エルヴィンの誤算
第十一章に入ります。よろしくお願いします。
「はっ!どいつもこいつも無能ばかりだなっ!」
吐き捨てるように放った言葉が暗く静かな部屋の中に響く。エルヴィンはそのまま執務室に置かれたソファの上に、雑に脱いだ上着を投げ捨てた。
その上着を室内に控えていた側近であるヘルムートが黙って回収すると、また壁際に控える。
(何故だ?どうしてこうも派手に動いているのに各国の情報が肝心なところで掴み切れない?)
ここ数か月、エルヴィンを悩ませているのはそのことだった。
棚からグラスと強めの酒瓶を苛立たし気に掴むと、エルヴィンはそれをグラスに注いで一気に煽った。
ウィレンツィア王国の生き残りの王族である王女が見つかってから、間もなく一年が経とうとしている。
そしてここ数か月、他国が明らかに異様な動きを見せていた。
どの国もウィレンツィア王国をドルシグ帝国が支配していると考えている現状、その王女を旗頭に各国が団結してドルシグ帝国に対して制裁を加えてくるであろうことは予想済みだ。
現にアリスティア王女の存命が世に知られて以降、王女は各国を外遊し、つい数か月前にサンスタシア帝国に戻ってきている。
そんな時期から各国が異様な動きを見せ始めているのだ。何かを企んでいると考えるのが妥当だった。
しかし王女の外遊は、供は三名だけの至って簡素なものだった。
それを知った時は、狙って下さいと言わんばかりの状態に心底呆れたものだ。サンスタシアの若造はこれだから国を背負う力量が足らないと嘲った。
「世界の力」を手に入れるために王女が必要なので殺しはしないが、その鼻っ柱をへし折ってやろうと面白半分でサンスタシア帝国に放っている兵に妨害を命じてみたのだが、それは徒労に終わった。
王女がサンスタシア帝国で馳せていた二つ名に偽りはなく、実力は本物だったのだ。
これは面白い、と途中から妨害は止めた。兵が無駄になるというそんな下らない理由からではなく、直接対決した方が面白そうだと思ったからだ。
各国を巡った王女が何を得て、どのような知略を巡らせ、どんな想いで俺の首を取りに来るのかが心底楽しみになった。
そして相対した時に、希望をもってやってきたであろう王女を俺の手で絶望のどん底に突き落としてやることを思い浮かべるだけで、このつまらない日々が色付いて見えたものだ。
俺はその時を、今か今かと心待ちにしていた。
しかし現状は、思い描いていたものとはだいぶ違ってきていた。
王女が各国を外遊して以降、どの国も実に怪しい動きを見せているにも関わらず、放っている間諜からは決定的な証拠が何一つ挙がってきていないのだ。
何かを企んでいるはずなのにその尻尾を掴むことすらできず、エルヴィンは苛立っていた。
サンスタシア帝国は数か月前、フラッデルの医療転用に向けた改良を検討したいという名目で、フラッデル製作の第一人者であるウィレンツィア王国の工房の技術者を招き入れていた。
何か動きがあるのではと勘ぐったが、ウィレンツィア王国から派遣された技術者は一名のみ。
フラッデル改良のための助言を得たいという名目であればおかしな人数ではないが、ウィレンツィア王国と共謀して何かを起こそうとするのならば人員が足りなすぎる。
念のため素性も調べてみたのだが、ウィレンツィア王国の王城内部の人間と繋がっているなど怪しいところもなく、本当にただの技術者だったのだ。
たかが工房の技術者一人にウィレンツィア王国奪還のための作戦を授けたところで、上手く機能するとも思えない。
しかもその呼び出した工房の技術者は、一か月程で呆気なくウィレンツィア王国へと戻っており、その後サンスタシア帝国と連絡を取り合っている様子も見受けられなかった。
「まぁもし何か企んでいるのだとしても、技術者一人抱えたところで所詮何もできんがな」
独り言ちたエルヴィンは再びグラスに酒を注ぐと、嘲るような笑みを溢した。
次にエダルシア王国では、つい先日から大規模な兵が動いていた。
