旅路の終わり
国王陛下との謁見から僅か数時間後、その日の夕方にはイリス達の元に、国王陛下の計らいでサンスタシア帝国行の貿易船に乗せて貰える旨が伝えられた。
乗船許可は元より船の手配もしてくれたのだが、今回イリス達が乗る船は残念ながらミュラー商会の船ではないとのことだった。
それでも陸路を行くより断然早くサンスタシア帝国に戻ることが出来る。国王陛下には感謝しかなかった。
船はイリス達がオートレア王国に最初に降り立った、オートレア王国最大の港町であるサマナの町から出る。イリス達が今居るリーンベルトの町からは馬車で四日程の距離があり、馬で急いでも二日はかかるだろう。
馬で二日を要するのであれば本来なら馬車で移動しても良かったのだが、生憎と次の貿易船の運航が三日後と迫っており、それを逃すと次の運航が十七日後ということだったので、あと二週間以上も足止めを食らうよりは間に合うのならば三日後の船に乗ろうということになって、イリス達は急いでリーンベルトの町を発つことになった。
「今から出立するなんて、医者としてそんな許可は出せませんからねっ!」
乗船許可の一報を受けて謁見の申し出をすると快く許可を頂け、再び国王陛下が滞在している部屋に向かったイリス達だったのだが、部屋に入室するなりマルグリットから開口一番、そんな言葉が飛び出した。
「妃よ、まだ誰もそんなことは言っておらんだろう?」
どうやらマルグリットは乗船許可を受けて直ぐにやって来たイリス達を見て、出立の挨拶に来たのだと勘違いしたようだ。
応接セットのソファに深く腰を下ろした国王陛下が、宥めるように隣に座るマルグリットの肩に手を置く。
しかしマルグリットは肩に乗せられた国王陛下の手から逃れるように身を捩ると、国王陛下に向かって捲し立てた。
「イリスちゃんはまだ病人なんですよ!だからあれ程、あと三日経って次の船に乗るしかなくなってから伝えるべきだと言ったのです!」
医者として、マルグリットはイリスの身を案じてくれているのだろう。
確かに記憶を取り戻して直ぐの時は、イリスは自分が思うよりもずっと心身ともに疲れていたようで再び眠ったりしてしまったのだが、体調を崩して寝込んでいたわけではないので、今日一日ゆっくりと身体を休めた今はすこぶる体調が良い。
「今すぐ出立するわけではありません。今晩一晩身体を休めて、明日の朝早くに出立しようと考えています」
「それだって一緒ですっ!許可できません!!」
今日のうちに移動を始めるわけではないと伝えたのだが、火に油を注いでしまったようだ。マルグリットの圧に押され、イリスは小さくなるしかない。
けれどそこで、隣に立っていたレオンがスッと一歩前へ歩み出た。
「国王陛下、発言の許可を頂けますでしょうか」
「うむ」
国王陛下の許可に一礼を取ると、レオンは視線をマルグリットに移し目を逸らすことなく真っ直ぐに見つめた。
「今朝も申し上げましたが、我々が今回オートレア王国を訪れたのは『フラッデルの医療的転用』について貴国から助言を得るために国から遣わされたことになっています。しかし、他国に対してそのことを事前に伝えていたわけではないので、公式な訪問ではありません」
「それはそうね」
フラッデルの医療的転用についての助言を得るため、というのは、今回イリス達がオートレア王国を訪れたことを正当化するための建前だ。他国から何か聞かれた際に、しっかりとした理由があって訪問していたという言い訳をするためのものである。
それはマルグリットも分かっている事なので、レオンの言葉に軽く頷く。それを確認して、レオンは言葉を続けた。
「いくら正当な理由があったとしても、非公式にあまり長く滞在していては、他国から『他に何か目的があるのでは』と疑われてしまいます」
「……」
イリス達が乗った船の中で感染症が発症してしまい、薬となる薬草を調達してワクチンを接種したが、そこから感染を広げないためにイリス達は十日間隔離生活を送っている。その上更に次の貿易船の運航まで十七日も足止めを食らうとなれば、オートレア王国に一か月以上滞在することになってしまう。
いくらなんでも非公式な滞在にしては長すぎであり、ドルシグ帝国に疑われる可能性は否定できなかった。
「体調は大丈夫です。港までの移動は自分で行うしかありませんが、船に乗ってしまえばまたゆっくり休めますので」
イリスも一歩前に出てレオンに並び立つ。オートレア王国がドルシグ帝国に痛くない腹を探られないためにも、せめて三日後の船に乗り込み、少しでも早くオートレア王国を離れた方がいいだろう。
「……」
確固たる意志を宿したイリスの翡翠色の双眸を見つめ、マルグリットはこれ見よがしに大きく溜息を吐いた。
「はぁ……。絶対に、無理はしないこと!」
「……はいっ、勿論です」
「それともう一つ!」
溜息を吐きながら肩を落としていたマルグリットが、顔を上げ人差し指でイリスをビシッと指差す。
何を言われるのかと、イリスの身体には自然と力が入った。
