正しさの定義
『何だか、終わってしまうと意外と呆気なかったわね』
ティーカップの中に注がれた香りの良いお茶を眺めながら、ティアは独り言のように呟いた。
ティドとティアの懸念を余所に、国際会議は大きな問題も起こることなく、滞りなく全日程を終えて閉会となっていた。
慌ただしかった日々が過ぎ去り、ウィレンツィア王国には再び長閑な日常が戻ってきている。
普段の王都だって活気がないわけではないが、華やいだ雰囲気とは元々かけ離れたウィレンツィア王国だ。国際会議が開催されていた期間の賑やかさは見受けられていない。
ティアは、何となく一抹の寂しさのようなものを感じていた。
『そうだね。何事もなくて何よりだったよ』
浮ついた心持ちから発せられたティアの言葉とは異なり、向かいに座るティドは国を想う気持ちから安堵の言葉を溢した。
午後に時間ができた二人は、空いた時間を中庭で過ごしていた。
寒期に向かう時期なので日毎に少しずつ風が冷たく感じられるようになってきているが、今日は穏やかに晴れ渡り風もなく、温かな日差しが降り注いでいる。
そのため中庭のガゼボでも、心地良い気温の中でお茶を愉しむことが出来ていた。
二人が産まれてから初めてとなる国際会議は、いつもは穏やかでゆっくりとした時間が流れているウィレンツィア王国がまるで別の国にでも生まれ変ったかのように、国中が華やいだ雰囲気に包まれていた。
勿論懸念事項もあり警戒していた側面もあったのだが、すっかりと日常を取り戻した今、ティアはそうした不安や心配を抱いていたことをすっかり失念し、一種のお祭り騒ぎのようだった時間だけが色濃く記憶に刻まれてしまっていた。
『ごめんなさい、少し浮かれてしまっていたわ。……そうよね、何事もなくて良かったわよね』
ティドの言葉でそのことを思い出したティアは、自分の浅慮を恥じて俯く。
しかしそんな様子を目にしたティドは、ティアの心内を読んだかのようにすかさず言葉を重ねた。
『仕方がないよ、あんなに活気あふれる王都を見たのは初めてだもの。僕だって少し浮かれてしまった』
『……嘘ばっかり』
落ち込ませないための嘘だと分かる発言に、ティアは少しだけ顔を上げるとわざとらしく頬を膨らませ軽くティドを睨み付けた。
それを見たティドは驚いたように一瞬目を丸くしたものの、愉しそうに声をあげて笑った。
『ふふっ。そんなことをしても可愛いだけだよ?……でも、また近々臨時の国際会議が開かれるだろうって話だったし、また華やかな王都が見られるかもしれないね』
『……そうかもしれないけれど、ティドの言うように今度も何事もないようにしなければならないから、お父様達や騎士の皆さんは大変よね』
冗談めかして笑うティドに、ティアは居住まいを正すと真剣な面持ちで言葉を返した。
国際会議は、特に緊急を有する検討事項がない限りは三十年に一度の周期で開催されている。
だが緊急に国家間での話し合いが必要な案件が出てきた場合や、千年前に定められた平和条約が現代の事情に合わなくなってきた場合などに、不定期で開催される臨時の国際会議というものがあった。
今回の国際会議では、近年開発されたフラッデルでの移動をどこまで許容するかということが議題の一つにあがったのだという。
フラッデルは千年前に制定された平和条約の条項が深く絡んでくる代物であるため、国際会議の期間中では結論は出ず、今後臨時の国際会議を開いてこの議題について更に議論し合うことが決まったのだそうだ。
『フラッデルは、元々は移動手段として開発された代物ではないけれど、その気になれば国家間を一気に移動してしまえるものね』
『ああ。兵士の移動が容易に出来るとなれば、軍事力が格段に跳ね上がるからね。そこが問題なんだよ』
千年前の世界大戦で生き残った人々は、二度とこのような悲惨な戦争が起きないようにと平和条約を制定した。
その内容は多岐に渡るが、大きな項目は二つ。一つは「不変の掟」。そしてもう一つが「不可侵の掟」である。
生き残った人々はどうすれば戦争を回避できるか知恵を絞り、決められた領土以上に土地を広げることがないようにと「不変の掟」を、他国への侵略をしないようにと「不可侵の掟」を定めた。
加えて、国家間の移動は徒歩、馬、馬車に限った。船もなくはないが、渡航するためには出発地と到着地の国の許可が必要となるなど複雑な手続きが必要になるため、殆ど移動手段としては使われていない。
そうして国家間を大勢の人々が行き来することを制限し、千年前の人々は無駄な争いの芽を摘むことで戦争を回避しようとしたのだ。
だがそうして制定された平和条約だが、時代が流れれば状況も変わる。
新たに開発されたフラッデルは、元々は自国内でのみ使用する物として開発されたのだが、それを他国がどう使うかは分からない。
特にきな臭い噂の絶えないドルシグ帝国などは、軍事転用することも懸念されていた。
『不幸中の幸いなのは、フラッデルの製造には莫大な費用と特殊な素材が必要であるために、各国とも数機しか所持できていないからまだ安心ではあるね』
『多くの兵士がフラッデルに乗って一気に攻めてくる、ということは現実ではまだ在り得ないものね』
だが今後開発が進めばどうなるかは分からない。故に、早急に国際的なルールの取り決めが必要だった。
『本当は……医療道具として開発された物なのにね』
実はフラッデルは、ウィレンツィア王国で開発された代物だった。
