再会
「もうすぐ港に着くね」
晴れ渡る青空を見上げ、眩しさにイリスは陽に手を翳した。
オートレア王国を出航してから、六日が経っていた。
途中大雨に降られて多少予定が狂ったが、基本的には外洋に出ないで大陸周辺をぐるりと回るようにして航海するため、大きなトラブルもなく航海は順調に進んでいた。
船は貿易船の為エダルシア王国に一度寄港したが、積み荷の受け渡しだけで半日ほどで直ぐに出航した。
だがその際、港の警備にあたっていた騎士にイリス達は見つかってしまい、滞在を勧められるというちょっとした事件が起こった。
その騎士が他の騎士にイリス達の帰還を知らせようとするのを必死に説得して押し留め、何とかここだけの秘密にしてもらうことでイリス達は無事にサンスタシア帝国に向けて再び出航することが出来ていたのだ。
秘密にしてもらう代わりに、その騎士に願われて積み荷の受け渡しをする間だけ特別訓練に付き合う羽目になったのだが、その位で済んだのならば安いものだ。
「港についたら直ぐに馬で移動だ。今日の夜にはロードベルク城に着くように移動するぞ」
「了解」
隣に立っていたレオンに声を掛けられ、イリスは海面の先に見える陸地を見つめる。
まだ遠くに見えている程度だが、それは確実に近付いてきていた。
「……懐かしいな」
半年もの長い間サンスタシア帝国を離れていたなど信じられず、気付くとイリスの口からはそんな感想が零れ落ちていた。
まだ陸地が見えるようになっただけでそれがサンスタシア帝国の領土だと実感できるものは何もない。
けれどもうすぐ到着するのだと思うと、イリスは逸る気持ちを抑えきれなかった。
◇◇◇ ◇◇◇
予定通り港に着いた一行は、ここまで乗船させてくれた船の船員達に別れを告げ、そのまま馬で帝都に向かった。
港の警備にあたっている騎士達にイリス達の到着は知らされていたが、ドルシグ帝国に動きを勘付かれても困るため出迎えなどは一切ない。港を護る騎士団の詰め所に用意されていた馬に乗って、一行は何食わぬ顔で粛々と帝都へ戻った。
「見えてきた!」
予定通り陽が西の稜線に沈み夜の帳が降りてから、一行は帝都を視界に捉えた。
今日は雲一つない夜空だが新月に近い時期なので、空には僅かな月明かりしかない。だが目を凝らせば街の灯に照らされた見慣れたロードベルク城の輪郭が夜闇の中に浮かび上がっているのが見えて、イリスは思わず喜びの声を上げた。
帝都を離れて半年。その佇まいを目にしイリスの胸には熱いものが込み上げてきていた。
旅に出たあの頃とは何もかもが違う。
あの時は手にしていなかったたくさんのものを抱えて、今再びこの地に戻ってきているという確かな実感があった。
そのまま何事もなく帝都を囲む防壁に辿り着き、門の前でイリス達は馬を降りる。帝都内を馬で走る訳にはいかないからだ。
馬の手綱を引きながら防壁の門をくぐると、門を護る第三騎士団の騎士が声を掛けて来た。
「息災でなにより。そのまま帝の執務室へ。帝がお呼びだ」
「分かった」
馬の手綱を預かりながら、第三騎士団の騎士がレオンに小声で告げる。イリス達の姿は遠くからでも気付いていただろうから、すでに報告もあがっているようだ。
サンスタシア帝都内と言えど、何処にドルシグ帝国の間諜が潜んでいるとも限らない。業務連絡の一環として通常通りに振る舞い、イリス達はそのまま帝都内を帝都の中央に位置するロードベルク城に向かって歩を進めた。
夜も更けてきているが、帝都内はまだまだ街明かりに照らされて賑わっていた。
商店などはもうすぐ店じまいの時間だが、飲食店などは人で溢れかえっておりそこかしこで楽し気な話し声や笑い声が響いている。
今日の営業の最後にと、道端に軒を連ねる商店は食事を終えて家路へと着く人々に盛んに声を掛けており売込みに余念がなかった。
この旅で色々な国々を見てきたが、他の国の都に負けず劣らず帝都も活気に満ちていた。
けれど他の国にはない、温かでどこかほっとする雰囲気が帝都には感じられて、イリスは戻ってきたことを実感していた。
