ティアの覚悟
ティドとティアが国王から直々に伝統舞踊を習うようになって、四ヶ月が過ぎようとしていた。
最初こそこの舞踊の難しさと長さのために体力が続かず絶望した二人だったが、元々多方面に才覚のある二人だ。教えられたことを見る間に吸収し、あっという間に基本的な足の動きを覚えるに至った。
しかし頭では動きが分かっていたとしても、体格の問題はどうしようもない。小さな身体ではどうすることも出来ない決められた歩幅での足捌きが二人を苦しめていた。
だがそれでもティドは剣術で鍛えた動きでまだ食らいついていたのだが、一方のティアは一歩毎に軽く飛ばなければ次のステップを踏むことができず苦戦していた。
『でも、踊るのはおそらく僕だけだろう?ティアは無理に覚えなくてもいいんじゃないのかな』
舞踊の授業を終えて次の授業のために二人で並んで廊下を歩いていると、ふとティドがそんなことを言い出した。
ウィレンツィア王国では、国王の御子が十五歳になった時に立太子する習わしになっている。
だがウィレンツィア王国の立太子式は王族だけで執り行われる実に簡略的なもので、国賓を招いたりはしない。質実剛健なウィレンツィア王国で、豪華絢爛な式典など行われるはずもないのだ。
その立太子式の場でティドによる伝統舞踊が披露される予定ではあるが、王族だけで執り行うためそれを目にするのは祖父である先代国王と父母である現国王夫妻のみである。
それに踊るのは立太子するティド一人だ。王族の血を引くということでティアも一緒に伝統舞踊を学んではいるが、ティドの身に何かあるなど余程のことがない限り、この先ティアがこの伝統舞踊を踊る機会など訪れないのが実状だった。
『それはそうだけれど、ウィレンツィアの王族の血を引く者として、覚えたいのよ』
『気持ちは分からなくもないけれど、今すぐ覚えなくても……』
この伝統舞踊は立太子の時を始め、譲位の際など国の節目の時に踊られるものではあるが、踊る機会自体が少ない上に大々的に披露目をする踊りでもないので、ティドがいる限り踊る機会自体が与えられないティアが、今ティドと一緒になって必死に覚える必要はない。
ティドとしては、難なく決められた歩幅での足捌きが出来るくらい身体が成長してからでも覚えるのは遅くないのではという提案だったのだが、ティアにはどうしても今覚えたい理由があった。
『……あのね、考えていることがあるの』
ティアは歩みを止めずにティドに身体を寄せると、兼ねてから考えていたことを相談すべく小声で囁いた。
『フラッデルを使おうと思っているの』
『……何に?』
話が全く見えず、ティドはティアが内緒話でもするかのように囁き声だったのも忘れ、いつも通りの普通の声で聴き返してしまっていた。
そんなティドの言葉がいやに大きく感じられて、ティアは慌てて後ろを振り返った。
後ろにはヴォルターとウィルニーナがおり、何かあれば直ぐに駆け付けられるくらいの距離で追従してきているが、ティアは声を潜めて話していたのでヴォルターとウィルニーナには会話の内容は全く聞こえていなかったようだ。
突然振り返ったティアを見ても、ヴォルターとウィルニーナは微笑ましそうな顔で二人を見守っているだけだった。
そのことにほっと胸を撫で下ろしたティアは、再びティドに向き直った。
『何って、私が使うのよ』
『……?』
要領を得ない返答にティドか首を傾げていると、ティアは珍しく小さく溜息を零した。
『私ね、考えたの。こんなに見た目は同じなのに、性別が違うというだけで、体力だったり力だったり、私は何をやってもどうしてもティドより劣ってしまうでしょう?』
『まぁ内容によるけれど、体力や力比べならそれはそうだね。ティアは女の子だから。……それで?』
ティアが何を言いたいのかさっぱり分からず、ティドは相槌を打ちながら話の続きを促した。
『今回の伝統舞踊は足捌きが決まっているからフラッデルは使えないけれど、私はフラッデルを乗りこなせるようになっていた方がいいと思うのよ』
『……何のために?』
ティドが心底分からないと言わんばかりの顔をするので、ティアは少し苛立ちを見せ頬を膨らませた。
『もう!だから、例えば誰かに追われた時に私の足ではすぐに追いつかれてしまうけれど、フラッデルを一人で乗りこなせたら直ぐに逃げられるでしょう?』
小声で話していたのも忘れて少し声を荒げるティアを、珍しいものを見たとばかりにティドが驚いて見つめる。
だがそれが面白くなかったようで、ティアは益々声を張り上げた。
『私は皆に護られるだけじゃなくて、自分で自分の身を護れるようになりたいの!』
突然廊下の真ん中で声を張り上げたティアに、後ろを歩いていたヴォルターとウィルニーナも驚いて足を止める。
ティドは一瞬驚いた顔をしたものの、まだ息の荒いティア宥めるようにその両手をそっと取った。
『どうしてそんなに自分の身を自分で護れるようになりたくなったんだい?』
掌から伝わるティドの温もりに、少し興奮気味だったティアの心が徐々に凪いでいく。そうして段々と冷静になってくると、声を荒げたことが恥ずかしくなりティアは俯いてしまった。
そんなティアから手を離すと、ティドは項垂れるその頭を優しく撫でた。
『自分で自分の身を護らなくても、ティアのことは僕が護ってあげるよ?』
『そうじゃなくて!』
ティドの言葉に、ティアが徐に顔を上げる。そこにはまるで鏡でも見ているかのように、真っ直ぐに見つめてくる自分そっくりな片割れの姿があった。
