夜半の招集
その日の夜半、今日の騎士団での仕事を終えてそれぞれが部屋に戻ってくつろいでいる時に、イリスは帝に呼び出された。
それだけで、イリスは時が来たことを悟った。
それ故夜半の緊急招集であっても、慌てることはなかった。
イリス達がサンスタシア帝国に戻って以来、サンスタシア帝国、エダルシア王国、オートレア王国の三国は水面下で連絡を取り合いながら、ウィレンツィア王国奪還を目指して各々の準備を進めてきていた。
ある程度の準備は早々に整ったのだが、最大の問題が解決せず準備期間がこれほど長くなってしまっていたのだ。
最大の問題――。それはドルシグ帝国によるウィレンツィア王国簒奪の確たる証拠を掴むことだった。
証拠もなくウィレンツィア王国に乗り込みドルシグ帝国に戦いを挑んだのでは、例えそれが正義であったとしても、千年前の世界大戦後に締結された平和条約に反する行いとなる。
誰しもがドルシグ帝国がウィレンツィア王国を簒奪したと考えており、そのことをウィレンツィア王国側が証言したとしても、確たる証拠がなければそれは認められない。
そのため、もし証拠もなく戦いを挑んで連合軍側が勝利を収めたとしても、ドルシグ帝国に付け入る隙を与えてしまうのだ。
そうなってはまた戦争が繰り返されるだけになってしまう。それだけは避けたかった。
だからこそ、戦いを挑むからにはそれ相応の理由が必要だった。
いつのまにか帝の執務室前に辿り着いていたイリスが扉を護る近衛騎士に合図をすると、近衛騎士は何も言わず脇に除け扉の前を空けてくれた。
深呼吸を一つして、扉を軽く拳で叩き名を名乗る。中から入室を許可する声が掛かって、イリスはその重厚な扉に手を掛けた。
こんな時間に呼び出されたということは、おそらく最大の問題であったドルシグ帝国がウィレンツィア王国を簒奪した証拠を掴んだということだろう。
だがそうだとしても、今すぐウィレンツィア王国に向けて出撃するということではない。
準備を進めていたとはいえ、エダルシア王国とオートレア王国にも連絡を取り日程の調整を行わなければならないし、今回の作戦には天候も少なからず影響を及ぼす。そのため、証拠を掴んだからと言って即出撃できるわけではないのだ。
「……」
今すぐの出撃はないと分かっていても、執務室の扉にかけたイリスの右手は僅かに震えた。
それを隠すようにイリスは扉の把手を掴んだ右手を強く握り込むと、扉を引き室内へと入った。
「夜分に呼び出してすまないね」
「いえ……」
執務机に肘を付いて両手を組んだ帝が真っ直ぐにイリスを見つめている。その瞳は穏やかに凪いでおり、動揺も焦りも見受けられなかった。
「……」
イリスは失礼にあたらない程度に、視線だけを僅かに動かして執務室内を見回す。
それというのも、意外なことに執務室の中には帝以外、宰相もアイザック隊長も、誰の姿もなかったからだ。
すでに扉の前に居た近衛騎士によって扉は閉められており、この執務室の中は帝とイリスの二人だけになっている。
軍事面での話になるだろうから、少なくとも宰相とアイザック隊長は同席しているだろうと考えていたイリスは肩透かしを食らった気分だった。
「意外そうだね?」
「……っ、申し訳ありません」
気付かれないようにそれとなく室内を確認していたつもりだったのだが、やはり正面に座る帝には気付かれていたようだ。
素直にイリスが頭を下げると、帝は可笑しそうにクツクツと笑った。
「見ての通り、今この部屋にはイリスと私だけだから楽にしてくれて構わないよ」
「……いえ、……はい」
何故呼び出されたのか検討をつけていたのだが、もしかすると別な話なのかという懸念が頭を過る。
いい話ならば別にそれはそれでいいのだが、ここにきて何か問題が起こったなど悪い知らせだった場合はどうするべきかと思考を巡らせる。
帝はそんなイリスを見て一瞬目を細めたのだが、直ぐに表情を硬いものに戻すと鋭い視線で真っ直ぐにイリスを見つめた。
「……単刀直入に告げよう。六日後に出撃だ」
「っ、はい。……承知しました」
どうやら予想通り証拠を掴むことが出来たようだ。
分かっていたこととは言え、実際に出撃命令を受けたらもっと動揺するかと思っていたのだが、意外にもその言葉はすんなりとイリスの中に入った。
「あまり驚かないね」
イリスの淡々とした様子に、帝の厳しかった表情が幾分緩む。
その変化を見るに、イリスに対して出撃を告げることに帝が少なからず思い悩んでいたのだろうということが察せられた。
そんな帝の気持ちがありがたく、イリスは少しだけ微笑みながら言葉を返した。
