再会 2
目的の部屋が近付きイリスが走る速度を緩めると、追従するレオンとロイも意図を汲みとり走るのを止めて足音を消した。
この廊下の突き当りが前国王の居室だが、居室の前には意外にもドルシグ兵の姿は見当たらなかった。
(室内でエルヴィン自身がおじい様を人質に取っているのなら、兵は必要ないということかしら?)
考えを巡らせるが、考えた所で突入することに変わりはない。イリスは思考を止めると扉の前で息を潜めた。
中からは明らかに複数人の気配がしている。イリスはレオンとロイに視線で合図を送ると、次の瞬間扉を一気に開け放った。
「っ!!おっ、お前達、う、動くんじゃない!」
扉を開けた先の部屋はテーブルやソファなどの家具が置かれた居室となっており、前国王の身の回りの世話のための侍女と思しき女性が二名と、彼女等に剣を突き付けて立つドルシグ帝国の兵士が四名いた。
居室の奥には扉があり、その先は寝室となっている。寝室へ続く扉は開け放たれているもののこの角度では中の様子を窺うことは出来ない。しかし、人の気配が感じられた。
おそらくは前国王が人質として捕らえられているのだろう。
「っ、あ、……」
「おいっ!動くな!!」
突入してきたイリス達を見て、剣を突き付けられているにも関わらず侍女の一人が口元を手で覆い僅かな呻き声をあげた。そんな些細な動きにも苛立ち、ドルシグ兵は剣先をより彼女の首元に近付ける。
その様子に、もう一方の侍女は顔を真っ青にして必死に悲鳴を呑み込んだのだが、剣を突き付けられている方の侍女は、自分に迫る剣先に動揺する様子は見られなかった。
「どなたか知り得ないが、私のことは気せずともよい。彼女達を助けてやってくれ」
「おい!余計なことを喋るなっ!今すぐ殺すぞ!!」
「!」
目の前のことに気を取られていたイリスの耳に、寝室からの声が届いた。
(おじい様!)
その声は、記憶にあるものよりもしわがれた声だったが、紛れもなくウィレンツィア王国前国王である、祖父のものだった。
寝室にいる前国王からもイリスの姿は見えていないが、何者かがこの私室に押し入ってきたことは分かったのだろう。
思わず懐かしさに目頭が熱くなるが、感傷に浸っている暇は無かった。
「殺せるものなら殺してみるがいい。私がいなかったら、お前達が望んでいる『世界の力』も手に入らんだろうがな」
「言わせておけば……必要なのはおまえの命だけなんだからな?その枯れ枝のような腕や足を折るくらい問題ないぞ?」
前国王の言葉に、その傍にいて見張っている者が嘲った。声からするに、見張りの者も意外にも高齢の者のようだった。
エルヴィンがウィレンツィア王国を簒奪してまで欲した『世界の力』を封印した扉を開けるためには、ウィレンツィア王国の王族二人以上が必要だということが分かっている。だからどんなに脅されたとしても、前国王が今すぐ殺されることはない。
けれど見張りの者が言うように、死なない程度に痛めつけることはできる。
前国王に煽られ、寝室にいる見張りの者の空気が揺らぐ。それを察して、イリスは咄嗟に駆け出した。
「なっ!」
寝室の方へ走り出したイリスを目にして、目の前で侍女に剣を突き付けていたドルシグ兵の意識が一瞬イリスへと向いた。その瞬間を見逃さず、レオンとロイが即座に切り掛かる。
「お前達の相手は俺達だ」
「きゃぁあ!!」
ドルシグ兵の剣が侍女達を傷付けるよりも早く、二人は剣を振り下ろしあっという間に四名全員を床に転がした。
状況を呑み込めていない侍女が「あ、あ、」と意味のない言葉を呟きながら腰を抜かし、床にへたり込む。
しかしその隣で、もう一人の侍女は自分の足元でレオンに斬られ床に伏し呻き声をあげているドルシグ兵の手から剣を奪い取ると、続き間の寝室へと向かって駆け出した。
