トルカエイン
「カイン、あなた……女の子だったの?!」
振り向き、俯いているカインを見下ろす。
カインは地面を見つめたまま、イリスの問いには答えない。イリスからはカインの頭頂部しか見えないが、柔らかそうな質感の黒髪が夜風に吹かれて頼りなく揺れていた。
「えっ?!今更?……知らなかったのか?」
イリスの問いに、リュカが素っ頓狂な声を上げた。
リュカは何故そんな事を聞くのだとばかりに不思議そうに首を傾げている。その様子は、イリス達がこの事実を知らなかったことに、全く気付いていなかったことを如実に表していた。
何と声を掛けたらいいのか分からずカインを見つめたままのイリスを余所に、次の瞬間リュカの頭と背中にはレオンの拳骨とロイの殴打が入った。
「ぐえっ!……ってぇな!何すんだよ」
無表情の二人の制裁を受け、リュカが抗議の声を上げる。
ロイはいつも通り手加減していたとみえて、リュカはレオンに叩かれた頭を押さえながら二人を睨みつけていた。
そのいつものやり取りにも平静を取り戻せないほど、イリスの頭の中はひどく混乱していた。
だがそんな一同を余所に、カインに声を掛けた男性は城門を護る近衛騎士に捉えられて何かを騒いでいる。
先ずはこちらの対応をしなければならないだろうと思ったのだが、イリスより先に気付いたロイが揉め事の処まで走って駆け寄っていた。
「だから!俺はこの城に招かれている客人だって言っているだろ!」
「その話は伺っています。ですが約束は明日です。今ここを通すわけにはいきません」
男性は二人掛かりで近衛騎士に捉えられ城門の外へと押しやられながらも、振り返って抗議の言葉を叫んでいた。
(どうやら城に招かれているのは本当みたい)
イリスは未だ俯いたままのカインを見下ろして訊ねた。
「カイン。あの人、本当に知っている人?このまま騒ぎ続けていると、捕らえられてしまうかもしれないわよ?」
「っ!」
イリスの言葉に、カインは勢いよく顔を上げた。その瞳が不安げに揺れていて、イリスは短く息を吐き出すと一つ一つ確認するようにカインに訊ねた。
「あの人は知っている人?」
「うん」
「あの人、明日お城に招かれているみたいだけど、そのことは知ってる?」
「うん」
「あの人、今カインと話したいみたいだけど、カインは話したい?」
「……」
再び俯いたカインだったが、暫くするとコクリと頷いた。どうやら会いたくないわけではないようだ。
そんなカインの様子を見ていたレオンが、近衛騎士の方に向かって歩き出す。どうやら話を付けに行ってくれるようだ。
見ると揉めていた男性と近衛騎士達も、ロイに取り成されて冷静さを取り戻しており、落ち着いてこちらを見ている。
レオンが事情を説明すると、振り返ったロイがこちらに向かって手招きをした。
「大丈夫みたいね。ほら、カイン行きましょう?」
カインの背に手を置いて、前へと促す。しかし、抵抗する程ではなかったがカインの足取りは重かった。
だが大して距離があったわけではないので、カインと男性との間は直ぐに近付く。
男性はカインが目の前まで来ると、豪快に笑いながらカインの肩をバシバシと力強く叩いた。
「久しいなトルカ。元気だったか?」
その呼び掛けにも反応せず、カインはまたも俯いてしまう。
その様子に、本当は会いたくなかったのならば無理に話す機会を作らない方が良かったのではと後悔し始めたところで、近衛騎士から静止が入った。
「この者達は用があり先を急いでいます。話は手短に」
やんわりと身体をカインから引き離され、再会を喜んでいた男性が明らかに面白くないという表情を見せる。たが相手は近衛騎士ということもあり、すんなりと引いてくれた。
「トルカがいるのは知っていたが、まさか今日には会えるとは思わなかった。……トルカ、おやっさんが心配してたぞ?」
先程の豪快なまでの勢いは鳴りを潜め、男性は優しく諭すようにカインに声を掛ける。しかし当のカインは頑なに顔を上げようとはしない。
その姿に、男性は諦めたように短く息を吐いた。
「ま、明日また会えるだろうからな。その時ゆっくり話そうや」
男性はカインの頭に手を置いてポンポンと優しく叩くと、踵を返して大通りの雑踏の中に消えていった。