だがそれは反乱に向けた動きなどではなく、ストレアス山脈の裾野に広がる広大な扇状地の河岸工事のためだった。
元々ストレアル山脈の裾野は、集中豪雨に見舞われると土砂災害の危険やマニラナ大河からの洪水被害などが深刻だった地帯だ。それによって肥沃な扇状地が築かれているわけだが、毎回の自然災害は作物の収穫にも影響を与える。
そこで数百年前に河岸工事や灌漑工事を行い自然災害を防いでいたはずなのだが、堤防に損壊している箇所が見つかったとのことで、国を挙げての大規模な補修工事が行われるのだという。
それ自体はおかしな点はないのだが、アリスティア王女がエダルシア王国を訪れた後のこの時期に、国境付近に多数の兵を置いていることが怪しく感じられた。
「しかし、何かが起こってから駆け付けたとて手遅れだ」
ストレアル山脈を越えてウィレンツィア王国へ至るのは、どんなに屈強な騎士だろうと二日は掛かる。それはどんな奇跡が起ころうとも覆ることはない。
例えサンスタシア帝国が挙兵してウィレンツィア王国奪還のために攻め入って来たとしても、エダルシア王国からの援軍が到着する頃には全てが終わっているだろう。
エルヴィンは一つ息を吐いて、グラスの酒を傾けた。
残るオートレア王国はといえば、医師団をエダルシア王国に派遣していた。どうやらエダルシア国王が重い病気を患ったらしいのだ。
その話は半年前辺りからちらほら聴こえてきていたが、自国の医師ではどうにもならなかったようで遂に医療大国であるオートレア王国に助力を求めたようだ。
「あの豪傑も病には勝てなかったか」
命を惜しむ輩には見えないが、そこは一国の王。本人の意志に反して治療を受けさせられている可能性もある。
ともかくオートレア王国は国の威信をかけて、エダルシア王国に精鋭の医師団を派遣しているようだった。
だが一か月ほど前からやってきて治療にあたっている医師団だが、エダルシア国王に顕著な回復の兆しは見られていないらしい。
それもあり、扇状地の河岸工事という公共事業は息子である王太子が主導で行っているようだった。次代の王として国民へのアピールの意味合いもあるのだろう。
「だが、……どんな場合でも俺は油断したりはしない」
そこまで思考を巡らせてから、エルヴィンは持っていたグラスをテーブルに置き、窓辺に近付いた。
外には真っ暗なウィレンツィア王国の王都が広がっている。明かりはちらほらとしか見えない。
ドルシグ帝国の帝都と違って、日の出と共に目覚め日の入りと共に休むような国民性のウィレンツィア王国は、質実剛健と言えば聞こえはいいが、エルヴィンに言わせれば真面目で騙されやすく陰鬱なだけだ。
事実ここに八年も留まっているが、エルヴィンはウィレンツィア王国が全く好きにはなれなかった。
全ては「世界の力」を手に入れる為に、仕方なく留まっているに過ぎない。
「お前らがどんな姑息な手を使ったとしても、俺はそれを力で捻じ伏せてやる……ヘルムート!」
「はっ!」
振り返り呼び掛ければ、腹心の部下は恭しく頭を下げた。
「本国に連絡を入れろ。軍事費の増額だ。武器の手配と、兵力の増強を図る」
「かしこまりました」
有能な部下はその理由など問うことはない。
「今後の兵の配置と対策についても検討する。馬鹿な奴等が何をしてこようと、返り討ちにしてやる」
エルヴィンは取り出したウィレンツィア王国王都の地図を取り出すと、それを執務机の上に広げた。
「やっと『世界の力』が手に入る。その為だけにこのつまらない場所で八年間も耐えてきたんだ。『世界の力』さえ手に入れば、この世界全てを思い通りに動かしてやろう」
そうすればきっと、この空虚で色褪せた世界が色付き満たされるはずだ。
「我が君の想いのままに」
ヘルムートが慇懃に礼を取る。それを鼻で嗤って、エルヴィンは今後の対策についての指示を出し始めた。
その部屋の片隅に、小さな機械を背負った蜘蛛が一匹隠れていることに気付きもしないで――。