「え?」
そのあまりの身のこなしの素早さに、正面に居たロイが面食らう。気付いた時には彼女はもう、寝室の入り口の前に居た。
「ティア様っ!」
しかし侍女が寝室の状況を目にした時には、最早全てが終わった後だった。
一瞬で寝室に駆け込んだイリスは、目の前の状況を瞬時に把握した。
ベッドにいるが上半身を起こして座っている人物は紛れもなく前国王だった。そしてその傍らに立つのは、腰の曲がった身体に白髪の老齢の人物だった。
その老齢の人物、サルヴァは今まさに、振り上げたナイフで前国王に切り掛かろうとしているところだった。
この距離ではイリスがナイフを止めに入るより先に、ナイフが前国王の足に突き刺さってしまう。
その事実を導き出すや否や、イリスは自身の持っている剣を迷うことなくサルヴァに向かって投げつけた。
いきなり入室してきた人物に気付いてそちらに視線を動かしたサルヴァは、自分目掛けて飛んでくる剣に悲鳴をあげた。間一髪、剣を避けて必死に後ろに飛び退く。
その間に一気に距離をつめると、イリスはサルヴァに向かって回し蹴りを入れた。あまりのことに身構えることも出来ず、まともに蹴りを食らったサルヴァは派手に後方の壁に吹っ飛びそのまま意識を失った。
「おじい様!」
前国王の傍らに駆けつけたイリスは、掛布の上にあったその手を両手で握り、前国王の身体を急いで確認する。しかし特に外傷などは見受けられなかった。
「!」
イリスが握った手を、前国王が握り返す。
皺が深く刻まれ痩せ細った指先の感触が伝わる。だがその力は弱く、イリスは思わず込み上げるものがあったがそれをぐっと堪え顔を上げると笑顔を作った。
「只今、戻り、ました」
意に反して震える声を何とか紡ぎ、言葉にする。
だが前国王が握った手を解いてイリスの肩に乗せ、優しく撫でてくれるともう駄目だった。
イリスは溢れ出るものを押し留めることが出来なくなり、その頬を涙が伝った。
「よくぞ無事で……アリスティア」
その言葉にイリスは「はい」と頷くことしか出来ず顔を伏せる。零れ落ちる涙がベッドの掛布を濡らしていた。
「き、さまっ!よくも、うぎゃあぁぁぁ!」
その声にイリスが顔を上げ振り返ると、蹴り飛ばしたサルヴァが意識を取り戻し起き上がるところだった。
だが蹴り飛ばされたサルヴァのすぐ隣には先程隣の部屋にいた侍女の一人がおり、剣を持った侍女は起き上がろうとしていたサルヴァの太腿に剣を突き刺していた。
サルヴァは太腿を貫かれ尚も喚いているが、侍女はそんなサルヴァを冷徹な瞳で見下ろしている。慌てて追いかけてきたレオンとロイが、寝室の扉の所で戸惑っている様子だった。
これ以上何も出来ないと判断したようで、侍女はサルヴァの太腿から剣を引き抜く。そして振り返ってこちらを見た。
その瞳と視線が合った瞬間、イリスの胸に懐かしさが一気に押し寄せてきた。
「ウィル、ニーナ。ウィルニーナっ!」
思わず駆け寄りその胸に抱きつく。イリスの瞳からは、とめどなく涙が溢れ続けた。
「ティア様……本当に、ティア様なの、ですね……」
ウィルニーナの頬も涙が伝う。
イリスが抱きつく力を緩めて二人の間に少し距離を取り、顔を見合わせられるようにする。お互い涙に濡れているし少し歳を取った部分はあるが、その顔は紛れもなく記憶の中の人物そのものだった。
「残念だけれど、感動の再会はそこまで。まだ、僕達にはやるべきことがあるからね」
ロイが優しく二人の間に割って入る。その言葉に、イリスは現実に引き戻された。
(そうだった。まだ、私にはやるべきことがある)
イリスはウィルニーナを真っ直ぐに見据えた。
「ウィルニーナ、おじい様をお願い。ここを何としても護り抜いて」