その真摯な翡翠の瞳は全ての嘘を見透かすようで、ティアは観念すると正直に胸の内を吐露した。
『……ティドや皆の、重荷になりたくないのよ。今度国際会議もあるでしょう?流石にその場で何かがあるとは思っていないけれど、穏やかな話ばかりが聴こえてきているわけではないわ』
『ああ……』
最近になってドルシグ帝国の動きが活発になってきているのだという。
そのことを表立っては誰も二人に教えることはなかったが、ティドとティアも噂は聞き及んでいた。
『どんなに考えてみても、有事の際に私は戦えないもの。であれば、せめて足手纏いにならないように一人で逃げられる術を身につけておきたいのよ』
『……』
軍事国家であるドルシグ帝国の動きが活発だとはいえ、その矛先がウィレンツィア王国であるとは限らない。けれど、ドルシグ帝国がウィレンツィア王国に眠る「世界の力」を欲しているという噂は絶えない。
ティアの言いたいことを理解し、ティドも押し黙る。勿論ティアのことはティドをはじめウィルニーナや近衛騎士達が護るが、それでも有事の際に備えて打てる手立てはいくつあってもいいのは事実だった。
現在の状況を鑑みると、ティアの言っていることをティドは真っ向から否定できなかった。
『……それでも、危険だよ。ティアが怪我でもしたら大変じゃないか』
ティアの覚悟を止めることも肯定することも出来ず、ティドは心配する以外の選択肢がなかった。
だがそんなティドの心境を察してか、ティアは今までの真剣な空気を消すと、にっこりと微笑んで見せた。
『あら、怪我くらいなんてことないわよ?』
わざとらしく胸を張るティアは、真剣なやり取りは終わりとばかりに話題を変え空気を一変させる。
今すぐに答えを出すことが出来ないティドも、一旦フラッデルのことは置いておいてティアの話題転換に乗ることにした。
『はぁ……そんなこと言って。顔とか見える所に一生残る傷でもついたらどうするんだい?』
やり取りに乗って来たティドに対して、ティアは冗談めかして笑った。
『あら、そうしたらお嫁に行けなくなってちょうどいいかもしれないわね?』
『ティア……』
『でもきっと……私はいずれウィレンツィア王国の王族ではなくなるわ。その時までに、ティドと一緒に学んで過ごした、二人の思い出をたくさん作っておきたいの』
『!』
その言葉を耳にし、ティドは腕を伸ばすと思い切りティアを抱きしめた。
『きゃっ!……急にどうしたのよ、ティド!』
急に抱きしめられ慌てたティアを余所に、ティドは穏やかに答える。
『……いや、我が妹は可愛いなと思って』
そのまま抱擁を解かないティドに、ティアは呆れたように息を吐き出した。
『何言ってるのよ。数分早く生まれただけでほとんど変わらないでしょう?』
『んー?そうかな』
『そうでしょう』
『……そうだね。僕達は変わらない』
抱きしめていた腕を解くと、ティドはティアの両手を取った。
『僕達はいつ何時でも、離れていても二人で一人だ』
『……そうね、私もそう思うわ』
いつになく真剣な表情で告げるティドに、つられてティアも表情を引き締める。
だが次の瞬間、ティドは悪戯が成功したこどものようにニヤリと片方の口角だけを上げて嗤った。
『ティアが僕とそんなに離れたくないって言うなら、仕方がないから将来は僕の参謀として雇ってあげてもいいよ』
『なっ!……もう!なんで参謀なのよ、せめて宰相にしてよね』
『えっ?!そこ?』
手を取り合い視線を合わせた二人は、次の瞬間お互い声を上げて笑う。
『あはは、じゃあ未来の宰相殿、一緒にこれからも頑張りますかね』
『ふふっ、そうね。未来の国王陛下?』
二人は微笑み合うと、また楽しそうに歩き始めた。
そんな二人の様子を後方で見守っていたウィルニーナには、会話の内容が聴こえなかったので詳しく何があったのかは分からなかったが、どうやら二人は喧嘩をして仲直りをしたように見受けられた。
喧嘩するほど仲が良いとも言うが、最後には笑い合う二人の姿は微笑ましく、仲が良いことがとてもよく伝わってきていた。
『王国の未来は安泰ですね』
前を行く二人の背中を眺めていたら、思わず言葉が溢れ落ちていた。次代を担う王子と王女は、きっと未来を明るく照らしてくれるだろうと思えたのだ。
『……?』
隣に立つ男からの返答を期待していた訳ではなかったが、普段なら『当然だな』とか『何を当たり前のことを』とか言いそうなものなのにいつまでたっても何の反応も返ってこないので、ウィルニーナはそっと隣に立つヴォルターを見上げた。
『!?』
何気なく見上げたヴォルターは、予想もしていなかった程に険しく厳しい表情をしておりウィルニーナは思わず息を呑んだ。
自分が何か失言をしたかとウィルニーナが内心慌てていると、ヴォルターは真っ直ぐに前を見据えたまま重い口を開いた。
『……今度の国際会議、何としても何事もなく終わらせるぞ』
『……っ、は、はいっ!』
今の王子と王女の仲睦まじく微笑ましい光景を見て何故そんな言葉が出てくるのか分からず、ウィルニーナは思わず声がどもってしまう。
しかし脈絡のない言葉に驚きはしたものの、そんなことは言われなくとも当然だった。
(もうすぐ開催される、各国の代表がこのウィレンツィア王国に集まる国際会議。……このお二方の平穏な生活を守るためにも、何としても何事もなく終わらせてみせる)
前を行く二人の小さな背中を見つめ、ウィルニーナは決意を新たにしたのだった。




