運命の日 3
二人は咄嗟に口を硬く引き結び息を潜める。
(時間をかけ過ぎたか?)
ティドがティアの部屋にやってきてからまだほんの数分しか経っていない。けれど、押し問答をしている間に予定より時間を食ってしまったのは確かだ。
先程廊下を通ってティアの部屋まで来た時はこの階まで敵は到達していなかったが、事は一刻を争う。こうしている時間が惜しかった。
だが、誰とも分からない足音が近付いてきている今動くわけにはいかない。
ティドは音も立てずにティアの手を引くと、扉からは目を離さずに部屋の隅に移動し、できるだけで扉から距離を取り身を潜めた。
(だが、扉の前に居た近衛が動いた気配は感じられない)
先程ティドがティアの部屋に入室してきた際、扉の前には不寝番の近衛騎士がいたが、その騎士達が向かってくる足音に対して声を荒げたり攻撃を仕掛けるような動きはないようだ。
(であれば、この足音は敵の足音ではないということか?)
程なくして近付いてきていた足音がティアの部屋の前で止まると、ノックもなく入り口の扉が開け放たれた。
『ティア様!ティア様!!』
転がるようにして入室してきたのは、ウィルニーナだった。
肩で息をしているところを見るに、余程急いで駆けてきたのだろう。
だが着衣のお仕着せや結ばれた髪に乱れはない。警鐘の音を聴いて急いで身支度をしたというよりは、夜半だというのにまだ明日の臨時の国際会議に向けて仕事をしていたのだろう。
『ここよ、ウィルニーナ!』
『ティ……っ、ティア様もティド様もご無事で!』
ウィルニーナの声に安堵し、ティドの背に庇われるようにして身を潜めていたティアが開いたままになっていた続き部屋の扉の所に躍り出た。
険しい顔をしながら部屋を見回していたウィルニーナは、姿を現したティアを見つけて安堵の表情を浮かべたのだが、次の瞬間その髪の毛の短さに気付いて言葉を失う。
だがこの状況に色々とティアの意図を感じ取ったようで、悲痛な表情を浮かべたもののそのことに言及することはなく、ウィルニーナは一瞬にして厳しい表情に戻った。
『ご報告申し上げます。賊と共にドルシグ帝国兵が城内に侵入してきております。ティア様とティド様は今すぐ安全な場所へご移動願います』
ウィルニーナの言葉に、ティドは続き部屋の扉の前まで出たティアの手を引くと再びその身を背に庇い、そのまま後ろ向きに歩いて窓際の方へと移動しウィルニーナと距離を取った。
『ティド?』
ティドの意図が分からず混乱しているティアを余所に、遠くの喧騒が嘘のように静かな室内にティドの凛とした声が響いた。
『ウィルニーナ、君があちら側ではないという証拠は?』
『っ!ティド!何言って!!』
まさかの言葉に声を荒げるティアを余所に、ティドは視線を目の前の人物から一切逸らすことなく腰に佩いていた剣をスラリと抜くと、その切っ先を迷わずウィルニーナに向けた。
『っ!!』
あまりのことに驚き過ぎて、ティアは声を出すことも出来ない。
だが対面するウィルニーナはティドの言動に動じることなく、いつもは身に着けていないお仕着せを着た腰に佩いていた剣を鞘ごと外して床に置くと、跪いて頭を下げた。
『新参者である身故、ティド様の懸念は尤もでしょう。ですが、私はその疑いを晴らす証拠を今は持ち合わせておりません』
そこで言葉を区切ったウィルニーナは、頭を上げると強い意志を宿した眼差しでティドを見上げた。
『ですが!この命に代えてもお二方を御守りしてみせます!』
ウィルニーナの瞳に一切の揺らぎはなく、真っ直ぐにティドを見据えていた。
その視線を受け止めたティドは一度目を伏せ短く息を吐き出すと、ウィルニーナに向けて掲げていた剣を降ろした。
『……すまない。こんな時だからこそ確認が必要だったんだ。君を信じているよ、ウィルニーナ。必ずティアを守ってくれ』
ティドの言葉に頷くと、ウィルニーナは素早く立ち上がった。