混乱したままの一行は、その場で立ち尽くしたままその後ろ姿が見えなくなるまで見つめていることしかできなかった。
「……ウェリール、テオドール帝がお待ちだ」
「あ、そ……うですね」
所属部隊の違う騎士に名前を呼ばれ、一瞬それが自分の名前だと気付くのが遅れてしまった。
旅に出てからというもの、イリス・ウェリールを名乗る事自体が少なくなり、その上アリスティアというもう一つの名前が自分の物であると認識した今、イリス・ウェリールの名で呼ばれることは何とも不思議な気持ちがした。
騎士に促され城内に向けて歩き出す。途中まではカインとアンナとも一緒だ。
男性が去り俯いていた顔を漸く上げたカインだが、どことなく元気がない。そんなカインの隣を、アンナがさり気なく気遣いながら歩いていた。
「……トルカ」
「!」
イリスが何気なく呟いた声を拾い、カインの肩がビクリと跳ねた。
「あ、ごめんなさい。可愛い名前だと思って。カインも素敵な名前だけど」
驚いて目を見開いているカインに優しく微笑み掛ける。心からそう思ったのだが、カインは恥ずかしそうに、腕で隠しながら顔を背けた。
「……トルカエイン」
「え?」
「名前……。本当の名前は、トルカエインって言うんだ」
「トルカエイン!ますます素敵ね」
イリスの言葉に、顔を背けたままカインは押し黙ってしまった。カインの耳が赤く染まっているところを見ると、やはり恥ずかしいようだ。
その可愛らしさにイリスの心が和む。
(女の子だと分かってから見ると、こんなに可愛らしいのに。今までよく気付かなかったものね)
男の子だと思っていたから何も疑問に思っていなかったが、分かってしまえば、どうして今まで気付かなかったのかと思ってしまう。
「『カイン』は、トルカエインから取ったのか」
旅の時と同じく、先頭を歩くレオンが後ろを振り返ることなく言葉を紡ぐ。その言葉を受けて、イリスは脳内でトルカエインという名前からカインの文字を見つけて納得した。
「……そうなんだ。馬鹿にされないためには、男の子みたいな名前がいいと思って」
「カインは世界的に見ても、有名な工房の職人だろう?そんな人物を誰が馬鹿にするんだい?」
カインの言葉に、最後尾からロイが疑問を投げかけた。
ゴッドハルト工房は、世間的には知られていないが世界最高峰の技術力を誇る工房である。その上カインは、その世界最高峰の技術力をもってして造られたフラッデルの開発にも関わっていると言っていた。
もしその話が本当であるのならば、技術者として侮られる要素など皆無だろう。
「だからこそ、だよ。まだ子供な上に女だなんて、技術者として舐められる要素でしかない」
振り返り、握った拳に力を込めながら鼻息荒くカインが力説する。
確かに女性がいない訳では無いが、職人の現場などはやはりまだまだ女性の数は少ない。ましてカインは子供だ。甘く見られないためにもせめて男の子の振りをしていたのだろう。
(その上、並みの男性陣よりも技術力が高いとなれば、良くは思われないものよね)
工房でのカインの立場を想像し、イリスは騎士団での自身の立場と似ていると思った。
イリスも騎士になると決めた際、女であるが故にどうしても男性より劣ってしまう腕力や体力、身体的不利をどうにかするために、フラッデルを使っての剣術を編み出した。
それはイリスの努力の賜物ではあったが、女の方が秀でているということを良く思われないことや嫌がらせなどは数えきれない程あったのだ。
(そういえば最初に会った頃に、どうして男装しているのか聞かれたことがあったっけ)
それはリュカとカインが帝に掛け合って、国民台帳を閲覧していた時だった。
思えばカインも、イリスのことを自分と似た境遇だと感じての発言だったのだろう。
「さっきの方はカインの事を心配していたようだから、明日会った時にはきちんとお話ししなさいね」
それまで黙って歩いていたアンナが不意に諭すように隣を歩くカインに声を掛けた。
「私だって、貴方くらいの歳の子が一人で他国に居るなんて心配でたまらないわ」
「……分かってる」
カインは気まずそうに顔を逸らす。だがアンナの言葉を否定しなかったところを見ると、きちんと向き合う意志はあるようだ。
「そもそも革命軍も、よくお前のような技術者をおいそれと国外に出したものだな」
