伝統舞踊
『私、次の授業が待ち切れなかったの』
『そうだね。僕も楽しみだよ』
午後最初の授業をそれぞれ終えティドとティアが次の授業へ向かうために歩いていたところ、角を曲がった先で二人は偶然出会ったのだ。
二人は並んで歩きながら朗らかに会話を交わす。次に受けるのは同じ授業で、向かう途中から会えたことをお互いに嬉しく思っていた。
そんな仲睦まじい様子に、後方を歩くヴォルターとウィルニーナの頬も自然と緩む。
そんなヴォルターとウィルニーナの様子は、前を行くティドとティアも気付いていた。
『あの二人、最初はぎこちなかったけれど、だいぶ打ち解けたみたいね』
並んで歩いている距離から更に半歩隣に近付き、ティドに向かって小声でティアが話しかけてくる。
別に聞かれて悪い話ではないが、自分達のことを言われるのは緊張するだろうからと、聴こえないように配慮したのだろう。
『そうだね。僕もそう思うよ』
近付いた距離から更に顔をティアに近付け、ティドが耳打ちをする。同意を得られ、ティアはにっこりと嬉しそうに微笑んだ。
ヴォルターとウィルニーナは最初こそ知らない者同士で溝のようなものがあったのだが、それもほんの数日だった。ある時ティドとティアが授業を受けて戻って来たら、何故かお互いを認め合い打ち解け合っていたのだ。
二人の間に何があったのかティドとティアは知らないが、双子に付く以上よく一緒に居ることになるので、仲が悪いよりは良い方がいいのは確かだった。
『さぁ、ここだね』
そんなことを話しているうちに、目的の場所へと辿り着く。
ティドが廊下の一番奥の扉の前で立ち止まると、いつの間に前に出たのか気付くとヴォルターが扉の前に立っており、その重厚な扉をゆっくりと開いた。
部屋は城の二階の西端に位置しており、主にダンスのレッスンなどで使用される部屋のためかなりの広さがある。ダンスの邪魔にならないよう、調度品は壁際に必要最低限のものが置かれているだけだった。
床の白いタイルはよく磨き上げられており、傾きかけた陽の光を受けて淡い金色に輝いていた。
『やぁ、来たね。二人共』
眩しさに思わず目を眇めたが、部屋の中から掛けられた声に二人は一斉にそちらを見た。
『父上』
『お父様』
部屋に入ってすぐの処にあるソファから立ち上がったのは、二人の父、現ウィレンツィア王国国王だった。
二人は国王の姿を確認すると、すぐさま怒られない程度の速度で駆け寄った。
『私、今日の授業をとっても楽しみにしていたの!』
『僕もです。父上自ら教えていただけると聞いた時は驚きました』
国王は駆け寄った二人の頭に手を置くと、その頭を優しく撫でた。
『私も楽しみにしていたよ。これは王家に伝わる伝統舞踊だからね。王家の血を継ぐ者が代々教えて継承していく決まりなんだ』
ウィレンツィア王国には建国以来伝わっている伝統舞踊がある。それが二人が今から習おうとしている舞踊だった。
建国以来ということは、千年前の世界大戦以降からということになる。どういう経緯で王家の伝統舞踊になったのか歴史の授業でも習わなかったが、この伝統舞踊の歴史が古い事だけは教わっていた。
王家の血を継ぐ者が継承するということで、嫁いできた現王妃はこの舞踊を踊ることは出来ない。今現在この舞踊を踊れるのは双子の祖父である先代国王と、父である現国王のみだった。
『お父様に教えていただけるのは嬉しいけれど、でもお父様はお忙しいのではないの?』
ティアが問えば、ティドも心配そうに国王を見上げる。気持ちはティアと一緒だった。
国王は双子の頭を撫でていた手を離すと、二人と目線を合わせるようにその場に膝を付いた。
『これは代々、国王が自身の子供に伝えていくことで継承してきた踊りなんだ。仕事が忙しいのは本当だが、私が先代国王からこの踊りを教えて貰った際に、自分が成長して子を持った時にこの踊りを自分も教え繋いでいくことをとても誇らしく、そして楽しみに思ったんだ。だからぜひ、私に教えさせておくれ』
その真摯な眼差しに、ティドもティアも真剣な面持ちでしっかりと頷き返した。
『はい』
『分かりました』
『……よし!』
二人の反応に満足げに微笑むと、国王は立ち上がり周囲の者に指示を出した。
『これより相伝の授業を開始する。皆部屋から出て扉の前で待機するように』
事前に知らされていたようで、部屋の片隅に待機していた国王付きの近衛騎士は指示に従い速やかに部屋を退出していく。知らされていなかったヴォルターとウィルニーナは一拍を置いて、こちらに礼を取ると近衛騎士に続いて退出していった。
『さて、では始めようか』
『……ですが父上、全員退出してしまって、誰が楽器を奏でるのですか?』
部屋には窓際にピアノが一台置かれているが、演奏者はいない。
この場に残る国王もティドもティアも、授業の一環で楽器の演奏を一通り習っているので鳴らす程度なら出来るが、踊りの伴奏程弾けるわけではなかった。
『二人とも、伝統舞踊を見たことがないだろう?』
『『はい』』
この伝統舞踊は披露目をするものではなく、何か大事な節目で内々に踊るものだ。
以前は三年前に国王が代替わりした際に先代国王の前で現国王が舞ったと、二人は授業で教えられていた。
不思議がる二人に目を細めると、国王は再び膝を付いて二人と視線を合わせた。
