呼び名
翌日、ティドとティアの元には早朝からその世話係として、ヴォルターとウィルニーナが訪れていた。
元々ウィレンツィア王国は質実剛健な国風なだけに、王城で雇っている人員はそう多くはない。
だが千年前の世界大戦後にウィレンツィア王国に封印された『世界の力』は守護せねばならず、騎士団には重きが置かれておりそれなりの人数が確保されていた。
しかしそれだとて、ウィレンツィア王国は平和の象徴としての役割も担っているため、必要最低限の人数しか揃えられていない。
軍事国家として名高いドルシグ帝国と比べるのならば、ウィレンツィア王国騎士団など数の内にも入らないような人数しか確保されていないのが現状だった。
今までもティドとティアにはそれぞれ世話係の侍女などが付いてはいたが、少ない人員ということもあり各々身の回りのことは何でも一通り自分達で出来るようになっている。
そのためヴォルターとウィルニーナが起床の挨拶を告げに来た時には、すでに二人共支度が済んでいる状態だった。
『どうぞ。入っていいわ』
『っ!おはようございますっ、アリスティア王女殿下!……お早いお目覚めなんですね!』
扉の外から掛けられた声に対して、ティアはいつも通り入室の許可を出す。
だが入室してきたウィルニーナは服を着て髪を結い全ての支度が終わった状態のティアを見て、目をまん丸にして心底驚いた表情をしながらも勢いよく挨拶を告げたので、ティアは思わず声を出して笑ってしまった。
『ふふっ。おはようウィルニーナ。今日もとても元気ね』
『あっ、え、あ、はいっ!』
ティアの言葉にウィルニーナが慌てて姿勢を正して返答を返す。その様子が可笑しくて、ティアはくすくすと愉しそうに笑った。
『ウィルニーナといると私まで元気になれそうな気がするわ』
『申し訳ありません!煩いですよね、少し控えます』
ティアの言葉を声が大きいと受け取ったようで、すぐさまウィルニーナが頭を下げる。だがそんなウィルニーナに歩み寄ると、ティアは徐にその両手を取った。
何事かと慌ててウィルニーナが顔を上げる。そんなウィルニーナに、ティアは優しく微笑みかけた。
『ウィルニーナはそのままでいて頂戴。私も元気を貰えるって言ったのよ?』
『えっ、あ、……はいっ!』
再び元気よく返事をするウィルニーナに目を細めた後、ティアは扉に向かって歩き始めた。
『さぁ、早く行きましょう?きっと廊下でティド達が待ちくたびれているわ』
二人が扉を開けて廊下に出ると、案の定、ウィルニーナと同時にティドを起こしにやって来たであろうヴォルターと共に、ティドがティアのことを待っていた。
『おはよう、ティド。少し待たせたかしら?』
『おはよう、ティア。いいや、今し方部屋から出て来たばかりだよ』
ティドの挨拶を待って、次に後ろに控えていたヴォルターがティアに向かって頭を下げた。
『おはようございます、アリスティア王女殿下』
『っ!おはようございますっ、アリスティド王子殿下!』
ヴォルターに習い、続けざまにウィルニーナがティドに向かって勢いよく頭を下げる。
ウィルニーナの勢いにティドも一瞬面食らったようだが、すぐに笑みを浮かべた。
『おはようウィルニーナ。今日も元気だね』
『っ!申し訳ありません!少し控えたいと思いますっ』
『ああ、そんなつもりで言ったんじゃないよ。元気が良くていいなと思っただけだから』
『え、あ、はい。……ですが、あの、申し訳ありません』
『……ふふっ』
先程室内で繰り広げられた光景がそのまま再現されているようで、ティアは可笑しくて堪えていた笑い声が零れ落ちてしまっていた。
そんなティアの笑い声を聴いて、ティドは腰に手を当てると幼子を叱るかのようにティアに向き合った。
『ティア、ここで笑うのはウィルニーナに対して失礼じゃないかい?』
ティドから諫められ、ティアは笑いを引っ込めるとウィルニーナを振り返る。
『ちがうの。ウィルニーナを笑ったわけではなく、同じやり取りを今室内でしてきたばかりなのよ。……ね、ウィルニーナ?』
『あ、はい!仰る通りです。……申し訳ありません。私が声が大きいばかりに、アリスティア王女殿下とアリスティド王子殿下にご不快な思いをさせてしまいまして……』
項垂れるウィルニーナに、ティアは今度はティドを振り返った。
『さっきも言った通り、不快な思いなどしていないわ。ね、ティド?』
『ああ、ティアの言う通りだよ。不快な思いなどしていないから気にしなくていいよ。ウィルニーナ』
ウィルニーナは普通の女性より声が大きい自覚があるし、それが自分でも少し気になっているのだが、それを二人から否定してもらい更には励まされているのが余計に申し訳なくて、ウィルニーナは尚も項垂れた。
『……ありがとうございます。お気を遣わせて申し訳ございません、アリスティド王子殿下、アリスティア王女殿下』
『……』
恐縮するウィルニーナの言葉に、ティアは顎に手を添え何事かを思案する素振りを見せた。
『……ねぇウィルニーナ。その呼び方だと、長くて呼ぶのが大変ではなくて?』
こてんと首を傾げるその愛らしい表情に、ウィルニーナの顔が真っ赤に染まる。
『いえっ!あの、なまっ……お名前ですのでっ!大変ではないです!』
焦りで言動はおかしいが、ピシッという擬音が付きそうな程姿勢を正して答えるウィルニーナが可笑しくて、ティドは思わず笑い声を溢していた。
『ははっ。……きっと、これから長く私達に仕えてもらうようになるだろうから、そんなに畏まった呼び方でなくてもいいんだよ』
『えっ、ですが、あの……』
ティドにも肯定されてしまい、ウィルニーナはどうしたら良いか分からず忙しなく手を動かし視線を彷徨わせて焦る。そうして彷徨わせていた視線の先でヴォルターと目が合うと、ウィルニーナは助けてくれと言わんばかりにヴォルターを懇願の眼差しで見つめた。
しかし当のヴォルターはウィルニーナと目が合うと、ふいっと顔を背けた。
(えぇーっ?!薄情者ー!!!)
