反撃の狼煙
執務机に座ったままぼんやりと窓の外に目を遣る。そうして夕日が沈んだ西の稜線を眺めていると、思わず大きな溜息が零れた。
「はぁ……」
「溜息が大きいですよ、陛下。私以外の臣下の前では止めて下さいね」
発言した宰相をじろりと睨み付ける。
しかしそんな視線にも一切動じず、宰相はまだ年若い皇帝であるマーロウの前に抱えていた書類の束をどさりと態と音を立てながら置いた。
「エルヴィン様から軍事費増額の書類が来ておりますよ」
執務机の上に重ねられた書類の束をチラリと流し見て、マーロウはまた盛大に溜息を吐いた。
「はぁ……。どこからその費用が出ると?」
「最重要事項、だそうですよ。何処からか絞り出す以外にないのでは?」
我関せず、といった感じの言葉が返ってくる。しかしその返事は何も、宰相が若造であるマーロウを軽んじての発言ではなかった。
そこまで投げやりになるぐらい、事態はどうしょうもないところまできている、というのが正解だった。
マーロウは執務机から立ち上がり、窓際まで歩いていくとそこからそっと外を見遣った。
城の上階に位置するこの執務室からは、ドルシグ帝国の帝都を見下ろすことが出来る。生まれてからずっと、慣れ親しんだ街並みだ。
(まぁ尤も、それ程好きな景色でもないけれどな)
マーロウは溜息を噛み殺しながら、内心で独り言ちた。
城の外に馬車に乗って出掛けることもあったが、帝都内を出歩きたいとは少しも思わなかった。
馬車の窓から帝都の様子を覗き見れば、大通りこそ賑わっている風に見えるものの、少し脇道に視線を移せばそこには孤児や浮浪者が溢れかえっている。
その根底にあるのはこのドルシグ帝国に深く根付いている弱肉強食という考え方だ。強き者こそが勝者であり、弱く力のない者は生きることさえままならないのがこの国だ。
その考え方を全否定するつもりはない。その精神でこの国がここまで強大になってきたことも事実だからだ。
だが、そんなやり方も限界が来ているのは幼いマーロウでも分かっていた。
しかし多くの兄弟達の中でも末で生まれたマーロウには、何の力もなかった。
常に上の兄達の間で諍いは絶えず、殺伐とした環境の中で育ったマーロウは出来る限り目立たないように過ごすことくらいしかできなかった。
それが、幼く力のないマーロウが生き残る唯一の術だったのだ。
そんな兄達仲だったが三番目の兄であるエルヴィンもまた、マーロウと同じように目立たず自分を主張せずただ静かに過ごしているような人物だった。
幼かったマーロウから見ても毒にも薬にもならないような、特に見所のない兄だったのだ。長兄に従い、淡々と仕事をこなす長兄の従僕のようだった。
しかしマーロウが成長して徐々に周りのことが見えてくるようになると、マーロウのエルヴィンに対する評価は一変する。
エルヴィンは自分の意見など何もないと他に従う振りをしながら、その心内は途轍もない悪に満ちていた。マーロウと同じく上の者に従うだけの人形だと思っていたエルヴィンは、その実虎視眈々とその機会を窺う獰猛な獣だったのだ。
その頃からエルヴィンは、マーロウにとって恐怖の対象になっていた。
能面のような美しい顔の裏で、マーロウのことも用済みになればすぐさま手にかけるのではないかという恐ろしさを常に感じていた。
その直感は正しく、エルヴィンは自分達の父である先代皇帝を手にかけた。そして次に皇帝の座についた長兄と共に、ウィレンツィア王国へと侵攻しドルシグの乱を起こしたのだ。
目的はただ一つ、「世界の力」を手に入れるためだ。
だがその「世界の力」とやらは陥落させたウィレンツィア王国から簡単に奪えるものではなかったようで、どうやら手に入れることは叶わなかったらしい。マーロウにはその辺の事情は一切知らされていないので、詳しいことは何も知らなかった。
だがそこから八年、エルヴィンの執着は凄まじかった。
その間、ドルシグ帝国内は軍事費の増額などのために財政難が続くことになる。帝都民には増税に次ぐ増税が課されたが、皇帝である長兄も民が苦しむことに何の罪悪感も持たない人だったので、それは何年も当たり前のように続けられた。
増税に喘ぎ明日の食うにも困る生活を強いられる帝都民のことを思うと、マーロウの胸は痛んだ。
だが力のない自分では何をすることも出来ず、マーロウはただ黙って兄達の施策を見ていることしかできなかったのだ。
だが「世界の力」を手に入れたエルヴィンが次にどう出るかなど、火を見るよりも明らかだった。
現状も苦しくはあったが、「世界の力」を手に入れられないこの状況が長く続けばいいとマーロウは願わずにはいられなかった。
しかし何がどうなったのか、一年前、エルヴィンは皇帝である長兄が邪魔になったようであっさりと暗殺したのだ。
だが元々、皇帝の座には全く興味がなかったエルヴィンだ。その地位に執着もなく、結局御しやすい末の弟であるマーロウをドルシグ帝国の皇帝に据えたのである。
そんな経緯で突然自分に皇帝のお鉢が回って来たのだが、マーロウは内心ほっとしていた。
あの苛烈なエルヴィンは「世界の力」に夢中でドルシグ帝国には殆ど帰ってはこない。