そんな帝都の大通りを、人混みの邪魔にならないよう端に寄りながら足を速めた。
大通りを抜けると、遠くに見えていた城はもう目前だ。久しぶりのロードベルク城に、イリスの気持ちが急く。
「リュカー!イリス―!!」
「!」
大通りを抜けた先、正面にロードベルク城を捉えた瞬間、誰かが名を呼んでいるのが聴こえた。
荘厳な城門の前に、誰かが立っていてこちらに向かって手を振っていたのだ。
「っ……」
誰か、など考えるまでもなかった。城を照らす灯りが逆光になっていてその表情を窺い知ることは出来なかったが、ふくよかな女性とその隣に佇む子供の姿を目にして、イリスは思わず目頭が熱くなった。
イリスも二人の姿を視界に捉え、大声で呼びかけ手を振り返す。
「カインッ!おばあちゃん!」
イリスは思わず、二人の元に駆け出していた。
二人の前まで走り寄るとイリスは両手を広げ、二人をしっかりと抱きしめた。
すでにアンナの目からはとめどなく涙が溢れており、カインも鼻を啜っている。そんな二人につられるようにして、イリスの瞳からも一筋の涙が零れ落ちた。
遅れて到着したリュカとレオンとロイが、そんな三人の様子に目を細める。
イリスの腰に抱き着いていたカインだったが、三人の到着に気付いて顔を上げその視界にリュカを捉えると、カインは今度はリュカの腰に勢いよく飛びついた。
「リュカ!良かった!無事なんだねっ!!」
「ああ、この通り元気だよ」
「……」
カインはリュカの腰に顔を埋めたままぐりぐりと顔を擦りつける。おそらくリュカの無事は報告で聴いて知っていただろうが、実際にその姿を見て安心し、とうとう涙が零れ落ちたのだろう。
リュカもそんなカインを見て思わず目頭が熱くなったのだが、次の瞬間カインが徐に顔を上げたので一瞬驚きに目を見開く。
そしてお互いの視線が合うと、カインは悪戯っぽくニヤリと笑った。
「僕はてっきり、足手纏いすぎてイリス達に置いてけぼりにされて、一緒に帰ってこないんじゃないかと思ってたよ」
「っ!おいこら!!」
拳を振り上げたリュカを見て、カインはピョンと後ろに跳ね退けてべぇと舌を出す。それを見てリュカがカインを追いかけようとすると、カインはサッと隣に居たロイの後ろに隠れた。
そんなやり取りに思わず笑っていると、アンナが気遣わし気に声を掛けて来た。
「元気だったのかい?怪我は?」
「大丈夫だよ。おばあちゃんも元気だった?」
「えぇ、えぇ。元気でしたよ。慣れない帝都な上にお城暮らしでしたけどね、この子がいてくれましたから」
アンナの言葉に、ロイの後ろに隠れていたカインがひょっこりと顔を出して誇らしげに鼻を鳴らした。
留守番の間二人は同室で過ごしていたと聞いていたが、どうやらだいぶ仲良くなったようだ。お互い知らない場所での生活だったため、お互いが一番の心の支えだったのだろう。
「イリスやリュカがいない間、僕もだいぶ頑張ったんだよ!」
嬉しそうにイリスを見上げるカインに思わず笑顔になる。だが隣に立つアンナは、そんなカインを見て眉を顰めた。
「こら、またそんな口の利き方をして!」
「えーっ、これが素だもん」
不服とばかりに口を尖らせるカインに、アンナは更に腰に手を当てて子供を叱る体勢に入る。それを見てイリスは慌てて声をかけた。
「私は別に、これからもいつも通り話してもらった方が嬉しいよ?」
旅の前にもアンナとアイザックに告げたはずだと思いながらも、イリスは二人の間に割り込むようにして話を遮った。
「ほら!イリスもいいって!」
カインがしてやったりとばかりに舌を出す。それを見て、アンナはこれ見よがしに大きく息を吐いて苦言を呈した。
「イリスも駄目よ。そうやって甘やかしては」
アンナには申し訳ないが、イリスはこの件に関して譲る気はなかった。一国の王女だと分かったからといって、言葉遣いや態度を一変するのは止めて欲しかったのだ。
「皆もおかえりなさい!リュカが足を引っ張って大変だったでしょう?」
これ以上アンナのお説教が続くのを阻止するため、ロイの背中から出てきたカインはレオンとロイに声を掛けた。
