運命の日 2
カァン、カァン、カァン――。
『!?』
鳴りやまない警鐘の音で、ぐっすり眠っていたはずのティアはベッドから飛び起きた。
だが、これが城内に起こった異変を知らせるための警鐘だと気付くまでには時間が掛かった。
何故なら知識として知ってはいても、警鐘の音など実際に聞いたことなど今まで無かったからだ。
(何が起こっているのっ……)
それが警鐘の音だと気付けば、そこからの行動は早かった。
ティアはベッドから飛び起きると音を立てずに窓に近づき、窓枠に身を潜めカーテンの隙間からそっと外の様子を覗った。
この部屋は城の東側に位置しており、下にはいつも二人がお茶をする庭園が広がっている。ここからは特に異変は見受けられない。
どうやら城の正門がある北西側から沢山の人の声が聴こえているので、そちらで何かあったらしいことだけは分かった。
だが、それ以上のことは何も分からなかった。
『……』
こうしている間にも鳴りやまない警鐘にティアの不安が募っていく。それでも今自分がすべきことをしなければならない。
ティアは先ず自身の寝衣に目をやると、続き部屋になっている衣装部屋のクローゼットを開けた。
そこには沢山のドレスが並んでいたが、ティアはその中から迷わず乗馬の授業で使うシャツとズボンを手に取ると、寝衣をバサリと脱ぎ捨てそれらを身に着けた。
『!』
同じく乗馬の授業で使う編み上げのブーツの靴紐をきつく締めていると、予告もなくティアの部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
『ティア!』
『っ、ティド!』
驚いたティアはクローゼットの扉の裏に身を潜めたのだが、聞き慣れた声にパッと扉から飛び出した。
見ると、同じような格好をしたティドが息を切らして室内に飛び込んできたところだった。
『ティド!いったい何があったの?』
ティアの呼び掛けには応えずそのまま走り寄ると、ティドは何も言わずにティアの身体を抱きしめる。
あまりの勢いに、ティアは若干よろけながらもそれを受け止めた。
『ティド?』
抱きしめるティドの身体が小刻みに震えているような気がして驚いていると、ティアの肩口で切らした息を整えてからティドがそっとその身を離した。
真剣な眼差しでティア見つめるティドは、震えてはいなかった。見間違いかと思い直していると、ティドが息継ぎの合間に信じられない言葉を吐いた。
『……ティア、落ち着いてよく聴いて。ドルシグ帝国が攻めてきた』
『え……?』
言われている言葉の意味は分かるが、その内容が全く理解できずにティアの思考が止まる。
だが、そんなティアに構わずティドは冷静に続けた。
『今正門を突破された。ここにも攻めてくるかもしれない』
『っ!そんな、だって……まさか……』
信じられないと首を横に振るが、ティドはティアの肩に手を置くと手短に状況を説明した。
『先に賊が城に攻め込んできたんだ。近衛が対処していたけれど、数が多くて苦戦を強いられていたようなんだ。……それを、どこで聞き付けたのか近郊まで来ていたドルシグ帝国が気づいて、加勢をしに来たらしい』
『加勢って!……だいたい近衛が苦戦を強いられる程の賊なんて……それもドルシグの手の者でしょう?!』
信じ難い状況に信じたくない気持ちが勝るが、現実から目を逸らしてばかりもいられない。
ティアは強く拳を握り込んで、震えそうになる身体を必死に抑え込んだ。
『あぁ、元より城の誰もドルシグの言など信じてはいなかったさ。最初は城の近衛と共闘する形でドルシグの兵が賊と戦っていたが、その混乱に乗じてやはりドルシグの兵が攻め込んできたんだ』
『!いったい、何の目的で……』
言いかけて、思い至った事の重大さにティアは口を噤んだ。
(「世界の力」の解放!)
