名案
フラッデルの練習を初めて一か月。ティドとティアは順調に上達していた。
基本動作はすっかりと覚え、今では発進時に割とスピードが出ていても身体がぐらつくこともなくなった。フラッデルの上で体勢を維持するための動きや体幹も意識することで、転倒もだいぶ減ってきている。
だが、だいぶ減ったという表現に表されるように、実にこの一か月二人は傷が絶えなかった。
元々フラッデルの操縦というものは、身体を鍛えている大の大人であっても難しいものなのだ。発進、方向転換、着地など、一つ操作を増やすたびに転倒や衝突などは付き物だった。
大きな怪我まではないものの、ティドもティアも身体のあちらこちらに転倒した際に青あざや擦り傷を作っていた。
しかし、それでも流石に幼い頃から護身術やマナーの実技で身体を動かしたり体幹を鍛えていたためか、二人の成長は目を瞠るものがあったのも事実だ。
この一か月で、二人はヴォルターの指導の下普通に乗りこなすくらいの技量は習得しつつあった。
これはウィルニーナに後から聞いた話なのだが、フラッデルの練習を始めた最初の頃は進捗状況と共に二人の傷の様子なども、ヴォルターは国王へ逐一報告させられていたのだという。
報告を受けた国王はやはり二人の怪我を心配し、二人共は無理でも何とかティアだけでもフラッデルの練習を辞めさせようとしていたらしい。
だがそれを、意外にも最初は二人がフラッデルに乗ることを良く思っていなかったはずのヴォルターが止めたのだという。
ヴォルターは、不敬であることは重々承知の上で国王に進言したのだそうだ。『このまま陛下がお二人の怪我の心配をしてお止めになるのであれば、王子殿下と王女殿下は何としてでも目に見える部分に傷を作らないように余計に無理をなさいます』と。
実際最初の頃に、顔に擦り傷を負ったティドや腕に痣を作ったティアを心配してヴォルターがこれ以上の練習を止めさせようとしたところ、目に見えるところに傷を負わないように二人は無理な体勢で転んだり身体を庇うようになり、余計に怪我が酷くなったことがあったのだ。
それ以降ヴォルターは、練習を止めさせるために進言するのではなく、上手く乗りこなせるようになるための助言に徹することにしたのだ。結果、多少の怪我はするものの二人は瞬く間に上達していった。
今となってはフラッデルの操縦が出来た方が二人のためになると考え、乗りこなせるまで指南するつもりでいてくれている。
今ではヴォルターの説得もあり、国王も無理にフラッデルの練習を止めさせようとしてくることもなくなり、逆に毎日どこかでフラッデルに触れる機会が持てるよう、空き時間の捻出を配慮してくれるようになっていた。
『お二方ともだいぶ上達されましたので、明日からは障害物がある中を走行する練習を致しましょう』
『え!本当?』
ヴォルターの提案にティアが嬉しそうな声を上げる。ヴォルターは目を細め微笑んだ後、大きく頷いた。
『ええ、実際にフラッデルに乗る場合は緊急の場面であることが多いですからね。このように広い平坦な道ばかりを走行することの方が稀ですから』
『そうだね。……じゃあティア、最後に復習をして今日の練習は終わりにしよう』
ティドの提案に頷くと、ティアはフラッデルのペダルを踏んで起動させた。
今日の練習内容は直進から百八十度方向転換をして元居た場所に戻ってきて停止、という基本動作の一連の流れだった。
直進後、方向転換の際は衝突を避けるためにティドは左側、ティアは右側に曲がって戻ってきていた。今日だけで三十本近く練習していて、その間転倒はお互い一回ずつだった。
二人共今日最後の一本を綺麗に決めて、明日からの応用練習に臨みたいところだ。
『それじゃあ行くよ、三、二、一』
ティドのカウントで同時に飛び出す。走行スピードは最初の頃と比べると格段に速くはなったが、方向転換を考えるとまだそれ程スピードを出せていない。それでも、走るよりははるかに速い速度で走行していた。
僅かにティドが早く目印の旗に辿り着き、左側に身体を傾ける。それを横目で見ながら、旗に辿り着いたティアも巧みに足元のペダルを操作して速度を調節しながら、右側に身体を傾けた。
『!』
ぐるりと方向転換をした直後、ティアの進行方向にパッと何かが飛び出してきた。
(猫っ!)
