運命の日 1
――その日は、本当に何の変哲もない普通の日だった。
季節の変わり目を過ぎ、日増しに寒さが厳しくなってきているこの頃だったが、その日は空が高く穏やかに晴れ渡り、日差しが温かい気持ちのいい一日だった。
もう外でのお茶は出来なくなるだろうと、ティドとティアは授業の合間にお互い時間を作って、移り変わる庭の花木を眺めながら庭園のガゼボで午後のお茶を愉しんでいた。
『……明日からまた、慌ただしくなるな』
口にしていたティーカップを静かに置いて、ティドがあからさまに溜息を吐いた。その珍しい姿に、ティアも掴みかけていたティーカップから手を放して目の前に座っているティド見つめた。
『不安なのは私も同じだけれど……珍しいわね、ティドがそんなにはっきりと不安を口にするなんて』
ティアの言葉に、ティドは驚いたようにティーカップに注いでいた視線を上げた。
『あ、ごめん……口に出ていた?』
『ええ、はっきりと』
『ごめんごめん。夢遊病にでもなったのかな?』
冗談で誤魔化したつもりかもしれないが、ティアは騙されまいと黙ってティドの瞳を見つめ続ける。
ティアの全てを見透かすような翡翠色をした瞳に見つめられて、観念したとばかりにティドは両手を挙げて困ったように息を吐いた。
『……ごめん。不安にさせるつもりはなかったんだけど』
『ティドのせいではないわ。不安なのはみんな同じだもの』
ティアの言う通り、ここ数か月はウィレンツィア王国全体が慌ただしくなっていた。
理由は、明日から臨時の国際会議が開かれることとなったからである。
昨年行われた定例の国際会議の時にも話題に上がったが、フラッデルの使用に関する取り決めが急務と決定したためだ。
国家での保有数、使用の際の制約、自国外や他国での使用の際の条約など、決めなければならないことは多岐に渡る。そのため、定例の国際会議から一年と異例の短さではあるが、臨時の国際会議が開かれることが決定したのだ。
今回は前回の会議から一年と短期間で会議が開かれるので、ウィレンツィア王国側の負担を考慮し晩餐や社交などは行われず会議のみが開催されることになっている。そのため各国共、明日の会議当日にウィレンツィア王国入りをする予定となっていた。
だがストレアル山脈に隔てられている南側のエダルシア王国とオートレア王国は会議当日に国を出立したのでは間に合わないので、今日は隣国であるサンスタシア帝国に一泊し、明日の会議当日に三国ともサンスタシア帝国からウィレンツィア王国入りをする予定となっていた。
だがウィレンツィア王国に一番近く、一番当日の朝に国を出立してきても間に合うドルシグ帝国だけが、早くもウィレンツィア王国入りをし王国に程近い街まで来ているとの情報が入ってきており王国内に緊張が走っていた。
ドルシグ帝国は今回の臨時の国際会議に現皇帝である第一皇子が出席する予定だったのだが、急遽来られなくなったためにその代役として第三皇子が出席することになっている。
その第三皇子は「初めて国の代表として参加する国際会議に遅れないようにしたい」とのことで、本来であれば当日の朝でも余裕で間に合うのだが、会議前日である今日からウィレンツィア王国入りをしているのだという。
(けれどこの状況では、如何にドルシグ帝国と言えど手出しは出来ないはず)
何故なら平和条約で、どこかの国が他国に攻め入った場合、他三国が制裁を加えることが明確に示されているからだ。
エダルシア王国とオートレア王国が臨時の国際会議のためにウィレンツィア王国に程近いサンスタシア帝国に滞在しているのだ。例え会議のために集まっているので一個中隊が集結しているわけではなくとも、それでも国王や大臣など国の重要人物の護衛としてそれなりの護衛の数は揃っている。
他国の騎士達が直ぐにでも駆け付けられるそんな今の状況で、ドルシグ帝国が何かを仕掛けてくるとは考えにくかった。