「いつかはそんな日が来るということは分かっていましたので。それに……いつその時がやってきたとしても、私のやるべきことは一つですから」
「……そうか」
帝は少しだけ寂しそうに笑った後、再び表情を引き締めた。
「詳細は明日、各隊長達を交えた作戦会議の場で伝える予定だ。エダルシア王国、オートレア王国との調整は済んでいる。各国の動きに変更がなければ、予定通り六日後の出撃になる」
「分かりました」
今回の作戦において、エダルシア王国とオートレア王国がどのように協力してくれるのか、その作戦の概要は知っていた。
(エダルシア王国騎士団の皆も応援に駆けつけてくれるけれど、誰が指揮を執るのかしら?今回の作戦で誰にも怪我などして欲しくはないけれど、オートレア王国の医師団が来てくれるなら、何があったとしても心強いわね)
記憶を取り戻すためにオートレア王国を目指した旅の中で、イリスは本当に様々な人々に出会った。
その人達がイリスの事情を知って、今回の作戦に際して、是非にと協力してくれているのだ。
ウィレンツィア王国を取り戻し、八年間という長きに渡って不便を強いられてきたウィレンツィア王国民を解放したいという想いは勿論あるが、イリスは何としても、自分のために立ち上がり協力してくれる人達の為にも、この戦いに勝利したいと思っていた。
だがこの作戦は、一つでも手を間違えたりどこかが失敗すれば破綻してしまう諸刃の剣だ。
特に、戦いに巻き込まれないように王都民を一斉に逃がすことにおいては、吉と出るか凶と出るかははその時の運しだいの側面も少なからずある。
だが失敗しないように一度やってみるということは出来ない。そんなことをすれば、相手はあのドルシグ帝国なのだ、僅かな動きすら感知され、先手を打たれ、迎え撃たれることだろう。本番一発勝負で成し遂げなければならい。
(けれど第一関門であり最大の問題点でもあった、ドルシグ帝国によるウィレンツィア王国簒奪の証拠は掴むことが出来たということだもの。カインに感謝ね)
あの警戒心が強く猜疑心の塊のようなエルヴィン皇子から証拠を掴むために、今回カインの造り出した極小の盗聴器を改良して使用していた。
カインとリュカが初めて帝と謁見した際に見せた盗聴器はトンボに付けていたが、サンスタシア帝国の科学技術研究所とゴットハルト工房の協力を得て、今回更に盗聴器を小さく軽くすることに成功し、これを蜘蛛に取り付けてウィレンツィア王国のエストラル城に放ったのだ。
蜘蛛に取り付けられるくらい小さくすることも大変だっただろうが、王城の外からでも蜘蛛を操ることが出来るように改良することも至難の業だったことだろう。
だがカインは皆と協力しながらそれを成し遂げ、最も困難だと思われた証拠を掴むことに成功している。
(これだけの成果を上げてくれているのに、まだやるべきことが残っているのだもの……。全部済んだら、カインにたくさんお礼をしなくちゃね)
カインにはまだもう一つ、重大な任務が残っている。
イリス達がウィレンツィア王国に突入するのに合わせて、造り上げた装置を使ってウィレンツィア王国民を一斉に逃がすという大役が残っているのだ。
その装置が上手く稼働しなければ王国民の避難は遅れることになるし、そうなれば最悪王都が戦場と化し多くの王国民に被害が出ることになるだろう。
そうならないようにするために、カインを始めサンスタシア帝国の科学技術研究所の面々やゴットハルト工房の職人達は、死力を尽くして装置を完成させてくれていた。
(私も、負けていられないわね)
まだ子供であるカインがこれ程頑張ってくれているのだ。
イリスはぐっと両の拳を握り込むと、自身に気合を入れ直した。
「……イリスには心の準備が必要かと思って最初に伝えたのだけれど、余計なお世話だったようだね?」
思考を飛ばしていたイリスは、帝の言葉で現実に引き戻された。
「っ!申し訳ありません。帝の御前だというのに考え事をしていてしまいました」
イリスが慌てて深々と礼をすると、帝は今度こそ表情を緩め、小さく笑った。
「いや、色々思うところもあるだろう。明日からは忙しくなる。今日はゆっくり休むといい」
「はっ」
礼を取り、その場を辞する。ゆっくり休める気はしなかったが、休める時に休むことも騎士として大事な仕事だ。
「あと、六日……」
人影がなく静かな廊下を歩きながら、イリスの口からは現実味のない言葉が零れ落ちる。
そしてそれは、誰に聞かれることも無く夜の闇の中に消えていったのだった。