おそらくその答えは一つだ。王国を簒奪した後で、「世界の力」を手に入れるつもりなのだろう。
『いいかいティア、君はここから一刻も早く逃げるんだ!』
『っ!何言って……!!』
目の前に掲げられた短剣に、ティアが息を呑む。
ティドが自身の腰に佩いている長剣とは別に、腰の後ろに括り付けていた短剣を鞘ごと外すとティアの前に差し出した。
華美な程ではないが、その鞘に施された銀の装飾がカーテンの隙間から溢れる月明かりを浴びて仄かに光り輝いている。
『……』
見つめるティドの顔は、苦渋に満ちていた。
ティドの言いたいことは嫌と言う程ティアには分かっていた。おそらく護身用にこの短剣を持って、逃げろというのだろう。
『……っ』
だが次の瞬間、意を決したように唇を引き結ぶとティアは迷うことなく短剣の柄に手を伸ばし、そのまま刀身を引き抜いた。
ティドの手には短剣を引き抜かれた後の鞘だけが残っている。
『!』
驚いているティドを余所に、短剣を手にしていない方の手でティアは自身の髪の毛を掴むと、短剣でそのまま根元からザクリと琥珀色をした艶やかな長髪を切り落とした。
『……』
急なことに呆気に取られて、ティドは言葉を発することも出来ない。
沈黙がその場を支配する。
遠くの方で大勢の人々が蠢いている物音と怒号が飛び交っているが、そのどれも耳には入って来なかった。
その間ティドは身動き一つ瞬き一つせずに、ティアを真っ直ぐに見つめ続けていた。
カランカランと硬質な音を立てて、力なく降ろされたティアの手から短剣が床に転がり落ちる。
同時に髪の毛を掴んでいた手からは、不揃いな長さの琥珀色をした髪の毛がティアの指の間をサラサラとすり抜けて床に散らばっていった。
『……ごめんなさい』
ただ短く、ティアは謝罪を述べる。だがその翡翠色の瞳には一切の迷いがなく、決意に満ちた強い意志が宿っていた。
そんなティアを見て、ティドは苦しそうに言葉を吐き出す。
『なんてことを……』
床に散らばった琥珀色の髪の毛を目にして、ティドが深く息を吐いた。
『ティドが私だったら、ティドだってきっと、こうしたでしょう?』
その言葉にティドが顔を上げると、苦しそうに笑うティアと目が合った。
ドルシグ帝国の狙いは十中八九ウィレンツィア王国に眠る「世界の力」だ。それを手に入れるために、先ずはウィレンツィア王国の簒奪を目論んでいるだろう。
そうなると、正当な王位継承者である自分達はドルシグ帝国にとっては邪魔になる。まして、次期国王であるティドは絶対に消しておかなければならない存在だろう。
ティドを逃がすための身代わりとして、ティアは髪の毛を切ったのだ。
『ティアだったら、生き延びられたかもしれないのに……』
床に散らばった髪の毛の中に落ちていた短剣を拾い上げると、ティドは持っていた鞘の中にその刀身を収めた。
『……私には、ドルシグ帝国にとって何らかの価値があるっていうの?』
当然ウィレンツィア王国の正当な王家の血を引く者として消される対象だとばかり思っていたティアは、回らない頭を必死に巡らせる。
そして、一つの可能性に辿り着いた。
『……私を生かしておいて、傀儡にするつもりなのね?』
ティドが顔を歪め視線を逸らす。それが何よりの肯定だった。
万が一ウィレンツィア王国がこのままドルシグ帝国に簒奪されてしまった場合、一人でも王族の血を引く者が生き残っていたのならば、いつかは反乱分子としてドルシグ帝国に対抗しようとする脅威になるかもしれない。そのためにもドルシグ帝国は徹底的に、王族の血を引く者を消そうとするだろう。
だがティアも同じく正当な王族の血を引いているとはいえ、女であるティアでは国を統べる統率力も軍を率いて戦う戦闘力も、反乱分子として対抗できる程の力は無いに等しい。
そしてティアさえ生き残っていれば、王国の血は途絶えることはない。ティアが生存していることで、ウィレンツィア王国民を黙らることも可能だろう。