「……全てが片付いたら、今度はゆっくりお茶でもしましょうね、イリスちゃん」
その言葉と共に、マルグリットが微笑む。その穏やかで優しい表情に、肩に力が入っていたイリスはふっと力が抜け、言葉の意味を理解するとつられて笑顔になっていた。
「はいっ!必ず!!」
こうして、イリス達一行は国王陛下とマルグリットに乗船許可の礼と別れの挨拶を告げ、次の日の朝早くにリーンベルトの町を出発したのだった。
◇◇◇ ◇◇◇
「あぁぁ……後は到着を待つのみだねー」
漸く船の甲板に辿り着き大きく伸びをしたロイが、固まった身体をほぐすように身体を大きく左右に揺らした。
イリス達一行は国王陛下とマルグリットに別れを告げた次の日の早朝、用意された馬でリーンベルトの町を出発した。
馬で駆けても二日掛かる距離だったため、二日後の夕刻に出航する船に間に合うかどうかは時間的にギリギリではあったのだが、三人で交代してリュカを馬に乗せながら駆け続け、船の出航の少し前になんとか乗船することが出来ていた。
「あと数日でサンスタシアまで戻れるなんて、これまで何ヶ月もかかったのが嘘のようだよね」
ロイの横を通り抜け、イリスが船の縁に手をかけて今まさに離れていくオートレア王国のサマナの町並みを見つめる。
陽が落ちた町は温かな光に淡く輝いていて、水面に写る街並みはエダルシア王国のディルリーノの港町で見た景色に負けず劣らず綺麗だった。
「……長かった」
「長かったな……」
誰にともなく発した言葉だったのだが、イリスの隣にやって来て船の縁に背中を凭せ掛けたレオンが、藍色に染まりゆく空を見上げながら呟いた。
「……」
思えば、イリスがサンスタシア帝国で過ごしていた日々は騎士として精進の毎日で、碌にサンスタシア帝国から出たことなどなかった。
代わり映えしない日々ではあったが、今思えば平和で穏やかな毎日だった。
それが突如として、あの日を境に変わったのだ。
ドルシグ帝国の兵士に追われていたリュカと、そこに現れたドルシグ帝国のエルヴィン皇子に出会ったあの日。
そこからあっという間にイリスの日常は崩れ去り、各国を巡る旅に出ることになってしまった。
サンスタシア帝国を出立してから、すでに半年近くが経っていた。
けれどこの旅は嫌な事ばかりでもなく、多くの人に出会い、様々な事に気付くこともできた。
楽しいことばかりではなかったが、決して無駄なことではなかったと振り返る。
(そしてここから先は、過去と対峙し、未来を掴み取るための戦いになる)
これからのことを思い、イリスは黙り込む。
今までの過去を知らなかったイリスであった時は、記憶を取り戻すという目的はあっても、この旅はそれでもどこか楽しんでいる自分がいたのだ。
けれど今は、自分の置かれた立場と責任が明確になり、もうこの旅は自分のやるべきことに向けて進む道程の途中であり、使命のようなものに縛られているかのようだった。
「……?」
思い悩むイリスの背中に、トン、と軽い衝撃が伝わる。
視線を向けると、レオンとは逆隣にやって来たリュカがイリスの背中を叩くと、ニカッと歯を見せて笑っていた。
「サンスタシアでカインが待ってる。元気な姿を見せてやろうぜ」
リュカの言葉に、サンスタシア帝国に置いてきた少年の顔が思い浮かんだ。
大人相手に臆することなく弁舌をふるい、高度な知識を披露する小さなその姿を思い出して、張りつめていたイリスも少しだけ口角が上がった。
「そうだね。カインにたくさんお土産話を聴かせてあげないとね」
土産話よりも、他国の見たこともない技術を持ち帰って教えてあげた方が喜ぶような気がしたが、何分イリスにはその手の知識が皆無だ。
素晴らしい技術について見聞きしても、それを正確に理解して教えてあげることは出来ないだろう。
「ふふっ」
物凄くがっかりするカインの顔が思い浮かんで、イリスは今度こそ笑い声を溢す。
その笑顔を見て、リュカもレオンも、その後ろに佇んでいるロイも安堵し、つられて笑顔になっていた。
「ふぅ……」
イリスはもうすっかり紺碧に染まった夜空を見上げ、一つ息を吐き出しながら瞬く星々を見つめた。
その星の一つ一つの輝きは小さいものの、集まると大きな光を放っている。
(この世界も、この星空のよう)
この世界にも沢山の人々で溢れていて、その一人一人にそれぞれの役割があるのだろう。
人々はその役割の中で精一杯生きるしかないのだが、一人一人では大した力はなくとも、寄り集まればこの星空の河のように大きな光を放つことができる。
「……」
イリスは決して一人ではない。この旅でその思いは一層強くなった。
沢山の人々に支えられて今の自分が居ることを知ったし、自分を支えてくれている人々の思いも知った。今の自分を助けてくれる人がこんなにもいるのだと分かった。
この夜空のように真っ暗で先の見えない不安はあるものの、星々の輝きがイリスの行く先を照らしてくれるだろう。
瞬く星々を見上げ、イリスは束の間だけその美しさにただ見惚れた。




