帰還の報告
城の中に入り、正面の大階段の手前で一行はカインとアンナの二人と別れた。
城内は執務を執り行う棟と大広間や晩餐会などが行われる賓客のための棟、王族の居住区とそれぞれが別の建物に分かれているため、一緒の方向はここまでだったのだ。
別れ際カインは、少しすっきりとした表情をしていた。
先程は不意に知っている人と会ってしまったので動揺もあったのだろう。あれから時間も経過し気持ちも整理できたことで、幾分落ち着いた様子だった。
二人と別れて、慣れた道を淀みなく進む。
「……ふふっ」
不意にイリスの口から小さな笑い声が零れ、皆が一斉にイリスを振り返った。
「っ、ごめんなさい」
何でもないとイリスが片手を振って否定する。
しかし皆からの説明を求める視線が突き刺さっているのを感じ、イリスは観念したように口を開いた。
「本当に何でもないの。……ただ、誰に案内されるでもなく自分でどこに行けばいいのか分かって城内を歩いているのだなと思ったら……帰って来たんだなぁって実感しただけ」
そう言って、ロードベルク城の外回廊を歩きながらイリスは外に開けている石柱の方から夜空を見上げた。
オートレア王国では感染症が発生したりイリスが意識を失って倒れたこともあって、オートレア王国の王都には立ち寄らなかったので城内にも入っていないが、エダルシア王国では滞在中エダルシア王城内に入ることがあった。
その際はエダルシア王国の騎士に先導されて謁見の間へと連れて行かれたのだ。今のように、当然だが一人で城内を闊歩したりはしなかった。
足を止めて夜空を眺めながら、イリスは遠い空の向こうにあるつい最近までいたオートレア王国やエダルシア王国のことを想った。
滞在したのは遠い昔のことのように感じられるが、信じられないことに本当に少し前の出来事なのだ。
イリスは暗い夜空から視線を回廊の先に戻すと、短く息を吐き出した。
(なんだか感傷に浸ってしまったわね)
気を引き締め直し、前を向く。これから帝に、オートレア王国やエダルシア王国でのことを報告しなければならない。
旅の途中その都度レオンがサンスタシア帝国に報告を入れていたが、イリスは自分の口からも記憶を取り戻したことなどは報告せねばならないと感じていた。
その上で自らの立場でもってして、有事の際にはサンスタシア帝国もウィレンツィア王国に協力してくれるように願い出ねばならないだろうと考えていた。
帝はこの時間まだ執務中ということで、執務室へ行くように言われている。
気を取り直して歩き出したイリスの背中で、レオンが囁くように呟いた。
「……帰って来たと、思ってくれるんだな」
「え?何?」
小さすぎて聞き取れなかったため聞き返したのだが、レオンは振り返ることなくそのままスタスタと先に行ってしまう。
訳がわからずイリスが首を捻っていると、後ろからイリスを追い抜きながら、通りすがりのロイもくしゃくしゃとイリスの頭を撫でていった。
髪が乱れたことに文句を言おうと口を開いたのだが、見上げたロイの顔が優しく微笑んでいたので、イリスは何だか怒る気が失せてしまった。
(もう……二人共何なのよ……)
レオンとロイはいつもそうなのだ。
サンスタシア帝国で騎士として過ごしていた時、イリスが謂われない誹謗中傷に晒されていると駆け付けて庇ってくれたり、落ち込んでいるとさり気なく励ましてくれていたのだ。
今は別にイリスの身に何かあったわけでも落ち込んでいるわけでもないが、きっと何かを感じてイリスを元気づけてようとしてくれたのだろう。
そんなレオンとロイとのやり取りも帰ってきたことを感じさせて、イリスは嬉しくなって二人の後を追って再び歩き出す。
その後ろ姿を見つめながら、一人蚊帳の外だったリュカが悔しそうに拳を握り締めていたことなど、三人は知る由もなかった。
◇◇◇ ◇◇◇
「失礼いたします」
入室の許可を得て、イリス達が扉をくぐる。
執務室の中には、机に向かって書類仕事をしている帝の他に、隣にある机で同じ様に執務中の宰相のジェラルドがいた。
宰相が書類から顔をあげて扉脇に控えていた近衛騎士に合図を送ると、彼等は一礼した後音もなく部屋から退出していった。
彼等が出て行き、外側から扉が閉められる。蝶番が軋む重々しい音を廊下に響き渡らせながら、ゆっくりと両方の扉が合わさった。
扉が完全に重なったところで正面に向き直ると、イリスは深々と頭を下げた。
「夜分遅くに時間を取っていただき、ありがとうございます」