『……』
そうは思うものの、ティアの心に広がる言いようのない不安は払拭出来ないままだ。
それが何故なのか、理由は分かっていた。
臨時の国際会議のために各国の要人がこのウィレンツィア王国に集まるので、準備や警備など様々な面において考えるべきことはたくさんある。しかし昨年と同様の準備をすればよいので、準備や警備の面ではそれほど大変ではない。
だが今回、昨年度と大きな違いが一つあり、そこが大きな懸念となっていた。
ドルシグ帝国の会議出席者が、第三皇子のエルヴィンであるということだ。
去年の国際会議の際、現皇帝である第一皇子の後ろで、一瞬ではあるが父王を射殺さんばかりの視線で見つめていた人物。
表面上は微笑みをその顔に張り付けているものの、その実腹の奥では何を考えているのか分からない底知れない恐ろしさを感じたことを、ティアは鮮明に覚えていた。
ティアは向かいに座るティドをそっと見つめる。考えていることは、おそらく一緒だろう。
『……』
二人は互いに押し黙ってしまい、ガゼボの中に重苦しい空気が漂う。それを見かねて、ガゼボの外に並んで立ち護衛に就いていたヴォルターとウィルニーナが揃って口を開いた。
『僭越ながら申し上げます。昨年の国際会議の際に出た問題点も改善し、今回の臨時の国際会議では万全の体勢での警備をお約束いたします。殿下方にはなんの憂いもなく、心安らかにお過ごしいただけたらと思っております』
『仮にどんな脅威がこようとも、この命に代えても殿下方をお守りしてみせます』
思いがけず二人から声を掛けられ、ティドは目を丸くした後、笑い声を溢した。
『ふふっ、我がウィレンツィア王国の騎士達を勿論信頼しているよ。……けれどね、ウィルニーナ』
『はいっ!』
突然名前を呼ばれウィルニーナが居住まいを正す。そんなウィルニーナをティドは真っ直ぐに見据えた。
『僕達を護るのに命を懸けるのは止めて欲しい。君達の命だって大事だ』
『……ティド様』
ティドの言葉に、ウィルニーナは何と返答すべきか言葉に詰まる。
すると向かいに座っていたティアが口を挟んだ。
『そうよ!前にも言ったけれど、命を懸けるのではなくて、一緒に助かる道を死に物狂いで探すのよ?』
『……以前も思ったけれど、死に物狂いって。ティア、もうちょっと言い方はなかったの?』
『だって!人間死ぬ気でやる時は形振りなんて構っていられないでしょう?』
息巻くように拳を握り締めたティアを見て、ティドは声を上げて笑い出した。
『はははっ。ティアには敵わないよ』
『もう!私は真剣なのよ!』
馬鹿にされたとばかりにむくれるティアに、ティドは笑いを収めると優しく微笑んだ。
『そうだね。何かあってもみんなで知恵を絞って乗り切ろう』
『そうよ。みんながいれば何とかなるわ』
庭園を心地良い風が通り抜け、色付き始めた木々を優しく揺らす。
二人は温くなってしまった紅茶を口に含み、再び他愛無い談笑を重ねて残りの授業に戻った。
そして夜には夕食をいつも通り家族みんなでとって、自室の前で二人は別れた。
ティアはベットに入ると明日からの事を思いながら一人、今日のティドとの会話を思い返していた。
(明日からまた城内が慌ただしくなるけれど……。そうよね、みんながいるもの。お父様もお母様もおじい様も、ヴォルターやウィルニーナや守ってくれる騎士達、城で働く者達……それに)
重くなってきた瞼を閉じて、ティアは先程部屋の前で別れたばかりのティドの顔を脳裏に想い描く。
自分と同じ顔をした、自分より少しだけ早く生まれた兄。自身の片割れ。
(何よりティドがいるもの。きっと……大丈夫)
憂いより安心感が勝り、ティアはそのまま眠りに就いた。
その心は一切の不安から解き放たれたように、穏やかに凪いでいた。
そう、その日は、本当に何の変哲もない普通の日だったのだ。
夜半に、城内の異常を知らせる警鐘の音を聞くまでは――。




