サンスタシア帝国で迎える朝
「っ、ん、……」
身体に柔らかい感触を感じて、イリスは重い瞼を持ち上げた。
室内はカーテンが引かれているようだが外では陽が昇っているらしく、カーテン越しでも薄っすらと明るい。
だがその明るさを感じ取って、イリスは横たわっていた身体を勢いよく起こした。
「え!今何時?!」
どうやらイリスは長ソファの上に寝ていたようで、目の前には応接セットのテーブルと向かい側にはもう一つソファが置かれていた。
何処かの部屋のようだが、それを考えるよりも先ず柔らかいソファに手を付いて立ち上がると、イリスはすぐさま窓に近付きカーテンを開け放って陽の高さを確認した。
もうすでに陽は昇り切っているが、まだ東の稜線から昇ったばかりのようだ。辺り一面を眩しいくらいに朝日が照らしている。
窓の外の様子を見てみても動いている者の姿は殆どなく、辺りは早朝の静けさに包まれていた。
しかし騎士として長年早朝練習を行っており、旅に出てからは当番でなくても朝は同じ時間に起きてリュカの訓練に付き合っていたイリスとしては、太陽が昇り切ってから目覚めること自体が本当に久しぶりだったのだ。
己の失態に頭を抱えていると、ふと眼下の庭園の様子がいつもと違うことに気付いた。
「あれ、ここ……」
そこで初めて、イリスはこの部屋に違和感を抱いた。窓の外には、イリスが今まで見たことのない角度でロードベルク城が誇る庭園の景色が広がっていたのだ。
寒期に向かう今の時期、庭園に咲き誇る花々は少ないが葉の色が変化する木々が庭園に彩を添えている。
赤や黄色に色付いた木々が、この客室棟から一番よく映えるように計算されて植栽されていた。
「……そっか。私昨日あのまま、眠っちゃったんだ」
ややあって、イリスは漸くここが何処なのかということと、そして昨夜の出来事を思い出していた。
帝への報告を終えたイリス達は待ち構えていたアイザックと遭遇し、レオン達が気を利かせてイリスがアイザックと二人きりになれる時間を作ってくれたのだ。
そうして、アイザックにカインとアンナの泊っている客室に連れてこられ、大した報告もしないままイリスは泣き崩れたのだった。
(……気が緩み過ぎね)
初めての長旅から無事に帰還した安堵と、イリスの事情を知っていても尚、変わらず受け入れてくれる家族の温かさに触れて、昨日は泣き疲れてそのまま眠ってしまい今に至ることを思い出す。
イリスは恥ずかしさと緊張感のなさを吹っ切るように、両頬を両手で挟むと軽く叩いて気合を入れ直した。そして、眠っていた長ソファの肘掛けに立て掛けてあったフラッデルと自身の剣を手に取った。
おそらく昨日眠ってしまった際に、アイザックが外して置いていてくれたのだろう。それらを背負い胸の前に回したベルトで固定すると、イリスはそっと続き部屋になっている寝室の扉を開けた。
ベッドでは、予想通りカインとアンナが眠っていた。おそらくイリスがアイザックにしがみついたまま眠ってしまったので、扉の前を護る騎士達にでも頼んでカインとアンナをベッドに移してもらい、アイザックがイリスをソファに寝かせたのだろう。
イリスは音を立てないようにして二人を起こさないよう慎重に扉を閉めると、そのまま部屋の外へ出た。
おそらくこの時間であれば、いつもならリュカの早朝訓練をしている時間である。イリスは迷うことなく、騎士団の訓練場を目指して歩き始めた。
「なんだ、もう起きたのか?」
「もう少しゆっくりしていてもいいのに」
訓練場に行くと、早朝訓練をする騎士達の中にレオンとロイの姿があった。二人はイリスの姿に気付くと、打ち合いを止めてこちらに向かってきてくれた。
「ごめんなさい、寝坊したわ」
「久しぶりに帰って来たんだからさ、今日くらい家族とゆっくりしたらよかったのに」
イリスが申し訳なさそうに項垂れると、腰に下げていたタオルを引き抜いて額の汗を拭きながらロイが優しく微笑んだ。
「そういえばリュカは?昨日は何処に寝泊まりしたの?」
姿の見えないリュカについて訊ねると、レオンが顎で後方を指し示した。
その方向に顔を向けると、集団で剣の素振りをしている騎士の訓練生に混じって、一番端にリュカの姿を見つけることが出来た。
「へぇ、こうやって見るとだいぶ上達したんだね」
「俺達が付き切りで毎日指導したんだ。訓練生如きに劣ってもらっても困る」
「ふふっ。まぁ、そうだけどね」
訓練生に混じって剣を振るリュカは、こうして見ると他の訓練生と比べても何ら見劣りしていない。
リュカが騎士服を着用していないので容易に見つけることが出来るが、そうでなかったらいくら目のいいイリスでも直ぐには気付かないくらい馴染んでいた。
「あとで褒めてあげてよ。昨日は騎士団の宿舎の空き部屋に泊めたんだけどさ、ちゃんと朝に自分で起きてきて『訓練に混ざってもいいか』って聞いてきたんだから」
「え、……そうなんだ」
その言葉に驚いてロイを振り返る。ロイはニコニコといい笑顔で笑っていたが、嘘を吐いているわけではなさそうだった。
リュカは革命軍に所属してはいるが、元々騎士でも何でもないただの王国民だ。イリス達と旅に出るようになってその身に危険が及ぶことも出てきたため、剣技を習いたいとイリス達に習い始めたのだ。