「世界の力」の封印を解く鍵を探すことに心血を注いでいるのと、他国からの制裁に備えてその動向を探ったり軍事力を強化したりすることに忙しいのだ。
そのため軍事費の増額をエルヴィンから言い渡されることはあったが、長兄が皇帝であった時のようにこれ以上の増税を帝国民に強いることはせず、マーロウは国庫を切り崩しながら軍事費を補填していた。
もう限界なのだ。これ以上の負担を帝国民に強いることは出来ない。
マーロウはお飾りで置かれた皇帝に過ぎず、それ程帝国民に対する想いがあるわけでもなく、祖国に大した思い入れもない。
それでも、苦しむ帝都民を見続けることは辛かった。
重ねられた増税に、持たざる者からどんどん転がり落ちていく。裕福だったはずの人々も、決して少なくはない税額に首が回らなくなってきているし、結果として物乞いや追い剥ぎ、はたまた強盗や殺人まで、国は最早どうしようもないところまできている。
(ここまできても、帝都民が国に盾突かないのは異常だな。……まぁこの状況を見て、それが出来るとも思えないか)
帝都から城門前に視線を移したマーロウの口から、乾いた嗤いが零れ落ちる。そこには、エルヴィンの指示で置かれた騎士団小隊が常駐していた。
暴動を抑止する為だけに置かれた騎士隊だ。帝都民に対して、この人数を前に突撃しても無駄だと思わせるのには最適だが、この無駄に常駐させている彼等の給与の分を他の政策に回せたのならばどれだけのことが出来るだろうと思わずにはいられない。
だがそれをマーロウは、エルヴィンに訴えることも、自身で何かしらの改革を行うことも出来ずにいた。
今この騎士隊の任を解けば、エルヴィンの懸念通り帝都民が城に攻め入ってくるだろうことは想像に難くない。マーロウが何かを成し得る前に、城が陥落する方が先だろう。
結局マーロウは何をすることも出来ずに、ただエルヴィンの指示に従ってこうやって帝都の城に閉じこもっていることしかできないのだ。
「……」
こんな何も出来ない自分を、マーロウは酷く厭悪していた。
何かを変えようとする意志も力もなく、兄の傀儡として名ばかりの皇帝の地位にいるだけ。
そんな自分が酷く惨めで、何よりも忌むべき存在だった。
やったことといえば、これ以上の増税を民に課すことが憚られ、国庫を切り崩したり城内の美術品や調度品などを売って求められた軍事費に充てたことくらいだ。
だがこれがエルヴィンに知られたら叱責で済む話ではないのかもしれない。しかし今しばらくは知られずに済むはずだと自分に言い聞かせて気持ちを奮い立たせている。そうでもしないとやっていられなかった。
現状を振り返って、つい出そうになる何度目かも分からない溜息を何とか押し留めたその時、それは起こった。
「……なんだ?」
――ドォン!!
いつもどこかどんよりと薄暗い雰囲気をまとっている街並みが、やたら騒がしいような気がしたと思った次の瞬間、帝都の西側の方から爆発音が上がり、次に音のした方角から火柱が上がった。
「港かっ?!」
「っ!」
マーロウの声に、驚いた宰相も窓際に駆け寄って現状を把握する。そして火の手を確認し、驚いて上げそうになった悲鳴を呑み込んでいた。
「近衛兵!緊急事態だっ!」
扉に向かって叫べば、扉越しでも爆発音が聞こえていたのだろう。人払いしていたため扉の外で控えていた近衛兵が呼び掛けと同時に慌てた様子で入室してきた。
「港の方角で火の手が上がっている。ただの火災かもしれないが暴徒が騒ぎを起こしている可能性もある。あの区域の管轄は第三部隊だな、至急第三部隊を派遣、第二部隊も応援に駆け付けよ!」
「はっ!」
勢いよく返事を返し近衛兵が部屋を出ようとしたその時、廊下を慌てた様子で走ってきた別の近衛兵が勢いそのままに開け放たれていた扉から入室してきた。
「陛下、緊急事態です!エダルシア王国とオートレア王国の紋章を掲げた騎士団が攻め入ってきました!」
「なんだってっ!」
――ドン、ドォォン!
まさかの事態に驚きを隠せないでいると、先程よりも大きな爆音がすぐ城の外で轟いた。
咄嗟に近くにいた近衛兵が覆いかぶさるようにしてマーロウの身を護る。
「陛下っ、ご無事ですか!」
「ああ、問題ない!何が起こったっ!」
平静を装いつつ立ち上がる。だが、内心は酷く混乱していた。
(何故エダルシア王国とオートレア王国が?何処から?いや、それよりも、条約をあちらから破るつもりか?)
エルヴィンがウィレンツィア王国を簒奪した際、他国は千年前の平和条約を掲げドルシグ帝国を討つつもりだったはずだ。だがそれよりも早く、エルヴィンが対処した為にドルシグ帝国に対して制裁を加えることが出来なかったに過ぎない。
あれから八年。平和条約を破ってまでドルシグ帝国に対して制裁を加えるつもりなら、八年も待つ必要などなかったはずだ。
(何が起こっている?)
頭の中はひどく混乱している。
何も状況が分からず窓の外を見遣れば、最初に爆発が起こった帝都の西側の方角からは、夕闇に染まる空へと火柱と共に一筋の煙が立ちのぼっている。
その煙はまさに、ウィレンツィア王国の反撃の狼煙のようだった。