「いや、呼び出したのはこちらだ。すまないね、疲れているところ。楽にしてくれ」
帝の言葉に一同が顔を上げる。帝は取り掛かっていた書類をめくって何かを書き付けたあと、やっと視線を上げこちらを見た。
「無事に帰ってきてくれて何より。各国での話はある程度聞き及んではいるが仔細の報告を聞きたいのだが……先ずはイリス」
「っ、はい!」
帝は机に肘を付いて両手を組むと、真っ直ぐにイリスを見つめた。
射抜く様なその視線に一瞬怯みそうになるが、足に力を込めて耐える。
「それで……望む答えは見つかったのかな?」
「はい」
「……そう」
淀みなく返答すれば、帝は眉尻を下げながら困ったように少しだけ笑った。
そこからは、順を追ってレオンが報告を行った。
城を出てから帰国までの間で、報告に値する出来事を簡潔にまとめて報告する。
その際、ナリシェの町でドルシグ帝国内の事情を知る者達に出会ったことを伝えると、帝は面白そうに喉を鳴らして笑った。
「どうかされましたか?」
自分の報告が何か拙かったかとレオンが内心で慌てていると、帝は軽く手を振ってそれを否定した。
「くくっ、悪い悪い。何でもないんだ。ただそのドルシグ帝国内の事情を知るゲイリーとやらが、実際にこの前訪ねてきたものでね」
(ゲイリーさん、本当に帝に会いに来たんだ……)
旅の途中で立ち寄ったナリシェの町で出会ったゲイリーは、ドルシグ帝国で過ごした過去がある人物だった。ナリシェの町が抱えていた問題の解決にイリス達が協力したことをきっかけに親しくなったのだ。
そして問題を解決してナリシェの町を出立する際、ゲイリーがサンスタシア帝国の皇帝に会いたいので一筆書いて欲しいと言うので紹介状を書いたという経緯があった。
(『俺も誰かの役に立とうと思った』って言っていたけれど、知っているドルシグ帝国の情報を伝えにきてくれたのかもしれない)
誰かの役に、と言うがドルシグ帝国の情報などイリス以外他に役に立つ人物はいない。イリスのためにわざわざ足を運んでくれたのだと思うと、ゲイリーの気持ちが嬉しかった。
そして報告がストレアル山脈越えの話になると、レオンは山岳民族に伝手が出来たことを伝えた。
このあたりのことはイリスが怪我をしたこともあり詳細に報告がされていたのだが、イリスがダンに教えてもらった「有益な情報」であるエダルシア王国へと続く洞窟のことは、レオン達にも伝えていないのでもちろん報告はされなかった。
また、色々あって世界有数の貿易商であるアレク・ミュラーの伝手ができたことを伝えた際も、帝は手で口元を押さえながら本気で笑っていた。
イリス達がストレアル山脈の中腹にある孤児院でアレク達と別れた際、アレクはこの後サンスタシア帝国に行かなければならないのでイリス達をオートレア王国に送ることは出来ないと言っていたが、サンスタシア帝国に着くなり帝が呼び出したということは聞き及んでいた。
(帝のこの様子を見るに、何かあったんだろうな……。ごめんなさい、アレクさん。ソルとルナと離れ離れになっていなければいいけれど)
詳細は分からないが、この状況で呼び出したのだ。きっとイリスに関することで何か仕事を頼まれたりしたのかもしれない。
その仕事のせいでやっと会えた子供達と再び離れて過ごすことになっていたら申し訳ないと、イリスは心内で謝った。
最後に、ウィレンツィア王国が有事の際にはエダルシア王国とオートレア王国から協力する旨を取り付けたことなどを伝えて、レオンの報告は終了した。
「……テオドール皇帝陛下」
報告が終了したところで、イリスは一歩前へ歩み出ると帝を真っ直ぐに見つめ、そして膝を付いた。
本来、女性が頭を下げるのならば別の方法があり、記憶が戻ったイリスにはそのやり方も分かっていた。
けれど、ここで今それをするのは違うと思ったのだ。
イリスはこの八年間、サンスタシア帝国では騎士として過ごしている。たとえ記憶が戻ったとしても、礼を取るならば騎士として帝とは向かい合いたいと思ったのだ。
「そんな他人行儀な呼び方をされると傷付くね。……それで?なにかな」
発言の許可を得て、イリスは顔を上げた。
「ウィレンツィア王国が有事に陥った際には、サンスタシア帝国にも協力をお願いしたいのです」
「……」
イリスは真っ直ぐに帝を見つめ、帝の反応を確かめるかのようにゆっくりと言葉を紡いだ。
だがイリスの言葉を聴いた帝は、黙ったまま何も言葉を発しない。