カインの言葉に、レオンは愉しそうに笑う。
「ははっ。よく分かったな。その通りだ」
「ちょっ、レオン!俺だって頑張っただろ!」
「まぁ、頑張ってはいたけどねぇ」
「ロイも!もうちょっと俺に優しくして!」
久し振りの気安いやり取りに頬が緩む。
記憶が戻ってからどこか気持ちが張り詰めていたイリスだったが、サンスタシア帝国に戻ってきたことで少し気持ちにも余裕が出てきたのかもしれない。
「まぁまぁそのくらいにして。早く帝のところに行かないと」
珍しくイリスが仲裁役として間に入ると、皆も目的を思い出したようだ。
表情を引き締め直し、城に視線を移す。
「ちょっと帝に報告があるから、行ってくるね」
「その後は?戻ってくる?」
イリスの言葉に、カインが不安そうに眉を下げた。
「そうだね、報告が終わったらカインとアンナの部屋に寄るよ。リュカも連れて行くから」
帝に報告を終えた後は騎士団に行ってアイザック隊長にも報告をしなければならないだろうが、その前に一旦カインの元に寄ろうと決める。
気丈に振る舞ってはいるが、まだまだカインは子供だ。留守番の間寂しかったことは言うまでもないだろう。
「絶対だよ!リュカは来なくてもいいけどイリスは絶対きてね」
「何でだよ!」
揶揄うような言葉を口にしていても、きっとカインはリュカの無事の帰還を一番に喜んでいるのだろう。詰め寄るリュカに楽しそうに戯れているカインを見れば、そんなことは一目瞭然だった。
二人の様子を微笑ましく見ていたイリス達だったが、先を急がねばならない。そろそろ行こうかと思った矢先、後方の大通りの方から誰かの声がした。
「トルカ?……トルカじゃないか!」
明らかにこちらに向かって掛けられた声に、一同が振り返る。見ると、大通りの人混みの中で、驚いた様子でこちらを見ている男性がいた。
歳の頃は三十代後半だろうか。体格の良い男性がそこに立っていた。髪は短く刈り揃えられ、着ている衣服は筋肉質な身体に密着しておりはち切れんばかりだ。騎士の様な立派な体格ではあるが、目の前の男性が騎士でないことはすぐに分かった。
腰から下げた特殊な袋からは様々な道具が顔を覗かせており、彼が何らかの技師であることは一目瞭然だったのだ。
「トルカ!」
男性が再び名を呼びながらこちらに歩み寄って来たので、門番の騎士達がそれを止めようと動き出した。
(トルカって、……女性の名前だよね?)
イリスにもアリスティアという別の名前があるが、それは記憶喪失だったが故という特殊な事情があるためだ。普通なら別名を使うことはそうない。
その上、ここにいる女性はイリスとアンナだけだ。アンナにイリスの様な特殊な事情があるとは思えなかった。
だがこの場で一人だけ、男性の呼び掛けに振り向かなかった人物がいた。
しかもそれに気づいたリュカが、その人物の肩に手を置き、呼ばれているぞと言わんばかりにもう片方の手で名を呼び掛けていた男性を指差して知らせていた。
イリスはこの時漸く、先程のアンナの言葉の真意を理解した。
アンナは王女であるイリスに対して言葉遣いがなっていないことを咎めたのではなく、僕という一人称を使うことを窘めたのだ。
(まさか……)
そしてイリスは、リュカと出会った時のことを思い出していた。
エルヴィン皇子が去った後、リュカには置いてきた連れがいると聞いて皆でヴェントの町に向かったのだが、捜索するに当たってその人物の特徴をリュカはこう言ったのだ。
『黒髪に茶色の目をしているんだ。背は低い。大体百五十メタリぐらいで少年みたいな奴なんだよ』
その後見つかった人物を目にして、イリス達は大いにリュカを責めた。子供であるという最も重要な情報が抜けていたからだ。
だが今思えば、リュカは初めからその人物の最も特徴的な情報を正確に述べていたのだ。
本当は女の子なのに、少年みたいな人物なのだということを。
「カイン、呼んでるぞ」
リュカの言葉にますます俯くカインを、イリス達はただ驚きをもって見ていることしかできなかった。
1メタリ(約1cm)