その状況に一瞬頭が真っ白になる。
(このままじゃぶつかる!)
練習のためにまだ高度を上げていず、フラッデルを低空で走行させていたことが仇となる。
そこそこスピードが出ている上にフラッデルは金属でできているので、ぶつかれば猫は怪我では済まず最悪の事態になることも考えられた。
フラッデルはまだ右側に曲がる途中のためティアの身体は右側に傾いており、急に体勢を立て直すことは出来ない。高度を上げれば猫を避けることは出来るが、この体勢から上昇することは無理だった。
どうしようと焦るが、どうすることも出来ない。
急に起動停止することだけは出来るが、この体勢でそれをすれば最悪大怪我に繋がるだろう。そうなるともうフラッデルは禁止されることも予想できた。
上昇も停止も出来ず、このままぶつかるしかないのかと思ったその時、ティアに名案が浮かんだ。
(そうよ!猫にぶつからないように、フラッデルを避けさえすればいいんだわ)
思い立ってからのティアの行動は早かった。
曲がり切っておらず右に傾いた姿勢のままに、ティアは両手を勢いよく地面に着いた。そして起動しているままのフラッデルを空中に押し上げるようにすれば、フラッデルは自然と宙を舞った。
飛び出してきた猫はフラッデルに怯えるように立ち止まったが、すぐさま弾けたようにその場を横断して走り去っていく。
それを逆さまになりながら見届けたティアは安堵したものの、直ぐに今の自分の状況に我に返った。
(ど、どうしよう!)
勢いで反転し宙を舞ったフラッデルは、そのまま一回転する勢いで振り下ろされている途中だ。地面に着いた手を放し、とりあえず体勢を起こそうと試みるものの……。
ドゴッというフラッデルが地面に突き刺さる音と共に、ズザザァァッと物凄い砂埃を巻き上げてティアの身体が地面に打ち付けられる音が辺りに響いた。
『ティア!!』
『王女殿下っ!!』
『ティア様っ!!!』
地面に伏したまま三人が駆けつけてくるのを目にしたティアは、恥ずかしくてそっと目を逸らした。
◇◇◇ ◇◇◇
『まったくもう!姫様ったらこんなに腕を傷だらけにして!不敬だと仰られても私は怒りますよっ!!』
『まぁまぁアデル、そう怒らんでしっかり包帯を巻きなさい』
『処置はしっかりやっておりますっ!』
頬を膨らませながらも、看護師のアデルが薬を塗った腕に包帯を巻いてくれる。
それを申し訳なく思いながら、ティアはアデルを宥めてくれている医師を見て頭を下げた。
『トーマス先生にもいつもご迷惑をお掛けしており、申し訳ありません』
老齢の医師は自身の顎に蓄えた長いひげを撫でながら、困ったように眉を下げた。
『そうは言いましても、儂もアデルと意見は一緒ですぞ、姫様。今回は運が良かっただけ。打ち所が悪ければ脳震盪だって有り得た状況ですからな』
『……申し訳ありません』
あの一瞬で体勢を立て直せないと判断したティアは咄嗟に両腕で頭を守り、身体を丸めて衝撃に対して受け身を取ったので大きな怪我はせずに済んでいた。
あの状況で、幸いフラッデルは垂直に地面に突き刺さったのでティアは起動したままのフラッデルに引き摺られることはなく、身体を地面に少し強く打ち付けたくらいだったのだ。
それでも、急なことに動揺してフラッデルを自力で停止させることは出来なかったので、駆け付けたティドとヴォルターとウィルニーナに救助されるまでティアは不格好なままで地面に寝転んでいることしかできなかった。
そのため三人にはひどく心配されてしまったのだ。
『さぁ終わりましたよ。姫様はこれからたっぷりと皆さんに怒られてくださいね!』