腕のいい職人が集うゴットハルト工房という所で、元々は急患を病院に運ぶ為の医療道具として、動く担架をイメージして開発されたのが始まりだ。
ウィレンツィア王国はこのラプェフェブラ大陸のほぼ中央に位置しており、その周囲を緑深い森に囲まれ、城の北側は世界の尾根、ストレアル山脈に守られている。
そんな自然豊かなこの土地に国を築くにあたって千年前この地に留まった人々は、城も町も過度な開発は行わず、自然と共生するように町並みを造った。
それ故、ウィレンツィア王国は平坦な地形ばかりではなく起伏があったり町中にも大木が生えていたりと、住むのには快適とは言い難い。
そのため病気や怪我をして医療機関を受診しようにも、悪路な上に距離も遠く、人々は不便を強いられていたのだ。
そんな状況を打開すべく、ウィレンツィア王国では長年様々な試みがなされてきたのだが、その一つがフラッデルの開発だった。
初期型フラッデルの完成によって、ウィレンツィア王国の急患搬送は安全且つ迅速になされるようになる。
だが、新たな技術の開発に他国が黙っているはずはない。
しかし「世界の力」を護る役目を持つウィレンツィア王国が争いの中心地になる訳にはいかず、ウィレンツィア王国はフラッデルを科学技術大国として名高いサンスタシア帝国に託したのだ。
そうしてフラッデルはサンスタシア帝国で改良され、他国にも浸透していくこととなる。
今はまだ各国共、自国内での使用に留まっているが、今後もこのままでいくとは考えにくかった。
『大丈夫。フラッデルは決して、戦争の道具にはならないよ』
『……』
テーブルの上に置かれているティアの手に、ティドがそっと自身の手を重ね穏やかに微笑む。
安心させようとしてくれているのは分かっていたが、ティアは何故かその言葉に素直に頷くことができなかった。
『……何が正しいかなんて、その時々で変わるわ』
呟くような声ではあったが、珍しく吐き捨てるようなティアの言葉にティドが驚いて目を見開く。
けれどすぐにその顔に困ったような笑みを浮かべると、重ねたままのティア手を優しく撫でた。
『そうだね、戦争ですら、見方が違えば正当性すらあるのかもしれない。でも……』
途中で言葉を切ったティドは、その顔から笑みを消すと真剣な表情でティアを見つめた。
『例えフラッデルが戦争の一助となろうとも、その人が「正しい」と思うことに使われるのならば、その使い方は「正しい」と僕は思うよ』
『!』
いつも清廉潔白で理想の王子そのものであるティドの口から、戦争に対して肯定的とも取れる発言が飛び出しティアは目を見開いて驚く。
驚き過ぎて何と言葉を返していいか分からず口籠るティアを余所に、ティドは真剣な表情から一転、表情を緩めるとティアに向かって優しく笑いかけた。
『例えばだよ?僕が国を離れている時に他国から攻め込まれたとする。その時僕の手にフラッデルがあったのならば、僕は違法だろうと何だろうと迷わずフラッデルで他国間をひとっ飛びして、ティアの下に駆けつけるよ』
『それは……私だって同じ立場ならそうするけれど……』
まだ納得しかねているティアに、ティドは首を捻りながら唸った。
『うーん、じゃあもっと直接的に。ティアが今まさに敵兵に斬りかかられようとしているとしようか。そんなの想像でも嫌だけれどね?』
想像上の状況にも関わらず苦渋の表情を見せるティドに、可笑しくなってティアの口からはくすくすと笑い声が零れた。
ティアの空気が和んだのを見て目を細めると、ティドは言葉を続けた。
『もし、本当に仮にそんな状況で、僕はティアまで若干距離がある処にいたとする。でもその時手元に剣とフラッデルがあったのならば、僕は迷わずフラッデルで一瞬の内に距離を詰めて敵兵を斬るよ』
『っ!』
和んだ空気も一瞬で霧散し、ティアはその状況を想像して息を呑んだ。
ティドの話は極めて的を得た例えだった。
それは間違いなくフラッデルが本来の使われ方ではなく戦いの一助として使われているが、使う人が「正しい」と思ったことに使われている状況だろう。
(それは分かる……でも)
何とも言い難い気持ちに囚われ俯くティアの手を、重ねられたティドの手が強く握った。
『結局どんな物も、使う人次第なんだと思う』
俯いてティーカップを眺めていた視線を上げ、ティドと視線を合わせる。
ティドは真っ直ぐに、ティアを見つめ力強く頷いて見せた。
『僕はこれからも自分が「正しい」と思うことをしていく。その為に、自分が「正しく」あれるようにしたいと思うよ』
言い切ってティアに向かって微笑むティドの翡翠色の瞳は、一切の迷いのない強い意志を秘めていた。
ティドとティアは一国の王族、民の見本となるべき存在だ。その行動全てが国民に見られていると言っても過言ではない。
常にその言葉、その行動の是非が問われている。
(ティドには……王族としての確たる覚悟があるのね)
ティアは自身の手の上に重ねられたティドの手を、組み換えて握り返す。
『私も……自分の「正しさ」に恥じない選択をすると誓うわ』
テーブルの上でしっかりと、お互いの手を握り合う。
掌から伝わる熱が、お互いの覚悟と決意を伝え合っているかのようだった。
これから先の遠くない未来で、ティア自身がフラッデルを医療道具としてではなく戦闘の道具として使うことになるなど、この時の二人は知る由もなかった。
しかしこの時の決意が、自身が迷いなく進むための確固たる意志へと繋がることを、後に記憶を取り戻したティアは知ることとなるのだった。