突然顔付きの変わったイリスに一瞬喫驚したウィルニーナだったが、すぐに居住いを正すとその命に騎士の礼をとった。
「今度こそ、この命に代えましても」
その返答に、イリスは少しだけ困ったように笑った。
「おじい様を護りつつ、貴方も必ず生きてちょうだい。……もう、誰にも死んで欲しくないの」
イリスの言葉に目を丸くしたウィルニーナだったが、その言葉を理解し深く頭を下げた。
◇◇◇ ◇◇◇
イリスは前国王とウィルニーナに簡単に状況を説明すると、ウィルニーナに二、三指示を出してから部屋を後にした。
ウィルニーナはその指示通り、先程レオンとロイにやられたドルシグ兵とサルヴァを居室の一角に集める。最早立ち上がれる者は誰もいないが念の為その手を紐で縛って拘束した。
「陛下、必ずやお護り致します故、何卒今暫くのご辛抱を」
イリスから聞かされた状況を鑑みると、前国王の私室にこれ以上ドルシグ兵が攻め入ってくることはないと思われたが、万が一ということもある。
もしそんなことが起こっても、先程の様に前国王を人質として取られていない状況であればウィルニーナは存分に剣を振ることが出来る。この扉は何としても死守するつもりだ。
作業を終え、ウィルニーナは礼を取り寝室の扉に手をかけた。
「……ウィルニーナ」
「っ、はい、陛下」
扉を閉め切る前に前国王から声をかけられ、その手を途中で止めた。
振り返ると、前国王はベットに上半身を起こして座ったまま、掛け布の上にある自身の両手を見つめていた。
「私はあの子に、何といえば良かったのか……」
「……」
前国王の言葉に、ウィルニーナは答えを持っていなかった。何故ならウィルニーナも、全く同じことを考えていたからだ。
呼び掛けはしたが返答は求めていなかったようで、前国王はウィルニーナの返答を待つことなく言葉を続けた。
「あの子の手……。普通の令嬢であれば陶磁器の様な白肌のしなやかな手だっただろうに……よく見ると傷だらけで剣だこのある力強い手だった」
それはウィルニーナも感じたことだった。先程イリスに抱きつかれた時、その身体は柔らかいだけの普通の令嬢のそれではなく、細身ではあるがしっかりと筋肉の付いた身体だったのだ。
そこから察せられることはただ一つ。イリスと名を変えて呼ばれていたアリスティア王女が、この八年どれだけの苦労をしてきたのかということだ。
(お護り出来なかったせいで、ティア様は……)
生きていてくれたことは望外の喜びだった。八年前のあの時、必死にアリスティア王女を逃がしたのは、何としても生き延びて欲しかったからだ。
だが望んだのは、自らの手で国を取り戻そうとする、こんな未来ではなかった。
「すまんな、君を責めたのではないよ」
「……っ、いえ、そんなことはございません。私の力不足のせいで……」
「いいや、我々の責任だ」
前国王がウィルニーナの言葉を遮る。知らず俯いていた顔をあげれば、前国王は先程までの落胆した様子ではなく、その目にははっきりと強い意志が宿っていた。
「もう過去は変えられない。だが、過去を生かすことは出来る。我々はあの子のためにも、これからの未来に向けて、出来る限りのことをしていこう」
「っ、はい!陛下」
前国王の言葉に、ウィルニーナも力強く頷きを返した。
どんなに足掻いても、過去を変えることは出来ない。ならばこれから先の未来で同じ過ちを犯さない為に、自身に出来ることを精一杯やるしかない。
ウィルニーナは再び礼を取ると、今度こそ寝室へとつながる扉を閉めた。その扉を背に立ち剣を構え、廊下へと続く扉と窓を注視し、警戒を強める。
(ティア様……もう何人たりとも、ティア様の未来を妨げさせたりはしません)
固い決意のもとに、ウィルニーナは剣を握る手に力を込めた。