『当然のことかと思いますので、お気になさらないで下さい。
敵はまだ一階で足止めしておりますが、ドルシグ帝国の兵が加わり状況は劣勢に傾いてきております。ここもどうなるか分かりません。お二方は今のうちに安全な場所にご移動願います』
『僕達がここに留まったところで出来ることはないと二人で確認したところだ。直ぐに移動しよう』
動き始めた二人を見て、ティアが慌てて声を上げた。
『待って、ウィルニーナ!ヴォルターは?』
当然この場所にいるべきもう一人の人物が見当たらない。そのことが余計にティアの不安を駆り立てていた。
『……ヴォルターは国王陛下の元に向かいました。ティド様のことは私に一任されております。申し訳ありません』
『!……』
頭を下げるウィルニーナに、ティアは息を呑んだ。
ヴォルターは王子付の近衛騎士だ。それをウィルニーナに託してまで向かうということは、それ程の事態だということだろう。
『大丈夫だよティア。ヴォルターが加勢に向かったんだ。父上達のことは心配ない』
背中に庇っていたティアを振り返り、ティドがティアの両手を包み込むようにぎゅっと握る。その刺激によって、ティアは我に返った。
『そう、ね……私達は、私達に出来ることをしないと……』
言いつつも、不安で頭が回らず、鳴りやまない警鐘が頭の中でもガンガンと鳴り響いて頭が割れそうに痛んだ。
眩暈もするような気がするが、ここで倒れるわけにはいかない。ティアは何とか足にぐっと力を込めると、辛うじてその場に踏み留まった。
『ティア、大丈夫?』
『ええ……』
ティドが心配そうに腰に手を添え身体を支えながら顔を覗き込んでくる。それに対して、ティアは力なく言葉を返した。
先程までティアは、ティドと二人でこの困難に立ち向かうつもりでいたのだ。
しかし、先程自分の口から出ていた上辺だけの軽い言葉が自分を嘲笑っているかのように、そんな甘い考えなど一切通用しない現実を痛烈に痛感させられる。
(生半可な気持ちでは、この現状を生き延びられない)
痛む頭を振って雑念を振り払うと、ティアは拳を握って自信を奮い立たせた。
(何としても、ティドだけは……)
もし万が一のことがウィレンツィア王国に起こったとしても、ティドさえ生き残っていれば何とかなるだろう。
(ティドは、この国の未来そのものだもの)
この事態を前に、ティドと全く同じ容姿に生まれたことがティアには天啓のように思えた。
ティアは決意を固めると、きゅっと唇を引き結び支えられていた身体を起こすと真っ直ぐにティドを見つめた。
不安に押しつぶされそうになっていたティアの瞳に光が戻ったことに、ティドは安堵の息を吐く。しかし、その心内でティアが何を考えていたかなど、ティドは知る由もない。
ティドはただ、気を持ち直したティアに向かって励ますように声を掛けた。
『よし、なんとしても二人で生き延びよう……?』
再び動き出そうとしたその時、ティドは窓の外が異常に明るいことに気付いた。
先程までの室内は、外の様子を見るためにティアが僅かに開けたカーテンの隙間から月明かりが零れており仄かに明るいだけだったのだが、今はカーテン越しでも分かるくらい外が明るい。
ティドはカーテンの裾を掴むと、その隙間からそっと外の様子を窺った。
『!!』
カーテンの外は煌々と明かりが灯っており昼間のように明るく、ティドは驚きに目を見開く。
『……っ!なんだあれはっ?!』
『何って……っ!』
光源を探してティドが視線を彷徨わせていると、城の裏手の方で大きく火が燃えているのが見えた。その火柱は城の二階に達しようかという程大きく燃え盛っている。
驚いたティドを不思議に思いティアも同じ方向を覗き込んで、まさかの光景に息を呑んだ。
ここからでは正確な位置は掴めなかったが、火はいつも二人がお茶をする庭園の遥か向こう、騎士団の訓練場などがある辺りで燃えているようだった。
