病室での謁見
マルグリットの診察後、まだ夜明けまでは時間があったので眠るように言われたのだが、イリスは眠れる気がしなかった。
だがここで起き出して訓練などしようものなら、マルグリットに怒られるのは必至だ。そしてロイからは、『僕達もイリスのことを夜通し見守っていたから仮眠をとるよ。しっかり眠れるといいよね?』と良い顔で微笑まれてしまったら、もうイリスはベッドの住人になるより他なかった。
皆に心配をかけていたのだ。これ以上何か事を起こしてさらに迷惑を掛けるわけにはいかない。
そうして大人しくベッドに横になっているうちに、自分が思う以上に心身共に疲れていたようで、イリスはいつの間にか眠ってしまっていた。
そうして朝も遅い時間になってから目が覚めると、再び様子を診に来たマルグリットが血圧計を自身の医療鞄にしまいながら申し訳なさそうに切り出した。
「あのね、イリスちゃん。イリスちゃんの体調が大丈夫なら陛下が会いたいと仰っているんだけど……どうする?」
突然の申し出に驚きはしたが、イリスはにこやかに微笑んで答えた。
「勿論です。こちらから謁見の申し出をしようと思っていたところだったので、国王陛下のお時間が宜しいのであればすぐにでも伺います」
ニザルベリナリアの感染症はイリス達が持ち込んだわけではないが、その治療に王妃であるマルグリットを巻き込んだのはイリスだ。
そしてその後も、イリスが記憶が戻りそうになって倒れたり、記憶を取り戻すために眠り込んだりしてしまったので、こうしてイリスの診察はマルグリットがしてくれていた。一国の王妃であるというのに迷惑を掛けっぱなしなのである。
正式に謝罪と感謝を述べなければと思っていたところだったので、国王陛下の申し出は渡りに船だった。
イリスの意向が伝えられるとその後すぐにイリス達一行に対して謁見の許しが与えられたので、全員で国王陛下の待つ部屋へと向かうことになった。
近衛騎士が中に声を掛けると直ぐに返事があり、病室の扉がゆっくりと開かれる。
最上階一番奥の部屋であり、一般の病室と比べれば幾分広く置かれている家具も医療用よりは質の良い物だったが、それでもここは王の住まう王城でもなければ、貴賓室などがある邸宅ですらない。王国民も利用する王立の病院なのだ。
凡そ一国の王が滞在するような場所ではないはずなのだが、ソファに座る国王陛下を目にした瞬間そのことを忘れるくらい、その存在感は圧倒的だった。
「オートレア王国国王陛下にご挨拶申し上げます」
その場に全員が膝を付き、先頭のイリスが挨拶を述べる。老齢の国王陛下は一見すると柔和で温厚そうな顔をしているが、放つ空気は威厳と貫禄に満ち溢れていた。
「うむ。皆の者、顔を上げてくれ。堅苦しいのはここまでにしよう」
国王陛下が扉のところに待機している近衛騎士に手で合図を送ると、近衛騎士達は一礼した後扉を閉めて退出して行った。
そうして部屋の中は、イリス達一行と国王陛下、そしてその隣に立つマルグリットのみとなった。
この部屋はイリスがいた病室とは異なり、室内には医療用とは言い難い広いベッドと、ソファとテーブルの応接セットが置いてあった。国王が滞在することまでは想定していないだろうが、おそらく位の高い人物用に作られた部屋なのだろうと思われた。
国王陛下はその応接セットのソファに座って、穏やかにこちらに向かって微笑んでいた。
「かけなさい」
「……はい、失礼します」
国王陛下は手で向かいのソファを指し示しながらイリスに席を勧めた。
それを受けて、イリスは一礼をすると立ち上がり対面のソファに腰を下ろした。一介の騎士ならば遠慮すべき場面だろうが、今はその申し出を断ってこのまま話を進めるべきではなかったからだ。
「妃から大体のことは聞いたが。……思い出したのだな?」
国王陛下の言葉に、イリスははっきりと頷いた。
「はい。この度は貴国の王妃陛下に大変ご負担をお掛けし申し訳ありませんでした。名を、アリスティア・フェルーナ・ウィレンツィアと申します」
「……そうか。思い出したのだな……」
イリスは記憶が戻ったこととウィレンツィア王国王女としての覚悟を示す為に、敢えて自身の本当の名を告げた。
国王陛下はそんなイリスの返答を聴いて、感慨深そうに薄っすら目元を赤くする。
しかし国王陛下とは異なり、イリスの背後に立って控えていたレオンとロイそしてリュカは、イリスの名乗りに一瞬身体を固くさせていた。
けれどそのことに、彼等に背を向けて座っているイリスは気付くことはなかった。
「いい目をしておる。真っ直ぐで迷いのない目だ……」
「っ!」
イリスに向けて微笑んだ国王陛下は、ちらりと視線をイリスの後ろに控える三人に向けた。国王陛下からは三人の表情が良く見えていたのだ。
その視線は鋭く三人を射抜く。
国王陛下は三人の動揺を見逃さなかった。視線で、イリスが覚悟を決めた以上そなた等も覚悟を決めよと伝えられていることに気付いて、三人は気を引き締め直した。
「……」