「そうだねよぇ、同伴の者は騎士でも何でもないただの役立たずだったしね」
「おいっ!否定はしないがもうちょっと言い方があるだろう!」
言い方はちょっと酷いとは思うが、レオンとロイの言い分は尤もでありイリスも首を捻る。
カインは盗聴器の小型化や動物を自在に操るといったとんでもない技術を引っ提げてこのサンスタシア帝国の皇帝に助力を願いにやって来た。
革命軍からすればサンスタシア帝国との交渉のカードとしては最適だったかもしれないが、それだけの技術者をドルシグ帝国に攫われるなどの危険に遭わせずに他国まで移動させるのは相当な困難が伴う。
しかし、その大役を仰せつかったのは全く剣を振ったこともないようなただの青年であるリュカだったのだ。
しかしカインは、まるで自分を褒められたかのように鼻を鳴らして得意気に指を一本立てた。
「そこがヴォルターの狙いだよ。僕がヴォルターと共にサンスタシア帝国に向かったとなれば、嫌でも僕の存在が目立つからね。何かあるとドルシグ帝国でなくても気付く。ヴォルターがウィレンツィア王国の騎士だったのも革命軍を取り纏めているのも、ドルシグ帝国は知っているだろうからね」
カインの言葉に、レオンは納得したとばかりに頷いた。
「そうだな。リュカスと一緒なら、ただの旅行者だと言い逃れることも出来るだろうからな」
「リュカとカインの二人組で、何か重要な案件を抱えているとは普通思わないだろうからねー」
レオンの言葉にロイも同意を示す。二人の言に、イリスも深く頷いた。
「まぁ本当は、革命軍としては工房からの使者は誰でもよかったんだよね。けれど、僕が自分で志願したんだ。僕なら工房の誰よりも、きっと一番警戒されないからね」
「まぁ、それはそうかもしれないけれど……何でそんな危険な事……」
イリスの言葉にカインは驚いたような表情を見せてから、「イリスなら分かると思うけど」と前置きをして片側だけ口角を上げてニヤリと笑った。
「実績が欲しかったんだ。誰にも馬鹿にされない程の、ね」
(ああ、やっぱり)
イリスに向かって真っすぐに告げられた言葉に、やはりカインは自分と同じだとイリスは思った。
カインはその世界で生きていくために、自分の確固たる地位が欲しかったのだ。
どんなに実力があっても、人の感情まではどうにもならない。僻みや妬みはなくならないし、それは時として自分の足を引っ張ることにも繋がる。
ならば、ぐうの音も出ない程、相手に自分との差を見せつけるしかない。イリスがフラッデルでの剣術を確立し唯一無二の騎士となって、皇帝直属の部隊の地位を勝ち取ったように。
「まぁね、サンスタシアまで来るのに危険がなかったわけじゃないけど、今生きているし無事だっていうことは工房にも伝えていたんだけど。……心配性だよね」
「……」
その言葉に、事情を知らないアンナ以外の皆が頭を抱えた。
危険がないどころか、がっつりドルシグ帝国のエルヴィン皇子に目を付けられているのだ。
(でもきっと、カインもそれを分かっているのよね)
カインも危険な目に遭った自覚はあるし、現在も危険な状態に変わりないことも分かっているだろう。
自分から志願したとはいえそのことに対しての恐怖心もあるだろうが、責任感の強い子なのでそれを口にすることが出来ないのだ。
今はこんな風に軽口を叩いているが、先程男性と会った時には顔も上げられず一言も言葉を発せなかったのがその証拠だ。心配をかけたという想いは多分にあるのだろう。
おそらく先程の男性は、ウィレンツィア王国のゴットハルト工房の人なのだろう。
イリス達がオートレア王国を去る際、オートレア王国の国王陛下はフラッデルの医療的転用についてサンスタシア帝国と話をすると言っていたし、そうなれば開発国であるウィレンツィア王国とも話をすることになるだろうと言っていた。
行動が早い帝のことなので、おそらくオートレア王国の国王陛下からの話を受けて、イリス達の帰還に合わせてゴットハルト工房の技術者を呼んでいたのだ。
イリスは前を歩くカインの横に並び立つと、そっと声を掛けた。
「明日、ちゃんとお話しできるといいね」
イリスの言葉に、カインから小さく「うん」という言葉が零れた。