沈黙が痛い程イリスの身に突き刺さり、永遠にも思える苦痛の時間が流れた。
帝の澄み渡るような碧眼の双眸がまるで心内まで見透かすかのようにイリスを見つめる。
その瞳から思わず逃れたくなってしまうが、イリスは目を逸らすことなく帝を見つめ続けた。
「ふぅ……」
帝が一つ息を吐き出すと執務机に肘を付き、組んだ手の上に顎を乗せた。
次にどんな言葉が発せられるのかと緊張の面持ちでイリスが固唾を呑む中、帝は真剣な表情を解いてイリスに微笑みかけた。
「私はそんなに信用がないかな?最初にカインとそこにいるリュカスに頼まれた時、協力する旨を伝えたはずだけれどね」
「っ!申し訳ありません。ですが、記憶を取り戻した今、自分で願い出るべきだと思ったのです……」
確かに最初にリュカとカインが帝に謁見した際にそのことは願い出ており、帝からの協力も確約されている。
けれど自分事として伝えたかった旨をイリスが伝えると、帝は軽く声を上げて笑った。
「ははっ、そうだね。分かっているよ。少し揶揄っただけだ。……さて、話を進めたいから立ってくれるかい?」
「はい」
帝に促されて立ち上がる。それを確認してから、帝は抑揚に頷いた。
「報告は都度聴いて把握していたけれど、この数カ月の旅の間に得難い人脈を得たようだね。これをこの先どのように生かしていくかが鍵になるだろう。手札が増えたことはそれだけ打てる手立ても増えたということだからね」
帝の言葉に深く頷く。本当にどれも得難い経験と人脈だった。この僅か数カ月に、どれだけの経験をすることが出来ただろうかと思わずにはいられなかった。
しかしそこで言葉を区切った帝は、長く息を吐き出すとそれまでの柔和な表情を一変させ真剣な眼差しでこちらを見た。
「エダルシア国王とオートレア国王とは秘密裏に話合いを重ねている。ドルシグ帝国に制裁を加える方向で話はついているよ」
「?!ですがっ!!」
その言葉に、思わずイリスは帝の話を遮って驚きの声を上げてしまった。
だが次の瞬間、怒気を孕んだ声が後方から聞こえきてイリスは更に驚いた。
「それができるのなら、八年前だってできただろ!」
「リュカ、落ち着いて!」
思わず、と言わんばかりに前に出る勢いでリュカが声を荒げていた。
その身体を隣に居るロイが両腕で抑えており、それ以上帝に向かって行かないよう押し留めている。
不敬極まりない発言にイリスも慌てるが、リュカが言ったことはイリスが考えていたことと同じだった。
八年前ウィレンツィア王国がドルシグ帝国によって簒奪された時、表向きのドルシグ帝国の言い訳など誰も信じはしなかった。けれど、平和条約があるせいで手出しができなかったのだ。
もし今、条約を反故にするにしても法の隙間を掻い潜るにしても、ドルシグ帝国を討つというのであれば、八年前のあの時だってできたはずなのだ。
(八年間……ウィレンツィア王国の人々は耐えてきたというのに)
イリスの胸に、ウィレンツィア王国民の思いが去来する。
どれだけ辛酸を舐めたことだろう。どれだけ心身が疲弊したことだろう。もし取れる手立てがあるのにそれを行使しなかったのならば、イリスだとて許せそうになかった。
けれど今にも詰め寄りそうなリュカの姿に慌てることなく、帝は終始穏やかに告げた。
「……あの時では無理だったんだよ。やっと、全てのピースが揃ったんだ」
「ピース……」
「そう、あの時はウィレンツィア王国民全てを人質に取られているようなもので、手出しができなかったんだ。……だが、今は違う」
帝は組んでいた両手を離すと、指を一本ずつ出して数を数えるようにしながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「君達が取り付けてきた各国の協力、使えそうな人脈、ドルシグ帝国を欺くための罠、ウィレンツィア王国民を助けるための作戦、そして……イリス。君の存在だ」
イリスは自分の名前を呼ばれて少し驚いたが、今はそれどころではなかった。帝の掲げた手札の中に、イリス達か知らない単語が混じっていたからだ。
「罠……作戦……」
イリスのみならず同じ疑問を抱いたようで、レオンもロイも暴れていたリュカでさえ、驚いて動きが止まっている。
皆のそんな様子を可笑しそうに眺めながら、帝は妖艶に口の端を上げた。
「作戦の詳細については明日伝えるよ。今日はもう疲れただろうからね」
驚く一同を余所に、帝は楽しそうに笑った。