そんな三人の様子に、国王陛下はふっと短く息を吐き出すと視線をイリスに戻した。
「しかし、もうそなただけに重責を背負わせるつもりはない。先日述べた通りだ。今度こそ、我がオートレア王国もそなたの力になろう」
「……ありがとうございます」
有事の際には、オートレア王国もウィレンツィア王国側に付いてくれるということだ。
感謝の言葉と共にイリスは深く頭を下げた。
「して、具体的にこれからどうするつもりだ?」
「それについては、一旦サンスタシア帝国に帰還しようと思っています」
国王陛下からの問いかけに、イリスは下げていた頭を上げると真っ直ぐに国王陛下を見つめた。
「記憶を取り戻した旨をサンスタシア帝国に報告した際、テオドール帝から帰還するよう言付けがありました。今後の事を詰めるためにも、サンスタシア帝国に戻ろうと思っています」
イリスの記憶が戻ってすぐレオンがそのことをサンスタシア帝国に報告してくれたのだが、その際帰還を命じられたのだ。
「国王陛下、発言をお許しいただけますでしょうか」
するとその時、後ろに控えていたレオンが徐に口を開いた。
ソファに座る国王陛下は少し驚いた表情をしたが、レオンが何を言うのか事前に知らされていたイリスは驚くことはなかった。
「よい。発言を許そう」
「ありがとうございます」
一礼した後、レオンは一歩前に進み出た。
「サンスタシア帝国としては、今回私達がオートレア王国を訪れたのは『フラッデルの医療的転用』について国から遣わされた使者、という名目にする予定です。
ドルシグ帝国もそんな名目を信じはしないでしょうが、対外的にはそういう名目にしていただきたいのです」
「ふむ。口裏を合わせろ、というわけだな」
国王陛下は顎に手を当て思案顔で頷いた。
帝からの提案で、イリス達は今回フラッデルを医療目的で使用する際の助言を求めて、医療大国であるオートレア王国にやって来たことにするのだという。
それはサンスタシア帝国のフラッデル部隊が三名も国を離れるという違和感しかない状況を、正当化するための大義名分だ。
「そうだな、それがよかろう。あの国はそんな建前なぞはなから信じてはいないだろうが、正当な理由があれば対外的に動きやすくなるのは事実。我が国としても、フラッデルの医療転用が有効であるということを内外に触れ回っておこう」
「ありがとうございます。国王陛下」
国王陛下が眉間に皺を寄せ嫌な顔を隠しもせず「あの国」と表現したことに、イリスは国王陛下の御前であるにも関わらず小さく苦笑してしまった。
「医療転用の為にフラッデルの改良が必要となれば、サンスタシア帝国や、ひいてはウィレンツィア王国とも頻繁に連絡をとる必要があるのう」
そう言うと国王陛下は、片側の口角だけを上げて悪戯っぽく笑った。
「っ!そうですね、それはとてもありがたい申し出です。国王陛下には感謝の言葉もありません」
予想外の展開に、イリスは動揺しつつも再び深く頭を下げた。
フラッデルは、元はウィレンツィア王国にあるゴットハルト工房という凄腕の技術者が揃った小さな工房で開発されたものだ。
その事実を知っている者は少ないが、国の重要人物ともなればそのことは周知の事実だ。
フラッデルの改良となれば、その大元の工房と連絡を取るという名目でウィレンツィア王国と連絡を取り合っても何らおかしくはない。
(そうは言っても、何かしら言ってくるでしょうけれど)
ドルシグ帝国がそんな話を鵜呑みにすることはないだろう。だが、何か言いがかりをつけられた時の言い訳にはなる。
国同士ともなれば、そうした無駄とも思える建前は必要なのだ。
(ゴットハルト工房か……カイン、元気かな)
ふとサンスタシア帝国でお留守番をさせているカインの顔が思い浮かんで、イリスは少しだけ顔を綻ばせた。
イリスがこの旅を始めるきっかけとなったドルシグ帝国のエルヴィン皇子に会ったあの日、ウィレンツィア王国からやって来たのが革命軍に所属するリュカとカインだった。
リュカがドルシグ兵に追われていたところを助けた後、散々探し回って見つけたカインが小さな少年だったことには驚いたものだ。
その上カインはフラッデルを生み出した、ゴットハルト工房に所属する技術者だったのである。
カインが造ったという信じられないくらい極小の盗聴器は、その場にいた全員を驚かせるのに十分だった。
カインは今回のイリスの旅にも同行したがっていたのだが、危険な旅になることが分かりきっていたので、今カインはサンスタシア帝国で保護してもらっている。
「……こんなに長い間待たせて、カインに怒られそうだな」
同じくカインのことを思い出していたようで、リュカの口から小さな呟きが溢れ落ちた。
謁見中の独り言にイリスは少しヒヤヒヤしたが、温厚な国王陛下ははそんな些細なことは咎めずにいてくれた。
「サンスタシア帝国に戻るのであれば、船の手配と許可証を用意させよう。そなた等の旅の無事を祈っているよ」
「ありがとうございます」
その言葉に四人は深々と礼を取ると、謁見の場となった病室を後にした。




