選択肢
階段を降り、イリスの病室に戻って来たところで一同は安堵の息を吐いた。
「無事にオートレア王国の協力も得られたことだし、これでこの国ともお別れね」
イリスの言葉に、後ろにいたリュカがイリスの横に並びながらにこやかに微笑んだ。
「ああ!……イリス……のお陰だよ」
「?どういたしまして」
意気揚々と話し出したわりに何故か言葉を選びながら顔を顰めたリュカを見て、イリスは首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、あの、何でもない」
どことなく気不味そうに視線を逸らしたリュカの顔を覗き込む。
一瞬視線が合ったものの、リュカはイリスの視線から逃れるように顔を背けた。
(何か気に障るようなことでも言ってしまったかしら?)
リュカの態度からすると、イリスに何か言いたいことがあるようだ。
しかし先程の謁見では、一国の王を相手にするのには至らない点ばかりだったと思うが、最終的にはオートレア王国の協力も取り付けることが出来たし、ウィレンツィア王国の不利になるような展開にはならなかったはずだ。
何故リュカがそんな顔をするのかが分からず、イリスは首を捻った。
だがそんなイリスの思考を一瞬で掻き消すかの如く、次の瞬間リュカの頭には後ろからレオンの鉄拳が落ちていた。
ゴツッ、という鈍い音と共に、リュカが一瞬よろめく。
「痛っ!何で殴るんだよ!」
突然の衝撃にリュカが両手で頭を押さえ後ろを振り返り反論するが、視線の先にいたレオンは腕を組んだ仁王立ちだ。
その威圧的な佇まいに、怒り心頭だったはずのリュカも抗議の声が弱まる。
「……何で俺が怒られんだよ。おかしいだろ」
「それはお前が阿呆だからだ」
「んな!俺が何したっていうんだよ」
理不尽に責められ、気持ちが萎縮していたリュカも再び非難の声を上げる。
だが怒られた理由も分からないリュカに対して、レオンは一瞥した後やれやれと諦めたように肩を竦め溜息を吐いた。
その態度が気に入らなくて、リュカがレオンに掴みかかっていこうとしたところで漸くロイの静止が入った。
「はいはい、そこまで」
二人のやり取りにどう割って入っていいか分からず焦っていたイリスは、ロイの介入にほっと息を吐く。
ロイは二人の間に身体を割り込ませ接触を阻むと、リュカの方を向いてその肩に手を置いた。
「リュカは落ち着いて。で、レオンは流石に言葉が足らないよ?」
ロイが顔だけ後ろを振り返って声を掛けるが、レオンはそれに対してフイッと顔を背けた。
「もうっ!子供なんだから!」
素知らぬ顔のレオンにロイが溜息を吐く。その背後では、リュカが「暴力反対」と騒いでいた。
「でも、何で今リュカが叩かれたのか私も分からなかったけど……」
一連のやり取りを蚊帳の外で見ていたイリスが遠慮がちに声を掛けた。
今まで、レオンはリュカに対して叩くような行為をすることが度々あったが、そのどれもがイリスのために怒ってくれた場合など、ちゃんと理由があったのだ。
理由もなく叩くなど、理不尽な行為は今まで見たことがなかった。
するとイリスの賛同を得てリュカが「そうだそうだ」と騒ぎ立て始めたのだが、イリスもそれには応えず返答を求めてロイを黙って見つめ続けた。
そんなイリスの視線を受けて、ロイは短く息を吐き出すと肩を竦めた。
「リュカはさ、さっき言葉に詰まった時、イリスが『王女』になったからどう接しようか一瞬悩んだんでしょう?」
ロイがゆっくりと視線をイリスからリュカに向けた。
穏やかな表情でありながらも、ロイが射貫くようにリュカを見据える。その瞳は、リュカが隠しておきたい心の奥底までも見透かすようで、リュカは落ち着かなくなって視線を逸らした。
だがそんなリュカの心内を読んだロイの言葉に、リュカよりもイリスの方が驚いていた。
「え?……今更?」
あまりに予想外な言葉に、イリスは思わず視線を逸らしたリュカの方に回り込んでその顔を覗き込んでいた。
「最初から、私がウィレンツィア王国の王女かもしれないって散々言っていたよね?」
イリスとリュカは出会ってほぼ直ぐの頃から、ウィレンツィア王国の王女かもしれない人物とウィレンツィア王国革命軍の一人として接してきている。
イリスの主張は尤もであり、語気が強くなるのも仕方がなかった。
(でも、この話はここで終わりにした方がいい)
リュカに対して言いたいことは沢山あるが、この話はこれ以上掘り下げない方がいいような気がした。イリスはここで、正論を返されたくなかったのだ。
だからこそ、誰かが何かを言う前に先に言葉を締めくくろうと思ったのだが、イリスよりも先にロイが口を開いた。
「そうだね。僕達はずっと、イリスがウィレンツィア王国の王女かもしれないと思いながら旅を続けてきたよね」
(やめて)
次にロイが何を言うのかが怖くて、イリスはこれ以上ロイの言葉を聞いていたくなかった。
「でも、僕達が一緒に旅をしていたのは……」
(やめて!)
