この日の為に 2
今回のお話はエダルシア王国の大商会、ミュラー商会の会頭、アレク・ミュラー視点のお話です。
無線が入ったことを受けて、海洋を漂う船団には一気に緊張が走った。
その内容がどんなものなのか、甲板に居る船員達が固唾を呑んで見守る。
「……はい、……はい、分かりました」
やがて無線に対して短く返事をした副船長が、操舵室の窓から身を乗り出した。
今からその内容が告げられるのだと、皆の緊張感も最高潮に達する。
だが身を乗り出した副船長は、唇を真一文字に引き結び何とも言えない顔をしていた。
その表情からは無線の内容が良いものだったのか悪いものだったのかを読みとることは出来なかった。
「ドルシグ帝国に向かった騎士団からの報告だ」
「っ!」
副船長の言葉に皆が息を呑む。
「……」
誰も言葉を発っすることなく、黙って言葉の続きを待つ。
やがて、副船長はゆっくりと息を吐き出し、次に大きく息を吸い込んだ。
「……ドルシグ帝国はマーロウ皇帝が降伏を宣言、城内の制圧完了だとよ!」
大声で告げられたその内容に、船団の甲板は歓喜に沸いた。
「何だよ副船長!脅かしやがって!!」
「もっと喜んで無線を受けろよ!悪い知らせかと思っただろっ!!」
甲板に居る船員達が口々に副船長に向かって野次を飛ばす。だが誰も本気で怒っている者はおらず、皆の顔は笑顔に満ち溢れていた。
「よかった!今回の作戦が成功しなかったらどうしようかと思っていたもの」
「……別に作戦が失敗したからといって、ステラのせいではないだろう?」
他の船員達と同じく甲板でその一報を今か今かと待っていたアレクは、隣に立つステラを安心させる様にその肩にそっと優しく手を添えた。
「それはそうだけれど……あの子達が気に病むでしょう?」
「う……まぁ、そう、だろうが……」
ステラの言葉に、アレクは上手く言葉を返せず言い淀む。
今回の作戦にもし失敗などしようものなら、やっぱり自分達も同行すればよかったとソルとルナが後悔することは目に見えていたからだった。
今回の作戦においてアレク達の役割は、ドルシグ帝国の警戒の薄い大陸の北側から騎士団が侵攻するために、エダルシア王国とオートレア王国の騎士団を乗せて、死の海域と呼ばれる難攻不落の海域を渡るというものだった。
今回の作戦にあたり、先んじてエダルシア王国は半年以上も前から、国王であるガルーラ陛下が病気に臥せっているという噂を流していた。
それが今回の作戦に何の関係があるかと言えば、後々医療大国であるオートレア王国からの医療団をエダルシア王国に呼び寄せるためである。
他国の国王のために派遣される医療団ともなれば、大掛かりになるのは当然だ。それこそ国の威信にかけて、オートレア王国では大医療団が結成された。
無論、それを護る護衛の騎士達も大掛かりなものとなる。そうしてドルシグ帝国に怪しまれずに、医療団と騎士団をエダルシア王国入りさせたのだ。
後はエダルシア王国の港を出航する貿易船にエダルシア王国とオートレア王国の騎士団、そして医療団を紛れ込ませ、サンスタシア帝国入りを果たしたのだ。
そうしてサンスタシア帝国に寄港した船は、そのまま監視の目がない死の海域を航行してドルシグ帝国の北側に接岸し、騎士達を無事にドルシグ帝国に送り届けたのだった。
「あの子達、置いてきたことをすごく怒っていたもの。早く作戦が成功したことを伝えてあげたいわ」
「そうだな、早く伝えてやろう。ソルとルナも喜ぶ」
何故この作戦が立てられたのかと言うと、それはひとえにステラとその子供達、ソルとルナの天候を読む能力があったからに他ならない。
天候さえ正確に読み切ることが出来れば、荒れ狂う波も越えて死の海域ですら突破できるのではないかとサンスタシア帝国の皇帝は考えたのだ。
もし死の海域を越えて行けるのだとしたら、ドルシグ帝国に気付かれることなく帝都の近くまで騎士団を秘密裏に運ぶことが出来る。
これ以上最善の策はないだろうというくらいの妙案だったが、最初にその作戦を聴いた時、アレクは首を縦には振らなかった。
大陸の北側は堅牢な山々から吹き降ろされる風の影響で気流が乱れやすく、天候の変化も激しく海流も複雑で、どんな頑丈な船であろうと海の藻屑と消える死の海域なのだ。ちなみにアレク率いる商船団はそんな死の海域をも航行できるなどという噂が流れているが、何人たりともその海域を突破したことはない難攻不落の海域だった。
そんな危険な海域を渡る任務など受けたくはなかったし、ステラ達を巻き込みたくもなかった。だがイリスのためと懇願されれば、命の恩人でありステラと子供達のことで世話になっているだけに断り辛かった。
しかしそんなアレクの想いとは裏腹に、ソルとルナはイリスの名前を聴いて皇帝の言葉に二つ返事で協力を了承していた。
正直に言えば、アレクとしては絶対にこんな危険な任務など受けたくなかった。当然だ。何で進んで死の海域に挑まなければならないのだ。しかも大切な人を乗せてまで。
だがソルとルナは本気だった。『お姉さんを助けてあげないならもうお父さんなんて知らない』なんて言われたら、アレクとしては頷くしかない。
