運命の日 4
今回の話から数話ほど、お話の中に人が死ぬ表現や残酷な表現が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
コツ、コツ、と靴音を嫌に響かせながらゆっくりとした足取りで、その人物は部屋の中に足を踏み入れる。
足音の合間に、スラッと剣が鞘を滑る音が響いた。音のした距離からして、剣を抜いたのは部屋に踏み入って来た人物その人だ。
剣を抜いた音に、ティアの心臓が信じられないくらい早鐘を打つ。
鼓動の音が相手に聴こえてしまうのではないかと思う程、それはドクドクと耳の奥で煩く鳴り響いていた。
ここからでは何も見えないが、声からして入室してきたのはドルシグ帝国の第三皇子、エルヴィンであることは間違いない。
(っ……)
ティアは身体から急速に体温が抜けていくような感覚に襲われた。手足の先に感覚が無く、気付くと指先がカタカタと小刻みに震えていた。
早く何とかしなければと思うのに、どうすればいいのか何も考えが浮かばず、身体も一向に自分の思う通りにはならない。
そんなティアを抱きしめるウィルニーナの腕には更に力が篭り、その痛みでなんとかティアは正気を保っていることが出来ていた。
『……』
靴音が止まる。そこからゆっくりと深く息を吐いた後、エルヴィンは再び口を開いた。
『……なるほど?王女殿下であらせられましたか?』
『!』
エルヴィンの声に、震えていたティアはぱっと顔を上げた。
大人が這いつくばってやっと入れる程のベッドの隙間からは、床に散らばるティアの髪の毛が見えていた。
(っ!お願い。このまま勘違いしていて!)
ティアは感覚のない手を握り合わせて神に祈った。
部屋の前に居た近衛騎士が複数人で相手になっても敵わなかった相手なのだ。ティド一人では勝算はないだろう。
であるのならば、このままティドが言っていたようにティアに利用価値を見出して、エルヴィンがティドのことをティアだと勘違いしたまま生かしておくことに活路を見出すしかない。
(……)
ふと気付くと、ティアが組んでいる手の下で、ティアの腹部に回されたウィルニーナの手も震えていた。
僅かに後ろを振り返ると、ティアを抱き留めているウィルニーナも苦渋の決断を迫られ苦悶の表情だった。
身代わりになってでもティドを生かすと決めたティアだったが、この状況で自身が飛び出すことは得策ではない。
ティドが王子だと知られれば直ぐにでも殺されてしまうからだ。
同じくウィルニーナが飛び出した場合も、ベッドの下を勘繰られてティアの存在も見つかってしまう。
結果二人は為す術がなく、その場で息を潜めるしかなかった。
『王子殿下はどちらです?』
『……』
エルヴィンはティドに向かって言葉を投げ掛ける。丁寧な物言いだが、声色は不遜そのものだ。ティドをティアと勘違いしたままであることだけが唯一の救いだった。
そのことをティドも理解しているからか、ティドは一切の言葉を発しない。
(お願い……神様、お願いです)
ティアは組んだ手に力を籠める。
だが続くエルヴィンの言葉に、ティアは言葉を失った。
『だんまりですか……まぁ別に、どちらでもいいんですけどね』
『っ!』
一瞬の衝撃の後、どさりと何かが床に落ちる音、カランカランと金属が床に落ちて跳ねた音が聴こえた。
『恐怖で声も出ないのか、王族としての矜持か。……つまらんな』
