この日の為に 5
今回のお話は前半はカイン視点、後半はウィレンツィア王国にあるゴットハルト工房の職人である、ゼファー視点のお話です。
ウィレンツィア王国の外れにひっそりと佇んでいる工房の中では、工房の代表がとある無線を受け取っていた。
「……了解した」
そう短く答えて、工房の代表であるカインの父親が無線を切る。
作業をしていた手を止めてその様子を固唾を呑んで見守っていた工房の職人達は、今から語られるであろう無線の内容を皆が息を潜めて待った。
無線機を机に置き、こちらを振り返った父親は職人達をぐるりと見回した後大きな声で告げた。
「……連絡が入った。船団は無事に連合国軍を大陸の北側に送り届け、今し方連合国軍がドルシグ帝国本土に侵攻を開始したそうだ。
エダルシア王国の別動部隊もストレアル山脈を越えて、無事に王都付近に潜伏しているサンスタシア帝国騎士団と合流できたそうだ」
「それじゃあ……」
隣に立っていたカインの口から小さな呟きが零れ落ちる。
父親が語った言葉が意味するところは一つだ。これからこのウィレンツィア王国でも、作戦が決行されるということに他ならない。
ドルシグ帝国本土への侵攻やサンスタシア帝国軍とエダルシア王国軍の到着という情報は、きっとウィレンツィア王国の王城内にいるエルヴィンの元にも届いているだろう。
エルヴィンも今から動き始めるはずだ。
しかしドルシグ帝国本土が連合国軍によって侵攻されている今、このウィレンツィア王国にドルシグ帝国本土からの応援は望めない。ウィレンツィア王国に常駐させている兵だけでサンスタシア帝国軍とエダルシア王国軍の相手をすることになる。
しかしその数の差は歴然だ。おそらくエルヴィンが討たれるのも時間の問題だろう。
しかし油断はできない。圧倒的に数で負けているエルヴィンがこれからどう動くかと言えば、先ずウィレンツィア王国民を人質にとるはずだ。無辜の民を盾にして時間を稼ぐだろう。
だからこそ王国民を人質として取られないために、一斉に避難させることをゴットハルト工房はサンスタシア帝国の皇帝より託されていたのだった。
「決戦の火蓋は切って落とされた。我々も役目を果たすぞ!」
「「「おう!」」」
父親の掛け声を合図に、職人達がそれぞれの持ち場に向かって扉をくぐり走り出て行く。
大陸中央にあるウィレンツィア王国は、領土の南東から北西側にかけてを堅牢なストレアル山脈に囲まれているため、日の入り時間が早い。すでに外には夜の帳が降りていたが、誰も灯りは持たなかった。
住み慣れ歩き慣れた道だ。灯りを持つことで目立ったりドルシグ兵に見つからないようするため、皆足元が暗い中を懸命に持ち場に向かって急いだ。
「……」
皆が工房を出て行くのを祈るような気持ちで見送っていると、父親がそっとカインの肩に掌を乗せた。
そのゴツゴツとしてずっしりとした手の重みで我に返ると、胸の前で組んだ手の指が痛い程に食い込んでおり、それでも指先はガタガタと震えていた。
「……」
ここから先は、カインはこの工房で留守番なのだ。
依頼されたものは完璧な状態で造りあげ、すでに各所に設置してある。後は工房の職人達に起動してもらうだけなのだが、もし万が一失敗したらと思うと気が気ではなかった。
「……大丈夫だ。自分の力を、皆の力を信じろ」
隣に立つ父親がカインを引き寄せると、そのまま力強く抱きしめてくれた。
父親も万が一何かがあった場合に指示を出したり状況を統括するために、カインと共にここに残っている。
(みんな……どうか無事で)
ドルシグ帝国本土ではすでに開戦し、このウィレンツィア王国でも間もなく連合国軍による侵攻が開始される。
もうこの大きな波が止まることはない。もし止まることがあるとすれば、その時は雌雄が決した時だろう。
