初めてのフラッデル
これから受ける予定だった授業の教師が体調を崩したために、珍しく授業も予定もなくなった心地良い日差しの降り注ぐ穏やかな午後。
ティドは空いた時間でヴォルターと剣の手合わせをして汗を流した後、そろそろお茶の時間になりティアを誘おうとしたのだが、何故かその姿を見つけることが出来ず王城内を彷徨い歩いていた。
(……何処に行ったんだろうか)
ティアがいそうな場所など、ティドには安易に見当が付く。心当たりの場所に向かえば出会えるだろうと踏んでいたのだが、その予想は外れティドはいつまで経ってもティアの姿を捉えることが出来ないでいた。
護衛を撒いて城を抜け出しているわけではないだろうから、侍女達に聴けばティアの居場所は簡単に分かるだろう。だがそれは何となく面白くなくて、ティドは誰に訊ねることもせず王城内を探し回っていた。
だが終ぞその姿を見つけることが出来ず、今更誰かに訊ねるのも癪に障り、ティドはそのまま自室へと戻ったのだった。
手合わせの際に汚れた衣服を着替え、ソファに深く腰を下ろす。ティドとティアは大体いつも一緒だが、普段もこうした独りの時間が全くないわけではない。
ティドはヴォルターを扉の外で待機させると、独り静かな空間に沈み込んだ。
『……』
独りでいると殊更ゆっくりと時間が流れる気がしてくる。
時計の秒針が時を刻む音だけが室内に規則正しく響いており、その音は見慣れた自室をまるで異質な空間へと変えていくかのように硬質な音を響かせていた。
頭を振り、長く息を吐き出す。
気持ちを切り替えようと、自室に戻ってきた際に侍女に淹れてもらった紅茶に口をつけようとしたその時、扉の外に控えるヴォルターから突然ティアの来訪を告げられた。
『いいよ、通してくれ』
それまでの不快感のような居心地の悪さが、一瞬にして霧散する。
その身に何かあったのかと心配していたわけではないが、ティアの来訪を聴いて自分でも驚くぐらい安堵していることに自嘲の笑みが溢れた。
(どうやら自分は、存外心配性のようだ)
だが同時に、何処に行っていたのかとちょっと面白くなくて、声に苛立ちめいた気持ちが混じってしまったのは仕方がないだろう。そのくらいは許して欲しいところだ。
そんなティドの胸中を知る由もないティアは、ヴォルターによって開けられた扉を足取りも軽く潜ってやって来た。
『ふふっ。見て!ティド』
入室して来るなり、ティアがにっこりと微笑む。
その嬉しさが前面に押し出された笑顔に、それまでの機嫌の悪さも忘れてティドもつられて笑みそうになった。
だがその手に握られている物に気付いたティドは、上がりかけていた口角を引き結び、険しい顔付きになった。
『え……父さんは許可を出したの?』
なんとティアの手には、ウィレンツィア王国に六機しかないフラッデルが握られていたのだ。
他国であれば、もっとフラッデルの保有数は少ない。開発国だからこそ六機も備えているのだが、それでも普段は厳重に保管されており有事の際にしか使えないようになっているはずの代物だ。
『勿論よ。黙って持ち出した訳ではないわ』
ソファに座るティドに歩み寄りながら、ティアは自慢気にフラッデルを掲げて見せた。
(……父上が許可を出すくらい、やはり情勢は緊迫しているということか?)
いくらティアが逃走するための手段になり得ると言っても、フラッデルを一人で操縦することは危険でしかない。それを分かっていて尚、父である国王がティアにフラッデルを貸し与えたとなれば、自ずと答えは決まってくる。
『勿論お父様には反対はされたわ。でもね、私が有事の際には一人で乗れた方がいいって言って押し切ったのよ』
そんなティドの心内を読んだかのように、ティアが言葉を重ねる。
(……やはり、もっと他国の情勢に警戒しておかなければならないな)
ティアが押し切ったのだとしても、それに対して国王が最終的に折れたということは、そういうことだ。
ティドはティアに気付かれないようにしながら、頭の中でこれから取り組むべきことについての算段をつけ始める。
そしてふと扉の方に視線を向ければ、ティアに付いて入室して来たウィルニーナが、居た堪れないといった様子で扉の前で小さくなっているのが見えた。
きっと彼女なりにティアの説得を試みたのだろうが、敢えなく失敗に終わったのだろう。
(きっと父上も、似たような感じだったんだろうな)
国王としても父親としても、ティアに危険なことなどさせたくなかったはずだ。けれど、それをティアは弁舌で跳ね除けたのだろう。
フラッデルを抱えながら相変わらず嬉しそうな顔をしているティアは、一見穏やかそうに見えてその実こうと決めたら意志は固い。
『仕方がないな……じゃあ、フラッデルを使う際の約束事を決めようか』
もうこうなっては、ティアにフラッデルの使用を諦めさせることは無理だろう。
ティドは説得を諦め、話し合うために席に着くよう向かいのソファを勧めたのだが、ティアはそれに対して首を横に振った。
『今日はこれから予定もないでしょう?今から練習をしに行くから付き合って欲しくて呼びに来たのよ』
『……今から?』
突拍子もない提案に驚くが、ティアは至って真面目な顔だ。
『そう。じゃあ、騎士の訓練場に集合ね。私も着替えてから向かうから』
ティドの返答も聞かずに勝手に約束を取り付けると、ティアはさっさと部屋を出て行ってしまう。こんなティアは珍しかった。