吐き捨てるように呟いた男の声がティアの耳の奥で反響していた。
(な……に…………)
ガタガタと全身が震える。
状況は何も分からない。見てはいない。けれど、聴覚からの情報が、これでもかと言う程現実をティアに突き付けていた。
するとその時、バタバタと廊下を駆けてくる足音が聴こえた。
『!エルヴィン様、こちらにいらっしゃいましたかっ!』
廊下を駆けていた足音が部屋の前辺りで止まる。廊下からでも、開け放たれている扉越しに室内にいるエルヴィンの姿を見付けたのだろう。
エルヴィンを追いかけて来たその人物は、そのまま入り口をくぐって室内に入室してきたようだった。
『……王子ですか?』
入室してきた人物は続き部屋をくぐるなりエルヴィンに声を掛ける。
その言葉に、エルヴィンはつまらなそうに溜息を一つ吐いた。
『王女の方だ。これから王子を探しに行く。ここも片付けておけよ』
『……王女でしたか。ほぼ城の制圧も完了致しましたので、手の空いた者に伝えておきます』
『!』
会話を耳にして、怒りなのか恐怖なのかも分からない、何かとてもつもなく大きな感情がティアの身体を駆け巡って、自分で自分の身体を制御不能になりそうだった。
その勢いのまま今にもここから飛び出しそうになったティアだったが、それよりも先にウィルニーナの手がティアの口を塞ぎ、元々ティアの身体を抱き留めていたもう一方の手ががっしりとティアを押さえ込んだ。
『っ!~~っ!!』
ティアの声にならない声が、ウィルニーナの掌に吸い込まれていく。
そしてそんなことをしている間に、エルヴィン達の足音が部屋から出て行くのが聴こえた。
足音はそのまま部屋を出て、段々と遠ざかっていく。
だがその時再び廊下を駆けてくる複数の足音がして、先程エルヴィンを追ってこの部屋にやって来た人物がその複数の足音に向かって声を掛けるのが遠くから聴こえた。
『この部屋に王女がいる。片付けておけよ』
『『『はっ!』』』
おそらく兵士達なのだろう。どやどやと室内に入室して来る足音に、ティアの身体に再び緊張が走った。
それに合わせ、ティアの口を塞ぎ身体を抱き留めるウィルニーナの手に更に力が篭った。
『……なぁ。これ、王女か?』
入室してきた一人が、おそらくティドを見て声を上げた。
『……違うな。髪の毛を切った跡があるが、コイツは王子だ』
『偽装工作か?無駄な事を』
ビリビリという布の破ける音とどさりと何かが落ちる音が部屋の中に響く。
(それ以上ティドの身体に触れないでっ!)
おそらく兵士達は、ティドの身体を確認したのだろう。
怪我を負っているティドの身体を乱暴に扱われ、ティアは怒りで気が狂いそうだった。だが口が塞がれ身体を押さえ付けられているのでどうすることも出来ない。
だがその時、室内にいる兵士達が急に慌て出した。
『……じゃあ王女は何処だよ?』
『まさか……王女がいるから片付けておけって、この部屋に王女がいるはずだから殺しておけっていう命令だったんじゃ……』
『逃げたっていうのか?どこから!』
『ここは王城だぞ?どこかに隠し通路とかあるんじゃないか?』
『なにっ!取り逃がしたなんてことが知られたら俺達も殺されるぞ!!』
『探せっ!』
その言葉を合図に、バタバタと室内を走り回る音や壁を叩く音、本が床にばら撒かれる音などが入り乱れる。
(このままじゃ見つかる!)