包帯を巻き終えたアデルが処置室の扉を開ければ、外で待機していたティドとヴォルター、ウィルニーナが入室してきた。それと入れ違いに、トーマス医師とアデルが頭を下げて退出していく。
『ティア!』
真っ先に走り寄って来たティドが、ティアが座らされている椅子の前に跪いて身体の異常を確認する。包帯が巻かれた手足を擦り、一通りの怪我の箇所を確認すると沈痛な面持ちでティドはティアを見上げた。
どれだけ心配していたのかが分かるその表情に、ティアは少し申し訳なくなった。
『ごめんなさい心配かけて。でも大丈夫よ。ちょっと擦りむいたりぶつけたりしただけだから』
『はぁ、良かった……』
ティドは跪いたまま、その場で深く息を吐き出しながら項垂れた。その様子に居たたまれない気持ちになるが、少し大袈裟なような気もしてティアは苦笑する。
項垂れたティドの後方では、扉の所でヴォルターとウィルニーナがトーマス医師と何やら話をしていた。おそらくティアの状態について確認しているのだろう。
『無茶ばかりするんだから……生きた心地がしなかったよ』
膝に置いていた手を取られ、視線をティドに戻す。ティドは握ったティアの手を自身の額に付けながら再び俯いた。
『……今回のことは凄く反省してるわ』
『ん』
顔も上げず短い返事だけを返すティドに申し訳なさが募る。だが一方で、ティアは自省しつつも頭の中では全く別の事を考えていた。
(今日のように宙を舞うように走行できたら、もっとフラッデルの可能性が広がるんじゃないかしら)
あの時は何としても猫を轢いてしまわないよう無我夢中だったが、前に進む推進力を回転に変えることで、本来は前進や後退、左右の方向転換しか出来ないフラッデルであっても、細かな動きが出来るのではないかとティアの想像は膨らんだ。
(でも今、言うべきことではないわね)
どれだけ皆に心配と迷惑を掛けたかが分からないティアではない。このことは追々相談するとして、今はフラッデルの練習自体を止めるように言われないよう、殊勝な態度でやり過ごさなければならないだろう。
『王女殿下』
トーマス医師からティアの状態を確認し終えたヴォルターとウィルニーナもティアの元にやってきたのだが、すぐさま跪くと頭を下げた。
『っ!ヴォルターもウィルニーナも頭を上げて頂戴!!』
『いいえ、此度の事故は私の不行き届きが原因であります。ひいては、どんな処罰も受ける所存にございます』
『そんなことお願いだからやめて頂戴!今回は猫が飛び出してきた不慮の事故よ?誰の責任でもないから、処罰なんて必要ないわ!誰かに責任があるのだとしたら、それは寧ろ私自身よ』
どんなに言っても聞き入れてもらえず、頭を下げ続けるヴォルターとウィルニーナにティアは大いに慌てる。だが、今回ばかりはティドの助け舟も入らない。
『お願いだから、ヴォルターもウィルニーナも顔を上げて!』
だがヴォルターもウィルニーナも頭を上げるつもりが一切なく、跪いて頭を下げたまま微動だにしない。
自分の責任と譲らない様子に、このままでは何を言っても納得しないだろうと先にティアの方が折れた。
『……分かったわ!怪我か完全に治るまではフラッデルに乗らないし、治ってからも練習は控えるから!お願いだから顔を上げて頂戴!』
その言葉に、漸くヴォルターとウィルニーナが顔を上げる。
ティアとしては最大限譲歩したつもりだが、それでも完全には納得していないようで、ヴォルターもウィルニーナもティドも、不承不承という感じを前面に押し出していた。
(……更に危険なことをしようだなんて、これはまだまだ当分言えそうもないわね)
壁に立てかけてあるフラッデルをちらりと見遣り、ティアは三人に気付かれないようこっそりと溜息を吐いた。




