運命の日 6
『ここを開ければガゼボのある庭園の処に出られるわ』
階段を降り切った先は行き止まりになっており、ティアはその場所で足を止めた。
石壁の向こうはもう外だ。壁を隔てた遠くの方で、剣戟の合間に人々の怒号が飛び交っているのが薄っすらと聴こえてきている。
『庭園のどの辺りでしょう?この出口の先はどうなっているのですか?』
今までは進む先の道が分からないのでティアが先導して歩いていたのだが、この先は外と聞いてウィルニーナがティアの前に出ると石壁に手を付いて調べ始めた。
だがこの壁は、出口になっている部分の仕掛けを順番に押して鍵を外していかなければ開かない仕組みになっている。
ティアはウィルニーナの隣に並び立つと、自身の身長くらいの辺りの壁に手を伸ばし、手探りで僅かに出ている突起を探して押し始めた。
『ここは城の外壁の一部になっていて、生垣の中に出るようになっているわ』
『……ですが、あの庭園は外壁まで生垣は伸びていませんよね?』
庭園の様子を思い浮かべ、ウィルニーナが疑問を呈す。
確かに庭園の生垣は城の外壁の処まで伸びてはいない。このまま出口から出れば、その姿を誰かに見られてしまう可能性があった。
『この隠し通路は、城の中から抜け出すことが目的の通路なのよ。それに出入口の部分をあまり隠し過ぎると、かえって不自然にその場所が目立ってしまう、でしょう……だから……と聞いたわ』
語尾になるにつれて、ティアの声は小さくなってしまった。この隠し通路のことをティドに教えてもらった時のことを思い出したからだ。
(ティド……)
とっておきの秘密を教えてあげると言って、あの日ティドはティアに隠し通路の存在を教えてくれた。
あの時は、まさかこんな風に本当にこの隠し通路を使う日が来るなど、ティアはこれっぽっちも想像していなかった。
(でも、もしかしたらティドは……)
ティドがどこまでを想定していたのか、今となってはティアには分からない。
けれどあの日この隠し通路を教えてもらっていたおかげで、今こうしてティアは生き延びることが出来ている。
(……今は、逃げることだけ考えなくては)
気付くと、石壁を押す手が止まっていた。
ティアはぎゅっと唇を引き結ぶと、真っ直ぐに出口となっている壁を見つめた。
『ティア様、これを被って下さい』
『!』
不意に頭の上から何かを被らされて、ティアは慌てて手を顔の前に掲げてそれを捲し上げた。
『これ……』
見ると、それはティアのベッドの上にあった上掛けの真っ白な布だった。
ティアがベッドの下に潜り込んだ際に足に絡みついて、一緒にベッドの下に巻き込んでしまった物だ。
ベッドの下に潜り込んだティアが布に足を取られて転ばないようにと、後から付いて来たウィルニーナが回収してくれていたのは知っていたが、ウィルニーナはどうやらその布をそのまま持って来ていたようだ。
隠し通路内は暗かったので、ティアは全く気が付かなかった。
『隠し通路から出るところを誰かに見られてしまったら元も子もありませんが、そのままのお姿で出るわけにはまいりません』
『そう、ね。分かったわ』
ティアは頭の上まで捲し上げた布をもう一度引いて、目元までをすっぽりと覆い隠した。
琥珀色の髪と翡翠色の瞳は世界中から見ればそこまで少数派ではないが、今このウィレンツィア王国の王城内においては特徴的だ。
布を纏ったティアは、再び手を動かして壁の仕掛けを外していく。
そして最後の仕掛けを押した際、カチリ、と小さな音がして出口の鍵が外れた。
『ティア様、私が先に』
鍵が開いた音を聴いて、ウィルニーナはそれ以上ティアが先に進まないように自身の身体をティアの前に滑り込ませた。
それを受けて、ティアは素直に後ろに下がるとウィルニーナの背に隠れた。
『開けますよ』
後ろにいるティアに合図を送り、ウィルニーナはゆっくりと慎重に壁の一部を押し開けた。
『!』
壁の一部が外れると、そこに人一人がやっと通れるほどの穴が開いた。
穴の向こうはティアが言うように外に繋がっていたが、穴のすぐ下が庭園の芝生になっている。
ウィルニーナはまだ穴からは顔は出さず、周囲の状況を観察した。
(この大きさの出口ならば、庭園の木々や生け垣が邪魔で遠くからはこの出口がよく見えないかもしれない)
外からあまり目立たないよう、隠し通路の出口は入り口同様人一人が通れるくらいの穴のようになっていた。
しかもそれは王城の外壁の下の部分に作られており、この大きさならば庭園の木々や生け垣などに視界を遮られて、隠し通路の出口から人が出て来てもよく見えないだろうと思われた。
それでもウィルニーナはそこから僅かに顔を覗かせると、油断なく周囲を窺って問題ない事を確かめてから素早く慎重に外へと這い出した。
そして更に周囲を警戒し安全を確認すると、今度は穴の中に手を伸ばしてティアの身体をそこから引っぱり上げた。
(……ここにはまだ、敵の手は回っていないようね)
ウィルニーナが周囲の安全は確かめてくれていたが、出口の穴から出たティアもまた自身の目で周囲の状況を確認した。
城の正面の方からは剣戟の音がするものの、まだこちら側までは敵の手は回っていないようだ。
そして次に、ティアは城の裏手側を見た。
城の裏手側は、真夜中を過ぎたあたりだというのに煌々と明るく照らし出されている。
部屋からも見えていたが、城の後方で大きな炎が燃えているのだ。外に出てみると、この距離でも炎からの熱風が感じられるほどだった。