ティアは出来るだけ身体を動かさず、呼吸も最小限にして息を潜める。
ウィルニーナはティアがベッド下に潜り込む際に巻き込んでしまった布を、ゆっくりと音を立てずに広げるとそっと自分達を覆うように被せた。
そうしている内に、兵士達の捜索がいよいよベッドに近付いてくる足音が聴こえた。
ティアは被された布の中で、震える身体を押さえながら必死に息を潜めた。
だがその時、入り口の方から室内に向かって大声で呼び掛ける声が上がった。
『このままじゃまずい!いないのならさっさと王女を探しに行くぞっ!』
『王子はどうする』
『別な奴にここを片付けさせればいいだろ。俺達は王女を見付けないとエルヴィン様に殺されるぞっ!』
『!!そうだな、逃げたとしてもまだ遠くには行っていないはずだ』
『行くぞ!』
その声を合図に、バタバタと部屋の中から足音が遠ざかっていく。
そうして足音が聴こえなくなると、室内には痛いくらいの静寂が訪れた。
『……』
場内の喧騒が耳に届いているはずなのに、ティアの耳にはもう一切何の音も聴こえてこなかった。
『……いつ兵士達が戻って来るか分かりません。直ぐにここを離れましょう』
後ろからティアを抱きしめているウィルニーナが、耳元で小声で囁く。
『……』
ウィルニーナの言っていることは分かった。だがティアは、脳が現状の理解を拒んでいて何も考えることが出来ずにいた。
返事を返すことも出来ないティアにウィルニーナは黙って唇を引き結ぶと、ゆっくりと音を立てないように慎重に被せていた布を取り払った。
布が取り払われると、再び真っ暗なベッドの下と仄かに明るいベッドの隙間が視界に戻ってくる。
ティアはただ、力なくぼんやりと前を眺めていた。
するとその時、ベッドの隙間から見える床の上を、何かがゆっくりと動いて近付いてくるのを視界の端に捉えて意識をそちらに向けた。
『……?』
だが、それを見てはいけなかった。
『――っ!!』
思わず叫び声を上げそうになったティアの口を、同じものを視界に捉えたウィルニーナの手が間一髪のところで塞いだ。
『――――!!!!!』
獣のような咆哮が自身の喉から発せられる。身体は今すぐにでも飛び出してエルヴィンを追おうとしていた。
しかし、そのどちらも叶わなかった。
ウィルニーナがティアの口を塞いだまま、再びティアを片手でがっちりと抱き留めていたからだ。
床の上をゆっくりと動いていたもの――それは、真っ赤に染まる鮮血だった。
ティアは怒りで我を忘れ、口を塞ぐ手に噛み付き身体に回された腕を力任せに叩く。
声にならない呻き声をあげながら抵抗を続けるが、ウィルニーナはびくともしなかった。
『……』
やがて、自身の口内にじんわりと鉄の味を感じて、ウィルニーナの手を噛むティアの力が弱まった。
力一杯嚙んだせいで、ウィルニーナの手からは血が流れ出ていたのだ。
視線を落とすと、身体に回されたウィルニーナの腕も、ティアが叩いたり引っ搔いたりと藻掻いたせいであちらこちらに傷が出来ている。
そしてティアは、自身の背中が冷たいことに気が付いた。
(ウィルニーナ……)
気付くとウィルニーナの瞳から零れた涙が、ティアの背中を濡らしていた。
その冷たさに、ティアは少しだけ我を取り戻す。
(ウィルニーナだって、飛び出していきたかったはず)
ヴォルターからティドを任されたのだ、護衛の騎士として、王子の盾となりたかっただろう。
その気持ちを押し留めてまでも、ティアを守ってくれたのだ。
『……』
ティアの瞳からやっと、一滴の涙が零れ落ちた。
怒りに支配されていた感情が落ち着き、やっと悲しみが表に出てくることが出来たのだ。
だが、悲しみに浸っている余裕はない。
救われたこの命を、無駄には出来ない。
ティアは自身の袖口で涙を拭うと、後ろにある隠し通路を見た。
その瞳にはもう、迷いはなかった。
この襲撃の際、エルヴィンは王女を殺したと認識しています。そして兵士達は「王子の後始末をした」という事実を報告しました。
その結果、エルヴィンの中では王子も王女も始末した、という誤認識が生まれました。
王女を片付けるように言われた兵士達は、追及されないのをいいことに(エルヴィンは自分が王女を殺したと思っているので勿論王女の件について追及などしません)、下手なことを言って墓穴を掘らないようにと口を噤みます。
そのため、王子も王女も始末したのだと思い込んでしまいました。