あの辺りは広い訓練場になっているので、建物などが燃やされているわけではないようだった。
城とは距離があるのでまだ城に延焼などはしていないが、明り取りの為としては大掛かり過ぎる程の炎が燃え盛っており、いつ城に燃え広がってもおかしくはなかった。
『ティア!この部屋の隠し通路を開けて!』
『っ!分かったわ』
状況を窺っているティドの指示を受けて、ティアは自身の天蓋付きのベッドの下に潜り込んだ。
その拍子に、ベッドの上にあった上掛けの真っ白な布が潜り込んだティアに巻き込まれてベッド下に吸い込まれていく。
徐にベッドの下に潜り込んだティアの姿に一瞬ぎょっとしたウィルニーナだったが、ティドの言葉の意味を理解すると、巻き込まれていく布でティアが転ばないようその布を抱えながらティアの後に続いてベッドの下に潜った。
外の灯りのお陰で真夜中のベッドの下だというのにわりと周囲を見通すことができ、ティアは迷うことなくヘッドボード下の壁の一画に手を掛けた。
『!』
後ろで同じようにベッドの下に潜り込んだウィルニーナが漸く止まったティアの足から布を除けて回収していると、ティアが手を掛けていたヘッドボード下の壁には、人一人が潜り抜けられる程の穴がぽっかりと開いていた。
『開けたわ!』
『っ!静かに!!』
意気揚々と声を掛けたティアは、それを制すように掛けられたティドの言葉に口を噤んだ。
(何が起こったの?)
ベッドの下からでは何も状況が分からない。静かになった室内で、ティアは状況を把握すべく耳を澄ませた。すると、部屋の入り口付近で何か会話をしている声が聴こえてきた。
この距離で入り口の扉越しなので会話の内容までを聞き取ることは出来ないでいると、そこに金属同士がぶつかり合う高い音が混じった。
(まさかっ!)
入り口を護っている近衛騎士が誰かと戦っているのだと気付いたティアは、迷わず飛び出してティドもベッドの下に連れ込もうとしたのだが、その動きを察してティドが声を掛けるのが先だった。
『動かないでっ!二人とも見つかる』
小声だがはっきりと告げられた拒絶の言葉に動こうとしたティアの身体が止まる。そして物理的にもティアの身体にウィルニーナの腕が回り、抱き留められてしまっていた。
思わずティアはウィルニーナを振り返り睨み付ける。だが、ウィルニーナの顔が辛さを耐えるように歪み引き結んだ唇がわなわなと震えているのを見て、ティアはそれ以上動けなくなってしまった。
だがティドも、そのままその場に突っ立っていることはなく、ベッドの下に潜り込むべくその場に膝を付いた。
(神様っ!)
後数秒でいい、ティドがベッドの下に隠れるまでの数秒をティアは神に祈った。
だがそんな願いも空しく、扉の前から音がしなくなったと思った次の瞬間、入り口の扉がゆっくりと開く音がベッドの下にいるティアにも聴こえた。
『おや……お一人ですか?王子殿下』
部屋に侵入してきた人物は、入り口の扉からでも開け放たれている続き部屋の扉の向こうに、ティドの姿を見付けたようだった。
ベッドの下からでは何も見ることは叶わないのに、不敵なその声からは声の人物がこの状況を心から愉しんでいる様子がありありと伝わってきて、ティアは息を呑む。
ティドは視線を入室してきた人物から外すことなく床に膝を付いた体勢から立ち上がると、その人物に向けて真っ直ぐに剣を構えた。
(……ドルシグ帝国第三皇子、エルヴィン……)
その声には、僅かに聞き覚えがあった。
昨年度の国際会議の際に、現皇帝である兄に従順そうに付き従っていたが、その実、この世の全てを疎ましく思っているような冷やかな眼差しをしていた人物。
そして一瞬だけだったが、父であるウィレンツィア王国国王を射殺さんばかりに見つめていた人物。
ティドとティアが国際会議の際に最も警戒していた人物、その人だった。