「『イリス』、だよね」
「っ!」
その言葉に、思わず息が詰まった。
(……それじゃあまるで、記憶を取り戻した今の私は『イリス』じゃないみたい)
自然と顔が俯く。今の自分はイリスであってイリスではないと言われているようで辛かった。
だが、そんな風に一人内心で傷付いて俯いてしまったイリスの頭に、微かな重みが加わった。
それはいつも感じる、安心できる重みだった。
思わず顔を上げると、案の定レオンの掌がイリスの頭の上に乗っていた。
「またおかしな方向に考え込んでるだろう?ロイが言っているのは、おそらくイリスが思っているようなことじゃないぞ?」
「え?」
「おかしな方向に考えて悩むのは、イリスもリュカスも一緒だな」
そこには優し気に微笑むレオンが居た。頭の上に置かれた掌が、ポンポンと優しくイリスの頭を叩く。
「この旅の間中、何度もそんな話になっていたと思うが、俺達にとっては今も昔もこれからも、イリスは『イリス』だってことだよ」
「……」
驚いてレオンを見た後、後ろのロイを振り返る。見ると、ロイは困ったように眉根を下げていた。
「今の言葉で、どこをどうやったら勘違いできるのさ」
「それは……」
呆れたように笑うロイに言葉が詰まった。
「それで?イリスとしてはどうなの?」
「どう……」
ロイに問われ、イリスは目を見開いた。
(どう、とは?)
何を問われているのか分からず首を捻る。だがそんなイリスに、ロイは当然とばかりに頷いた。
「僕達にとって、イリスはイリスだよ?寧ろさ、さっきイリスが自分でウィレンツィア王国の王女の名前を言った時は驚いたよ」
「そうだな」
ロイの頷きにレオンも同意する。それを目の当たりにしてイリスは驚きを隠せなかった。
「俺達は王女だったイリスを知らない。イリスだったイリスしか知らないんだ。だからイリスが記憶を取り戻したからといっても、これからも何も変わらない。当然だろ」
「だよねー。……で?イリスはどうなの?」
レオンの言葉に同意すると、ロイは再び同じ質問をイリスに投げかけた。
しかしイリスは、自分としてはどうなのか、皆にどうして欲しいかなど考えたこともなかったのだ。
(私は王女だけど、それは私が決めてもいいものなの?)
記憶を取り戻した今、自分はウィレンツィア王国のアリスティア王女以外の何者でもないはずなのだ。けれど、どうやら選択肢はあるらしい。
イリスは思案した後、ゆっくりと一つ頷いた。
「私も一緒、かもしれない」
「一緒って?」
ロイが優しく続きを促す。それに力を貰って、イリスは言葉を続けた。
「記憶がない時は、何としても失った記憶を取り戻さないと自分が自分じゃないって思っていたんだけれど……。いざ記憶を取り戻してみたら、そして、レオンとロイにそんな風に言ってもらったら、取り戻した記憶はやっぱり自分の中の記憶の一つでしかなかったと言うか、私が私であることには変わりない、のかもしれない」
イリスの言葉に、満足したようにロイが微笑む。そしてレオンは、イリスの頭の上に置いたままの手で優しく頭を撫でくれていた。
そしてイリスは最後に、黙ったままのリュカを見た。リュカは視線を逸らしたままだったのだ。
(レオンやロイと違って、リュカは『イリス』と過ごした時間が少ない。それにリュカは元々ウィレンツィア王国民だもの。イリスより王女の方の印象が強いのかもしれない)
そんなことを考えていると、背後でロイが楽しそうに笑う声が響いた。
「くくくっ、違う違う」
「?」
不思議そうな顔をしているイリスの横を通り過ぎると、ロイは視線を逸らしたままのリュカの背後に回り込み、その肩に両手を置いてイリスの前までぐいっと押した。
「リュカはさ、きっとイリスに対してヴォルターみたいに、『様』でも付けるべきかどうか悩んだんじゃないのかな?」
「へっ?」
「っ!そんなんじゃなくてっ!!」
まさかの話に、イリスの口からは間抜けな声が出てしまった。だがそれよりも、目に見えてリュカの方が狼狽えていた。
「いやっ!だってさ、急に王女として名乗るとか驚くだろっ!」
「まぁねー。ちょっとびっくりはしたけどねー」
リュカは振り返ってロイに慌てて言い訳をしているが、ロイはそんなリュカを微笑ましそうに見ているだけだ。
二人のやり取りをイリスは驚きのまま見つめる。すると、同じく二人のやり取りを黙って見ていたレオンに声を掛けられた。
「それで?イリスはどう呼ばれたい?」
思ってもみなかった質問に驚くも、イリスは淀みなく答えた。
「ふふっ。イリスでもアリスティアでも。だって、どちらも私なんでしょう?」
イリスの答えを聴いて、レオンが黙って頭をわしゃわしゃと少し乱暴に撫でてくれた。髪が乱れるだろうが、そんなことは気にならなかった。
気付くと先程まで言い合っていたリュカとロイもこちらを見て微笑んでいる。
(何があってもきっと大丈夫。私にはこんなにも頼もしい仲間がいるんだもの)
皆の顔を見回し一つ頷いたイリスは、次の瞬間悪戯っぽくニヤリと笑った。
「あ、でも『様』は止めてね。むず痒くなっちゃう」
「……」
「ははっ、了解」
きまりが悪そうなリュカと愉しそうに笑うロイにつられて、イリスも笑う。
こうして、色々なことがあったオートレア王国での日々が終わろうとしていた。