嬉しくて周りが見えていないというよりは、ティドに反対されることが分かっているからこそ強引に押し切ったのかもしれない。
『……話は聴いていたね?』
『はい』
ティアが部屋を出て行ったのを見届け、今まさに扉を閉めようとしていたヴォルターに声を掛ける。
ティアとウィルニーナが入室した際に、それまで扉の外で待機していたヴォルターも一緒に入室して壁際に控えていたので、会話は聴いていたのだ。
『……ヴォルター、頼めるか?』
ソファに座ったまま項垂れながら問えば、ヴォルターは考えることなく即答した。
『はっ。自分はフラッデルを使用した事がありますので、簡単な操作方法なら問題なくお教えすることができます』
『ん、じゃあお願いするよ』
王女にフラッデルの操縦を指南するなど、普通の騎士では荷が勝ちすぎている。王女が怪我を負おうものなら責任問題になってもおかしくないからだ。
だがフラッデルは簡単に乗りこなせる代物ではない。怪我は寧ろ付きものだ。無論ティア自身は怪我をしようとその責を他人に負わせるようなことはしないだろうし、父である国王もティア自身が決めて取り組んでいることに対して怪我をしたからとて苦言を呈することはないだろう。
だが指南役の重責に変わりはない。そうなるとせめて、王子王女付きで信頼も厚いヴォルターかウィルニーナにしかその役は頼めないだろう。
『……はぁ、気が重いよ』
ティドは深く息を吐き出すと、のろのろとソファから立ち上がり部屋を出て騎士訓練場を目指した。
◇◇◇ ◇◇◇
『ここに右足を乗せて踏み込むと、直進します。急に発進するので、ゆっくり踏んで下さい』
『分かったわ』
フラッデルを起動させた後、恐る恐る右足の踵をティアが踏み込む。すると歩くくらいの速さでフラッデルが前進し始めた。
だが宙に浮いた状態で動いたために体勢が崩れ、ティアの身体はあえなく後方に倒れ込んだ。
『きゃっ!』
『大丈夫ですかっ、王女殿下!』
しかしこうなることが想定済みだったヴォルターが並走していたので、難なく倒れかけたティアの身体を受け止めた。
『最初は皆こうなります』
優しくティアの体を抱え起こしながら励ましてくれるヴォルターに、ティアは恥ずかしくなって顔を伏せた。
『……聞いていたはずなのに、上手く出来なくてごめんなさい』
訓練場に到着すると、まず最初にヴォルターはティアを自分と一緒にフラッデルに乗せて、二人乗りで実際に走行したのだ。
地面から僅かに浮いただけの超低空飛行だったが、それでも初めてのフラッデルにティアは興奮を抑えきれなかった。
走行しながら、初心者がよくする行動や間違いなども教えられていたのだが、初めてのフラッデルにそれどころではなかったティアは、話の半分も頭に入っていなかった。
(しっかりしなくちゃ。せっかく使用許可をもらったんだもの、楽しんでばかりもいられないわ)
頭の中で乗り方を確認し、もう一度挑戦する。あとは発進の際に身体が倒れないよう体幹を意識した。
(ゆっくり、ゆっくり)
慎重に足を踏み込み、フラッデルを前進させる。それと同時に、ティアは丹田にぐっと力を込めて体勢を維持した。
フラッデルは地面から僅かに浮いた状態で、非常にゆっくりではあるが氷の上を滑るかのように滑らかに進んだ。その間ティアは振り落とされることなく、真っ直ぐな姿勢を保ったままフラッデルの上に立ち続けることが出来た。
やがて広い訓練場の端まで辿り着くと、ゆっくりとペダルから足を離す。その動きと連動するように、ゆっくりとフラッデルも停止し地面に着地した。
『素晴らしいです王女殿下。訓練した騎士でもないのに、このように直ぐに乗れるなど思いもしませんでした』
並走していたヴォルターが惜しみない称賛を口にする。だがその声には若干、複雑な心境が入り混じっているのが感じられた。
(ごめんなさいヴォルター。でもどうしても、フラッデルに乗れるようになって皆に迷惑が掛からないようになりたいの)
笑顔で応じながら、フラッデルから一度降りて機体を反転させる。元居たところまで戻るためだ。
(早く細かな動きも出来るようになって、乗ったまま向きを変えることも出来るようになりたいわね)
そんなことを思いながら出発点を見遣れば、ウィルニーナと並んで立つティドが俯いているのが見えた。
不思議に思いながらも、先程と同じようにゆっくりとしたスピードで二人の待つ場所まで戻る。
ティドの目の前でフラッデルがゆっくりと停止し地面に着地すると、俯いたままのティドが何事かを呟くのが聞こえた。
『……る』
『え、何?』
あまりの声の小ささに聞き取れず、ティアはフラッデルを降りて一歩ティドに近付き顔を寄せた。
すると不意にティドが顔を上げる。思いの外至近距離に迫ったティドの真剣な顔にティアは一歩後ずさった。
『僕もやる』
『え……えっ?!フラッデルを?』
ティドの顔には決意が漲っている。普段、ティアと何かを張り合う性質ではないだけに、ティドの発言にティアは面食らった。
(え?どうしてティドもフラッデルを?)
理解は追いつかないが、反面嬉しい気持ちも湧いてくる。練習は一人でやるよりも、複数で行った方が切磋琢磨できるからだ。
ティドの真意は分からないが、二人で取り組めることは単純に嬉しくティアの顔が綻ぶ。
だがその後ろでティドの発言にヴォルターが青褪めていたことなど、ティドと向き合っていたティアは知る由もなかったのだった。