ウィレンツィア王国の簒奪となれば平和条約に基づいて他三国が黙っているはずはないが、賊の犯行と見せかけて攻め入って来たドルシグ帝国は、賊を掃討していただけとでも言い張って他三国からの粛清を免れようとしているのかもしれない。その辺を上手くやる狡猾さがドルシグ帝国なのだ。
そうしてティアを生かして利用することで、実質ウィレンツィア王国の実権を握るつもりなのかもしれなかった。
『……待って!じゃあお父様やお母様やお祖父様達が危ないわ!』
その考えが正しければ、ドルシグ帝国にとって御し易い王族であるティア一人がいればいいことになる。
慌てたティアがティドに詰め寄るも、ティドはゆっくりと首を横に振るとティアの両腕をがっしりと掴んだ。
『だからこそっ!……ティアは逃げるんだ』
『っ!どうして!!私が身代わりになるからティドが逃げてよ!』
国の一大事に自分だけが逃げてなどいられるわけがない。ティド達の命が狙われているのならば、共に戦う力などなくてもティアだって立ち向かうつもりであるし、むしろティドの身代わりになるために髪の毛だって切り落としたのだ。
それに例えティド達が殺されティア一人生かされたとしても、ドルシグ帝国に利用されるぐらいならばティアは自ら命を断つつもりだった。
『……ごめん』
言い争っていた勢いから一転、ティドが呻くような苦しい声を吐き出した。
『……それでもティアに、生きていて欲しいんだ……』
『ティド……』
ティアの両腕を掴んでいた力が弱まり、ティドの手が力なく垂れ下がる。
『分かってる……。ティアに生きていて欲しいけれど……でもその先でティアが自ら命を断つなんてこともさせたくないんだ。……だから、何としても生き延びて欲しい』
おそらくティドも、ドルシグ帝国にウィレンツィア王国が簒奪されてしまった場合のことまで想定し、その際のティアの行動までもを見抜いているのだろう。
いつもお互いが考えていることが分かってしまう二人だ。聞かずとも何を考えているかなど直ぐに分かる。
ティドの想いを知って、今度はティアがそっとティドの両手を取った。
『……私も同じ気持ちだわ。ティドには生きていて欲しい。けれど、その先でティドの身に何かあったり、自ら命を絶つなんてこともさせたくない……でも』
そこで一旦言葉を切ったティアは、深く息を吸い込んだ。
『でも、みすみす死ぬつもりもないわ。二人で一緒に逃げましょう!』
『!』
にっこりと笑ったティアに、ティドが目を瞠る。
『私達がこの場にいても、出来ることは何も無いわ。ティドは戦えると言っても、騎士達と比べたらまだまだ子供でしかない。
私だって国の一大事に何もせずに逃げるなんてことはしたくない。でも、そんな見栄のためにここに残っていても、ドルシグ帝国の思う壺よ』
『それは……』
ティアの言葉に、ティドが言い淀む。
確かにティアが言うように、この場に残っていればドルシグ帝国に殺されるか利用されるかの二択しかない。
だが明日から行われる臨時の国際会議のために、隣国であるサンスタシア帝国には他二か国の要人が集結している。その要人のための護衛の騎士達もサンスタシア帝国入りをしているため、騒ぎに気付いてさえくれれば三か国の騎士達が加勢に入る可能性があった。
そうして三か国の加勢を受けることさえできればウィレンツィア王国側がこの戦いに勝利することができるだろう。それまでの間、ティドとティアは何処か安全な場所に隠れている方が良策なのは確かだった。
『……ごめん、そうだね。ティアの言う通りだ。ティアを護ることばかりを考えて、周りが見えていなかったよ』
『そうね、それは私も同じよ。でも反省は後で。じゃあ早く……っ!』
ティアがティドの手を引こうとしたその時、廊下をこちらに向かって駆けてくる足音が聞こえ、二人は咄嗟に身を固くした。