だがそう言ったルナの隣には、サンスタシア帝国の港に着いた際、馬車で迎えに来た例の騎士が居た。
絶対あいつがルナにそう言わせたんだと分かっていたが、言わされた言葉だったとしても、アレクには頷く以外の選択肢はなかった。
アレクはどうあっても、子供達には嫌われたくないのだ。
(だが、あいつは絶対に許さない。『お父さんなんて』とルナに言わせたあいつは絶対に許さない)
しかし任務を受けることにはしたものの、ソルとルナは乗船させず決行日に陸上から天候を読ませるに留まらせた。
アレクとしては、本当ならステラも乗船させたくはなかったのだが、海上での細かい天候変動に対応するためにはどうしても乗船が必要だったのだ。
こればかりは、ステラの能力がないと如何にアレクと言えど死の海域を突破できる気はしなかった。
泣く泣く了承したソルとルナは、出発前に今までになく真剣に空模様を読んだ。そして詳細をステラに託したのだ。
(なんだろう。俺よりもイリスの方が大事に想われている気がしてならない)
だがもしそうだとしてもそれは仕方がないとアレクは自分に言い聞かせた。
理由はどうあれ、アレクが子供達を何年も放っておいたことには違いないのだ。
(俺はマイナスからのスタートだからな。そう、仕方がない)
そうして子供達の情報も得て、船団は出発した。ステラは途中から降り出した雨にも構うことなく、甲板で天候の変化を読み続けた。
さすが死の海域と呼ばれる海だけあって、幾度となく嵐に遭ったことがあるアレクですら死を覚悟するような航海だった。
それでも、不思議と不安は無かった。アレクは揺れる甲板で次の風を読むステラを隣で支え続けた。
そうして出航して数十時間ほどで、船団は目的地であるドルシグ帝国の北側に騎士団を降ろすことに成功し、再び海洋へと戻った。だが復路は往路とは違うルートを航行していた。
死の海域はドルシグ帝国の北側だけで、陸地から遠く離れ遠洋に出てしまえばそれほど天候も荒れてはいないのだ。
無理をして往路と同じく死の海域を最短で戻るよりも、復路は時間をかけてでも遠洋に出て死の海域を迂回してサンスタシア帝国に戻る予定だった。
そのためサンスタシア帝国の陸地は未だ遠く遠洋を航海中に、騎士団からの一報が船団に入ったのだった。
(イリス、俺達に出来ることはやったからな。……ソルとルナが悲しむ。絶対に死ぬなよ)
遠洋に出て天候が落ち着き、漸く見えるようになった空を見上げる。
今は真っ暗な夜空に小さな星々が瞬いているが、この同じ星空の下で、きっと今頃イリスは必死に自分の運命と戦っているのだ。
だがもう本当にアレクに出来ることは何もなくて、ただこうして祈ることしかできない。
それが歯痒くて不甲斐無いが、せめて無事を祈ることだけはしたかった。
「アレク、サンスタシア帝国からも連絡が来たって。二人が話したいそうよ!」
ステラの言葉にアレクが振り返ると、操舵室から顔を覗かせている船員が無線機を手にこちらに向かって手を振っていた。
どうやらドルシグ帝国の本土に侵攻した連合国軍からサンスタシア帝国にも連絡がいっていたようで、サンスタシア帝国からもこの船に作戦の第一段階の成功を知らせる連絡が来たようだ。
以前ならどこでドルシグ帝国に傍受されているかも分からないので、不用意な連絡は控えるべきで情報は統制ものだったが、今やドルシグ帝国本土は陥落し、今頃エルヴィンのいるウィレンツィア王国でもドンパチが繰り広げられている。最早盗聴など意味はないだろう。
(サンスタシア帝国の若造も、なかなか気が利くじゃないか)
世界の命運がかかっているこの状況で、一個人のアレクのためにソルとルナを無線に出してくれることに少なくない感謝を覚える。
アレクはステラを伴って操舵室に向かうと、ステラに促されて先に無線機を手に取った。
『父さん?作戦成功だってね!やったね!』
『早く帰って来てね!』
二人の労いの言葉に、思わずアレクの瞳も潤む。
「二人とも、離れている間何もなかったか?大丈夫だったか?」
鼻の奥がツンとしているが、アレクはそんなことは感じさせないよう平静を装って二人に状況を訊ねた。
『うん、大丈夫だったよ』
『ゼアンさんがずっと一緒に居てくれたから、安心だったよ!』
「!」
出航の際、港までサンスタシア帝国の騎士団が護衛に付いて来てくれたのだが、別れ際ソルとルナに寄り添っていた騎士団の団長の顔が脳裏に浮かんだ。
最初にアレク達をサンスタシア帝国の港まで迎えに来ていた騎士は、どうやら第一騎士団の団長だったようなのだ。
そんな人物がソルとルナを護ってくれているのなら安心だと思う反面、ソルとルナの懐きっぷりに少々、いや、かなり嫉妬していた。
(あいつゼアンって名前なのか。で、ずっと一緒にいたっていうのか。そうか、俺の留守中二人のことをちゃんと護衛をしていた事には感謝するが、ルナに頼られてるなんて許すまじだな)
無線機をステラに手渡しながら、アレクは遠い水平線の向こう、まだ見えてこないサンスタシア帝国の領土を睨み付けるようにして見つめた。
(よし決めた。やっぱりあいつは絶対許さないぞ)
帰ったらすぐさまソルとルナをゼアンから引き離そうと脳内で画策し、アレクは鼻息も荒く決意を固めたのだった。