ドルシグ帝国本土を同時に叩き戦力を分断させ、連合国軍が動いている今、ドルシグ帝国の敗戦はほぼ間違いない。
しかし、結果に行きつくまでにどれだけの血が流れるのだろうとカインは心配せずにはいられなかった。
出来れば誰にも傷付いて欲しくはない。けれど、そんな甘いことが通じる訳が無い事はカインにも分かっていた。
それでも、連合国軍は出来るだけ血を流さないようにするために、こうして様々な策を講じてくれている。カインが寝る間を惜しんで心血を注いで完成させた装置も、その為の物だ。
(ウィレンツィア王国の人々が、怪我無く皆無事に避難できますように)
父親に抱きしめられたまま、カインはそっと皆が出て行った扉の向こうを見遣った。
夜闇に包まれた外は真っ暗で、何も見えはしない。それがこの先の未来を表しているかのようで、不安を掻き立てられる。
(イリス……リュカもレオンもロイも……どうか皆無事に帰ってきて)
祈ることしかできないカインは、父親の腕の中でそっと瞳を閉じる。
そうして、今まで生きてきた中で一番真剣に願いを込めて祈った。
◇◇◇ ◇◇◇
ゼファーは自分の持ち場に着くと、走ってきたために荒い息を整える間も惜しんでその場に隠してあった装置を取り出した。
普通の民家の脇に置かれた木箱の中に掃除用具と共に入っていたのは、カインと共に作った装置だ。
(頼むぞ。ちゃんと動いてくれっ!)
祈るような気持でそれを起動させると、レンズからは眩い光が放たれる。
「よしっ!」
思わず声が漏れ、慌てて周囲を見回す。
だが声を上げてしまったことに自分が驚いただけで、ごく小さな声はそれほど周囲に響いてはおらず、誰にも気付かれることはなかったようだ。
ほっと胸を撫で下ろしたところで、ゼファーは光の照準を、家屋の後ろにある王城を護るようにぐるりと取り囲んでいる城壁に合わせた。
ゼファーが光の位置を調節していると、瞬く間に同じような光がゼファーがいる左右の通りから城壁に向かって放たれ始める。
この装置は全部で二十台あり、それぞれの装置を職人達が分担して起動させる手筈になっていたのだ。この様子だと、各々無事に持ち場に着いたのだろう。
「っ!」
だが城壁が不自然に光り出したことに城門前に居るドルシグ兵も気付いたようだ。何かを叫びながらこちらに向かって駆けてきているのが見える。
(未だか?早くっ!)
どんどんドルシグ兵との距離が近くなり背中を冷汗が流れ落ちる中、森の方の担当の者達も準備が整ったようで、王城の周りにある森の中からは煙の臭いが微かに漂い始めた。
(今だ!)
――ピーッ!!
夜の帳が降りた静寂の虚空を震わせて、笛の音が鳴り響く。
ゼファーが懐から取り出した小さな木の笛を吹くと、それを合図に各装置のボタンが一斉に押された。
途端、轟々と音を響かせて、王城を囲むように張り巡らされている城壁が一気に燃え上がった。それを見届けて、装置の傍にいる職人達全員が一斉に声を張り上げた。
「火事だー!」
「何も持つな!とにかく逃げろっ!!」
「城が燃えてるっ!王都の端まで逃げるんだっ!!」
眠るのにはまだ早いが、ウィレンツィア王国の王都では皆もうそれぞれの家に居た時間帯だ。声を聴きつけた者達が、次々に何事かと戸外に出てくる。
そして人々は、王城の城壁を覆うように高く燃え盛る炎を目の当たりにした。
「きゃあー!」
「火事だ!!」
「おいっ、早く逃げるぞ!!」
人々が口々に声を上げながら逃げ惑う。それもそうだろう。人々には八年前のドルシグの乱のことが鮮明に記憶に刻まれているのだ。
あの時からウィレンツィア王国の悪夢は始まっている。王城で上がった炎を目にして、誰しもが八年前を思い出したはずだ。
それ故、人々の行動は早かった。まだ何が起こったのかも分からないが、とりあえず着の身着のまま王都の外へ向かって避難を始めたのである。