そしてティアは、最後に今出てきたばかりの王城を見上げた。
『……』
隠し通路の出口に、外した石壁を戻して元のように塞いでいたウィルニーナが作業を終えて振り返ると、王城を見上げているティアの姿が目に留まった。
ティアの視線の先にあるのは、先程までいた部屋の窓だ。その意味を理解して、ウィルニーナの胸は痛い程に軋んだ。
だがそれでも、今は何を犠牲にしてでも逃げなければならない。ウィルニーナはティアの視線に気付かない振りをして声を掛けた。
『行きましょう、ティア様』
『……そうね』
ティアは何事もなかったかのように視線を戻し踵を返すと、庭園の向こう側にある、城をぐるりと取り囲んでいる城壁の方へと向かって歩き始めた。
城壁の先は王都になっている。王都の中に紛れ込むことさえ出来れば、追ってから逃れる時間を稼ぐことが出来るだろう。
庭園の木々に隠れるようにして身を低くしながら進み、ティアとウィルニーナは城壁に辿り着いた。
『ガゼボのちょうど真後ろになる位置に、隠し扉があるはずよ』
『分かりました。探してみます』
この城壁にも、所々に逃げるための隠し扉が点在している。この場所の扉は、ガゼボでお茶をしている際にもし襲撃などがあった場合に、王都に逃れるための扉だ。
『……』
ウィルニーナが城壁を調べている間、ティアは再び後ろを振り返った。
城の正面の方からの喧騒が、徐々に大きくなってきている。まだこちら側の庭園に敵の姿はないが、いつ敵がやって来るとも限らずティアの心臓は早鐘を打っていた。
『!』
するとその時、ドォンという爆発音がして、ティアは思わず音のした城の後方を振り返った。
何かが爆発したような音だったが、大砲を撃ち込まれたのか、爆弾を使われたのか、それが何だったのかまでは分からない。
ティアは音の正体とその被害を確かめようと城の後方に目を凝らした。
だがその時、城の裏手で燃えている炎の中に、何かがあることに気付いた。
『?』
炎は巨大な火柱となって燃え盛っている。炎の勢いは更に激しくなっていた。
先程は恐怖と不安で手一杯で気が付かなかったのだが、そこに注意を向ければ、何かが燃える嫌な臭いもそこら中に漂っていることに気が付いた。
『見つけました!』
『……』
『……ティア様?』
壁の隠し扉を見付けてウィルニーナが声を掛けるが、ティアがその呼び掛けに応えることはなかった。
不思議に思いウィルニーナがティアを振り返ると、ティアは城の後方で炎が勢いよく燃えている辺りを見ていた。
だがその瞳は見開かれ、口元も身体もカタカタと小刻みに戦慄いている。
その姿は、明らかに尋常ではなかった。
『ティア様っ、ティア様!!』
思わず声が少し大きくなってしまったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。ウィルニーナはティアの肩に手を置くと激しくその身体を揺さぶった。
『あ、あ……っ!』
だがティアの正面に回っても、その瞳がウィルニーナの姿を映すことはなかった。
ティアはウィルニーナの方を向いているもののどこか遠くを見ているように目の焦点が合っていず、言葉にならない声を小さく溢すだけだった。
『ティア様!何が……っ!』
ウィルニーナは原因を突き止めるべく、ティアが先程まで見つめていた炎の方を振り返った。
先程はその炎による被害の状況を確認するべく、炎との距離や炎の高さなどばかり見ていたのだが、そこで初めてウィルニーナは、何が燃えているのかに目を凝らした。
炎の中には、折り重なるようにして何かが積まれていた。
それを糧に、炎は天高く舞い上がっている。それこそ、その周辺を昼間のように明るく照らしながら炎はまるで生き物のように蠢いていた。
炎の中にある物が何なのか、この距離では詳細は分からない。けれどそれは人の形をしているように見え、炎から人の足の形をしたものが飛び出しているようにも見えた。
『っ!ティア様!!』
ウィルニーナが息を呑むのと、ティアがその場に崩れ落ちるのとが一緒だった。
咄嗟に抱き留めたお陰でティアの身体は地面に打ち付けられることはなかったが、どうやら意識が無いようだった。
『ティア様!ティア様!!』
ウィルニーナは必死にその名を呼ぶ。けれど、ティアは気を失っていて一向に目を覚まさない。
視界が込み上げる涙で滲む中、それでもウィルニーナはティアの名を呼び続けた。
(神様!この御方がいったい何をしたというのですっ!こんな仕打ちはあんまりですっ!)
先程まで気丈に振舞っていたティアだったが、最早限界だったのだ。
ティドのことはティアにとって身を切り裂かれる程の痛みだったが、その姿を目の当たりにしなかったことで、何とか己を保てていたのだ。
そんな甘い現実はないと知りながらも、まだ生きているかもしれないという可能性が、ティアの中に残っていたのだ。
だが、目の前の現実にはそんな甘さなど欠片もなかった。ティアを絶望に突き落とすのには十分だった。
そこには、生きている可能性などただの一つも存在しない。ただ残酷な現実だけがあった。
それによって、ティアの幼い心は粉々に打ち砕かれたのだった。
これにて第九章完結です。
いつもなら次から閑話を数話入れるところですが、内容がシリアスなところで終わっているのにほのぼのした話を入れるのも……と思ったので今回は閑話を入れないことにしました。
次から第十章に入る予定です。よろしくお願いします。