今回初めて王城に登用されたウィルニーナは城内で働く人々とは全員初対面だったわけだが、勿論ヴォルターとも昨日国王の執務室で会ったのが初めてだった。
しかしウィルニーナの中でヴォルターは他の人とは違い、同日に双子の王子と王女付きになったということで何となく親近感めいたものを感じていたのだ。
それなのに助けても貰えず、ウィルニーナが恨みがましい視線でヴォルターを睨み付ける。
だがヴォルターは、そんなウィルニーナの視線に気付いているだろうが頑なに目を合わせようとはしなかった。
『……じゃあこうしよう、僕のことはティド、ティアのことはティアで』
ウィルニーナが一人ヴォルターに対する怒りを募らせているうちに、ティドが勝手に呼び名を指定してしまう。
ヴォルターを睨み付けることに専念していたウィルニーナは、突然掛けられた声ではたと我に返ると一気に慌てた。
『え、あ、ティド、様、と、ティア、様』
『そうそう、ティドとティアでお願いね』
ウィルニーナとしては何も聴いていなかったとは言えず、慌てて聴こえた言葉をそのまま復唱しただけだったのだが、それをウィルニーナの同意と受け取ったようでティアは嬉しそうに微笑んだ。
一拍置いて漸く自分が発した言葉の意味を理解したウィルニーナは、いきなり初日から愛称呼びという不敬に大いに慌てる。
困って視線を彷徨わせれば、正面に向き直っていたヴォルターと再び目が合った。
(さっきの件は水に流すから、今度こそ助けてっ!)
先程よりも目に力を込めてウィルニーナが視線で訴えれば、ヴォルターはひとつ大きな溜息を吐いた後口を開いた。
『……王子殿下と王女殿下が仰っているんです。そうお呼びして差し上げれば良いのではないですか?』
(うっ、裏切り者ー!!)
自分は『王子殿下』『王女殿下』と呼ぶけれど、貴方はそう呼べばいいのでは?と突き放され、ウィルニーナは内心怒りに震えながらヴォルターのことを鋭い視線でギッと睨み付ける。
しかし当のヴォルターはそんなウィルニーナの視線などものともしておらず、余計に腹が立ってさらに怒りが募った。
『ヴォルターも、私達のことをティドとティアって呼んでくれていいのよ?』
後ろに控えるウィルニーナが、ヴォルターを射殺さんばかりの視線で睨んでいることになど気付くことなく、ティアがにこやかにヴォルターに向かって声を掛ける。ヴォルターはそんなティアに向かって、深々と頭を下げた。
『いいえ、王子殿下には昨日お伝え致しましたが、私はこれが素なのです。ですので、王女殿下もご容赦ください』
『そうなの?無理強いはしないけれど……慣れてきたらいつでもそう呼んでくれて構わないから』
『ふふっ』
昨日これと全く同じやり取りをしたことが思い出され、ティドは可笑しくなって笑いを溢しながらヴォルターを振り返った。
どうやらヴォルターも同じことを思い出していたようで、まるでティドとヴォルターの昨日の会話を聴いていたかのように全く同じことを言うティアに驚いた顔をしていた。
『さぁ、廊下での立ち話はこの辺で終わりにしよう。朝食の席に遅れてしまうよ』
『……そうね、待たせるわけにはいかないわね。じゃあ行きましょうか』
何故ティドに笑われたのか分からないティアは首を傾げるが、確かに朝食の時間が迫っておりそのままこの話題はそこで終了になったのだった。
それ故、結局ウィルニーナはティドとティアのことをそのまま『ティド様』『ティア様』と呼ぶことになってしまい、初仕事の初日早々のやらかしにウィルニーナはひどく落胆する羽目になった。
ティドとティアに乞われてそう呼んでいるので落ち込む必要はないのだが、いきなりの愛称呼びだ。ウィルニーナはひどく落ち込み、そしてひどく怒っていた。
それ故この日、ティドとティアがそれぞれ午前中の授業を受けている間に、中庭で木剣を使ったウィルニーナとヴォルターの決闘が繰り広げられることになったのだが、授業を受けていたティドとティアはその事実を知る由もなかったのだった。