だがこの炎は、勿論実物ではない。ゴットハルト工房が総力を挙げて造り上げた装置による映像だった。
サンスタシア帝国の皇帝が依頼したのは、より鮮明な映像を映し出す、映像投影装置だった。この装置の映像と音で王城の城壁が燃えているように見せかけ、王都の人々が自ら逃げ出すように仕向けるのが狙いだった。
人々の思い出したくもない記憶を利用することにゼファーは最初良心が咎めたのだが、確かにこれほど覿面且つ迅速に人々を避難させられる方法はないと思われ、この装置の製作を請け負ったのだ。
だが流石に、近くで見ればこれが映像であることは直ぐに分かる。その為、実際に森の方で何箇所か焚火も起こしていた。視覚、嗅覚、聴覚で火事を印象付ける作戦だ。
「おいっ、止まれお前達!」
装置に向かって駆けてきていたドルシグ兵が、慌てて方向を変え逃げ始めた民衆を止めに入る。だが最早逃げ惑う人々はパニックだった。
王都の外へ向けて、皆一心不乱に走って行く。中には状況が分からず走らされ、泣き叫んでいる幼子もいた。
「止まれっ!命令が聞けないのかっ!!」
ドルシグ兵が止めに入るが、皆足を止めることはない。遅れて状況を知った人々もすぐさま避難に加わり、状況は更に混乱を極めていた。
「クソッ、これのせいかっ!」
すると、止まらない民衆に痺れを切らしたドルシグ兵が、再び踵を返してゼファーの方へ駆けて来た。
この距離で城壁を見ればこれが映像だとすぐに分かる。ドルシグ兵は装置を破壊するつもりのようで、走りながら腰に佩いた剣を抜いた。
「っ!」
一応護身用に短剣を所持してきているが、剣を振ったこともないゼファーにその剣を受け止めることはおそらく出来ない。
為す術なく、ドルシグ兵が剣を振りかぶるのを見ていることしかできないでいたその時、ガキィンという金属音と共に、剣を振りかぶっていたドルシグ兵は後方に吹っ飛んでいった。
「良かった、間に合った!」
「!」
見ると、青色の騎士服を身に纏った年若い騎士がゼファーの前に立っていた。
「この装置は俺が護りますので、貴方も避難を。心配せずとも、他の装置の処にも仲間が向かいましたので安心してください」
年若い騎士がすぐさまゼファーを振り返り、皆が避難している王都の外へと続く街道を指差す。
だが目の前の騎士はどう見ても細身であり、とてもドルシグ兵を吹っ飛ばすほどの腕力があるとは思えなかった。
ゼファーはただ呆然と、騎士と吹っ飛んでいったドルシグ兵とを交互に見ることしかできなかった。
その視線に気付き、ゼファーの言いたいことを悟った年若い騎士は頭を掻きながらにっこりと笑った。
「俺に相手を吹っ飛ばす程の力があるのが不思議ですよね。でも、俺もちょっと前に知ったんですよ。腕力だけが大事じゃないんだなって」
そう言って、年若い騎士は大通りの方へと視線を向けた。それにつられて、ゼファーも大通りを見遣る。
見ると、青色の騎士服を着たエダルシア王国の騎士達がそこかしこに到着しており、ドルシグ兵を押さえ付けたり民衆の避難誘導をしたりしていた。
そんな大通りの真上を、一陣の風が通り抜けた。
「!」
その姿を目にし、ゼファーは思わず目頭が熱くなった。
今吹き抜けて行った風は、民衆の流れと逆らうようにして王城に向かって飛んでいったフラッデルだ。
夜の帳が降りたとはいえ、映像投影装置によって作り出された疑似炎によって辺りは明るく、ゼファーはフラッデルに乗るその人の姿を視界にはっきりと捉えることが出来ていた。
フラッデルの向こうに見えた純白の騎士服は、サンスタシア帝国の誇るフラッデル部隊だ。
三機が連なって飛んでいったが、その先頭を駆る人物をゼファーが見間違うはずがなかった。
「……後は頼みます。アリスティア王女殿下」
ゼファーは拳を握りしめると、祈るような気持でイリスが飛び去った王城の方角を見つめ続けた。




