降したらその先にひどい扱いが待っていると分かっているのならば、どうする?」
「……」
王族は色んな意味で責任を伴う。国同士の争いであるのならば、敗戦国の王族の辿る運命など悲惨なものだ。
ここ千年そうした国同士の争いは起こっていないものの、千年前の世界大戦の教訓として多くの事例が語り継がれている。
(考えるだけでもおぞましい扱いが待ち受けているのならば、……私なら自死を選ぶかもしれない)
その思考に辿り着いたのだが、同時にもう一つの考えが浮かんだ。
「どうせ死ぬのならば、最期に一矢報いたいかもしれない。……エルヴィンも同じかしら?この状況で一矢報いるにしても自死を選ぶにしても、きっとひっそりと誰にも知られないところでなんて、そんなことはない気がする」
どうやらロイも同じことを考えていたようで、腕を組んでうんうんと頷いていた。
「エルヴィンならイリスの目の前で自決して、イリスに一生消えない傷と呪いを残すくらいしそうだね」
「そうだろうな。何処か目立つ場所に居そうな気がしている」
ロイの考えを肯定したレオンの言葉に、イリスは更に思考を巡らせた。
城内を頭の中で思い描き何処からでも目立つ場所を探そうとした矢先、耳輪に付けていた無線から連絡が入った。
『二階テラスにてエルヴィンを発見。人質をとっていて手出しができないっ』
それはサンスタシア帝国の騎士からのものだった。それを耳にした瞬間、イリスは猛然と走り出していた。
「二階テラスって……」
走り出したイリスを追ってロイが声を掛ける。イリスは後ろを振り返らずに答えた。
「さっきフラッデルで降り立ったところ。こっちからが近いっ」
来た時とは違う階段を駆け下りる。イリスを後ろから追いかけながら、レオンが釘を刺した。
「イリス、そのまま突っ込んでいくなよ!」
「……分かってる。人質がいる以上、下手には動かない」
「……」
冷静を装って答えたつもりだが、レオンにはその胸の内が読まれているような気がした。だが、イリスは知らない振りをしてそのままテラスに向けて走る速度を速めた。
途中所々の廊下で交戦した跡があり、ドルシグ兵が切られて横たわっていたり、怪我をしたサンスタシア帝国の騎士が他の騎士に傷口を押さえられ手当てを受けている場面に遭遇した。
「この先のテラスにエルヴィンがいる。ここを避けて一階に降り、救護班の所へ」
矢継ぎ早に指示を出しながらその場を駆け抜ける。足を止めている暇はなかった。
(もうドルシグに、エルヴィンに誰も傷つけさせないっ!)
イリスは前だけ向いて走った。迷いはなかった。エルヴィンと対峙すること、それがイリスの役割だ。これで全て終わらせる、そう意気込んで走っていた。
角を曲がった先の廊下の前、ちょうどテラスの前のところにサンスタシア帝国の騎士達が数十人待機しているのが見える。イリスはその中にヴォルターの姿を見付けて声を上げた。
「ヴォル……」
呼び掛けて現状を聴こうと思ったイリスの言葉は、視界に入ってきた光景によって止まった。
同様に、走っていた足も止まる。
「……」
テラスに面した一角は大きなガラス窓とガラス扉で廊下と区切られているため、まだ距離があるイリスの位置からでもテラスの状況が見て取れたのだ。
夜遅い時間帯のため、星が瞬いているものの空は濃紺色が深く辺りを真っ暗に染め上げている。
だが城壁を明るく照らす炎の幻影を白亜のエストラル城が反射しており、テラスの腰壁を背に立つエルヴィンをはっきりと闇の中に浮かび上がらせていた。
その隣には彼の側近だろう人物が剣を持ち、もう片方の手で人質の襟首を掴んで無理矢理立たせている。
人質の男性は意識が無いのか、ここからでは動いている様子が見受けられなかった。顔や腕などから所々血を流しているようで、真っ赤な鮮血が床にポタポタと滴り落ちているのが見えた。
そんな傷の状態まで見て取れる状況だというのに、イリスは目にしている光景を、人質が誰なのかを信じたくなかった。
(まさか……まさか…………)
ゆっくりと一歩ずつ、足を進める。少しずつ縮まるテラスとの距離に、見間違いであって欲しいと思うイリスの気持ちがどんどん打ち砕かれていく。
一歩進むごとにその輪郭ははっきりと見て取れるようになり、人質が誰であるかを確たるものにしていた。
イリスは勿論、誰が人質として取られていたとしても、助け出すつもりでいた。もう誰にも死んでほしくなかった。その思いで走っていたのだ。
しかしテラスでエルヴィンの隣に立つ側近に捕らえられている人質を目にした瞬間、イリスの頭の中からは全ての思考が吹き飛んでいた。
「イリス様……申し訳、ございません」
ゆっくりと歩みを進めテラスの入り口であるガラス扉の前まで来たイリスに、ヴォルターが声を掛けた。人質を取られたことで、サンスタシア帝国騎士団はテラス前の廊下まで下がらされているのだろう。
だがテラスから一切視線を逸らせないイリスは、ヴォルターの方を見ることはなかった。
レオンとロイも掛ける言葉が見つからず、押し黙っている。廊下にいる数多のサンスタシア帝国の騎士達も、この状況を前に動けないでいた。
誰もが身動き一つできず言葉一つ発しない状況を面白がるように、エルヴィンが高らかに笑い声をあげた。
「はははははっ!お気に召してくれたかね、アリスティア王女。……いや、イリス、と呼んで差し上げた方がいいかな?」
心底面白いとでもいうように歪んだ笑みを浮かべるエルヴィンに、イリスは顔を顰めた。
するとその時、間近でエルヴィンの高笑いが聞こえたからか項垂れて気を失っていた人質の男性が僅かに顔を上げた。
「うっ……あ……」
「お目覚めかい?ちょうどいいタイミングだ。最高の余興だよ」
尚も笑い声をあげるエルヴィンに、イリスはギリギリと奥歯を噛んで溢れだしそうな怒りを耐える。そんなイリスの様子に、エルヴィンは益々口の端を歪めた。
「ほら、感動の再会だろう?よく顔を見せてあげたらどうだ」
「っ!」
エルヴィンの言葉に、隣に立つ側近であるヘルムートが、人質の襟首を掴んでいない方の手に持った剣を使い、平らな面を人質の顎に添えて顔をあげさせた。
「やめてっ!」
剣の刃が人質の喉元に当たって擦傷を作り、そこから真っ赤な血が流れ出る。咄嗟に一歩前に出たイリスが声を張り上げると、人質の男性は今度こそはっきりと意識を取り戻したようだった。
「っ……イ……リ……ご、め」
「いいからっ、喋らないで!」
イリスを動揺させるためだけに選ばれた人質だ。エルヴィンには当にイリスの胸の内など見透かされているのだろうが、露骨に動揺している姿を晒すわけにもいかない。
謝罪の言葉に泣きたくなる想いを、イリスはぐっと堪えた。
誰が人質として捕らえられていても助け出すつもりでいた。その想いは嘘ではなかった。
けれど実際にイリスの良く知る人物がこうして人質として捕らえられ血を流しているのを目の当たりにして、イリスは激しく動揺し、その動きには迷いが生じていた。
エルヴィンが一枚も二枚も上手だったのだ。この絶望的な状況にあって、絶望しているのは果たしてどちらか。
それは考えるまでもなかった。
「今、助けるから……。待ってて……リュカ」
この状況を前に、イリスは強がりでしか言葉を発することが出来なかった。