言い換えれば、旅が終わった今、剣技を究める必要などないはずだった。
「……あいつなりに、これからのことを考えているんだろう」
リュカを真っ直ぐに見つめたまま、レオンがポツリと呟く。
まるでイリスの思考を読み取ったかのような返答に一瞬驚いたが、イリスはそれよりも後半の言葉の方が気になった。
(これからのこと……)
昨晩帝からは、今後は三国間で調整し合い、ドルシグ帝国に制裁を加える方向で話を進めていくと言われた。
それは遂に、ウィレンツィア王国奪還に向けて動き出すということに他ならない。
イリスは一つ深く息を吐き出すと、気合を入れ直して自身も訓練に参加すべく背中に背負った剣の柄に手を掛けた。
◇◇◇ ◇◇◇
「えー!じゃあ、オートレア王国からは船で帰ってきたの?いいなぁ」
目的の場所まで向かう途中、イリスの話を聴いていたカインは初めて聞く異国の話に目を輝かせていた。
朝の訓練を終えた後イリスはカインとアンナの部屋に戻り、二人と一緒に朝食をとった。
レオンとロイ、リュカは騎士団宿舎の食堂で朝食を済ませるとのことだったので三人とは訓練場で別れたが、午前中に昨日の話の続きを聴くために再び帝の執務室に呼ばれているので、城内の大階段の前で落ち合う予定だ。
ちなみにカインは毎日科学技術研究所に行っているとのことで、朝食後イリスとカインは揃ってアンナに別れを告げて部屋を後にし、こうして途中まで一緒に歩いて目的の場所まで向かっている途中だった。
朝食をとりながら、カインはイリスに今までの旅の話を強請った。
そんなカインを、「話せない内容もきっとあるから、無理に聴いては駄目よ」とアンナが嗜めていたのだが、イリスの身を案じていたアンナも、こうして無事な姿を見たとしても危険なことなどなかったのか確認したい様子が窺えた。
イリスは二人に話してもいい内容の事だけを掻い摘んで話して聞かせていたのだが、「それで?」「どうなったの?」というカインの興味は尽きず、食事を終えてもこうしてずっと質問攻めにあっていた。
「私も海は初めて見たの。いつかカインも実物を見てみるといいわ」
「うん、そうする!それで?船って酔うっていうけど、イリス達はどうだったの?」
「ああ、それはね……」
大階段に差し掛かったところで、階段下にはすでにリュカとレオンとロイの姿があるのが見えて、イリスは話を中断した。
「もう時間ね。続きはまた今度」
「えー!」
子供らしく不満を溢したカインだったが、階段下を指差して知らせれば、三人が待っているのを見付けて渋々納得したようだった。
「絶対だよ?また話の続きを聴かせてよね。約束!」
「うん、約束」
イリスは身体を屈めてカインと同じ目線にし顔を見合わせる。
ふくれっ面のカインだったが、イリスに顔を近づけて笑顔を向けられると、つられて自身も笑っていた。
「おはようイリス、トルカ。よく眠れたかい?」
階段を降りて来たイリスとカインを見て、ロイが片手を挙げ気さくに声を掛けてきた。
その呼び掛けを耳にして、呼び慣れてしまっていたのでついそのまま呼んでしまっていたが、そういえばカインの本当の名前はカインではないのだったと今更ながらイリスも思い出した。
だが、呼び掛けられたカインは物凄く不服そうな顔でロイを睨み付けていた。
「カ・イ・ン!」
「……」
階段を降り切ると、ロイの目の前に立ったカインは仁王立ちで指差しながら一文字ずつ区切って自身の名前を告げた。
カインとしてはとてもご立腹なのだろうが、昨日舐められない為に男の子の振りをしているという健気な理由を聞いてしまったため、その姿がイリスには寧ろ愛らしく思えて仕方がない。
それはロイも同じだったようで、怒られて目を丸くしたものの直ぐに満面の笑みになると、カインの前で跪き頭の上に手を乗せて優しく撫でた。
「そうだったね。カイン、おはよう」
「っ!子供扱いすんな!」
カインが慌てて頭の上に乗せられたロイの手を払い除ける。悪態を吐いているが耳まで真っ赤だった。
(あーあ、ロイってば罪作りなんだから)
レオンとロイは無駄に顔がいいのだ。その上、とっつきにくいレオンと違ってロイは人当たりも良い。
その孤高な感じがいいのだという女の子達から人気なのがレオンで、優しい好青年として老若男女問わず人気なのがロイなのだ。
そんなことを考えながら、ふと気になってイリスはロイの後方で黙ってやり取りを眺めているレオンとリュカに視線を向けた。
レオンはロイの様子を冷めた眼で見ており、それはそれでいつも通りだった。しかし、レオンの隣に佇むリュカの表情は一貫して厳しいままだった。
リュカは朝訓練場で声を掛けた時も、何処か張りつめた空気を纏っていたのだ。
(これからのこと、か……)
今この時だけは平和を感じていられるが、今もまさに遠いウィレンツィア王国の地では苦しんでいる人達がいるかもしれないのだ。
イリスは城の正面扉の上に造り付けられている大きな窓を見上げた。窓の外に広がる空は快晴で雲一つなく、空は高くどこまでも澄み渡っている。
「……」
遠い記憶の向こうにある彼の地に想いを馳せ、イリスは気を引き締め直した。