しかし今度は秘密の聞かれたくない話をするように、顔を二人に近付ける。その姿に、二人も自然と前のめりになった。
『この踊りには、決まった手の振りや音楽が無いんだよ』
『えっ?!……あ、ごめんなさいっ』
広い空間に三人しかいないため、静かな室内にティアの驚いた声は嫌に良く響いた。慌てて口に手を当てるティアに、国王が優しく微笑む。
『大丈夫、人払いはしてあるから気にしなくていい。……ティド、ティア、この踊りはね、足の動きしか決まっていないんだよ』
優しい声で諭され、ティアは歴史の授業で習った事を思い返し疑問を口にした。
『私、この舞踊は剣舞なのだと思っていました』
歴史の授業担当の老教師が『現国王は剣を持って伝統舞踊を踊られるそうですよ』と授業で語っていたので、そうだとばかり思っていたのだ。
『ははっ、そうか。でもそんな決まりはないんだよ。ティアは扇でも錫杖でも、好きな物を持って踊っていいんだ。勿論、何も持たなくてもいいしね』
『逆に悩んでしまいそうです』
『足捌きに合わせて、踊りやすいように踊ったらいいんだよ』
国王の言葉にティアが安堵の表情を見せる中、一人俯いて考え込んでいたティドが徐に口を開いた。
『父上、何のために足の動きは決まっているんですか?』
その言葉に、ティアに向かってにこやかに微笑んでいた国王がニヤリと口角を上げて笑んだ。
『流石我が息子だね。……そこがこの踊りの本質なんだよ』
呑気に何を持って踊ろうかと心躍らせながら考えていたティアは、ティドの言葉を聴いて驚く。
確かに、足捌きだけが決められた踊りなどない。であるならば、足の動きに何か意味があるということだ。
国王は優しくティアの片手を取ると、もう片方の手でティドの手を取った。
ティアが国王を見つめると、そこには父としての顔ではなく、一国を背負う国王としての顔があった。
『ティド、ティア、よく聞きなさい。この踊りは、一歩の足の歩幅、飛んだ時の角度、次に向かう道筋、全てが細かく決められている。その理由は二人が成人した時に教えることになるが、この踊りはとても重要で大事な踊りなんだ。それを肝に銘じ、一つも間違うことなくしっかりと覚えなさい』
『……はい』
『……承知しました』
国王の顔で接する時も優し気な姿しか見てこなかった二人にとって、鋭いまでの剣幕で話す国王の姿に圧倒される。
だがそこは王族の血を引く二人だ、怯むことなく返事を返した。
『よしっ。では早速始めようか』
『はいっ』
『はいっ!』
優し気な表情に戻った国王に、二人も笑顔で元気よく返事をする。
しかし、二人が元気だったのもそこまでだった。足捌きが決められているこの舞踊は、想像以上に難しいものだったのだ。
まず、一歩の幅が決められているのが二人には枷となった。大人の歩幅を基準としているためか、一歩が予想以上に大きく、幼い二人は常に大股で身体を動かさなければならなかった。
次に、軽く飛んでステップを踏む際も、右に四十五度、左に百八十度と角度が決められている。右斜め前に出る、回転して後ろを向く、と言った曖昧なものではなく、とにかく正確さが求められたのだ。
そして最後に踊りの内容だが、とにかく長かった。部屋の端から踊り始めて、部屋の中を隈なく一周するかの如く細かく動き回るのだ。一回踊り終える頃には二人は最早ヘトヘトだった。
『この動きを覚えるまで繰り返し行う。だが、肝心なのはそれだけではないんだよ』
これ以上何があるのかと肩で息をしながらティドとティアが国王を見つめれば、国王は困ったように笑いながら肩を竦めた。
『さっきも言ったが、これは足の動きだけが決められた特殊な踊りなんだ。それを外部の者に悟らせないようにしなくてはならないんだよ』
国王の言っていることがよく分からずティアは首を傾げるが、その隣でティドは顔色が真っ青になっていた。
『まさか……それを悟らせないために、上半身は派手な振り付けを行うのですか?』
『えっ!』
ティドの発言に、ティアは目をまん丸にして隣を見た。驚愕の表情で固まるティドを目にして視線を前に戻せば、相変わらず困ったように微笑む国王の姿がそこにはあった。それが全ての答えだった。
(つまり、足捌きが重要な踊りだと悟らせないために、お父様は剣舞として踊っていたということ?)
足の動きがこれだけ複雑なのに上半身も目立つように踊らなければならないなど、今のティアには到底出来ると思えなかった。
『だから、上半身の動きは自由なんだよ。足捌きに気を取られながら上半身も決められた動きをするのは大変だろう?』
(だからと言って大変さが半減するだろうか……)
なかなか弱音を吐くことのないティドですら、踊りの大変さに頭を抱えたくなった。
『大丈夫、ゆっくり取り組んでいこう。外部の者に見られても問題ないように普通の踊りのように見せなければならないが、これはどこかで披露目をする踊りではないのだから』
大々的に披露目をする踊りではないが、おそらくティドが立太子する時には内々で、先代国王と国王の前では踊ることになるはずだ。
『……はい』
『……よろしくお願いします』
これから幾度となく国王の貴重な時間を貰うのだ。へたり込みそうになる身体と心を何とか叱責し、ティドとティアは何とか精一杯返事を返したのだった。




